勇者は二度、魔王に恋をする
──勇者レイヴが魔王を討ち、世界は平和になった。
それがこの国、アシリアの始まりであり、千年前に実際にあった出来事だ。
今では絵本や劇にもなっていて、子どもでも知らない者はいない。
……歴史の中の“伝説”ってやつだ。
王都アシリアの学院。
陽の光が差し込む教室で、俺──王太子レイヴノールは机に頬杖をついていた。
教師の声はまるで機械のように単調だ。
けれど、その日だけは違った。
ある一言が、心臓をえぐるように響いた。
「──初代王“レイヴ”の名は光を意味します。勇気の象徴として、現王太子殿下……あなたにも、その名が受け継がれているのです」
拍手が起こる。
勇者の名を継ぐ、誇り高い王子。
……のはずなのに。
(なんだ、この胸の痛みは……)
目の奥が熱くなった。視界が歪む。
息が詰まって、世界が揺らぐ。
──耳をつんざく金属音。焦げた空気の匂い。
剣を握る手の感触。燃え落ちる城。崩れ落ちる塔。血に濡れた黒い髪。
「……っ!」
気づけば、立ち上がっていた。
ふらつきながら教室を出る。
遠くで教師が俺を呼ぶ声がしたが、もう届かなかった。
◇
目を開けると、寝台の上だった。
額には汗。心臓がドクドクと鳴っている。
(夢……じゃない。これは──記憶だ)
まぶたを閉じた瞬間、千年前の記憶が蘇った。
勇者レイヴとして生きていた、俺の記憶。
戦火の果て。
崩れかけた玉座の間。
その奥に、ひとつの影が立っていた。
『……来たか、勇者よ』
声は静かで、どこか悲しげだった。
紅い瞳が、まっすぐに俺を見つめる。
そこに、憎しみはなかった。
『お前は……世界を滅ぼす気なのか!』
『滅ぼす? 違う。人が自然を殺している。私は、それを止めたいだけだ』
理解できなかった。
戦うべき“魔”が、真実を語っているように見えたから。
それでも──俺は剣を振るった。
誰もが信じた正義のために。世界の平和のために。
光が迸り、影が崩れる。
紅の瞳が、かすかに細められた。
『……この世界を、守ってくれ。お前の手で……』
それは、祈りのような声だった。
そして、“マナの樹”が風もないのに揺れた。
──世界の均衡が崩れた、最初の瞬間。
◇
「俺は……世界を救ったんじゃない。壊したんだ……」
頬を伝う涙が熱い。
窓の外では夕陽が沈みかけ、金色の光が部屋を包む。
「魔王は、悪なんかじゃなかった……」
◇
──その夜。
王宮に急報が届いた。
隣国ヴェルドで反乱。王族は皆殺し。
唯一生き残った王女が、亡命の末に保護されたという。
謁見の間に現れた少女は、灰色のマントを深く被っていた。
だが、その隙間から覗いた黒髪と紅の瞳を見た瞬間──
俺の心臓が跳ねた。
「……あなたが、アシリアの王太子殿下?」
「そうだ。君が……?」
「セレーネ・ヴェルド。……いえ、もうヴェルドはありません。ただのセレーネです」
その声を聞いた瞬間、息が止まった。
懐かしいのに、初めて聞くような声。
紅の瞳がまっすぐに俺を射抜く。
その奥で、あの存在の面影がよぎった。
紅の光、静かな微笑み、そして──あの言葉。
『この世界を、守ってくれ』
耳の奥に、あの声が再び響いた。
「……また、会えたな」
「え?」
「いや、なんでもない」
思わず笑った俺に、セレーネも戸惑いながら微笑んだ。
その瞬間、胸の奥の凍りついた何かが、ゆっくりとほどけていく。
(そうだ。世界を救うことも、贖うことも、まだ終わっちゃいない)
金と紅の瞳が、再び交わる。
千年の時を越え、俺たちの物語が──再び動き出した。




