日常茶飯事の憂鬱
翔、中学三年。
「むかつく~~~!!」
むかつくむかつくむかつく!!
「たいしょー! もう一杯ちょーだーい!!」
「…蓮ちゃん、もうそろそろその辺で止めといたら…?」
後で、何言われるか知んないよ~とのありがた~い大将の言葉も今日は耳に入らない。
「だれに~~? なにいわれるって~~??」
ふん!
そんなこと言ってくれるはずの奴には、今日すっぽり、引導渡して来てやった。
ただ今しっかり午前中。朝じゃないわよ。十二時過ぎてるって事!
なじみの居酒屋のカウンターにはもうあたししかいなくって。
看板まで粘ってまだ足りなくて、他のお客が居なくなったのを良い事に思いっきり大将にからんでる。
「何? 蓮ちゃんてばまた、振っちゃたの?」
四十過ぎ、良い大人の大将の宥めるような言い方が気にいらない。
おもしろそうに言わないで頂けませんか? 大将様。
「振っちゃったんじゃない! 先に振ったのはあっち!!」
いや、振ったんじゃなくてだね、ただ単に浮気されてただけなんです。はい。
たかが浮気。
されど浮気。
浮気って言うけど、結婚も何の約束もしてない状態で、そーゆー事が起きるってのはただ単なる二股掛けられたって事じゃないのかしら。
二股…
このあたしに、二股…
許してなんかやるもんかってんだバーロー!!
お前の方が本気だ?
ちょっと魔が差しただけだ?
信じられるか!このお蓮さまをなめるなってんだ!!
「…そんで、聞きたくない様な気もするけどどうしたの…?」
「そっこー投げ飛ばして、みぞおちと股間に蹴りいれて引導渡してきた!!」
うわ~~…と何処か明後日の方を向いてしまう大将の顔を横目に見ながら、グラスに残っていた冷酒をくーっと煽る。
空手歴十五年、おまけに柔道も黒帯直前までかじってやったあたしの一撃はさぞかしこたえた事だろう。
ざまあみろ!!
二三日はどっちも使い物にならねーぞーきっと!
「もう一杯!」
「蓮ちゃん、いい加減に…」
「やーだー~~! もっとのむ~~~!!」
此処は居酒屋とかって言いながら、大将の趣味でお酒は美味しいのしか置いてないから。
「…酒がかわいそうだ…」
「なに?なんかいった?」
ぶるぶるぶる…
思いっきり首を横に振る大将をしりめに、差し出された冷酒に躊躇いなく手を伸ばす。
く~~~~っ…
酒に罪は無い。
こんな時でも、もうめちゃくちゃ美味しい。
しっかし、まったくなんだって…
「……こ~んないい女に、な~んでいい男が寄ってこないのよ…」
これはもう、何回繰り返したか解らないあたしの愚痴だ。
なんだって、あたしってばろくでもない男にばかり引っかかるのか…
言いたかないけど、あたしは決して標準以下では無い筈なのだ。
顔立ちはまあまあ、スタイルもそれなり。
特に胸は他人様より有るんではないかと思われる。
ナンパもされるし、告白もされた事だって一回や二回じゃない。なのに…
「まいかいまいかい、なんだってあんなやつばっかり~~~!!!」
「…てめーに隙があり過ぎるからだろうが…」
後ろから聞こえてきたつめた~い声に、一瞬酔いがさめた様な気がする…
「しょ、しょう…!?」
腕なんか組んで後ろにそびえたっているのは春日井翔。
あたしの弟分であり、あたしの同居人でもあるのだが…
「な、なんだって、翔が…」
「あ、俺が呼んだ」
たいしょ~~~!!!
ああ、もう言葉にならない悲鳴が脳内を駆け巡る。
「ま~た、振られたって? このばか、あほ、まぬけ。だ~から、あんな男止めとけっていっただろうが」
「振られたんじゃないもん!振ったんだもん!!」
「結果は同じだ。この学習能力不適格者。いい加減懲りる事を覚えたらどうだ。二十二にもなって」
「十四歳の中学生に言われたくない~~~!!」
そう、この、とてつもなく顔のいいふんぞり返った俺様な男は、実はまだ中学生…十五にもなっていないバリバリの未成年なのだ!
「未成年がこんなトコくるんじゃねえ!」
「同居人の迎えに家族が来て何が悪い。来て悪いと思ってんなら自重しろ、このバカ女」
「うわ~~~ん!! 未成年にバカって言われた~~」
「バカをバカと言ってどこが悪い!」
あ~~ん!
八つも…八つも年下の癖して…
あたしはこいつに口でも顔でも頭でも、勝てた試しがいっこもないんだ~~~!!
「…翔ちゃん、そのくらいでやめたげなよ」
一応、傷ついてんのは本当みたいだし…
「うわ~~ん! たいしょう!やさし~~~!!」
「うわ!やめ!! た、タンマ!!蓮ちゃんタンマ!!」
思わずカウンター越しに大将に抱きついたら思いっきりあせってのけぞられる。
「あ~~ん! たいしょーまで逃げる~~…」
ひどい~ やばい~~ あたしってそんなみりょくない~~?
と、そのまま大将を押し倒しそうになったあたしの腕が、もんのすごい力で引きはがされる。
「…いいかげんにしろ…」
「…へ…?」
「…俺が、どんだけガマンしてるかわかってんのか…」
見あげた先はものすごい形相の翔の顔。
え…?ガマン…?
なんのガマンかな~…
怒っても、やっぱりすんごく観賞価値の有る翔の顔をほけらっと見あげながら考える。
きれ~だね~…
や~っぱり、翔以上にきれいな男なんていないのかな~
こ~んな綺麗で、なんもかもそろった翔でも、なんか我慢する事ってあんのかな…?
ふわふわふわふわ。
あれ~~?あたま、まわんない…
ふわふわふわ…
よった~? あたしよった~?
かんがえよーよ… 考えて… 考えらんないよ~……
「…あ~あ、つぶれちゃった…」
やっぱり翔ちゃん呼んどいて正解だったね。
うつらうつら…
あたまのうえで、たいしょうのこえがする。
「…いつも、すみません… じゃ、連れて帰ります…」
応える翔の声もふわふわ…なんだか溶け込んで行きそうで。
「…いい加減、あきらめる気は無いの…?」
八つだよ。きつくない?
あきらめる…?
翔… なにをあきらめるの…
「…いまさら…」
最初に会った時から決めてたんで。
最初…さいしょ…
しょう…翔…
あたしの翔…
大事な大事なあたしの弟…
おこってても、なにしてても、きれいで、それでいて優しくて…
「…きてくれて…ありがと…」
ぽつりと一言。
そのまま、すーっとあたしの意識は闇の中に溶ける。
※ ※ ※
「バカ蓮」
眠りこけた蓮の体に肩を貸して、引きずる様にして俺は家に向かう。
「ばか蓮…」
まだまだ、おぶっても抱きかかえてもやれない小さな自分の体が恨めしい。
蓮は168センチ。
俺は、やっと159。
まだまだ… まだまだこいつに、身長ですら追いつけない。
追いつきたい。追い越せない。
もっと早く、
もっともっと早く大人になりたい。
早くお前に追い付きたい。
「待ってろ…」
なんて、本当は言える訳じゃない。
けれど、
待ってろ。
俺が、お前を追い越すまで。
何もかも―――― 何もかもがマイナスからのスタートなんだ。
これぐらいで折れる様な生半可な気持ちじゃないって、もう心の底からわかってる。
だから、
「まってろ…」
俺が、お前に追いつくまで。
その時、誰がお前の傍に居ても絶対に取り返してしまうと思うから。
「だから、待ってろ」
俺を、犯罪者にしたくなかったら。
そのまま、お前のままで待っていろ。
必ず―――― 必ず捕まえるから。
待っていて。
そのままの君で待っていて。
ぼくの背が君に追いつくその日まで。
想いは、まだ、届かない。