7.エピローグ・その後
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(何が起こっているのだろう……)
あれから少しずつ、胸の中の違和感は強くなっていった。
「愛しているわ、アルマン様」
「俺もだ、マリー」
抱きしめ合っても、いつものように盛り上がらない。
それどころか、「これは違う」という気持ちが日に日に強くなっていく。
一体どうしてしまったのか。愛しいマリーリアがそばにいるのに。
ふと気づくと、琥珀色の瞳がよみがえる。
ひたすらアルマンを見つめていた、けなげな光を浮かべる瞳。
今思えば、あの色は決して悪くなかった。淡く輝く金髪もだ。自分の名前を呼ぶ声も、なかなか心地いいものだった。
リーゼ。エルフィリーゼ。アルマンの番だった娘。
「ねえ、何を考えているの? 最近はいつも上の空ね」
「ああ……いや、なんでもない」
ふと気づくと、リーゼの事を考えている。
アルマンは知らなかった。
番を感じない獣人はいるが、愛せない獣人は稀だ。そこにはからくりが存在する。
クリューガーの言った通り、彼らの体質には秘密があった。
獣人が番に目覚めると、同時に愛しさも湧き起こる。それが通常の反応だ。だがごく稀に、それが一致しない獣人がいる。
体格や年齢は関係ない。番に目覚めても、愛する部分が発達しない。番と認識できるのに、愛しさが眠ったままなのだ。
だが、それは永遠ではない。
長い時間を経て、彼らもやがて番に目覚める。それが遅れているだけだ。
番を愛せないのではなく、「まだ」愛していないだけなのだ。
けれど、普通ならそれほど問題はない。
たとえ好みとは違っても、番を傷つけたい獣人はいない。
獣人は番を大切にする。それは当然の事であり、彼らの責務でもある。
彼らは番を大切にしたい。それは獣人の本能に刻み込まれている。
アルマンにはそこが欠けていた。
彼は番を手に入れる利益は享受しても、与える事は拒んだ。
リーゼを番と認めたのはアルマンだ。そして婚約を申し入れた。
だとすれば、番として扱う義務が生じるはずだ。だがアルマンはそうしなかった。
リーゼを番の座に据えつつ、彼女をないがしろにし続けた。与えられる幸運を受け取り、能力を目覚めさせ、それでもリーゼには冷たかった。
愛せないのは仕方ない。だが、大切にしないのは話が別だ。いつか番を愛した時には、取り返しのつかない事になっている。
クリューガーは折に触れそれをアルマンに伝えたが、アルマンはまったく聞き入れなかった。
ここに、とある言い伝えが残っている。
番に目覚めるのが遅い獣人ほど、目覚めた時の反動はすさまじい。番無しではいられないほど番を愛し、執着する。今までの淡泊さなど消え、目の色を変えて求めるのだ。
通常の関係を築いていれば、番はそれを受け入れる。
だが、そうでないならば。
そしてそこには、もうひとつの言い伝えが存在する。
――番からの愛が薄れた時こそ、ようやく番に目覚めるのだ、と。
この日を境に、彼のマリーリアへの愛情は急速に冷めていき、逆にリーゼに対する愛しさが増していく事になるのだが、どちらもそれには気づかなかった。
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それから長い時間が過ぎた。
途中、人間の国にアルマンが押しかけてきたり、捨てられたマリーリアが暴れたりしたものの、大きな騒ぎにはならなかった。
その騒ぎの最中、マリーリアにも番が見つかった。彼女は狂喜乱舞したが、相手は人間で番が分からず、おまけに人間の恋人がいた。彼の恋人はリーゼの知り合いで、彼女がリーゼにした仕打ちを知っていた。
――君は本当にそんなことをしたの? 番が何よりも大切だと知っていたのに?
マリーリアには当時番がいなかった。見つかる保証もなかったため、アルマンは最良の相手だった。
邪魔なのは番のリーゼだけ。追い落とす事など造作もなかった。
だがそれを、まさか自分の番に知られるなんて。
――誰かの大切な人を奪って、踏みつけにして。それなのに、自分は番を求めるの?
言葉だけでなく、彼の目は雄弁に己の内心を物語っていた。
マリーリアは息を呑んだ。天使のような顔が青ざめ、唇が細かく震え始める。
番に拒絶される絶望と痛みを、彼女は初めて体験したのだ。
後悔してももう遅い。彼はマリーリアを見つめていた。番に見られる喜びと、番から向けられる視線の意味。
そこで初めて、自らがリーゼにしでかした事を思い知ったらしい。だが、時すでに遅かった。
彼はマリーリアの前から去っていき、以降、一度も親交はない。
クリューガーは粛々としてすべてに対処した。それはもう驚くほど仕事が早かったと、当時の同僚が述べるほどだった。
アルマンはリーゼへの愛に目覚め、当然のように復縁を願ったが、リーゼの心は動かなかった。
番なのに!? と驚愕する彼に、リーゼは言った。
――今は、クリューガーの番ですから。
番が見つからない獣人は、番以外と婚姻を結ぶ。クリューガーの番は見つからないままだったので、リーゼと結ばれる事は問題なかった。
それに、彼はなぜだか絶対の自信を持って、
「今後もリーゼ以外の番は現れない」
と断言していたので、信じる気持ちもあったと思う。
アルマンは愕然としていたが、リーゼの気持ちは変わらなかった。
今でもリーゼの胸は痛むが、ほとんど分からなくなっていた。
「久々にゲームをしませんか?」
「ええ、いいわ」
明日には夫となる婚約者に、リーゼは笑いかける。
「あなたの凛々しいところが好きよ。誰が来ても動じない」
「リーゼの強い瞳が好きです。あの告白にはしびれました」
「たまに意地悪なところも好き。今まで猫をかぶっていたわね?」
「リーゼのふくれた顔が好きです。ものすごく可愛い」
「敵には容赦ないけれど、少しだけ手加減してくれた。あれは私のためでしょう?」
「せっかくの結婚に、ケチをつけたくないですから」
「意地っ張りなところも好き」
「それはお互い様でしょう?」
やさしい瞳に、リーゼは少し目を伏せた。
「……ありがとう、クリューガー。そのやさしさが、好きよ、私」
「俺だってずっと愛してる」
目を上げると、クリューガーが見つめていた。
その顔が近づき、吐息がかかる。
リーゼはおとなしく目を閉じた。
唇が重なり、何かがすうっと解けていく。
誰にも気づかれぬまま、かすかに残る痛みが消えた。
了
お読みいただきありがとうございました! 末永くお幸せに。
*一途な黒豹が最後の最後でかっさらいました。純愛最強。
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(個人的には第8話(電子版だと第13話?)の「半分くらいですか?」から「理解したな(凄み)」の部分がめっちゃ好きです。面白かった!)




