014 神話と皇帝と 2022年1月6日
── バレリア帝国帝都宮殿──
バレリア帝都宮殿の皇帝自室前のテラス。宮殿の外は厳しい寒さだが、このテラス周辺だけは何故か暖かく心地良い。刈り揃った芝生が繁り、鮮烈な青葉の香りを放っている。
テラスの東屋には皇帝、バレリア・フォン・ジルムディアその人が腰掛けている。
年齢は初老に差し掛かるが、その体躯は筋肉質でしなやかそうだ。堀の深い顔も若々しく見え、武人を思わせる威圧感を発している。
騎士服の男二人が近づいてくる。
バレリア帝を前に、二人は跪いた。
「魔導騎士団特務隊隊長ダニエル・ウェイブス、参上致しました」
騎士らしく身なりを整えた男が声を発す。
「ダニエルよ。久しいな。息災であったか」
「はっ。陛下におかれましてもご健勝とご活躍の事。なによりでございます」
「同特務隊所属ビスマルク・オルセン、参上致しました」
チュニックを着崩した男が声を発す。
「ビスマルクよ。お主も変わりないか」
「元気にやってるぜ! 相変わらず陛下の術はすげぇな。ここだけ春が来たみたいだぜ?」
「おいビスマルク……」
「よいよい。楽にせよ。よく来てくれた。共に座ってくれ」
バレリア帝は温和に微笑むと、二人を椅子に座らせた。
「今回は長い話となる。すまんが付き合ってくれるか」
二人は黙って頷く。
「ダニエルよ。この大陸の神話を覚えておるな。話してみせよ」
「ハッ」
ダニエルは目を閉じ、語り始める……
全てを包み込む闇
一粒の光が瞬き始めた
繰り返し瞬き
煌めき
形を成し
三柱の神となった
創造神アルゼムス
天父神ラムゼア
地母神アーマ
三柱が向かい合い
アルゼムスが光を放ち
姿を変えていく
その両足は波荒ぶる海に
その両手は風吹き荒ぶ空に
その身体は岩荒立つ大地に
ラムゼアが両手を広げると
地が隆起して山となり
燃え滾る溶岩が噴き出した
アーマが両手を組むと
水が流れて河となり
数多の新芽が吹き出した
月日を共に星が流れて命が溢れ出し
巡る風雨が露となりて人が産まれた
やがて人が千に増え
また二柱の神が降り立った
北にラムゼアの息子オルディヌスが
南にアーマの息子ジルムディアが
二柱は人を導いた
寒さに凍えれば燃え盛る炎を
日照りが続けば慈愛の雨を
争い合えば裁きの雷鳴を
人は畏れ
人は敬い
人は集い
国となった
やがて人が万になると
オルディヌスは万の星となり
ジルムディアは万の瞳となった
……語り終えたダニエルが目を開いた。
「で、神ジルムディアの子孫が代々バレリア帝を名乗り、帝国を治めてるって『おとぎ話』なわけだ!」
「おい! 不敬だぞビスマルク」
「間違ってはおらん。この大陸では誰でも知るおとぎ話であるからな。ではビスマルクよ、万の星と万の瞳とはこの大陸で何を示すものか、答えてみよ」
ビスマルクは真剣な眼差しになり答える。
「はい。万の星は北の国、イルシュガール帝国で産出する虹色に輝く『虹黒曜石』です。そして万の瞳は我が国、バレリア帝国で産出する光の帯が見られる『猫目石』です」
「うむ。どちらも国の象徴とされている宝石である。さて……」
バレリア帝の眼差しが鋭くなり、左手を差し出した。
「よく見て覚えよ」
二人は帝の指に輝く指輪を凝視する。
濃く深い緑色の石。
一筋の光の帯が揺らめいている。
「これは……!」
「すげぇな……!」
宝石にさほど興味の無い者でも、目を奪われ見入ってしまう程の神秘的な輝きを放っている。
バレリア帝国で産出する猫目石は『黄緑色』であり、色が濃くなるほど希少性が高くなる。一攫千金を狙う者達は血眼になって濃い緑色の猫目石を探し求めている。しかし未だかつて発見された事は無かった。
そして猫目石を模造する事は禁忌とされていて重罪であり、模造品が出回る事は殆ど無い。
「不思議な事にな、代々の帝は皆この指輪を握って産まれてくる」
「指輪を握って……お産まれになる? そんなことが本当に……」
「有るのだ。本当にな。指輪を握って産まれた赤子が初代皇帝バレリアの名を引き継ぎ、帝国は存続してきた。そして皇帝が亡くなると指輪も同時に消滅する」
「……初めて耳にします。国宝として受け継がれている帝の証であるとしか、教わっておりませんでした」
「赤子の件はお主ら魔導騎士にも秘匿されておるからな」
バレリア帝はひと呼吸置いて、問いかける。
「先程の神話と併せ、お主らはどう思う」
「……」
「失礼ながら……おとぎ話の神は正に実在する、ということでしょうか?」
「そう思わざるを得ない、という事よ。指輪を握り産まれてくる赤子を見た者は皆、神の実在を悟った。余も含めてな」
「私達魔導士は、採掘された石に宿る力を借りて術を使用している……」
「俺達はおとぎ話の神様の力を借りてたってワケだ。大陸そのものが元は神様なんだろ? それならその辺に転がってる石も神様って事だな」
「そうなるな」
衝撃的な話ではあったが二人は納得している様子だ。そもそも『魔導士』であり『術』と呼ばれる魔法を使える二人である。不思議な現象を受け入れる素養が高かった。
魔導士や魔法について、庶民にもその存在は広く知られているが詳細は秘匿されている。
普通の人間にとっての神は信仰の対象であり、実在を実感する事はなかなかに難しい。殆どの人は「何となく、いる気がするから祈る」に留まるのである。
「お主らの知る通り、希少な宝石と路傍の石とでは、秘めた力の大きさは比べ物にならんがな」
そして、バレリア帝の顔は一層険しくなる。
「三日前の港湾都市ベールズ。事件の報告を受けておるな。復唱せよ」
「ハッ。エンハイム公宮殿内において、銀槍騎士団所属の騎士フランツ・マークハリスが同騎士団長ルドルフ・オルケアノス男爵を殺害し逃亡。同日、ルドルフと同居していた妻の遺体を庭で発見。翌日、娘二人と特徴の一致する遺体をベールズ北部街道沿いで発見。妻は刺殺、娘は狼に襲われたと思われる。との事」
「相違ない。秘匿情報を伝える。ルドルフ殺害の現場に居合わせた諜報隊員が『黒色の猫目石の指輪』を装着した衛兵を目撃している。その衛兵は隊員の目の前で姿を消して逃亡。何らかの『術』により透明化したと思われる。そして黒色の猫目石は『本物』である可能性が高い、との事だ」
ダニエルとビスマルクは息を呑んだ。
「未だかつて『黒色の猫目石』の存在を耳にした事はない。それを握った赤子が産まれたという報告も受けてはおらん」
バレリア帝の顔色は変わらず険しい。
「これを放置すれば国の存亡に関わる」
静かにバレリア帝が命じる。
「呼称を『黒』とする。諜報隊と連携し速やかに『黒』の実態を探れ。死ぬ事は許さん。以上だ」
「「ハッ!!」」
※※※
謁見を終えたダニエルとビスマルクが宮殿の廊下を歩いている。
「重大な任務だ。俺は逃亡中のフランツを追いながら調査を行う。お前は諜報隊と合流してベールズの事件を探ってくれ。何が起きているのか分からん。慎重に動けよ? ビリー」
「分かってる。無茶はしねぇさ。ダニー隊長も気をつけてくれよ? フランツって騎士は警備の厳しい宮殿内で騎士団長を殺って逃げ切ったんだ。ただものじゃあねぇよ」
「そうだな。気をつけよう」
(フランツが本当にルドルフを殺ったのかどうか、それも不明だがな……)
「任務を開始する」
「了解」
ビリーは宮殿を出ると直ぐに走り去って行った。
(さて、何処に逃げたか。今有る情報ではフランツがルドルフを殺害する動機が見えない。フランツと『黒』の装着者が組んでいた可能性は低いだろう。突発的な犯行、若しくは真犯人がいて嵌められたのだとしたら、エンハイム領内に留まるとは思えん。港は厳戒態勢。西は帝都。この雪だ、野山に潜伏するのは困難。となると南西のベルクハイム領に逃げるしかないわな)
ダニーは思案気に、雪の降る帝都を歩き出す。
「また厄介な仕事を押し付けられたもんだな」
ブツブツと文句を言いながらも、ダニーの顔はどこか嬉しそうに見えた。




