3.
***
翌日は夜会だった。
いつも通り、アルマンはリーゼ以外の女性を伴って参加した。
婚約者であるリーゼを差し置いての行動に、周囲も眉をひそめている。だがアルマンは気にしていないようだった。
リーゼは不参加にしたかったが、「お前も来い」とアルマンに命じられて、仕方なく従った。
付き添ってくれたのはクリューガーだった。
アルマンの命令だったが、もしかすると口添えしてくれたのかもしれない。確かに、他の人では腫れ物を扱うようにされるか、馬鹿にされるかの二択である。彼が引き受けてくれてほっとした。
「今日は一段とお綺麗ですね」
「ありがとう、お上手ね」
「踊らなくてよろしいんですか?」
「ええ、それは命じられていないもの」
アルマンの前で、別の男性と踊るのは気が引けた。
クリューガーは気にした様子もなく、飲み物を運んだり、疲れてはいないかと椅子を勧めたり、かいがいしく世話を焼いてくれた。それはあまりにもさりげなく行われたので、気づいている者はいなかった。
(相変わらず、すごいわ……)
今日は護衛の当番でもないので、リーゼを全力で世話している。
どこか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
その時、リーゼはふと目をやった。
アルマンのそばに近づいた誰かが、やけに目を惹く気がした。
それは若い娘だった。
目の覚めるような青いドレスを身にまとい、美しい金髪を結い上げている。清楚で、可憐で、はっとするほど美しい少女。
彼女を見たアルマンが、ぽかんと口を開けたのを見た。
その目がみるみる輝いて、精悍な頬を紅潮させる。
――あ。
どうしようとリーゼは思った。
胸が、痛い。
アルマンが立ち上がると、少女は胸に手をやった。
差し出された手をおずおずと取り、わずかに頬を染める。
初々しい仕草に、アルマンが吐息をこぼしたのが見えた。
視線は少女から離さない。熱に浮かされた目で少女を見つめ、すべるように一歩踏み出す。ごく自然に始まったダンスは、物語の始まりのようだった。
「エルフィリーゼ様」
「……帰るわ」
それ以外に何ができただろう。
クリューガーも無言で後に続いた。
せめてもの助けにか、エスコートの腕を出される。だがリーゼは首を振った。
それは必要ない。少なくとも、今のリーゼには。
この場を離れるまで泣いてはいけない。
それだけを考えながら、リーゼはひたすら外を目指した。
***
その日から、アルマンの態度は変わった。
少女を自分のそばに置き、片時も離さないようになったのだ。
彼女の名前はマリーリア。柔らかな金髪と、あの日のドレスの色と同じ、鮮やかな青い瞳を持っていた。
彼女は山猫の獣人であり、あの日が夜会に出た最初らしい。年齢はリーゼよりもひとつ下、身分は子爵令嬢だった。
「同じ金髪とはいえ、お前とはずいぶん違うな。リーゼ」
マリーリアの巻き毛を一房すくい、アルマンがちらりとリーゼを見る。
リーゼの髪はまっすぐで、彼女ほどはっきりとした色合いではない。
「目の色もまったく違う。マリーの瞳は宝石のようだ」
リーゼの目は琥珀色だが、彼女と比べれば石ころだった。
黙ってうつむいていると、穏やかな声がかかった。
「琥珀も美しい宝石ですよ、アルマン様」
「クリューガーか」
その顔を見たアルマンが肩をすくめる。
「お前は相変わらず、リーゼに甘いのだな。いくら俺の番とはいえ、そんなに肩入れする必要はあるまい」
「そういうわけではありません。事実ですから」
今の彼はアルマンの護衛から離れ、別の仕事をこなしていた。
護衛は他にも多数いるから、彼ひとりが抜けても問題ない。
アルマンはそれが不満なようだが、命令ならば仕方ない。抜きん出て優秀な彼が、上層部から目をかけられているのは知っていた。
今も仕事の最中のようだったが、彼はリーゼの視線に気づくとにこりと笑った。
それだけで少し心がほぐれる。
クリューガーは朗らかに後を続けた。
「琥珀は長い年月をかけ、形作られる宝石です。樹脂が固まり、気が遠くなるほどの日々を経て、化石となり、初めて宝石と呼ばれます。エルフィリーゼ様の思いと同じ、貴重な輝きではありませんか」
「だが、サファイアの美しさには及ぶまい」
アルマンは見下す態度を隠そうともしなかった。
「化石は所詮、化石だ。宝石の輝きには敵わない」
「…………」
「マリーは俺の宝石だ。マリー、マリーリア。どうだ、名前まで美しい」
彼女の名を呼ぶアルマンは、とろけそうな顔をしていた。
「やめてください、アルマン様」
少女も恥ずかしそうにそれを受ける。
「わたくし、照れてしまいます。恥ずかしいわ」
「美しいだけでなく、奥ゆかしいのだな。お前は」
それに比べて、とアルマンがリーゼを見る。
「お前はなんと厚かましい女なのだ、リーゼ。俺がマリーと一緒にいるのに、これ見よがしにそばにいるとは」
「そのようなことは……」
「気を利かせて、さっさと立ち去れ。無礼であろう」
「アルマン様」
さすがにクリューガが咎めたが、リーゼは「やめて」と首を振った。
「いいの、私が悪いの。……申し訳ありません、アルマン様。まったく気づかずに、失礼な真似をしてしまいました」
「分かっているなら、その辛気臭い顔をこれ以上見せるな。不愉快だ」
「っ……」
さすがに息が止まったが、リーゼはなんとか呑み込んだ。
「――申し訳ありません。それでは、失礼いたします」
「ああ、クリューガー。お前がリーゼを送っていけ。確実に城の外まで出たことが分かるようにな」
アルマンが馬鹿にした顔で命じる。
クリューガーは何か言いかけ、「かしこまりました」と頭を下げた。
***
リーゼは急いで歩いていたが、すぐにクリューガーに追いつかれた。
「心配しなくても、ちゃんと帰るわ。あなたは仕事に戻ってちょうだい」
「そういうわけにはいきません。送りますよ」
「アルマン様にそう命じられたから?」
少し意地悪な気持ちで聞くと、彼ははっきりと首を振った。
「あなたが心配だからです。エルフィリーゼ様」
「……ごめんなさい」
目を伏せたリーゼに、クリューガーは「いいえ」と笑った。
「怒る元気があれば何よりです。いくらでも八つ当たりしてくださって構いませんよ」
「……あなた、意外と意地悪だわ」
「エルフィリーゼ様に怒られるなら、悪くないかもしれませんね」
「怒らないわ。怒れないもの」
足をゆるめると、クリューガーも歩調を合わせた。
「……私は、あの方の番よね?」
「ええ、そうですね」
「私にはまだ価値がある。そう思っていただけているわよね?」
「ええ、きっと」
「そばにいられるだけでいい。それを許していただけるなら、どんなことでも我慢するわ」
彼はきっと、あの少女に恋をしたのだろう。
きっと今まで以上にリーゼは軽んじられる。今日のような出来事が、この先もたくさんあるだろう。彼はリーゼを傷つけて、突き放し、追い詰めて、痛めつける。猫がネズミをいたぶるように。
それでも、どうしても――嫌いにはなれないのだ。
「私はアルマン様の番よ。今はもう、それだけでいいの」
「エルフィリーゼ様……」
「馬鹿みたいよね。笑っていいわ」
だって、とリーゼは思った。
それがリーゼの唯一の拠り所なのだ。
それさえなくなったら、きっと生きていられない。
「……笑いませんよ」
クリューガーは眉を寄せていた。
「笑うはずないでしょう。俺があなたを笑うなんて、この先もずっとありえません」
「ありがとう、クリューガー」
「俺は琥珀の方が好きです。あなたの目の色と同じ、綺麗な石だ」
「お上手ね、相変わらず」
「本当ですよ、エルフィリーゼ様」
アルマン以外の男性に褒められているのに、なぜか嫌だとは思わなかった。
彼の思いやりが、今だけはすんなりと心に馴染んだ。
気持ちが弱っているせいだろうか。クリューガーの与えてくれる言葉が身に染みる。
琥珀は確かに化石だけれど、宝石でもあるのだ。黄金色の輝きに包まれた、気が遠くなるほどの時間を経て育まれた石。
それを好きだと言ってくれたこの人が、とてもまぶしい。
「……ええ、そうね、クリューガー」
この人を好きになれたらよかった。
そう思っても、もう嫌悪感は覚えなかった。
「あなたと知り合えて幸せだわ、私」
「ええ、そうですね。俺も」
「いつか遠くへ行っても、たまには顔を見せてちょうだい。きっと私、あなたをなつかしく思うはずだもの」
アルマンと結婚した後、リーゼが外の世界に行く事はないだろう。アルマンの護衛をやめたクリューガーと会う機会もなくなるはずだ。彼は身分と能力を買われ、外国へ行く事を打診されている。
彼にその気はないようだったが、いつ気が変わるか分からない。
そう思って言うと、彼は少し沈黙した。
「……そうですね。約束します」
「きっとよ。アルマン様も喜ぶわ」
それはいつか訪れる未来のはずだった。
――そのはず、だったのに。