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009 母と襲撃者と 2022年1月3日

(……どうか夫を、お守りください……)


 フランツから指輪を受け取ったアンネが幼い姉妹と共に祈りを捧げている。


(……何か、来る)


 アンネの身体に突如、漂う煤のような黒い霧が纏わり付きはじめた。心の奥底から粘つく恐怖が這い上がってくる。同時に皮膚のすぐ下に何かが這いまわり肉を食らうかの如く途轍もない不快感が襲いかかる。


 幼い姉妹にも霧が襲い掛かっている。何が起きたのかは分からない。しかしアンネはこのままでは全員が死を迎えると直感した。侵食する恐怖を胸の内に抑え込み、冷静に行動を起こす。


 幼い娘達を食品庫に連れて行き、普段通りの優しい声で話しかけた。


「レーゼラニア、リーネルシファ。ここを動かないでじっとしていてね」


「お、お母様はどうなさるのですか……?」

 レーゼが震えながら声を絞り出す。


「私は悪い奴を懲らしめてやるわ」

 姉妹の頭をそっと撫でる。


「大丈夫。お母さんは強いって知っているでしょう?」

 にっこりと微笑んで姉妹をギュッと抱き締めると、姉妹の小指に指輪をつけた。


 レーゼにはルドルフの『黒曜石の指輪』を。

 リーネにはアンネの『薄い青色の宝石の指輪』を。


 二つの指輪は不思議な事に姉妹の指に合わせて縮み、ピッタリと嵌まった。アンネはワイン樽の後ろに姉妹を座らせ、両手を組んで祈りはじめる。


(目覚めよ桃源の精霊)


 纏わり付く霧が薄くなっていく。次第に姉妹の姿が消えて心臓の脈打つ音すら聞こえなくなった。


「魔法をかけて、あなた達の姿を消したわ」

 アンネは小声になり、話しかける。


「見つかってしまうから、大きな声を出しては駄目よ」

 見えなくなった姉妹を再び抱き締める。


「リーネ、お姉ちゃんにずっと掴まっていなさい。決して離れてはだめ」

「レーゼ、外が静かになったら馬に乗ってハイブリスまで逃げなさい」

 姉妹は声も出せずに頷いた。


「どんな事が起きても必ず二人で逃げなさい」


 姉妹から手を離し、フッと息をはいたアンネが立ち上がる。

 そして裏口の扉に手を掛けた。

 その取っ手は凍り付く程に冷たかった。




 ※※※




 外は暗闇に包まれている。積もった雪には真新しい足跡が見えた。

 

「出て来なさい。 私が相手になるわ」


 フワリと空気がゆらぎ、目の前に男の姿が現れた。男の全身も黒い霧が覆っている。右手には地面に届きそうな程に長い剣。ぎらついた両目と指輪が怪しく光っている。


「指輪を渡せ。何の事かは分かるだろう」

「何の事かしらね。安物の結婚指輪ならあげるから、持って帰るといいわ」


 アンネは未だ脳内を侵食する恐怖を抑え込み、声を張った。


「気丈な事だ。見事な意志力よ」


 男の指輪の赤黒い光が増して、アンネの体を包む黒い霧が濃くなっていく。


「うぐッ……うう……」

 身体が凍ったかのように縛られる。


(動けないッ!)

 

 ゴッ――男が踏み込んで顎を殴りつけた。痛みを感じる間もなく倒れたアンネに、躊躇なく剣を突き立てる。

 ザグッ――骨を砕く音が響き、剣が脚を貫ぬいた。


「グッウウッ……」


 剣が無造作に引き抜かれて雪が鮮血に染まる。


 男は切っ先から血を滴らせたまま、アンネが出てきた裏口へと向かった。

 取っ手を掴み、ガチャリ……と音を立てて扉を開いた。


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