016 美味いエールと腸詰めと 2022年1月13日
重そうな扉の奥から笑い声や怒声が混じり合って響いてくる。
グッと扉を押し開けると、内部は意外に広い空間で長椅子とテーブルが乱雑に置いてあった。板張りの壁には大きな掲示板が掛けられ、沢山の依頼書が貼り付けてある。
受付カウンターの前に人が並んでいる。黙って待つ女性、囁き合う二人組、指をトントンして苛立つ様子の若者、様々だ。
「ようライザ。相変わらずシケたツラしてんなぁ?」
カウンター内で椅子に腰掛ける女性職員に、ハンチング帽の男が気安く声をかけた。
「チッ、ダニーかよ。来んなって言ったろ。忙しいんだこっちは」
「なんだよつれねぇな。もう依頼持ってきてやんねぇぞ?」
「だから要らないってば。ヤバい話ばかり持ってきやがって」
ライザと呼ばれた女性はシッシと手を振ってダニーを追い返そうとしている。
「スマンスマン。冗談だ。今日はちょっと人を探してるだけだ」
ダニーはカウンターに備え付けてあった依頼書を手に取り、何やら書き込んだ。
「こういうヤツが来たら教えて欲しい」
【若い男性、銀髪、童顔、色白、やや小柄、筋肉質で引き締まった体躯】
「……何だこれ。ソッチの趣味に目覚めたのか? 良いことだな」
「ハハッ。まあそんなとこだ。しかし重要な事でな。必ず頼む。もちろん報酬も支払う」
ライザは再度依頼書の走り書きに目をやる。
「……フンッ。報酬なんて要らないから、もう出ていけ。隣で酒でも飲んで帰りやがれ」
何やら顎先で合図を送りながら、依頼書をビリビリと破く。
「なるほどな。分かったよ。もう来てやらんからな!」
「だから二度と来んな。ハイ次の人」
ライザはソッポを向き、ダニーはドスドスと歩き外に出て行った。
※※※
素早く隣の酒場を覗き見たダニーは、フランツの姿を見つけた。
(当たりか。もう来ていたとは。予想よりかなり早かったな)
フランツの容姿は周囲の人間と少々異なっている。特徴しか知らなかったダニーだが、見つけるのは簡単だったようだ
(さてと。どうしたもんかな)
思案気に酒場の扉を開け、中へと入っていった。
※※※
「お待たせしました〜! ごゆっくり~!」
酒場のテーブルに出来立ての料理が続々と運ばれてくる。
こんがり焼けた山羊肉の腸詰め。ホカホカ蒸し芋のミートソース掛け。ハーブの香りが鼻をくすぐる鶏もも肉のグリル焼き。
そして濃い琥珀色のエール。レダニアの麦を使用した特産品である。僅かに柑橘を想起させる複雑で芳醇な香り、上品な苦味にほのかな甘みが混じった濃厚な味わいの逸品だ。
とにかく肉に飢えていたフランツは無心で料理に貪りついた。
助けた商人に食料を分けてもらって食べてはいたものの、まともな料理は久しぶりだった。
つい先程、意を決してギルドに乗り込んだフランツ。
列に並んで待ち、順番が回ってくると受付の女性に「これ読んで四日後また来な。ハイ次」と一枚の紙を手渡され、追い出されてしまった。
拍子抜けすると共に、この街には手配書など回っていないのだと気が付くと、途端に腹が減っていることを思い出す。
辺りを漂う肉が焼けてソースが焦げる匂いに引き寄せられ、フラフラと酒場の席についていた。
喉に詰まりかけた蒸し芋をエールで流し込み一息ついたところで、ハンチング帽の男が声を掛けてきた。
「よぉ、相席してもいいかい?」
「どうぞ」
フランツは目の前の男をかなり怪しんでいるようだ。
「お姉さん! 俺もエールと腸詰めを頼む」
「はぁーい! おまちくださーい!」
「美味そうに食うのが見えてな。俺も同じの食いたくなった」
「そうですか」
フランツは言葉少なくエールをあおっている。
「お兄さんもギルド加入希望者か? 受付の女すげぇ冷たかったろ。そこがまた可愛いんだけどな。聞いてくれよ。この間なんかさ、」
「何だアンタ。俺に構わないでくれ」
「つれないねぇ兄ちゃん」
「……」
「お待たせしました〜! 山羊肉の腸詰めと当店自慢のエールでーす!」
「お、キタキタ。このエールが美味いんだ。この為だけに何度もココに通っちまう」
「……確かに、このエールは美味い」
「酒場の裏手に醸造所があってな。熟成が終わってすぐの酒だ。この新鮮さはここ以外じゃなかなか味わえねぇのよ」
「……」
「お姉さん!ピルスナー大ジョッキで二つ追加してくれ。ドゥーブ酒もボトルで頼む!」
「はーい! こちらキンキンに冷えたピルスナーでーす!」
「これも飲んでみな。俺のオゴリだ」
「……美味い。それによく冷えてる。スッキリしていて暑い日のカラカラの喉に流し込めたら最高だろうな。キツイ訓練の後なんかは特に美味そうだ」
「訓練か。そんなにキツイ訓練だったのか?」
「キツイなんてもんじゃない。アレは拷問だった……。鎧を着込んで大盾とハルバードを構えたまま、朝から晩まで走り込みなんてまだマシな方で……」
フランツはかなり酔いが回ってきたようだ。
「そうか。それは大変だったな。もっと飲め。飲んで忘れりゃいい」
「特にキツイのは魔導士の教官が来る日で……無理やり疲労を忘れさせられて、死にかけても治してやるから安心しろとか言われて……」
「あぁ、そりゃ化物ジジィのジェイガン教官だな」
「そう! ジェイガン教官だ! 教官が来るときは団長も一緒に訓練を受けてたんだ……団長は、凄い。涼しい顔でこなすんだ。俺も……俺もそうなりたくて、必死で……」
「……」
「俺はッ‼ 俺がもっと強ければ‼ 助けられたのにッ! クソックソォ! ウゥううう……」
「……お前のせいじゃねぇよ。強くてもどうにもならん事だってある。そう自分を責めるな」
「クソッ! クソッ‼ ウゥ……ウゥゥ……」
………
……
…
※※※
翌日の朝、フランツは窓から差し込む光を浴びて目を覚ました。
「ここは……? 痛って、頭!」
起き上がると頭を押さえて悶える。どうやら二日酔いで頭がガンガン痛むようだ。
「酒場で飯を食ってて、何処だここは」
少し痛みが引き、意識がはっきりしてきたフランツは周囲を見渡す。
見覚えの無い個室のソファの上で、厚手の毛布を掛けられて寝ていた様だ。昨日買ったばかりのコートが丁寧に畳まれて側に置いてある。調度品が飾られていて、どうやら応接室の様だ。
フランツは立ち上がり、そっと扉を開けて様子を伺った。
「ここは……ギルドの……」
簡素な板張りの壁に広い空間。昨日訪れたリーランズギルドの待合室だ。
明け方で始業前なのだろう。人気は無く、昨日の騒がしさが嘘の様だ。
「目が覚めたか。ここは宿じゃない。泊めてやったのは特別だからな」
受付カウンターの椅子に腰掛けた女性が、パラパラと書類に目を通しながら声を掛けてきた。
無表情だが整った目鼻立ちに薄い化粧。短く切り揃えたサラサラの金髪が、朝日を浴びてキラキラと輝いている。神秘的にすら感じられた。
「あなたは、昨日の。えっと……」
「ライザ。ライザ・フランセス」
「泊めて頂いて、ありがとうございます。私は……」
「礼ならダニーに言うんだね。昨日一緒に飲んだくれてたヤツだ。アンタを背負ってここに運んで来たんだよ」
ライザはフランツに名乗る間を与えず、早口で答えた。
「ッ! あの人、ダニーさんは今どちらに?」
「近くの宿に泊まってる。次の適性検査、受けるんだろ? その時また来るってさ。伝えたからね」
そう言って書類作業を始めたライザの顔は、一瞬陰ったかのように見えた。
「分かりました。また来ます。ライザさん有難うございました!」
フランツは寝ていた応接室に戻るとコートを羽織り、毛布を丁寧に畳んでソファに置く。そして部屋に置いてあった水差しの水をコップに注いで勢いよく飲み干した。
作業を続けるライザに深くお辞儀をしたフランツは、重い扉を開けて外に出る。
外はまだかなり寒かったが、二日酔いの体には良い刺激に感じられる。
見上げた青空には白い雲が浮かんでいて、のんびりと流れていった。




