小五のぼくら
翔、小学五年。
天高く、馬肥ゆる秋。
空はとてつもなく澄んで青く、何処からか金木犀の匂いがこの教室にまで漂ってくる。
「―――― おーい…」
「……」
「おーい、翔、生きてるか~」
ふっと我に返って振り向くと、思いもかけずすぐ傍に他人の顔が有ってらしくなく思いっきりのけぞってしまった。
「うおっつ!翔がのけぞった!」
「おお!驚いてる驚いてる!」
「うわ~、めっずらし~」
ここぞとばかりにはやし立てる級友どもに、ぎろりと一睨みをくれてやってから、おれ、春日井 翔は最初に声を掛けてきたカズ――――斉藤 和也に向き直る。
「…なんか用か…」
「うわ…不機嫌…」
怒った?
いじめるいじめる?
一昔前のネタでカワイ子ぶっても、相手が同い年のガキじゃなんの効果も無い。遠慮なくはたき倒してやる。
「いてー!!ひでーぞー翔!」
「用が有るならさっさと言え!」
それでなくても今日は機嫌が悪いんだ。てめーらに構ってる余裕なんてあるもんか!
「いや~用ってんじゃないんだけどさ~」
根に持たないのはカズの良いところではあるが、
「お前んトコ、今日、来る?」
――――― 地雷を踏むな~~~~!!!
思わず、机に突っ伏してしまう。
そこだ!そこなんだ!! おれがこんなにくら~くなってんのは!!
問題は、今日の五時間目。
俗に言う「授業参観」なんてものがこの学校にもあって…
「あ、オレのとこはかーちゃんが来るって」
「おれも」
「おれんちはオヤジが来そうなんだよな~ ほれ、お祭り好きだから」
他はいい!
ほかのヤツラのオヤジだろーがおふくろだろーが、来ればいい!どんどん来てやってくれ!
しかし!しかしだ!!
「―――― んで? 翔んところは?」
「……」
「蓮さん、来るのか?」
「…こない…」
「えー!なんで?」
「…あいつだって学校だ」
「でも、いっつもきてたじゃないか」
「今年は、来ない…」
「なんで?」
「…言ってない…」
「は?」
「…プリント、わたしてない」
「えー!?なんで!!おれ、楽しみにしてたのに!!」
ブチっ!
たのしみ… たのしみ、だと~~~??
「――――! 来てたまるか~~~!!」
立ちあがって思いっきり叫びまくってやる。
「なにが楽しみだ。なにが!! え!? 言えるもんなら言ってみろ!!」
「え~~? だって、蓮さん大人だし~美人だし~スタイルいいし~…」
「言うな~~!! それ以上言うな~~~!!!」
ぜいぜい…息が切れる。
「とにかく、今日、蓮はこない! 期待なんてすんじゃねーぞ!」
「へいへい」
カズの気のない返事と同時にチャイムが鳴って、おれはなんとかその話題から解放される。
――――― 蓮…
授業を上の空で聞きながら、ぼうっと空を見上げてしまう。
各務 蓮――――
おれの一応、姉って事になるんだろうが…
おれには両親が無い。
これは正確じゃないな。
おれの両親は、おれが五歳の時、二人まとめて事故であの世とやらにいってしまった。
(あの世ってのはじいさまが言ってる事だから、おれはそれがどんなとこなのかまるで知っちゃいないのだが)
ともかく、両親が、おれのそばからまとめていなくなった時、周囲の大人は思いっきり悩むことになったらしい。
なにしろ、おれの父親も母親も、その両親はおろか、親類いとこ、兄弟のたぐいまで誰ひとり生きてるものがいなかった。
このままではどうしようもない。可哀そうだが施設行き―――― と、なりかけたおれを引き取ってくれたのが蓮のじいさまだった。
じいさまは、どうやら昔、おれの父親の先生をやっていたそうで… 何を思ったのか、そんな細~い繋がりしかない筈のおれを、ほいっとばかりに自分の家に迎え入れちまった訳だ。
その時、おれは五つ。
蓮は十三。
ぎっくり腰で迎えに来れなかったじいさまの代わりにおれを迎えに来てくれたのは蓮だった。
『初めまして。あたし、かがみ れん。』
『よかったら、あたしとくる?』
そんときのおれに、他の道があったわけじゃないんだけど…
薄暗い部屋で見あげたセーラー服の蓮は、それはそれはきれいで…
――――― 道をまちがえた…
どう、かんがえても、ほかに方法をさがすべきだったんじゃないだろうか。
薄茶の髪。はっきりとした美人といっていい顔。そんでもって、そこら辺じゃめったに見かけない様な、いわゆるところのナイスバディ…
こんな言葉ばっかし覚えさせられるぐらいに蓮はかっこいい。
正直、ちょびっとばかし自慢だったりもする。
しかし、しかしだ…
今までの授業参観と名のつく行事のさんじょうを思い返してぞっとする。
正解だ。
プリント、渡さなかったのはどう考えても正解だ。
とにかく、めんどくさい事ほったらかしのじい様はこの際おいといて。
おれは今日は平和にくらすんだ!
それは、本当におれの心からの叫びだったのだが……
「しょう~~~~~~~!!!!!」
うしろに、ハートマークでもついていそうな声が廊下中に響いておれはおもわず固まった。
「な…な…な…」
「あ!蓮さん!!」
「ハ~イ、カズ。げんき?」
「げんきげんき! やっぱりきたんだ~~!やった~~!」
カズのあほう! やったじゃねえ!!
「蓮!お前、なんで!」
「翔、だめだよープリント勝手にほっといたら。信くんのおかあさんからお誘いもらってびっくりしちゃった!」
きちんと見せなきゃだめじゃん。
そう言って、おれの額をぺチンとつついた蓮のまわり―――― つまり、おれのまわりは人だかり!!
「お…お…おまえ、そのカッコ…」
「え~? へん?」
久しぶりの小学校だから、思いっきり決めてみました!
そう言って、わざわざ一回転しやがった蓮の服と言えば、
上は、体にぴったり張り付いたタンクトップ(キャミソールっていってたか?)それに見せるブラとかってひもも本体も、思いっきりレースを使ったやつを胸に張り付けて。カーテーガンを着ちゃいるが、そんだけ透けてちゃ意味ねーだろーがよ!! おまけに… なんなんだ~~!その、とんでもなく短いズボンは! ホットパンツって言ったか!? だ~~~!! そんなん、学校にはいてくるもんじゃねーだろーが!!
だから、いやだったんだ~~~!!
ふつうに制服着ててもめだつ奴だってのに…
お前がそんなもんきてきた日にゃー、一生このネタがおれについて回るだろうが!!
「…お前、学校は…」
「えーとね、訳言ったら即OK」
どうせ受験も近いし、自宅学習でいいって。
にっこり。
わかってない…
ぜってーこいつはわかってねえ!!
もう一言、せめていってやろうとしておれが口を開いた時、まるでタイムアップのように五時間目のチャイムが鳴り響く。
「じゃ~ね~~!」
翔! がんばって~~~!!
のーてんきな蓮の声におされるようにおれは席につくしかない。
ざわざわ…ざわざわ…
落ち着きそうにもない、父兄たちの話声。
それを背中に聞きながら、おれは、これから一時間のいごこちの悪さを思って、小さくためいきを付くしかなかった…