ペンデュラム航空第18便墜落事故犠牲者慰霊碑
事故から2カ月経って、募金を募って慰霊碑が完成した。海岸から5キロほど離れた自然公園の中に設置されたと、セロリの説明は続く。
ここにはもともとペンデュラムが戦時中の頃に海軍が使っていた砲台が残されており、終戦を象徴する歴史遺産として、その周辺を整備し保存されていた。
その公園内に慰霊碑が追加されたという感じだ。献花台も設置され、たくさんの花や温かい飲み物、お菓子や、死者へのメッセージを綴った寄せ書きが置かれている。
さらにその2カ月後には、熱意ある捜査の甲斐あって、事故の原因は飛行機の整備不良と断定された。
「第18便のメンテを受持っていた整備工場は、人件費削減で大幅に人員を減らしていたことがわかったんだ。
だけどその後も、残された作業員だけではとても間に合わない量の仕事を引き受けていた。納期に間に合わない機体は、ろくにネジも巻き直さずに、そのまま空港へ返されていたんだ。」
洗車だけして返ってきた車がエンストするように、整備不良の機体は飛行中に部品の破損を起こした。
そして制御の効かない動作がある中、無理に飛ばした機体は、他の部位にも有り得ない負荷をかけ、次々に不具合を起こしていったのだろう。
制御が効かない飛行機を操縦しながら、200人の乗客の命を預かっていたパイロットの心境は計り知れない。
その勇敢な英雄は、この時も冤罪でメディアの槍玉に挙がっていた。
季節は本格的な冬へ突入し、初雪のペンデュラムは真っ白な世界だ。セロリがゆっくりと息を吐くと、白い霧が出る。鼻が赤い。
寒いようで、暖かいような。眩しいようで、眠いような。消えそうなペンデュラムの街は、他のどの国とも違う静けさがある。
慰霊碑の前にはやがて、捜査本部に集まっていたチームが再び集まってきた。当時14歳、少年兵だったセロリと、現地警察官たち、航空会社の事故処理担当者に、自動車整備工場の工場長まで駆け付けてくれた。
「まだ逮捕という段階ではないけど、航空事故の原因を作ったかもしれないその人物に、警察が任意同行を求めるというので、俺達も一緒に行くことにしたんだ。
整備工場の中を見れば、フライト前、どういう現場に18便が置かれていたかがわかるから。」
その頃には、18便の事故の調査を行うチームにも結束感が芽生えていたという。
「何故あの事故が起きたのか、それが分からないと遺族は前に進めない。それを解き明かす為に動いているのは、俺達だけなんだ。そういう使命感があった。」
その後、18便が本来なら辿り着くはずだったブーケドエルの空港からも国境を越えて調査員が駆け付け、10人ほどの塊になって、一行は問題の飛行機整備工場へ向かった。
そしてそこで、本当の恐怖と対面することとなった…。