幸福論
片寄りつつも、固まった考えを書きたいのです。僕自身を3つに割るつもりです。自由に書かせて下さい、批判は心の中に閉まっておいて、否定的に考えず、一緒に考えて、それぞれの答えを出して下さい。前向きになれる感想は大歓迎です。
音楽大学には変わり者が多い。
楽器別に性格も分かれると言われており、それも頷けるところだが、同じ楽器内でも右の端から左斜めのちょっと後ろというように、一つの枠に収めることは、やはり出来ない。
人によってはホルンを専攻しているのに、性格はフルートっぽいなんて言われたりもするものだ。
有名な国立の音大には、プロを目指して一筋の連中が集まり、更に厳選されて本当に有望視されている人だけが受かるようなものだ。
しかし私立の音大は、国立音大に落ちた人や教師志望の人、ひどいのには何となくとか好きだからと言って、高い学費を払ってまで社会に出ることを延命させるのもいる。
私はどれかというと、延命措置というのが大きな理由だと自白しましょう。高校を出てすぐ就職という道を目の前に出されたとき、自分のこれからの運命が、この日本というシステムに枷をつけられて、せっせと働き、並の家庭を築き、御国のために殉死をすることになりそうな恐怖を感じたからであろう。
音大を選んだのは、高校で吹奏楽部に青春を捧げた私にとって、社会に出るための普通なお勉強が退屈なものに見えたからであり、多少なりとも楽器(私はトランペットをやっていた)に自信もあった。音楽社会を特に理解していなかった当時の私は、頑張れば自分もプロになれるのではないかという浅はかな希望を持ったままAO入試というもので受験し、早々に合格を決めた。まだ受験の終わっていない他の生徒たちを憐れに見ながら、自分は音大でどんなキャラで行き、どうやってヒーローになろうか等と考えたりしたものだ。
音大に入学してすぐ、やる気を削がれてしまったことを今でも覚えている。同じ1年生のトランペットは27人もいて、私のトランペットのレベルはその中でも中の上くらいのものだったのと、音大という環境は意外にも体育会系で、上下関係が非常に厳しいのだ。その27人の中で、絶対に友達にはなれないだろうなと、見た瞬間に直感で思ったのが一人だけいたのだ。