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019 黒髪とテーブルと 2022年3月29日

── バレリア帝国北東部 ハイブリスの町付近の森──


 長く伸びた大木の枝に小鳥たちがとまり、羽を休めている。

 幼い少女がひとり、小川に顔を出した岩を踏んでトントンと飛び越える。

 革のブーツが湿った落ち葉を散らして細かな泥を舞い上げた。

 

 背中に掛けた荷袋が小刻みに揺れる。

 荷物は重たそうで、身体も一緒に揺れている。

 

 木々の間を抜ける小道の先に、丸木造りの家が見えてきた。

 少女は勢いをそのままに駆け寄り、扉の取っ手をつかむ。


「ただいまリンダ! お姉ちゃん! 採ってきたよ‼」

「リーネおかえり。お昼ご飯、用意してるから手伝いな」


 リンダと呼ばれた女性が返事をした。


 肩の下までのばしたウェービーな黒髪。少し眠そうに見える目をしている。日焼けした肌は健康的ではあるが、胸元の開いたシャツが若干煽情的だ。妙齢と言って何ら差し支えないその容姿は妖艶さをも醸している。


「リーネおかえりー‼」

 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリ


 奥の作業部屋から姉のレーゼの声が聞こえた。一緒にゴリゴリと何やらすり潰すような音も聞こえてくる。

 ここは三年後の姉妹が住んでいた森の家。今はリンダと一緒に三人で暮らしている。


 ベールズで男に襲われてから約3ヵ月が経っている。必死の思いでハイブリスの町に辿り着いた姉妹は、優しい住民たちの惜しみない支援を受けて、少しずつ元気を取り戻していた。


 リーネは昨日、リンダと一緒に周辺を散策しながら食べられる野草を教えてもらった。さっそく今朝は自分で採集してきたようだ。レーゼはまだ傷の痛みで歩けないため、作業部屋で薬の作り方を教えてもらっている。


「リーネ、たくさん良いのが採れてるじゃないか。このフォルスマは新芽のでる今が一番美味いんだ。煮ても焼いてもいい。裏の井戸で洗ってきてくれ。落ちるなよ。」

「えー? 落ちないよ。洗ってくる!」


「レーゼは薬作りもう休んでいいぞ。朝からずっとやってるじゃないか」

「はーい! もちょっとだけ~!」


 彼女の名はリンダ・メイプリーフ。優秀な薬師であり魔導士。姉妹の母アンネの良き友人であった。


(意外と、賑やかなのも悪くないね。この子達をアタシに取られて悔しがってるだろうねぇ。アレクとタチアナは)

 優しく微笑みながら昼食の準備に戻る。


 姉妹はリンダに宿屋で治療をしてもらっている内に打ち解け、一緒に暮らしたいと言い出した。そして一か月前の祝福日に、宿屋の一家は一抹の寂しさを覚えながら姉妹を送り出したのである。リンダの方も家族が増えたように感じている様子で、まんざらでもなさそうだ。


「ねぇリンダ」

「どうした? リーネ」


「リンダとアンネお母さんってお友達だったんでしょ? どーやって知り合ったの? どんな感じだったの?」

「あ、私も聞きたい!」


 食後のテーブルを囲んで姉妹は身を乗り出し瞳を輝かせている。


「お友達か。ケンカばっかりしてた気もするけどね」

 リンダは懐かしそうに目を細めた。


 真新しい手作りのテーブルに頬杖をついて、波打った黒髪を指でくるくるしながら語り始める。


「リーランズギルドって聞いた事があるかい? アンネとはそこで知り合ったのさ」

「へぇ。リーランズ?」


「リーランってのは古代語で『自由な人』って意味でね。まあ、決まった職もないフラフラしてばかりの奴らの溜り場だね。アタシもアンネも家出しててね、お金も行くあても無くてギルドに転がり込んだのさ」


「「え! お母さんが家出っ!」」

 姉妹は驚いて顔を見合わせる。


「そう。今思えばかなり危なっかしい話だ。二人してたまたまギルドにいた師匠に拾われてね。ホントに運が良かったよ」

「何の師匠?」


「アンネが魔法を使って逃がしてくれたって言ってただろ。アンネとアタシは師匠に魔法の使い方を習ったのさ」

「「魔法っ‼」」


 姉妹二人は更に瞳を輝かせた。


「アンネが使ったのは幻術。精霊の力を借りて人の目を惑わす魔法でね、殆ど使い手の居ない高度なものなんだよ。アタシの方は気術ってのが得意で、いろんな物を強化する魔法さ。一時的に筋力を高めたり、木の矢を鋼鉄の硬さに変化させたりって感じでね。……気術は基本にして奥義、師匠はそう言ってたな」


「幻術かぁ……お母さん……」

「お父さん、気術を使ってたのかな……」


 姉妹の興味は尽きず、会話は日が沈み夜が更けるまで続いた。

 次の日も、また次の日も。


 話し続ける事で何かを、紛らわすかの様に。




 ※※※




 ――ハイブリスの街 自警団詰所――

 

「ゴーン、いるかい」

「おうリンダか。どうした」


「姉妹の件だ」

「……聞こう」


「アタシの知り合いの子供なのは伝えていた通りだ。そしてね、あの子達の父親は銀槍騎士団団長のルドルフなんだ」


「……それで?」


「騎士団長とその家族全員が殺害されて、犯人が森に逃げたまま捕まっていないってベールズで噂話が広がってるそうだ」


「腑に落ちねぇな。娘の姉妹は生きてるし、そんな話は全くここに届いていない」


「そう、公式な発表は未だ無いのさ。殺人犯が逃げたのだから先ず、近隣の町と村に手配書が回るはずだ。何故か犯人を捜索している気配が無い。既に捕まっているなら良いのだけど……逃げた犯人があの子達をまだ探しているかもしれない。頼む、あの子達を探るヤツがいないか注意していて欲しい」


「分かった。皆に伝えよう。下手な噂話も広まらんようにしといてやる。問題ねぇ。あの子達はもう家族だと思ってる。どいつもこいつもな」

「フフッ。ありがとう。頼りにしてるよ?」


「なんだ、お前もすっかり母親の面構えじゃないか。あの『冷鉄』のリンダさんがよっ」

「うるさいねっ‼ もう黙ってろ!」


「ハハッ。すまんすまん」


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