4.
***
「お前との婚約を破棄する」
アルマンに言われた事が、リーゼは理解できなかった。
「なぜ……? なぜです?」
「説明されないと分からないのか。俺の番は、マリー……いや、マリーリアの方だったのだ。お前は番などではない、この偽物め」
アルマンは冷ややかな目でリーゼを見ていた。
「そ、そんなはずはありません。私は確かにアルマン様の番です」
「それをどう証明する」
鋭く言われ、リーゼはぽかんと立ち尽くした。
証明するも何も、番は出会ったらそれと分かる。
クリューガーのように、番を感じにくい獣人はいる。けれど、彼らも番を愛しく思う。理由は分からないまま、番と恋に落ちるのだ。それは誰でも変わらない。
けれど、アルマンは違う。
彼のような症状を持つ獣人は稀だった。
番を感じるが、愛さない。
それは数少ない例外であり、対処法はない。
「アルマン様にはお分かりのはずです。私たちが出会った時、番だと言ってくださったではありませんか」
「あの時は確かにそう思った。だが、お前はおかしいと思わないのか?」
「何を……」
「俺がいつまでもお前を愛さないことをだ。本物の番なら、お前を愛しく思うはずだ」
違うか、とアルマンが問う。リーゼは思わず息を呑んだ。
それはあの日からずっと、リーゼも感じていた事だ。
なぜ彼が自分を愛さないのか。
番だと分かっているのに、愛しく思う感情は育たない。それは獣人ならありえない事だった。
アルマンの特異な体質のせいだと思っていたが、まさか、そうではないのだろうか。
「俺はマリーにこそ運命を感じた。一目見た瞬間、心を奪われた。こんな感情は初めてだった。確かに番とは分からなかったが、俺はマリーを愛しく思う。それこそが、本物の番と言えるのではないか?」
「わ……わたくしも……」
そばに控えていたマリーリアが声を上げる。
「初めてお会いした時、アルマン様を番だと思いました。はっきりとは分かりませんけれど、そうではないかと。ですが、アルマン様にはエルフィリーゼ様がいらっしゃいます。わたくしの感覚など、あてにならないと思っていたのに……」
「俺も同じ気持ちだ、マリー」
華奢な手は細かく震えていたが、アルマンがなだめるように握りしめると、ほっとしたように微笑んだ。
親しげな仕草に、ズキリとリーゼの胸が痛む。
それに勇気づけられたように、マリーリアが口を開いた。
「エルフィリーゼ様はどうお考えですか?」
「私……?」
「アルマン様を愛しているのは、エルフィリーゼ様だけ。だとすれば、それは番と言えるのですか?」
「どういう……」
「アルマン様の体質を利用して、そう思い込ませたのではないですか?」
「そんなことはしていないわ。それに、アルマン様は私を愛していないだけで、番だと言ってくださった。そうでしょう、アルマン様?」
「だから、それが勘違いだったと言っている」
アルマンの口調は冷たかった。
「俺は番を感じるが、愛せないのだと思っていた。だが、今はどうだ。俺はマリーを愛しているし、マリーに運命を感じている。それが番を感じるということなのではないか」
「違います。番は、そのようなものでは……」
言いかけたリーゼは黙り込んだ。
出会った瞬間にそれと分かり、運命のように惹かれ合う。
彼らとリーゼと、一体何が違うのだろう。
アルマンは番を愛せないだけだと思っていた。だが、もし、そうではなかったら?
リーゼを番と思ったのが間違いで、マリーリアとの出会いが本物なら。
リーゼは彼を番だと思っている。けれど、それがそもそも間違っていたら?
番を間違えるなんて聞いた事もない。けれど、アルマンは特殊な例だ。番を愛せない体質だからこそ、番を取り違える可能性は十分にある。
もしもそうだったら、とリーゼは考えた。
リーゼは彼の番などではなく、番の座をかすめ取った偽物だ。
「分かったな、リーゼ。お前は俺の番などではない」
「アルマン様……」
「番でない以上、お前との婚約は破棄する。もちろん番も解消だ。今後二度と、俺に関わることは許さない」
「そんな……私は」
「俺の番はマリーリアだ。俺はマリーと番になり、今度こそ幸せになる。お前のような偽物と違い、マリーは本物の番なのだから」
「嬉しい、アルマン様!」
アルマンに抱きついたマリーリアが、ちらりとリーゼの方を見た。
申し訳なさそうな、可憐な顔。
その唇がわずかに動き、ほくそ笑むように持ち上がる。
「――――!」
言葉よりも雄弁に語った表情は、はっきりリーゼを見下していた。
リーゼはアルマンに詰め寄った。
「待ってください。もう一度よく確かめてください。番を間違えるなんてありえない。どうか、どうか、お願いします。もう一度っ……」
「しつこいぞ、リーゼ」
「私はアルマン様の番です。あの時確かに感じました。それは今でも続いています。アルマン様もそうだったではありませんか!」
「あんなのは気の迷いだ。うぬぼれるな」
「番は互いに惹かれ合います。あの時番と思ったなら、間違えるはずがありません。私はあなたの番です。どうか、お願いです。信じて……!」
リーゼは必死だった。
どんな事情があるにせよ、このままではアルマンを失ってしまう。そんな事は嫌だった。
獣人にとって、番はかけがえのない存在だ。
こんな形で失うなんて信じられない。リーゼはまだ、彼の番であるというのに。
リーゼの番が別の女性を番だと言い、愛していると口にする。悪い夢でも見ているようだった。
「お前との婚約は破棄する、リーゼ。これは決定だ」
「アルマン様……嫌です」
「二度と俺の番だと口にするなよ。お前は番などではない」
「嫌です、アルマン様……」
「お前はただの偽物だ。お前を愛してなどいない」
「……いや……」
「俺が愛するのはマリーだけだ。愛しいマリー、彼女こそが俺の番だ」
「アルマン様……わたくしも」
やめて、とリーゼは思った。
やめて、やめて、やめて。
この人を奪わないで。
私の手から取り上げないで。
冷たくしてもいい。馬鹿にされても構わない。愛されなくても我慢する。
だから、どうかそれだけは。
(お願い)
許して。
――私の半身をもぎ取らないで。
そんな事をされたら、きっと生きていられない。
リーゼの目に涙が浮かび、こらえる間もなく伝い落ちた。泣かないようにしていた事さえ、頭の中から消え去っていた。
「分かったなら、さっさと出て行け」
いいか、とアルマンが指を突きつける。
「お前との番は解消する。罰を与えないだけありがたいと思え。まったく、顔を見るのも忌々しい」
「アルマン様……」
「厚かましく俺の名を呼ぶな。偽物が」
偽物。
その一言は、リーゼの心を深く切りつけた。
「出て行け。二度と顔も見たくない」
そう言うとアルマンが背を向ける。マリーリアも踊るような足取りで後に続いた。
去り際、ちらりとリーゼを振り向いて、ふふっと笑う。
後には、絶望に打ちひしがれたリーゼだけが残された。
***
それから十日、リーゼは自室に引きこもっていた。
ひとり残ったリーゼを見つけたのはクリューガーだった。
呆然と涙を流し続けるリーゼに、何かの異変を悟ったらしい。彼はすぐに馬車を呼び、リーゼを屋敷に運んでくれた。
食事どころか、言葉さえ失った娘の様子に、リーゼの両親も驚愕していた。何か聞こうとしても答えられず、ただ涙を流し続ける。リーゼは部屋に通されて、そのままベッドへと寝かされた。
体中の水分を出し尽くすほど泣いた後は、果てしない絶望が襲ってきた。
この先アルマンはいないのだ。
リーゼの番で、たったひとりの大切な人。
彼から要らないと言われた以上、番でいる事はできない。
他種族ではそういう事もあると聞いた。でも、まさか――自分が。
このまま消えてしまいたい。
もう二度とあの人に会えないくらいなら、ここからいなくなってしまいたい。
アルマンはリーゼのすべてだった。
獣人なら誰もが感じるものだ。
他種族には理解できないかもしれない。執着と愛情、狂おしいまでの熱情は、獣人にとって当然の感情だ。それが獣人を強くして、幸運さえもたらしてくれるのだから。
けれど、アルマンはそうではなかった。
「……人間なら、よかった……」
うつろな目でリーゼは呟いた。
人間ならば、こんな感情とは無縁でいられるのに。
もしくはクリューガーのように、番を感じにくい体質なら。
彼らは自分で相手を見つけ、自分の意志で寄り添うのだ。それはどんなに素晴らしい事だろう。本能で惹かれ合う番と違い、相手を知り、少しずつ歩み寄っていき、やがては愛し愛される。
もしそうなら、どれほどよかっただろう。
命を絶ちたかったけれど、それはアルマンに禁じられた。マリーリアとの関係に汚れをつけるなと命じられ、リーゼは諾々と従った。こんな時でさえ、彼に命じられたのが嬉しかった。それがリーゼの命を繋ぎ留め、ただこの世に存在している。
クリューガーがやって来たのはそんな時だった。
「外国に行ってみませんか、エルフィリーゼ様」
久々に会う彼は、少し痩せたようだった。
「俺の母親の母国はご存じですね。人間の国が、俺を必要としているそうです」
「人間の国……?」
「身元の確かな者をということで、俺の名前が挙がりました。あちこちに行ってもらうので、身軽な若者がいいと。あとはその、まあ、能力的な問題ですね」
聞けば、人間の国と本格的な交流を始めるにあたり、優秀な者に折衝役を任せたいという事だ。
もちろん主となる者は別にいるが、クリューガーの年齢で抜擢されるのは異例らしい。
さらりと経緯を告げた彼は、「まあ、一番は俺が混血だからですね」と苦笑した。
「ずっと断っていましたが、気が変わりました。エルフィリーゼ様さえよかったら、考えてくれませんか」
「……なぜ、気が変わったの?」
「色々事情がありまして。あれこれ雑務を済ませていたら、思った以上に時間がかかってしまいましたが」
参りました、とクリューガーが頭をかく。
「あちらに行ったら、当分は戻ってこられないそうです。だから、エルフィリーゼ様。一緒に行きませんか?」
「私が……なぜ?」
「俺がエルフィリーゼ様と一緒に行きたいからです。それだけではいけませんか?」
「いけなくはないけれど……無理よ」
リーゼはすぐに首を振った。
こんな悲しい気持ちのまま、どこにも行く事などできない。
アルマンを失った絶望はリーゼに重くのしかかり、押しつぶそうとしていた。
「私はどこにも行かない。この国にいるわ」
「この国にいたら、エルフィリーゼ様が病んでしまう。お願いだから、俺と一緒に来てください」
「病んでもいいわ。その方が幸せだもの」
「あなたにとってはそうでしょう。ですが、俺は違います」
言ったでしょう、とクリューガーは口にした。
「番は呪いにも似ていると。それを証明するために、賭けをしませんか」
「賭け……?」
「あなたが勝ったら、アルマン様に会わせます。文句は言わせない。どんな手を使っても、もう一度あなたに会わせます。あの性悪な女は抜きで」
「クリューガー……本当に?」
「約束します。でも、もし、俺が勝ったら、一緒に来てくれませんか。エルフィリーゼ様」
リーゼは目を見張ったが、ためらう事なく頷いた。
「いいわ。何をすればいいの?」
「簡単です。俺と話をしてください」
「話?」
「三か月の間、俺と会って話してください。話題はエルフィリーゼ様の好きなことでいい。三か月が過ぎた時、気持ちが変わっていたら俺の勝ち。変わらなかったらあなたの勝ちです」
「それだけ?」
「ええ、それだけです」
思った以上に簡単な事に拍子抜けしたが、それが過ぎればアルマンに会える。
リーゼはそれを了承した。