表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

3.


    ***



 翌日は夜会だった。

 いつも通り、アルマンはリーゼ以外の女性を伴って参加した。

 婚約者であるリーゼを差し置いての行動に、周囲も眉をひそめている。だがアルマンは気にしていないようだった。


 リーゼは不参加にしたかったが、「お前も来い」とアルマンに命じられて、仕方なく従った。

 付き添ってくれたのはクリューガーだった。

 アルマンの命令だったが、もしかすると口添えしてくれたのかもしれない。確かに、他の人では腫れ物を扱うようにされるか、馬鹿にされるかの二択である。彼が引き受けてくれてほっとした。


「今日は一段とお綺麗ですね」

「ありがとう、お上手ね」

「踊らなくてよろしいんですか?」

「ええ、それは命じられていないもの」


 アルマンの前で、別の男性と踊るのは気が引けた。

 クリューガーは気にした様子もなく、飲み物を運んだり、疲れてはいないかと椅子を勧めたり、かいがいしく世話を焼いてくれた。それはあまりにもさりげなく行われたので、気づいている者はいなかった。


(相変わらず、すごいわ……)


 今日は護衛の当番でもないので、リーゼを全力で世話している。

 どこか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 その時、リーゼはふと目をやった。

 アルマンのそばに近づいた誰かが、やけに目を惹く気がした。


 それは若い娘だった。


 目の覚めるような青いドレスを身にまとい、美しい金髪を結い上げている。清楚で、可憐で、はっとするほど美しい少女。

 彼女を見たアルマンが、ぽかんと口を開けたのを見た。

 その目がみるみる輝いて、精悍な頬を紅潮させる。



 ――あ。



 どうしようとリーゼは思った。

 胸が、痛い。


 アルマンが立ち上がると、少女は胸に手をやった。

 差し出された手をおずおずと取り、わずかに頬を染める。

 初々しい仕草に、アルマンが吐息をこぼしたのが見えた。


 視線は少女から離さない。熱に浮かされた目で少女を見つめ、すべるように一歩踏み出す。ごく自然に始まったダンスは、物語の始まりのようだった。


「エルフィリーゼ様」

「……帰るわ」


 それ以外に何ができただろう。

 クリューガーも無言で後に続いた。

 せめてもの助けにか、エスコートの腕を出される。だがリーゼは首を振った。

 それは必要ない。少なくとも、今のリーゼには。


 この場を離れるまで泣いてはいけない。

 それだけを考えながら、リーゼはひたすら外を目指した。



    ***



 その日から、アルマンの態度は変わった。

 少女を自分のそばに置き、片時も離さないようになったのだ。

 彼女の名前はマリーリア。柔らかな金髪と、あの日のドレスの色と同じ、鮮やかな青い瞳を持っていた。


 彼女は山猫の獣人であり、あの日が夜会に出た最初らしい。年齢はリーゼよりもひとつ下、身分は子爵令嬢だった。


「同じ金髪とはいえ、お前とはずいぶん違うな。リーゼ」


 マリーリアの巻き毛を一房すくい、アルマンがちらりとリーゼを見る。

 リーゼの髪はまっすぐで、彼女ほどはっきりとした色合いではない。


「目の色もまったく違う。マリーの瞳は宝石のようだ」


 リーゼの目は琥珀色だが、彼女と比べれば石ころだった。

 黙ってうつむいていると、穏やかな声がかかった。


「琥珀も美しい宝石ですよ、アルマン様」

「クリューガーか」

 その顔を見たアルマンが肩をすくめる。


「お前は相変わらず、リーゼに甘いのだな。いくら俺の番とはいえ、そんなに肩入れする必要はあるまい」

「そういうわけではありません。事実ですから」


 今の彼はアルマンの護衛から離れ、別の仕事をこなしていた。

 護衛は他にも多数いるから、彼ひとりが抜けても問題ない。

 アルマンはそれが不満なようだが、命令ならば仕方ない。抜きん出て優秀な彼が、上層部から目をかけられているのは知っていた。


 今も仕事の最中のようだったが、彼はリーゼの視線に気づくとにこりと笑った。

 それだけで少し心がほぐれる。

 クリューガーは朗らかに後を続けた。


「琥珀は長い年月をかけ、形作られる宝石です。樹脂が固まり、気が遠くなるほどの日々を経て、化石となり、初めて宝石と呼ばれます。エルフィリーゼ様の思いと同じ、貴重な輝きではありませんか」

「だが、サファイアの美しさには及ぶまい」


 アルマンは見下す態度を隠そうともしなかった。


「化石は所詮、化石だ。宝石の輝きには敵わない」

「…………」

「マリーは俺の宝石だ。マリー、マリーリア。どうだ、名前まで美しい」


 彼女の名を呼ぶアルマンは、とろけそうな顔をしていた。


「やめてください、アルマン様」

 少女も恥ずかしそうにそれを受ける。


「わたくし、照れてしまいます。恥ずかしいわ」

「美しいだけでなく、奥ゆかしいのだな。お前は」

 それに比べて、とアルマンがリーゼを見る。


「お前はなんと厚かましい女なのだ、リーゼ。俺がマリーと一緒にいるのに、これ見よがしにそばにいるとは」

「そのようなことは……」

「気を利かせて、さっさと立ち去れ。無礼であろう」

「アルマン様」

 さすがにクリューガが咎めたが、リーゼは「やめて」と首を振った。


「いいの、私が悪いの。……申し訳ありません、アルマン様。まったく気づかずに、失礼な真似をしてしまいました」

「分かっているなら、その辛気臭い顔をこれ以上見せるな。不愉快だ」

「っ……」

 さすがに息が止まったが、リーゼはなんとか呑み込んだ。


「――申し訳ありません。それでは、失礼いたします」

「ああ、クリューガー。お前がリーゼを送っていけ。確実に城の外まで出たことが分かるようにな」


 アルマンが馬鹿にした顔で命じる。

 クリューガーは何か言いかけ、「かしこまりました」と頭を下げた。



    ***



 リーゼは急いで歩いていたが、すぐにクリューガーに追いつかれた。


「心配しなくても、ちゃんと帰るわ。あなたは仕事に戻ってちょうだい」

「そういうわけにはいきません。送りますよ」

「アルマン様にそう命じられたから?」


 少し意地悪な気持ちで聞くと、彼ははっきりと首を振った。


「あなたが心配だからです。エルフィリーゼ様」

「……ごめんなさい」

 目を伏せたリーゼに、クリューガーは「いいえ」と笑った。


「怒る元気があれば何よりです。いくらでも八つ当たりしてくださって構いませんよ」

「……あなた、意外と意地悪だわ」

「エルフィリーゼ様に怒られるなら、悪くないかもしれませんね」

「怒らないわ。怒れないもの」


 足をゆるめると、クリューガーも歩調を合わせた。


「……私は、あの方の番よね?」

「ええ、そうですね」

「私にはまだ価値がある。そう思っていただけているわよね?」

「ええ、きっと」

「そばにいられるだけでいい。それを許していただけるなら、どんなことでも我慢するわ」


 彼はきっと、あの少女に恋をしたのだろう。

 きっと今まで以上にリーゼは軽んじられる。今日のような出来事が、この先もたくさんあるだろう。彼はリーゼを傷つけて、突き放し、追い詰めて、痛めつける。猫がネズミをいたぶるように。


 それでも、どうしても――嫌いにはなれないのだ。


「私はアルマン様の番よ。今はもう、それだけでいいの」

「エルフィリーゼ様……」

「馬鹿みたいよね。笑っていいわ」


 だって、とリーゼは思った。

 それがリーゼの唯一の()り所なのだ。

 それさえなくなったら、きっと生きていられない。


「……笑いませんよ」

 クリューガーは眉を寄せていた。


「笑うはずないでしょう。俺があなたを笑うなんて、この先もずっとありえません」

「ありがとう、クリューガー」

「俺は琥珀の方が好きです。あなたの目の色と同じ、綺麗な石だ」

「お上手ね、相変わらず」

「本当ですよ、エルフィリーゼ様」


 アルマン以外の男性に褒められているのに、なぜか嫌だとは思わなかった。

 彼の思いやりが、今だけはすんなりと心に馴染んだ。

 気持ちが弱っているせいだろうか。クリューガーの与えてくれる言葉が身に染みる。


 琥珀は確かに化石だけれど、宝石でもあるのだ。黄金色の輝きに包まれた、気が遠くなるほどの時間を経て育まれた石。

 それを好きだと言ってくれたこの人が、とてもまぶしい。


「……ええ、そうね、クリューガー」


 この人を好きになれたらよかった。

 そう思っても、もう嫌悪感は覚えなかった。


「あなたと知り合えて幸せだわ、私」

「ええ、そうですね。俺も」

「いつか遠くへ行っても、たまには顔を見せてちょうだい。きっと私、あなたをなつかしく思うはずだもの」


 アルマンと結婚した後、リーゼが外の世界に行く事はないだろう。アルマンの護衛をやめたクリューガーと会う機会もなくなるはずだ。彼は身分と能力を買われ、外国へ行く事を打診されている。

 彼にその気はないようだったが、いつ気が変わるか分からない。

 そう思って言うと、彼は少し沈黙した。


「……そうですね。約束します」

「きっとよ。アルマン様も喜ぶわ」


 それはいつか訪れる未来のはずだった。


 ――そのはず、だったのに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ