007 幼い姉妹と両親と 2022年1月1日
物語は3年前に遡る。
──港湾都市ベールズ住宅街 オルケアノス男爵邸──
綿毛の様にふわりと舞い落ちる雪が、街を白銀に染めている。
新年を迎えて間もない男爵邸……と呼ぶには些か小さなお家。その庭で二人の幼い少女が木剣を握りしめ、向き合っている。
えいっ! それっ!
カン…コン カン……カンッ
えいっ! …やっ!
あどけなさを残す掛け声に合わせ、木剣の打音が小気味良く鳴り響く。
くるりくるりとリズミカルに、時に変則的に、雪と共に舞い、打ち続ける。
しかし……よく見れば掛け声の無い斬撃が幾度か混じっている。
楽しそうに打ち続ける少女はその瞬間、自らの剣を全く意識してはいない。これでは受ける側が斬撃を予測する事は至難であろう。常に後手を強いられる事となる。
対する少女は真剣な眼差しだ。左手に持つ木剣を僅かな動きで操る。在るべき場所に剣が在り、淀みなく受け流す。
『わかる』のだろうとしか言えない動きであった。予め動きを決めてある殺陣のように。
もちろん速さも威力も無い微笑ましい剣術の真似事だ。そして、二人がこのまま剣技の極みに到達するのかどうかも、また別のお話なのである。
雪雲の隙間から太陽が顔を覗かせ、動きを止めた少女達がチラリと視線を上げた。庭の背後には街の外郭が聳え立っている。陽の光に照らされて威容を誇るその姿は、歴戦の砦を思わせる。
視線を戻した少女達が再び打ちはじめた。
やっ。えいっ! それっ!
コン、カン…コン……カンッ
掛け声と打音が跳ね返り、幾度も木霊し続ける。
「レーゼ、リーネ。そろそろお昼ご飯にしましょう」
「直ぐに参ります。お母様」
「はーい! お母さん!」
母親に呼ばれた姉妹は、頭と肩に積もった雪を払って家に入っていった。
※※※
バレリア帝国東部 エンハイム公爵領『港湾都市ベールズ』
バレリア帝の兄であるエンハイム公ゼアネルスが居を構える大都市。ハイブリスの町から流れる川の河口付近を挟む形で都市を形成している。西にある帝都には整備された街道で一直線に繋がり、港からは他国を含む各地へと航路が巡る。バレリア帝国における物流の要所となっている。
※※※
室内で幼い姉妹が昼食の準備をしている。
妹のリーネが年季の入った木製の棚から食器を取り出してテーブルに並べると、姉のレーゼは薄く切ったパンをお皿に乗せた。そして母親のアンネが出来立てのスープを器に注いでいく。
ホカホカと白い湯気が昇り、潮の香りが部屋を満たして鼻をくすぐる。お昼ご飯のメニューは根菜のスープと雑穀パンだ。
スープは近海でとれた新鮮な魚のアラと根菜を煮込んで丁寧に出汁をとり、山羊のミルクを加えてある。魚介の旨味がミルクの甘味をよく引き立てていて癖になる。
ナッツのたっぷり入った雑穀パンは硬くて歯応えがあるものの、スープのお供に丁度良くて栄養価も高い。
アンネの得意料理であり、どちらも姉妹の大好物の一つであった。
昼食の準備を終えた三人は席に着き、目を閉じて祈りを捧げた。
「おほうはんっ、今度はいつ帰ってくるの?」
リーネがパンを頬張りながらアンネに話しかける。
「お父様は明後日のお昼に帰ってくる予定よ」
「やった! 私またお父さんに剣の稽古してもらうんだ!」
「街で何も起きなければ、よね。お母様」
「そうね。今度こそ予定通りに帰って来るのかしら。ふふ」
「えー? また帰ってこないのー?」
レーゼとアンネが目を見合わせて苦笑いし、リーネは頬を膨らませている。
父親のルドルフはこの日、大雪に備えるため騎士の詰所に泊まり込んで街の巡回警備を行っていた。ベールズの港は人と物に溢れ、気の荒い船乗りも多い。諍いや揉め事を治めるため騎士達は日々奔走している。
この日は珍しい大雪のため船の運行は停止し、漁船も出てはいない。人通りはまばらで多くの住人は家で年始の休日をゆっくりと過ごしていた。大雪も家屋に被害が出る程ではなかったので、普段より揉め事等は格段に少ないはずだ。
「お姉ちゃん、食べ終わったら稽古の続きしようよ」
「良いけどリーネ、稽古って言うならお父様に教えてもらった通りにしないと。全然違う事してるじゃない」
「えー? ちゃんとやってるよ?」
「何にも考えずに動いてるでしょ」
「だって楽しいんだもん。それにちゃんと考えてるってばっ」
「ホントにぃ? さっきもクルクル回って分かりやすい動きばっかりだったけど」
姉妹は食べるのも忘れ、いつもの様に段々と熱が増していく。
「むっ! お姉ちゃんだって突きばっかりで分かりやすいじゃないかっ!」
「私はお父さん必殺の突きを目指して練習しているのっ! 一緒にしないでっ‼」
「あなた達いい加減にしなさいっ! 今日はもう稽古禁止! いつまでも遊んでいないで、お手伝いしなさい‼」
黒雲を裂く雷鳴の如く声が響いた。
「「はーい……ごめんなさい……」」
姉妹の父ルドルフは騎士団の団長職を務め、多数の功績から男爵位を賜った。とは言え名ばかりの爵位であり実態は少しばかり裕福な庶民、といったところである。母アンネは留守がちな夫に代わって家を守り、優しくも厳しく姉妹を育てている。
質素で慎ましくも、家族四人の幸せな毎日が続いている。
いつの間にか雪雲の切れ目は塞がり、薄暗くなり始めた。
※※※
雪は降り続き、街を包みこむ
やがて日が暮れ、人々は眠りにつく
朝が来れば目覚める
そしてまた穏やかな日常が始まると
疑いもせずに




