008 騎士と団長と 2022年1月3日
── 港湾都市ベールズ 倉庫街──
空との境界すら曖昧な暗く淀んだ海。堤防に打ち付ける波が、止めどなく降る雪を吸い込んでは消していく。
くすんだ赤褐色の倉庫が建ち並び、その傍を騎士服の男が二人歩いている。
「うぅ〜。寒いっすね団長」
白い息を吐きながら、銀髪を逆立てた小柄な男が話しかけた。
「フランツ、お前も北国出身だったろ。寒いのは慣れているんじゃないのか?」
「慣れてても寒いのは寒いっすよ。団長だってそうでしょう?」
「そうだな。違いない」
二人の頭と服には雪が積もり、濡れてしっとりとしている。
「交代の時間になったらウチで温めたワインでもどうだ?」
「お! 良いですね! お言葉に甘えます。美味いチーズなんかもあったりしますかね?」
「アンネに何かツマミも頼んでやるよ」
「やった! アンネさんの料理はいつも絶品っすからね!」
二人は談笑しながらも、周囲の警戒を怠らずに巡回を続けた。
※※※
正午前。巡回を終えた二人が詰所に戻ってきた。薄汚れたストーブの火が油臭さを伴い、冷え切った体を包んで暖めてくれる。
「巡回お疲れ様です、ルドルフ団長。フランツも」
引継ぎの騎士が奥から出てきた。
「特に変わったことはなかった。アルネス、後を頼む」
「承知しました。先程伝令があり、ゼアネルス閣下が団長をお呼びとの事です」
「閣下が? ……分かった。今から宮殿へ向かおう」
「そんなぁ」
ご相伴に預かりそびれたフランツが、ガクリと項垂れる。
「すまんなフランツ」
ルドルフは一瞬窓の外、暗い雪雲に覆われた空を見上げた。
「……そうそう、これをウチに届けてくれないか」
ルドルフは指輪を外してフランツに渡す。
黒曜石の指輪。内部には銀河の様に光の粒子が煌めいている。
「ついでに俺の分の昼飯を代わりに食べてこい」
「昼飯! 行きます! でもこれ、大事な物なのでは……?」
フランツは指輪の石をまじまじと見つめた。
「あぁ。とても大事な物だ。失くしたら徹夜で外郭外周の走り込みだ」
「げぇっ⁉ 絶対に届けます……」
指輪を慎重に胸のポケットへ入れたフランツ。ルドルフに視線を戻すと、何故かその顔は陰って見えた。
(団長……?)
「……宮殿までお供しますね」
詰所を出た二人は無言で歩く。
街道に泥の混じった雪を踏む音が響く。
空を見上げたルドルフの顔は険しい。
(嫌な空気だ。雪は好かんな)
「頼んだぞフランツ」
「はい……必ずお届けします」
宮殿外門に到着したルドルフとフランツは、それぞれの目的地に向けて歩き始める。ルドルフは重い足取りで進み、フランツは早足になり先を急いだ。
※※※
高い天井の謁見の間。赤い絨毯が扉から一直線に敷かれている。冷たい大理石の床に燭台が映り、揺らめく炎の花を咲かせている。
煤けた匂いが鼻をつく。
長い絨毯の先には、繊細な細工の施された椅子が置いてある。腰掛けるのはエンハイム公ゼアネルス。
青白い顔で冷たい光を放つその瞳は、一点を見つめたまま揺るがない。
静寂の間に、歩み寄るルドルフの足音のみが響く。
ゼアネルスの目前で立ち止まり、跪いた。
「銀槍騎士団団長、ルドルフ・オルケアノス。参上しました」
「巡回中であったか」
「ハッ。大雪ではありますが、市中変わりありませんでした」
「お前の故郷はもっと降るのであろうな」
「はい。雪深さは比にならぬ程です。過酷な地ですが皆、知恵を絞り強く生きておりました」
「帰りたくはならぬか」
「なりません。私は閣下に拾われ命を救われた身。生涯この地を離れる事はありません」
「成程。其方の意志、確かに伝わった」
ゼアネルスに表情は無く、感情が見えない。
「お前にとって恐怖とは何か。答えよ」
(恐怖? ……何かを試されているのか?)
「ハッ。愛している国と人を失う事を恐怖に思います。それらを守るためであれば、この命すら捧げましょう」
(……なんだ、この心を侵すような不安は)
「お前らしい言葉だ」
ゼアネルスの瞳がほんの一瞬揺らいだ。
「……我はこう思う。囚われる事、こそ真の恐怖と」
「囚われる事……」
「我々は囚われておるのだ。神の掌という牢獄にな」
(何を……言っている?)
「弟が指輪を握り産まれた時に我は悟った。我は神に選ばれ無かったのだと」
(指輪を、握って産まれた……)
「しかしこれを得て、また悟ったのだ」
ゼアネルスが黒い宝石のあしらわれた指輪を掲げる。
「黒い……猫目石の……指輪」
跪いたままのルドルフの額には汗が流れ、その体はこわばっている。
「選ぶのは我であると」
ルドルフの頭の中を様々な記憶と想いが駆け巡る。走馬灯の様に。レーゼラニア、そしてリーネルシファが産まれた時、その手には……。
「ルドルフよ。いつも着けていた指輪はどうした」
(ッ‼)
「……恥ずかしながら寒さで指が冷えるため外しておりました所、落として失くしてしまった様です」
「ほう。それは無念であろうな。どこで手に入れた物だ」
「故郷で買った物です」
「我に嘘をつくな」
「嘘……ではありません」
「娘が産まれた時に、握っておったのだな」
「ッ‼」
「……やはりな。妻にでも渡してきたか。お前は勘が働く。だが今回は失策であったな」
※※※
ゴンゴン!
「アンネ様‼ 銀槍騎士団のフランツです。アンネ様‼ 扉をお開けいただけますか!」
ノックする音と共に声が聞こえ、アンネが扉を開けた。
「いらっしゃいフランツさん。寒いでしょう、さあ入って」
家の中では幼い姉妹が食器を運んで食事の準備をしている。
「ルディ……ルドルフ団長は一緒ではないの? 」
「いえ、アンネ様……こちらを」
フランツは悲壮な表情で指輪を差し出した。
「これは……ルディの……」
「団長はゼアネルス閣下に呼ばれ宮殿に向かわれました。私は指輪をアンネ様に渡すように命じられ参じた次第です。このまま団長の元へ戻ります」
「分かりました。ありがとうフランツさん。ルドルフ団長の事を、よろしく頼みます」
アンネは早口になるフランツに微笑みかけると、深くお辞儀をして送り出した。
「はい。それでは」
騎士フランツが足早に去る。アンネは祈る様に空を見つめ、扉を閉めた。
※※※
急いで戻ったフランツが宮殿を見つめ、門の外で立ちつくしている。
「団長……」
ザクッ……ザクッ……ザクッ
(何だ、あれは?)
雪を踏み込む音と共に足跡が刻まれていく。そこに人影は見えない。
(……近づいてきている?)
フランツが身構えると同時に門がひとりでに開いた。
ドサッ──
「団長ッ‼」
突如、剣に貫かれたルドルフが目の前に姿を現わす。血に塗れピクリとも動かない。
「誰かッ‼ ルドルフ団長が刺されたッ! 救助を‼」
フランツが悲痛な声で叫んだ直後、
「騎士フランツがルドルフ団長を刺した! 捕まえろ! 門の外だ!」
誰も居ない場所からフランツを糾弾する声が轟いた。
(な…なんだ? 何が起きている⁉)
フランツは狼狽しながらも、冷静に周囲を見渡す。
(足跡が宮殿からここまで……マズイッ‼)
足跡は一人分のみ。
ルドルフが門まで歩いて行き、門の外で刺されたようにしか見えなかった。フランツは自分が犯人に仕立て上げられたのだと瞬時に理解する。
複数の衛兵が走って来るのが目に入った。
「いたぞ! 騎士フランツだ! まだ門の近くだ!」
駆けながら衛兵達が叫び、足跡が増えていく。
「団長! 駄目だ、息が無い……脈も……」
(クソッ……クソッ! 逃げるしかないッ!)
絶命し、地に伏すルドルフに背を向けて全力で走り出す。今捕まれば、誰も真実に辿り着けなくなる。
(……伝えなければ‼ 騎士団にッ……ダメだ、身内に……敵がッ!)
「ウゥゥ、オォォォォオオオオオオーーーッ!」
フランツは吠え、逃げる。
生きるために、次に繋げる為に。
※※※
紡錘がカラカラと回り
か細い繊維が撚り合わされ
糸が紡がれていく
紡がれた糸は未だ白
染める手は人々の想い
染まる色は未だ、決まってはいない




