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6.


    ***

    ***



 一方、そのころ。


「……? なんだ?」


 その日、アルマンの体調に変化があった。

 胸を突かれたような衝撃の後、硬い殻にひびが入る感覚。

 だが、その変化はわずかなものだった。


「どうしたの、アルマン様?」

「いや……なんでもない」


 アルマンが首を振ると、マリーリアは目を瞬いた。

 あどけない顔をしたマリーリアは、今日も世界一愛おしい。ねだられるままに買い与えた宝石とドレスが、一段と彼女を輝かせている。


 マリーリアはアルマンの理想だった。

 ゆるく巻いた金髪、宝石のような青い瞳。肌はなめらかで、囀る声は小鳥のよう。笑顔は無邪気なのに、唇だけが色っぽい。清楚で愛くるしく、たまに妖艶。プロポーションも抜群だ。


 彼女が目の前に現れた時、天使だと思った。

 この衝撃が、番を見つけた感動なのだ。

 それに比べれば、エルフィリーゼは数段見劣りする。


 顔立ちは愛らしいが、色気はない。体つきにも面白みがなく、ドレスを贈ってやる気にもなれない。それはアルマン自身の体質にも関係していた。


 番が分かるが、愛しいと思わない。

 獣人ではめったにないが、ごく稀に生じるものだ。それについては、アルマンが悪いわけではない。


「そういえば、最近リーゼを見ないな。何かあったのか?」

「アルマン様が追い出したんじゃないですか」

 くすくすとマリーリアが笑みをこぼす。


「可哀想に、泣いていましたよ。アルマン様の番という立場を失うなんて、本当にお気の毒だわ」

「仕方ないだろう。あいつは偽物だったのだ」

「ええ、そうね。本当にそう」

 そこでマリーリアはアルマンに抱きついた。


「わたくしとあなたは運命の人。わたくしこそが、あなたの番だったんだもの」

「そうだな、マリー」

「あの方は偽物で、嘘つきの番だわ。もう顔も見たくない」


 その通りだとアルマンは思った。

 リーゼのせいで、マリーリアと自分は出会えなかったのだ。

 マリーリアはまばゆいほどに美しく、アルマンの理想そのものだ。彼女こそが自分の番。これほど好みの外見ならば、どれだけ嬉しかった事だろう。


 確かに彼女には、惹かれ合うという感覚がなかった。

 リーゼに出会った時のような、「これが番だ」という直感はなかった。

 けれど、リーゼは偽物だった。だからあれは気のせいだ。

 たとえ本物だったとしても、マリーリアの方が価値がある。


 アルマンは自分を被害者だと思っていた。

 アルマンにとって、リーゼは目障りな存在だった。愛せない番など、面倒な事この上ない。おまけに偽物だったなんて、本人にそのつもりがなくとも許しがたい。もっとひどい言葉をかけて、徹底的に追い詰めるべきだった。


 最後に泣いた時はスッキリしたが、まだ足りない。この落ち着かなさはそのせいだろう。

 アルマンはリーゼを愛さなかったが、番の利点は欲しかった。だからリーゼと婚約した。

 それが必要なくなった以上、彼女はもう用済みだ。


「そういえば、あの方、外国に行くかもしれないんですって。きっとここにいられなくなったせいね」

「あいつが悪いのだ。仕方あるまい」

「もう戻ってこられないかもしれないわね。ああ、お可哀想に。ふふ、ふふふっ」

「ずいぶん楽しそうだな、マリー」

「だって楽しいんだもの。これでもう、わたくしたちを邪魔する人はいないわ」

「ああ、その通りだ」


 マリーリアを抱きしめると、甘く柔らかな香りがした。

 そこでふとアルマンが首をかしげる。


「どうかしたの、アルマン様?」

「ああ……いや」


 いつもほど夢中になれない。

 なぜだろう、気分が高揚しない。それどころかむしろ――。


 殻に入ったひびが、少しずつ亀裂を増している。それにつれて、知らなかった感情が湧き起こる。こんな感覚は初めてだった。


「なんでもない。気のせいだ」


 アルマンは気づいていなかった。

 これが「番」に対する目覚めだという事に。



    ***

    ***



 出立の準備は驚くほど順調に進められた。


「こんなに急がなくてもいいのよ? 早くてもいいのは本当だけれど」

「俺が嬉しくて、待ちきれないんです」


 クリューガーはあっという間に荷物をまとめ、各種方面への挨拶も済ませた。あまりにもてきぱきと事を進めたせいで、明日にでも出発できる勢いだった。リーゼは戸惑ったが、悲しみが紛れてありがたかった。


 胸の痛みは今もあったが、少しずつ小さくなっている。

 何年かすれば、もっと楽になるだろう。そんな予感がした。

 彼とのゲームは、今でもたまに続いていた。


「あなたの素直なところが好きです。人を疑うことを知らない」

「責任感があるところ。真面目な人は素敵ね」


「声を上げて笑う顔が好きです。初めて見た時、感激しました」

「思いやりがあるところ。ずっと嬉しいと思っていたわ」


「誰かを傷つけないところも好きです。俺にはない美点ですね」

「……それは、あなたもそうだと思うのだけれど……」


 首をかしげたが、リーゼはすぐに言い直した。


「あなたの誠実なところが素敵。私を救ってくれたもの」

「エルフィリーゼ様の声が好きです。俺の名前を呼ぶ時は特に」


「あなたのやさしいところがいいわ。昔とちっとも変わっていない」

「エルフィリーゼ様の瞳が好きです。琥珀は一番好きな石だ」

「あなたの瞳だって綺麗よ?」


 海を思わせる青い色。

 リーゼが目を覗き込むと、クリューガーは照れたように目をそらした。


「あなたの心が素敵だわ。頼りがいがあって、懐が広くて。私よりずっとやさしいもの」

「そんなことはありませんよ。エルフィリーゼ様の方がやさしいです」

「そんなことないわ」

「ありますよ」


 ふたたび見つめ合ってしまい、二人で同時に噴き出した。


「また引き分けだったわね」

「いい勝負になってきましたね」


 心の距離は縮まったが、二人の関係は変わらない。

 クリューガーは今でもリーゼの良き友人で、一番の理解者だ。

 そこでふと、リーゼは気になる事を聞いてみた。


「そういえば、あの子はいいの? 十年前に出会った子」

「ああ……」

「番ではないのでしょうけれど、挨拶くらいはしたらどう? 当分帰ってこないのでしょう」

「いいんです。だって、一緒に行きますから」

「え?」

「いえ、こっちの話」


 気にしないでくださいと言われ、リーゼはおとなしく頷いた。


「楽しみですね、人間の国」

「そうね、とっても」

「向こうに着いてもゲームをしましょう。負ける気はありませんが」

「私だって負けないわ」


 彼のいいところなら山ほど言える。

 誠実なところ、落ち着いているところ、笑うと少し可愛いところ。黒髪に光がこぼれるところも、綺麗な青い瞳も好きだ。


 何よりも、彼は今までずっとリーゼを見守り続けてくれた。

 その時また、胸の痛みが少し薄れた。


「エルフィリーゼ様?」

「いえ、なんでもないの」

 それよりも、とリーゼは言った。


「言いにくいでしょう。リーゼでいいわ」

「え」

「たまには言葉遣いも改めるのでしょう? それならついでに、呼び方も変えてちょうだい」


 クリューガーは珍しく、あたふたした顔をしている。

 それがおかしくて、リーゼは思わず噴き出した。

 笑い声は風に乗り、遠く遠く響いていく。

 やがて、目元を染めたクリューガーが口を開くまで、その時間は続いていた。


 彼らが国を出るまで、あともう少し。





(あと1話続きます)

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