表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

5.


 その日から、クリューガーが毎日訪ねてくるようになった。


「……では、それが初対面だったんですね」

「ええ、そうよ。初めて見た時、この人だと分かったの」


 初めの夜は、アルマンとの出会いを語った。

 彼がどれほど特別で、どれだけリーゼの心を奪ったか。それがどれだけ嬉しくて、どれほど幸せだったのか。

 クリューガーも微笑んで聞いていた。だからリーゼも素直に話せた。


 次の日も、その次の日も。

 リーゼはアルマンの事を話し、クリューガーはそれを聞いた。どれだけ話しても話題は尽きず、時間切れになるほどだった。


 アルマンの事ならいくらでも話せる。

 それに、とリーゼは思った。

 こうしていると、現実を見ないで済む。

 今でもアルマンの番だと錯覚できる。それは幸福な逃避だった。

 アルマンの事を話し続け、愛おしさを再確認しつつ、忘れられない事に胸を痛める。


 そうやって、ひと月はあっけなく過ぎた。

 次の月になっても、クリューガーの態度は変わらなかった。

 楽しそうに相槌を打ち、思い出話に目を細め、決してリーゼの思いを否定しない。

 クリューガーは黙ってリーゼの話を聞き続けた。


 気持ちを吐き出すたびに、少しずつ心が軽くなる。いつの間にかそう感じるようになっていた。

 傷ついた胸はまだひりひりと痛んでいたが、ほんの少しだけましな気がした。

 クリューガーは相変わらずリーゼの話に耳を傾け、聞き役に徹していた。


 アルマンの事ならいくらでも話せる。それは今でも変わらない。

 けれど、あまりにも自分ばかりが話しているのは気が引けて、ある日とうとうリーゼは言った。


「たまにはあなたの話をしてちょうだい」

「俺ですか?」

「前に出会った子の話がいいわ。番ではないけれど、特別な女の子」

 いいでしょう、とねだると、クリューガーは頷いた。


「構いませんよ。――俺がその子に会ったのは、今から十年も前のことです」

「まあ、私と同じね」


 リーゼがクリューガーに出会ったのは十年前だ。


「とある夜会でその子を見かけ、衝撃を受けました。なんというか、その……ものすごく可愛くて。これが番だろうと思ったのですが、その子はまったくの無反応で。ああ、違うのかと落胆しました」


 悲しかったですね、と肩を落とす。リーゼはくすくすと笑った。


「仕方ないわ。番に出会うまでは、外見の好みに左右される。当然のことよ」

「ですが、本当に可愛かったんですよ。絶対番だと思ったのに……」

「あなたがそこまで言うなんて、本当に可愛らしかったのね、その子」

「ええ、とっても」


 クリューガーが大真面目な顔で頷いた。


「その子とはどうなったの?」

「残念ながら、彼女には番ができてしまいました。今から八年前のことです」

「まぁ……」

「俺の初恋は終わりました。あっけないものです」


 そう言いながらも、それほど気にした様子はない。当然だろう。彼女はクリューガーの番ではないのだから。


「ですが、相手はそこまで彼女を大切にしていないようなので、何かと思うところがあります。未練ですね」

「私と同じだわ。辛いわね、お互い」

「…………」

「…………」

「……これで通じないのか」

「クリューガー?」

「いえなんでも」


 クリューガーが訳の分からない事を口にしたため、リーゼは首をかしげた。


「それで俺の話はおしまいです。楽しんでいただけましたか?」

「ええ、とっても」

「では、俺からの提案です」

 クリューガーがいたずらっぽい顔になった。


「ゲームをしましょう、エルフィリーゼ様」

「ゲーム?」

「アルマン様の好きなところを、ひとつだけ言ってください。俺は逆に、エルフィリーゼ様の素敵なところを口にします。互いにひとつずつ言い合って、言うことがなくなった方が負け。簡単でしょう?」

「私の? なぜ?」

「だってアルマン様のいいところだと、確実にエルフィリーゼ様に負けるじゃないですか」


 不公平ですとクリューガーが言った。

 それもそうかとリーゼは思った。


「でも、私のいいところなんてほとんどないわ。あなたが不利よ」

「そんなことはありませんよ」

 クリューガーが自信たっぷりに頷いたので、リーゼは戸惑いつつも頷いた。


「では、私からね。綺麗な白銀の髪が好き」

「エルフィリーゼ様の淡い金髪が素敵です」


 すかさずクリューガーが後に続く。


「黄金色の瞳が好き。とても綺麗だもの」

「琥珀色の瞳が素敵です。ハチミツみたいで、甘そうだ」


「微笑んだ顔が好き。遠くで見ているだけだけれど……」

「エルフィリーゼ様の微笑みが素敵です。やさしくて、魅力的だ」


「声が好き。艶やかで、よく響くわ」

「エルフィリーゼ様の声は妖精のようで、とても素敵です」


「最初に出会った時、まっすぐ私を見てくれた。その表情に惹かれたの」

「最初に出会ったあなたはとても可愛かった。その笑顔が素敵でした」


「……もう、ずるいわ、クリューガー」


 リーゼは早々に白旗を揚げた。


「私と同じことを言うんだもの。勝てるはずないじゃない」

「そういうわけではありませんが。では、逆にしてみます?」

「逆?」

「俺がアルマン様のいいところを探すので、リーゼ様は俺のいいところを言ってください。なかったらそれで構いませんよ」

「あなたが……アルマン様の?」

「公平でしょう。どうですか?」


 戸惑ったが、彼が思うアルマンのいいところは気になった。リーゼは素直に頷いた。


「いいわ」

「では、今度は俺から。アルマン様のいいところは、意志が強い」

「あなたも意志が強いわ。見習いたいくらいよ」

「鍛えた体もいいですね。健康的だ」

「あなただってそうでしょう? 訓練を怠っていないもの」

「背が高くて」

「あなたの方が高いじゃない」

「剣の腕もなかなか」

「あなたに勝ったことはないと言っていたわ」

「頭もいいですね」

「あなたもとても優秀よ、クリューガー」

「エルフィリーゼ様、俺と同じことをしていますよ」

「あ」

 思わずリーゼは口を押さえた。


「ごめんなさい、つい」

「いいえ。ですが、俺の行動を理解していただけましたか?」

「そうね、確かに」


 これはつい後に続いてしまう。前と違うものを、と限定すれば防げるだろうが、クリューガーはそうしなかった。


「では、今度はこうしましょう。俺がエルフィリーゼ様の好きなところを口にする。エルフィリーゼ様は引き続き、俺のいいところを挙げてください。俺と同じでも構いません」

「それだと、あなたは勝てないわよ?」

「いいですよ」

 問題ないと押し切られ、リーゼは三度目のゲームに挑戦した。


「では、今度も俺から。エルフィリーゼ様は――意志が強い」

「あなたも……え?」

「それから、芯が強い。おとなしく見えるのに、簡単には折れない」

「……あなたもそうだわ」

「どれだけ辛い目に遭っても、あなたはあきらめようとしない。それは驚嘆すべきことです」

「クリューガー……何を言ってるの?」


 リーゼがあきらめないのは、アルマンが番だからだ。獣人ならば当然の事。それ以上でも以下でもない。


「アルマン様の前では決して泣かない。そういうところも好ましい」

「一度泣いたわ。あなたも知っているでしょう」

「あなたの強さは尊敬に値します」

「強くなんかないわ」

「一途なのは妬けますが、婚約者だから我慢しましょう。他の男に目移りしない」

「それは……獣人なら当然のことよ?」


 婚約者以前に、番以外と恋はしない。


「誰かを悪く言わないところが好きです。あの性悪な女のことでさえ、あなたはなじったりしなかった」

「……そんなことをしても、仕方ないもの」

 あなたもそうでしょう、とリーゼが返す。


「あなただって、アルマン様を悪くは言わなかった。ただの一度もよ」


 そろそろ二か月目の半分を迎え、約束の日まであと半分。

 その間、彼は一度だってアルマンを糾弾したりしなかった。

 それがどんなに嬉しかったか、彼は分かっているだろうか。


 ひどい人だと思う。ひどい事をされたと思う。それでも、他の誰かにアルマンを責めてほしくなかった。

 そんな身勝手なリーゼの願いを、クリューガーは正確に読み取ってくれたのだ。


「思ったより頑固なところも好きです。眉間にこう、しわを寄せて」

「そんな顔しないわ!」

「笑った顔が好きです。とても可愛い」

「それは……あなたもそうね……?」

「怒った顔も好きです。今のはものすごく可愛かった」

「それはあなたのせいでしょう!」

「泣いた顔も可憐ですが、少し悲しい。できれば見たくはありません」

「あなたの泣く顔も見たくはないわ」

「エルフィリーゼ様、ゲームになっていませんよ」


 そこでクリューガーがおかしそうに笑った。


「まだまだたくさん好きなところはあるので、俺が負ける気はしませんね。だから、次は制限をかけましょう。前の人と同じ内容はなしで。いいですか?」

「いいわよ」


 リーゼは意気込んで頷いた。



 ――その日から、彼とのゲームは毎晩続いた。



 彼はリーゼの好きなところをいくつも挙げた。それは本当に驚嘆すべきほどの数で、リーゼが勝てた事は一度もなかった。

 逆にリーゼが挙げるクリューガーのいいところは、最初はひどくおぼつかなかった。


 前の人と同じ内容は禁止のため、同じ事を二度言ったり、思いつかなくて降参したり。それでも少しずつ、挙げられる数が増えていった。


 このころには、アルマンの話題が出ない日もあった。

 決して忘れたわけではないが、口にしなくても我慢できた。

 胸は痛んだままだけれど、微笑む事さえできていた。

 クリューガーはやはり何も言わず、その姿を見守っているようだった。


 やがて、最後の日が訪れた。


「気持ちは変わりましたか、エルフィリーゼ様」

 クリューガーはいつもと同じ表情をしていた。


「最初の日、あなたは病んでもいいと言った。その方が幸せだからと。今でもそうお思いですか?」

「……いいえ」

 リーゼは静かに首を振った。


「今はそう思わない。変わったわ、私」

「それはよかった」

「病んでいたのね、私。それがよく分かったわ」


 それに、とリーゼは内心で付け加えた。

 彼は病むと言ったが、本当はそうではない。

 リーゼはこの世界から消えたかった。

 あの日からずっと、そう思ってきたのだ。

 けれど、今はもう思わない。


「賭けは私の負けね、クリューガー」

「では、一緒に来てくれますか」

「……ええ、いいわ」


 今でも胸はじくじくと痛む。

 この痛みは生涯消えないかもしれない。けれど、それは血を流し続ける痛みではなく、癒えない古傷の痛みにも似ていた。


「人間の国には行ったことがないの。どういう国か教えてくれる?」

「ええ、いいですよ。向こうに着いたら、色々なところへ連れて行きます。湖もあるし、森もある。大きな町も、海だってありますよ」

「楽しみだわ。お願いね」


 このままこの国にいても、アルマンの機嫌を損ねるだけだ。

 アルマンはリーゼを愛さない。彼は番を解消した。

 それを認める事はひどく辛かったけれど、以前よりは耐えられる。そんな気がした。


「……私がいなくなったら、アルマン様は喜ぶかしら」

「どうでしょうね。俺にはなんとも」

「せめて喜んでいただけたらいいのだけれど……」


 そうしたら、少しだけ慰められる。

 最後にアルマンにしてあげられる事があるのは幸運だった。それがリーゼとの離別なら、これ以上ない贈り物だろう。


「――俺の調べた限りでは」

 クリューガーが唐突に口を開いた。


「番を感じない獣人はいても、番を愛さない獣人はいません」

「クリューガー?」

「最初は番を愛さなくても、いつか必ず好意を抱く。程度の差はあれ、どの獣人もそうでした」


 彼はよどみなく後を続ける。


「俺が思うに、硬い殻のようなものではないでしょうか」

「殻……?」

「獣人は皆、心に殻を持っている。番と出会うことでその殻が割れ、番のことを愛しく思う。獣人の中に眠る本能が、番を見つけて目覚めるためです」


 だがごく稀に、その殻が割れない事がある。


「目覚めない種か、頑固なヒナのようなものですね。でも、種やヒナと違って、獣人のそれはいつか目覚める。俺はそう思います」


 硬い殻が割れるように、瑞々しい若葉が芽吹くように。

 そしてその時、彼らは初めて知る感情に呑み込まれるだろう。

 これは俺の想像ですがと前置きしたうえで、クリューガーは言った。


「エルフィリーゼ様の想いに見合うだけの心が、あの方に育っていなかっただけかもしれません。あなたが悪いわけじゃない」


 いつかそれは成長して、花を咲かせるかもしれない。

 今のリーゼがそうであるように。


「そうなったら……戻ればいいですよ」

「ええ、そうね。ありがとう」


 そんな日が来る事はないとリーゼは思った。

 これがリーゼを慰めるための作り話だと知っていた。

 けれど、クリューガーのやさしさが嬉しかった。


 クリューガーはいつも通り微笑んでいる。その目に浮かぶ複雑な色は、今のリーゼには読み取れない。


 この人のたたずまいが好ましいと思う。

 この人の話す言葉が素敵だと思う。

 この人に呼ばれる自分の名前が、リーゼは好きだ。

 その時ふと、リーゼは自分の胸を押さえた。


「……あら?」

「どうかしましたか、エルフィリーゼ様?」

「いいえ、なんでもないの。気のせいみたい」


 ずっと痛んでいたはずの胸が、ふと楽になったのだ。

 自分でも気づかないほどの、ささやかな変化。

 それは小さな一歩であり――やがては大きな変革を呼ぶ。


「お父様とお母様にも話をしないとね。あなたも一緒に来てくれる?」

「もちろんです」

 というか、打診はしてありますと白状する。


「あくまでもエルフィリーゼ様のお気持ち次第ということで、先に了解は取りました。なので、実はひやひやしていました」

「まぁ、クリューガーったら」


 目を丸くした後で、くすっと笑う。そこでリーゼは思い出した。


「そういえば、言葉遣いも直さないといけないわね。私はアルマン様の番ではないんだもの」

「構いませんよ。もう慣れましたし、親しく話していただけるのは嬉しいですし」

「でも、あなたの方が身分が上なのよ?」

「だったら、こういうのはどうですか」


 そこでクリューガーは笑みを深めた。


「たまには俺が歩み寄って、砕けた口調になります。その時はエルフィリーゼ様も付き合ってください。そうすれば、おあいこでしょう?」

「そう……なのかしら?」

「ええ、そうです。――少なくとも、そうしてくれると俺は嬉しい」


 それならいいかもしれないとリーゼは思った。

 この人の望む事を、ひとつくらいは叶えてあげたい。

 外国に行くのはリーゼへの思いやりだ。だから、これくらいは。


「じゃあ、そうするわ」

「よろしく、エルフィリーゼ様」

「こちらこそ」


 二人は微笑み合って挨拶を交わした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ