005 分岐点と問答と 2025年3月29日
雨粒の葉を叩く音に森が覆われている。
霧が追いかける様にまとわりつき、目の前の木の幹の輪郭すらぼやけている。
レーゼは構うことなく、前だけを見据えて走る。
町への分岐点付近にさしかかる。
視線の先に並ぶ三つの人影。
身を屈めて伸びた草の隙間に潜んだ。
(リーネッ‼)
リーネは先頭。
背後に背の高い男。
やや後方にもう一人。
二人の男は薄い布で頭と口元を覆い、腰に短剣を帯びている。
レーゼは鞘の留め金を外し、雨音に紛れて剣を抜いた。
半身になり、剣を左に構える。
息を吐き、呼吸を整える。
右手は鍔付近を軽く、左手は柄頭を強く握り込む。
切っ先をリーネ背後の男に定める。
弓弦をギリギリと引き絞るように剣を引く。
先頭のリーネが動く──
(ッ‼)
レーゼは足先で地面を抉るようにして、飛んだ──
※※※
手を捻り上げられたリーネ。
男が指輪を凝視している。
視界の端に何かが煌めく
金色の尾を引く切っ先が男の脇腹に吸い込まれ──
ガンッ── 男が森の中に吹き飛ぶ
(お姉ちゃん‼)
リーネの瞳にレーゼの剣が映り
柄を強く掴み
手が触れ合って離れ──
「るああああああああっ‼」
孤を描く閃光が如く剣が走る
ギィン── 短剣から火花が散り、鉄錆が焦げる匂いを放つ
男は火花と共に後方に飛び、受け流した。
※※※
リーネの斬撃を見届けたレーゼは視線を戻す。
突きを受けた男が、何事もなかったかのように立ち上がった。
(信じられない! 完全に脇腹に入ったのにッ‼)
鎖帷子を着込んでいても、骨や内臓の損傷を免れない正に必殺の一撃だった。
(後ろの男も無傷。リーネは……)
赤みを増したリーネの瞳が揺らめいている。その体は激しく揺れ、肩で息をしている。無理な体勢で動いたからだろう。それでも剣を霞に構えて男を睨みつけていた。
(リーネは辛そうね……アイツら、明らかに指輪を狙っていた。こんなに早く……あの日に見た男……なの?)
男が短剣を逆手に持ち替えた。
ギリッ
レーゼも歯を食いしばり、男を睨みつける。
そして腰に下げていたもう一振り、リーネの剣を強く握りしめる──
「なあ、クセっ毛の嬢ちゃん」
不意に、後方の男が声を発した。
「その指輪、誰からもらった?」
「誰がクセっ毛よ。教えるわけないでしょ」
リーネが低い声色で答える。
「知ってるぜ。母親に貰ったんだろ」
「なッ! なんで知ってるの⁉」
「やっぱそうか。素直で可愛いなあ、クセっ毛のお嬢ちゃんはっ‼ くくっ」
「ーーーーーッ‼」
リーネは顔を真っ赤にして唸っている。
(ダメね……。完全に向こうのペースに嵌ってる。私達が勝てる相手ではないわ)
軽口を叩きながらも、男二人にはまるで隙がなかった。背の高い方の男はさらにジリジリと近づいて来ている。
(何なの……おちょくって愉しむつもり? いや、何かを警戒して……会話から探ろうとしている……)
実力の差を悟ったレーゼは思考を切り替えた。
背の高い方の男の視線が一瞬、レーゼの左手に向く。
(………)
「ねえ、背の低い方のオジサマ」
男から視線を外さず問いかける。
「なんだい? 美人の姉ちゃん」
ニヤリと笑ったかのように男が答える。
「指輪が気になるようだけど庶民のささやかな贈り物よ。大した価値なんて無いわ」
「価値か……。物の価値ってのはな、それを持つ人次第で紙屑にも黄金にも変わるモンなのさ」
口調は穏やかだが引き下がる気配は無い。
「……この安物の指輪が、あなたには黄金に見えるって言うの?」
「俺には黄金すら霞んで見えてるぜ」
男の声が一段低くなった。
「指輪を外してこっちに投げろ……殺されたくなければな」
標的を捉え、逃すまいとする獣のような威圧を感じる。
「欲しいのならさっさと奪えばいいじゃない。か弱い女二人がそんなに怖いのかしら」
「……ああ、怖いね。ビビりじゃねえとな、直ぐにあの世行きだからな、俺達は」
近づく男の手が届く位置まで、もう僅かしかない。
(十分ね……。危険でも賭けてみるしかない。私達は、決めたのだから)
努めて冷静を保つレーゼだが、その瞳は冷たい熱を増している。
(私達は、どんな事が有っても前に進むって決めたのだから!)
「そうよね『黒い猫目石の指輪』は本当に怖いもの」
「「ッ‼」」
男達が放つ。肌が粟立つ程の本物の殺気を。瞬時に空気が凍り付いたように張り詰めて姉妹は息をのむ。男達は動きを止め、その場に静止した。
「答えろ。持っているのか」
男の殺気が氷の刃になり首筋に張り付くようだ。
「持ってなんかいないわ」
冷え切った汗が頬を伝う。
「なぜ知っている」
「襲われた。指輪をつけた男に」
「どこで襲われた」
「ベールズの町」
「なぜ逃げる事ができた」
「母が、囮になって私たちを……逃がしてくれた……」
レーゼの青い瞳が揺らぐ。
「……母親はどうした」
「ッ‼……殺されたわッ‼ ソイツにッ‼」
思わぬ問い掛けをされたレーゼは母を想い、強い感情の波に襲われてしまった。
しかしそれとは逆に張り詰めていた空気が解け、和らいでいく。
「……そうか。悪かった」
間を置かず背の高い男がちらりと目線を動かして頷く。
二人の男は同時に森へ飛び込んで消えていった。
(逃げた? なぜ……助かったの……?)
姉妹は顔を見合わせ、その場にへたり込んでしまった。




