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SHOOTING STARS  作者: 福永涼弥
本編
5/22

三村桜花(1)

 物心ついた頃から、あたしは馬を通じて季節を感じていた。空気が徐々に柔らかくなってきて、朝仕事のつらさが和らぐ春は、出産と種付けの季節。蝉がうるさい夏は、暑いのが苦手な馬にとっては受難の季節。秋は、春に生まれた仔馬が母馬と別れて暮らし始める、仔別れの季節。

 そして、今――――冬は、牧場の朝仕事が1番しんどい季節でもあり、そして、新たな命の誕生に備えて準備をしなければいけない季節。

 あたしは、馬と一緒に生きている。


秋華しゅうか、早くしないと置いてくよー」


 朝6時。2月の空は、まだ暗い。 あたし――――三村 桜花おうかはいつものように手早く着替えを済ませて、玄関先で妹を待っている。あの子は髪が長いから、朝仕事をするのに邪魔にならないようにするのが一苦労らしい。

 うちは、競走馬の生産牧場だ。お父さんとお母さんと、大学1年生のお姉ちゃんと、中学1年生のあたしと、そして小学1年生の妹の5人家族で営む、あまり規模は大きくないけれど、それでも、大事なうちの牧場。


「やーっ、待ってぇおねーちゃん」

「お父さんとお母さん、もうとっくに出てるよ。あんたも牧場継ぐ気ならしっかりしな」


 仔馬の尻尾くらいの長さのポニーテールを揺らして、妹がぱたぱたと駆け寄ってくる。ようやく長靴を履き終えた妹の秋華は、あたしと年が6歳離れている。まだ小学1年生の秋華に手伝わせるのは少し酷な気もするけれど、お父さんとお母さんだけでは到底手が回らないのだ。早起きして手伝える人間だけでも、できるだけのことはしなくてはいけない。だから牧場の仕事は、あたしと秋華が学校に行く前の日課になっているのだ。

 馬を放牧に出して、馬房の掃除をして、寝藁を取り替える。放牧に出す前には、馬の様子をきちんと見て、もしも様子がおかしかったら誰かに知らせ、ちゃんとした対応をしなければいけない。生き物相手の仕事は、一瞬たりとも気が抜けない。特に今年は、うちで管理している牝馬ひんば全てが無事に受胎したから、絶対に手落ちがあってはいけないのだ。何かあったら、下手したら百万単位での損失が出る。いくらあたしと秋華がまだ中学生と小学生でも、そんなことは許されないのだ。


「ほら、あんたまだ眠いんでしょ。そこの水道で顔洗ってきなさい」

「んー、へーきだよ」


 まだぼけぼけとしている秋華に声をかける。でも、これでもあの人に比べたら秋華は寝起きがいいほうで……


 ゴトゴトガタガタガタンッ!!


 準備ができた秋華と一緒に玄関を出ようとすると、何かが落ちる音がした。こんなすさまじいもので落ちるものといったら、うちにはあれしかない。ため息をついてあたしは作業用の長靴を脱ぎ、その音がした方向、つまり、階段へと向かう。


「いったたたたた…………あら」


 予想通り、階段の下にはあれ――――目に涙を浮かべて痛さに耐えているお姉ちゃんがいた。パジャマ姿に、もつれた髪。寝起きが激しく悪いお姉ちゃんは、いつものことだけれど寝ぼけて階段から落ちたのだ。で、そんなお姉ちゃんは仁王立ちするあたしに気がついて、痛さに顔をしかめながらも笑顔を作ろうとする。


「お……桜花ちゃん、おはよう」

「――――この、バカ菊花きっか!」


 けれど、あたしはそんなお姉ちゃんを何のためらいもなく思いっきり怒鳴りつける。いくらお姉ちゃんでも、この場合はあたしがきつく叱らなければいけない。だって、お姉ちゃんは何回も何回も同じことを繰り返しているのだから。


「あんたは何回寝ぼけて階段から落ちれば気が済むのっ!」

「でも、だって、桜花ちゃんも秋華も朝早くから仕事してくれてるから、せめて朝ごはんだけは作ろうと思って……」

「ああもうっ! その気持ちは嬉しいけど、でも、それで自分が怪我したら意味ないでしょうっ! 一体何回あたしに同じこと言わせるつもりなの、あんた!!」


 一息にそう言って、あたしは大きなため息をつく。そして、あたしの剣幕に押されたのか、申し訳なさそうに縮こまるお姉ちゃん。それを見ていたら、なんだかちょっと言い過ぎた気になってしまった。怒ってばかりいるのは、自分でもあんまりな気がする。


「で、怪我はない? どっか痛くない?」


 まったく、妹に世話を焼かれるお姉ちゃんってどうなのよ。でもこれがあたしたち三姉妹の力関係。ぼけぼけとした長女と三女の面倒を、次女が見る。三村家はいつもこんな感じなのだ。


「うん、今日は3段目から落ちたから」

「……まったく……」


 ため息をついて、あたしはお姉ちゃんに手を差し伸べる。お姉ちゃんはその手に素直につかまって、どうにかこうにか立ち上がり、寒いらしくて身震いをした。それもそうだろう、お姉ちゃんは今パジャマ1枚なのだから。たぶん寝ぼけて上着を着るのを忘れていたのだろう。


「今朝も寒いわねぇ。桜花ちゃん、マフラーは?」

「邪魔になるからいいよ。んじゃ、朝ごはんよろしくね」


 お姉ちゃんにそう言い残し、あたしは玄関先で待っている秋華のところへと向かった。お姉ちゃんのおかげで時間を食ってしまったから、急いで仕事を終わらせて学校に行く準備をしなくては。




 お姉ちゃんのせいで仕事が終わるのが遅くなってしまって、あたしは始業のチャイムと同時に教室に滑り込んだ。担任はさっき廊下で追い越してきたから、妊娠中の担任が4階の教室に来るまでにはまだ時間がかかるだろう。なんとか1週間のうち2回も遅刻という事態は避けられた。


「イエーイ、俺の勝ちーっ!」


 そんなことを計算していると、教室の真ん中で固まっている男子の集団からこんな声が聞こえた。声の主は、クラス1のお調子者・小坂 みのるだ。またいつもの悪ふざけだろう。あいつは成績いいんだから、先生に目をつけられないようにおとなしくしてればいいのに。


「あ、おはよう桜花ちゃん」

「おはよう。……あいつら、何してるの?」


 とりあえず机の上に鞄を置いて、挨拶をしてくれた隣の席のあっこに問いかける。と、あっこからはこんな返事。


「桜花ちゃんが今日はなかなか来ないから、遅刻するかどうか賭けてるんだって」

「……あ、そう」


 あたしはため息をつき、鞄の中からノートを取り出して稔の背後へと忍び寄る。気づかない稔。そして、あたしはノートを丸めて……


「斉藤、約束どおり今日の給食のデザートよこせよっ」


 パコーンッ!


 こんなことを言っている稔の後頭部を思いっきり叩いてやった。あたしの奇襲に驚いた稔が振り向き、あたしの一撃のおかげでずれた眼鏡を直しながら喰ってかかってくる。


「痛ぇ、何すんだよバカ桜花!」

「人を賭け事に使うな!!」


 こんな言い争いをしていても、誰も止めにこないのがうちのクラスだ。というより、毎日毎日こんなことばかりしているから見慣れてしまったらしくて、あっこなんか『あれがないと1日が始まらないし、終わらない』なんて言っているくらいだ。


「そんなに怒るなよー。……そうか、わかったわかった。桜花はそんなにデザートが欲しいのか?」

「あたしが甘いもの断ちしてるの知ってるくせにそんなこと言うな!」

「そんなこと言ってると大きくなれませんよ~」

「別に大きくならなくてもいいもんっ」

「ちょ、ちょっと桜花ちゃんっ」


 珍しくあっこが止めにきたけれど、稔を言い負かすまではあたしは引き下がれない。人を賭け事のネタに使うだけじゃ飽き足らず、なおかつあたしのことをチビだの何だのとからかって遊ぶなんて……。あたしを何だと思ってるんだ。もう、1回ぎゃふんと言わせてやらなきゃ気が済まない。


「ああもう、止めるなあっこ!」

「桜花ちゃんってば、もう先生来てるよ!」


 そう言われて前を見ると、確かにそこにはあっこの言うとおり、担任がいた。ただ、いつもと違ってそのこめかみのあたりには青筋がうっすらと浮かんでいて……。

 ……やばっ。


「小坂、三村!!」


 次の瞬間、堪忍袋の緒が切れたらしい担任から、あたしと稔は怒鳴られてしまったのだった。稔と話していると、いつもこうだ。あたしは稔のことが大嫌いなのに、でも稔はなぜかあたしにちょっかいを出してくる。そのせいで、あたしまで一緒に先生に怒鳴られてしまう。いい迷惑だ。

 そう、あたしはあいつが嫌い。だって、いつもあたしのことをおもちゃ代わりにして遊ぶし、それに、何よりも、あいつは……競馬のことを、バカにしたんだもの。




『あんなものに、よく人生賭ける気になるよなー。そう思わない?』


 中学校に入って、初めて稔と話したときのことだった。中学入学と同時に転入してきた稔は、あたしの家の牧場の前を通ったときにびっくりして、同時にそう思ったらしい。競走馬を育てるなんていう不安定極まりないもので生計を立てるなんて、バカげている。稔はあたしに向かってそう言ったのだ。

 ただ、そう言った時点ではその牧場がうちのものだと知らなかったからそう言ったらしいのだけれど、でも、あたしたち家族の生き方をバカにしたことには変わりない。

 あたしはそう言われた次の瞬間、稔につかみかかって2、3発グーで殴ってやった。絶対に許せなかった。先生にさんざん理由を問い詰められたけれど、何も言わなかった。そんなことを言ってしまったら、稔の発言を認めることになるような気がしたから。自分の口から、そんな言葉を言えるはずがなかった。

 お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも、あたしも、秋華も、みんな馬に全てを捧げる覚悟をして、そして馬を育てているのに。

 お姉ちゃんは、獣医になるために大学に進学した。

 秋華はまだ子供だけれど、それでもあの子なりに考えて、牧場を継ぐつもりでいる。

 そして、あたしは騎手を目指している。体重制限のある仕事だから甘いものを極力取らない癖をつけて、食べ過ぎないように注意して、そして、毎日馬のことばかり考えている。

 稔は、そんな決意をバカにしたのだ。絶対に許さない。そんなことを言う奴なんて、あたしは大嫌い。




 けれど、いくら嫌いでも同じクラスにいる以上は、どうしても接点があるわけで……


「ああ、面倒くせーっ」

「それはこっちのセリフ。誰のせいでこんなことになったと思ってんのよ!」


 その日の放課後の教室。朝の騒動のせいで、あたしと稔は1週間分の日直を命じられてしまい、仕方がないので一緒になって日直の仕事をしていた。稔は日誌をつけ、あたしは掲示物の貼り替えをしているのだけれど……男子が貼ったものの貼り替えは、背が低いあたしには少々キツい。まったく、大変な仕事を人に押し付けやがって。

 恨みを込めた視線を稔に送ると、ふと、稔が顔を上げた。ばっちり目が合ってしまって、あたしはなんだかきまりが悪くなってしまってうつむいた。これじゃあまるで、届かないからやって欲しいって、目で訴えてるみたいだ。


「しょうがないなぁ。ほら、それ貸して」


 すると、稔は立ち上がってあたしの手から掲示物を奪い取り、貼り替えてくれる。……いくら嫌いな奴だとはいえ、こういう場合はちゃんとお礼をしなきゃいけない。


「……ありがと」

「ん、素直でよろしい」


 ……ひとこと多いんだよ、こいつは。でも、早く片付いたからこれで部活に行ける。バランス感覚が必要とされる騎手を目指すには、体操をやっておくのがいいのではないかと思って体操部に入部したのだ。もともと運動神経はいいほうだから、最近はかなり身についてきていて、大会にも出してもらえるようになってきた。休むわけにはいかない。


「じゃ、あたし部活行ってくるから。それ出してきてねっ」

「おう、未来に向かって走れ、桜花!」


 冗談めかして言う稔にとりあえずはバイバイと言って、あたしは廊下へ飛び出した。

 そう、あたしは騎手になるのだ。立ち止まっている暇はない。稔の発言を、気にしている暇なんてない。

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