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SHOOTING STARS  作者: 福永涼弥
番外編
21/22

君の進む道~田中宏斗~

 初めてあの子を見たのは、中2の4月だった。耳の下あたりで切りそろえたまっすぐな髪に、優等生然とした雰囲気。大多数の女子がセーラー服のリボンを緩めて結んでいる中、あの子だけはきちんと規定通りにリボンを結んでいた。実は密かに男子の間では人気があったけれど、男子とは話しかけられない限り滅多に話をしなかった。そのかわり女子とは誰とでも仲良く話していた。漏れ聞こえてくる穏やかな声が、妙に印象的だった。


 それが、森本をはじめて意識した瞬間だったような気がする。


 最初は、そんな森本のことを自分とは違う世界の女の子だと思っていた。調教師を親に持ち、明けても暮れても馬のことばかりを考えているオレなんかとは違う世界に生きているんだと思っていた。

 その第一印象が、中2の6月にあっさりと崩れ去った。理科の実験でたまたま同じ班になり、理科室でたまたま隣の席に座ったときにあることに気づいたのだ。

 筆箱のファスナーのところに、小さな馬のキーホルダーがついている。ゲームセンターで何度か見かけたことのあるそれは、何年か前にG1を勝ちまくっていた名馬のものだった。隣で必死になって実験手順をノートに書き写している優等生とそのキーホルダーとがどうしても結びつかなくて、好奇心からオレは森本に尋ねた。


『森本さん、そのキーホルダーどうしたの?』


 今まで1度も話をしたことがない同級生から突然話しかけられたことにびっくりしたのか、森本は一瞬戸惑ったような様子を見せた。けれど、すぐに笑顔になって返事をする。


『これ? お父さんからもらったの』


 突然話しかけたオレにも、女子と話すときと同じような穏やかな返事をしてくれる。それがなんとなく嬉しくて、オレは言葉を続けた。


『その馬ってさ、いくつG1獲ったんだっけ? ダービーだろ、秋の天皇賞だろ、ジャパンカップだろ、えーとそれから……有馬記念だったかな?』

『え、有馬は獲ってないはずだよ。引退レースで2着』


 オレの間違いに、森本は即座に突っ込みを入れてきた。その反応に、かなり戸惑う。だって、森本は優等生で、お父さんからもらったという馬のキーホルダーをつけていて、競馬のことなんて全く知らなさそうで、それなのにその馬の戦績をきっちり覚えているなんて……正直、嘘だろ、と思った。普段見せる優等生的な態度と、それはあまりにもかみ合わなさ過ぎる。でも、それでも、あの馬の勝ち鞍をきちんと覚えているということは、森本が結構な競馬好きだということを証明していることにほかならない。

 そんなオレの反応を見て、森本はかすかに笑った。少し照れたような、目を細めた笑み。それから、その表情をオレから隠すようにして下を向き、ノートの隅に小さな字でこう書き付けて、オレのほうにスライドさせてきた。



『私が競馬好きだってこと、あんまり周りに言わないでね』



 絶対に、誰にも言うものか、と思った。森本が、人気があるくせに男子とはほとんど話さない森本が、こうやってオレだけに秘密を打ち明けてくれたことが嬉しかった。その信頼に応えるためにも、その秘密をふたりだけで共有するためにも、絶対に言うものかと固く誓った。

 好きな子の秘密を周囲にばらすほど、オレはバカではないつもりだった。




 けれど、今から考えれば、オレはやっぱりバカだったのだ。中3でもまた同じクラスになり、そしていつものように競馬談義に花を咲かせていると、突然森本がこう言ったのだ。


『新人の桜井騎手って、結構いい乗り方するよね。ああいう騎乗する人って好きかも』


 森本の口から突然従兄の話が出てきたことに、オレはかなりびっくりした。と同時に、いたずら心がむくむくと湧き上がってくる。このまま何も知らせずに、機会があったらいきなり会わせてやってびっくりさせてやろう。森本も驚くだろうし、和兄もファンと直に接することができれば嬉しいだろう。そして、森本はそれ以上に喜んでくれるに違いない。

 そう思って、オレは森本と和兄を会わせた。スランプに陥っている和兄に電話をかけてうちに来させ、おふくろさんと喧嘩をして落ち込んでいる森本をうちに誘った。そうして、ふたりを出会わせた。

 せっかくだから、ふたりで話をさせてやろう。そう思って、オレは着替えをすると言って、厩舎にふたりを置いて家に戻った。スランプに陥っている和兄と、落ち込んでいる森本をなんとか元気づけてやりたかった。和兄は自慢であり目標であり、そして、1人っ子であるオレにとっては兄貴のように大事な存在だし、森本は、オレにとっては1番大事な女の子だ。それまでずっと女の子に興味がなかったオレが、はじめて好きになった女の子だ。だから、なんとかしてふたりを喜ばせてあげたかった。

 けれど、厩舎に戻ってみたらふたりはいなかった。なんとなく嫌な予感がして、どこに行ったのかと探し回っているうちに、オレは堤防の上にいた。そうして周囲を見回して、ふたりの姿を探し、そして硬直した。嫌な予感が、最悪の形で的中したことを知った。


 オレがいるところの真下の土手で、泣く森本を和兄がなぐさめている。


 森本が泣くのなんてはじめて見たし、和兄があんなに優しい顔をするのもはじめて見た。何を話しているのかなんて聞こえるわけがなかったけれど、オレは必死になって耳を澄ました。そうせずにはいられなかった。悔しかったのだ。

 今まで、森本の秘密を知っていたのはオレだけだった。競馬が好きだということを、成り行き上とはいえオレだけに教えてくれていた。だから、オレは密かに優越感を覚えていたのだ。森本に憧れている奴はいっぱいいるけど、秘密を知っているのはオレだけだと。おまえらとは違うんだと。

 それなのに、今森本は和兄の前で泣いている。いつも穏やかな笑みを浮かべている森本が、泣き顔なんて誰にも見せたことのない森本が、初対面のはずの和兄の前で泣いている。オレが知っている秘密以上のものを、和兄が知ってしまった。

 ショックだった。それと同時に、自分の行動を悔やんだ。おまえはバカか、と、散々自分を罵った。どうしてふたりっきりにさせたのか。どうして、余計な気を回したりしたのか。それに――――


 どうして、ふたりを逢わせてしまったのか。


 あれから8年経った今でも、はっきりと言い切れる。人生最大の後悔は、ふたりを逢わせてしまったことだと。




 和兄と逢った翌日、森本は突然騎手を目指すと言い出した。あっけらかんとした笑顔で、本当はずっと騎手になりたかったのだと言った。親が反対するのがわかりきっていたから1度は諦めたけれど、また挑戦してみる、と。今までずっと競馬のことを語り合ってきたけれど、そんなことを言い出すのははじめてのことで、オレはかなりショックを受けた。和兄と逢ってからそんなことを言い出したのだから、どう考えても和兄がそのきっかけを作ったとしか思えないのだ。

 そのとき、オレは競馬学校の入試の結果待ちだった。合格したら真っ先に森本に教えてやってびっくりさせようと思っていたけれど、森本がそう言ってから考えが変わった。森本がずっと黙っていたぶん、オレもぎりぎりまで黙っていよう。親しい間柄だと思っていた相手から大事なことを教えてもらえないというのがどれだけ悔しいかを、森本に知らしめてやりたかった。森本を好きだと思うのと同じくらいの強さで、そう思った。




 けれど、森本はオレのことを好きにはなってくれなかった。森本にとってオレは、大事な友達ではあっても恋愛対象ではなかったのかもしれない。それもそうだ、森本を好きだと自覚したときにオレがとった行動は、あまり男子と話さない森本ととにかく友達になることだったのだから。玉砕してから7年経ってわかったけれど、最初に友達になってしまうと、そこからの進展はかなり難しい。

 しかも、森本の気持ちにオレが気づいたのは、よりにもよって告白した直後だった。返事もできずに立ち尽くす森本は、明らかに戸惑っていたのだから。好意を持っている相手から告白されて困ったという話は、あまり聞いたことがない。だから、直感的に『これはだめかも』と思った。

 それでも、オレはずっと森本からの返事を待ち続けた。もしかしたら、オレの告白をきっかけにオレのことを意識してくれるかもしれない。本人からはっきりと返事を聞くまで、この恋は終わったわけではない。そう思いながら、ずっと返事を待った。

 そう思っていたけれど、返事を聞く前にオレは見事に玉砕した。和兄の天皇賞を見に行ったときに、悟ったのだ。和兄が落馬したのを見て取り乱した森本。オレが抱え起こすまで、一歩も動けなかった森本。あれを見ていれば、森本の心に誰がいるのかすぐにわかる。


 あの時点で既に、森本は和兄のことしか見ていなかったのだ。




 競馬学校を辞めてから、オレは通信制の高校に入学した。親父の厩舎の手伝いをしながら勉強をする生活はそれなりに楽しくて、いつしかオレは、夢を突然断たれた悲しみから立ち直っていた。いつまでもぼーっとしていていいわけがないのだ。和兄も森本も、競馬学校の同期の奴らも、オレがぼーっとしている間に前に進もうとしているのだから。オレだって、いい加減に前に進まなくては。

 そう思っていたから、和兄からあの電話があったときもそれほど驚かなかった。


『真央のデビュー戦、今度の土曜に決まった』


 真央、というその呼び名をごく自然に発する和兄に、不思議なほど嫉妬はしなかった。むしろ、おさまるところにようやくおさまったんだな、と思ったくらいだった。和兄はやたらといい奴だから森本が好きになるのも無理はないし、森本はあの通りの子だから和兄が好きになるのは当然だ。いつまでもつかず離れずの関係を眺めているのよりは、さっさとくっついてくれたほうがこっちとしても気が楽だ。


『宏斗』


 和兄が、真剣な声でオレを呼ぶ。一体何を言い出すつもりかわからなくて、オレは聞き耳を立てた。


『……真央のこと、ごめんな』

『いいってそんなの。人の気持ちなんて、どうしようもないんだし』


 言いながら、心の中をふと不安がよぎった。ひょっとしたら、オレはずっと森本を苦しめてきたのではないだろうか。オレがあんなことを言ったせいで、森本はずいぶん自分を責めたのではないだろうか。

 あのとき一瞬だけ抱きしめた、森本の強張ったからだの感触を思い出す。あのとき、森本はどう考えてもオレを拒絶していた。誰が悪いわけでもない。ただ、気持ちがかみ合わなかっただけなのだ。それだけのことなのに、和兄までもが責任を感じている。今森本とつきあっていることを嬉しく思いつつも、『自分が宏斗から真央を奪ったのかもしれない』と、心の奥底では思っているのだろう。年が4つも離れているぶん、いつもいつもオレに優しかった和兄のことだ、間違いない。

 罪悪感が心の奥からこみ上げてきて、思わず受話器を持っていないほうの手で頭を抱えた。こっちこそごめん、と、小さな声で受話器に向かってつぶやいた。あのときに森本を抱きしめたせいで、森本はまだオレの腕から逃げられずにいるのかもしれない。そして、和兄のことまで縛り付けているのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなかった。すぐにでも森本と和兄に謝りに行きたいくらいだった。

 けれど、オレはそうしなかった。そのかわりにオレがしたことは、森本のデビュー戦を見に行くことだった。縛り付けてきた腕を放し、飛び立っていく森本の姿を自分の目で見たかった。森本が進む道を、この目できちんと見たかった。


 はじめて好きになった相手にオレがしてあげられる最後のことは、笑顔で祝福することだけなのだから。




「ふぅん。宏斗、そんなにその子のこと好きだったんだね」

「まあね。なんてったって初恋ですから」


 そうして4年が経った今、オレは恋人にその思い出を語っている。オレの返事を聞いて、彼女は面白くなさそうに鼻を鳴らした。その拍子に、長い髪が揺れる。


「ふん。でもいいもん、今の宏斗の彼女はあたしだから」

「そういうこと。だから機嫌直せって梨佳りか。だいたい聞いたのはおまえだろう」


 彼女をくすぐったりしてなだめながら、ふと思う。確かに、森本と和兄を逢わせるんじゃなかったというのは今でも思う。けれど、もしそうしていたら今のオレはいない。悔しいと思ったことはたくさんあったけれど、それでもオレは今のオレに満足しているのだ。親父の厩舎で厩務員として働きながら、梨佳とこうやって笑っていられる。それが、オレの進む道なのだから。


「あ、で、どうするのよ宏斗。結婚式行くの?」

「当たり前だろ。行かなかったら和兄に殺されるって」


 そんなことを思っていると、梨佳がテーブルの上にあったカードをひらひらと振って聞いてくる。和兄と森本の結婚式の招待状だ。そういえば、このカードを見た梨佳が『森本さんって、宏斗の知ってる子?』って聞いてきたからこの話になったんだった。話しているうちにすっかり忘れていた。


「というわけで梨佳、今から結婚式用の服買いに行くから付き合え」

「やだ、あんた23にもなって礼服持ってないわけ?」

「持ってるわけないだろ。結婚式に出るのが初めてなんだから」


 そう言ってオレは立ち上がり、梨佳の手をとった。2週間後の結婚式では、親父さんと腕を組んで歩いてくる森本の手を、和兄がそっととるのだろう。

 森本を泣かせるなよ、和兄。そんなことしたら、オレ絶対怒るからな。

 オレが見てるんだから、結婚式の最中に泣いたりするなよ、森本。おまえの泣き顔なんて、もう見たくないからさ。

 ふたりとも、騎手を続けるんなら落馬するなよ。

 オレの存在なんて、気にするなよ。思いっきり祝福させてくれよ。絶対にふたりを祝福できる自信、あるからさ。



 オレがはじめて好きになった君の進む道は、オレの自慢の従兄に続いているんだから。

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