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追跡

 ――生きろと言われた。

 生きて笑えと。


 今際の際に彼が放ったその遺言(ことば)は――彼女にとって『呪い』となった。



  †


「『聖騎士』アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイムがラルクス外周の防壁結界を内側から破壊。単身で『魔の森』へと姿を消した」


 その一報を聞いた時、アークレイ家に仕える侍女――フェリシア=リースベルトは耳を疑った。


 場所はラルクス市内にあるアークレイ家の本邸。

 実用性重視の質素な執務室の中にはフェリシアと彼女の主人であるセリア以外誰の姿もなかった。


 氷のような薄い青色の髪と瞳。

 髪の長さは肩の辺りで綺麗に切り揃えられている。

 一流の人形師がその生涯を費やして造ったと思えるほど整った顔立ち。

 華奢でありながら優美な曲線を描く肢体は清楚な外見とは裏腹にいっそ蠱惑的ですらある。


 普段は感情を表に出さないフェリシアは、珍しくその端正な顔を驚愕に染めていた。


「それは、アウローラ様が役目を放棄し逃亡した……ということでしょうか?」


 努めて冷静にフェリシアは目前に座る主人に確認を取る。

 ただし、その内心では信じられない、という気持ちでいっぱいだった。


 それはアウローラの人間性を信頼して、というわけではなく。

 今のアウローラには自らの意志で行動するような熱量など欠片も残っていなかったからだ。


 アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。

 彼女は人魔大戦において『聖王』カイラードの近衛騎士として共に最前線で戦い続けた英傑の一人であり、そして聖王亡き後、『聖騎士』の称号を賜った当代の聖剣使いでもある。


 しかし、フェリシアに言わせれば聖騎士などという名からはほど遠く、その実態は課せられた役割を遂行するだけの無感動な傀儡だ。


 10年前、主君を亡くして以降は生きる理由も目的も見失い、抜け殻となった哀れな女。

 それがかつて英雄と謳われた騎士の成れ果てだった。


 そんな彼女が今更役目を放棄し逃亡するなど、フェリシアには信じられなかった。


「現段階では不明だ。本来あの女には『魔の森』の浄化時を除き、ラルクスを出ることは許されていない。それが結界を破壊し、無理矢理外へ出た以上、逃亡の可能性は否めない。……が、私は別の可能性を考えている」


「と言いますと?」


「あの女は腑抜けではあるが馬鹿ではない。お前の言うように仮に逃亡したというのであれば『魔の森』ではなく別の場所を目指すはずだ。わざわざ『魔の森』へ向かったのはそこに目的があるということだろう。フェリシア、『魔の森』には何がある?」


「『魔王の骸』と……そして、『聖剣』の片割れです」


「そうだ。聖剣の契約は魂の契約だと言う。聖剣には死者の魂をこの世に喚び戻す力もあるらしい。……かの『聖王』の魂が再びこの世界に還ってくるとしたら、きっと『そこ』なんだろう。だからこそ、アウローラは主を迎えに『魔の森』へ向かったんじゃないか?」


 聖王の復活。

 それは人魔大戦の終結以降、真しやかに囁かれていた噂だった。

 曰く、『聖剣』が選んだ真の担い手はただ一人。

 死した聖王の魂は世界を渡り、再び聖剣の下へ還ってくるのだという。


 眉唾モノの噂だ。

 常識のある者ならば一笑に付すようなレベルの。

 けれど―――


「例の聖剣の御託宣ですか。しかし彼女にはそのことは伏せていたはずでは?」


「そうだな。だが、曲がりなりにも現在の聖剣の契約者はあの女だ。聖剣自身がアウローラに真実を話していたとは思えないが、もしかしたら何らかの兆候を感じ取ったのかもしれん」


 そう言ってセリアは、トン、と指先で机を叩く。


 どちらにせよ、と言葉を続けるその表情には珍しく明確な苛立ちが含まれているようだった。


「このままあの女を放置するわけにはいかない。『聖剣』とその契約者の存在はラルクスにとっての生命線だ。事の経緯を見極め、確保せねばならん」


「……では、すぐに騎士団に捜索依頼を?」


「いや。……それではもう遅い」


 セリアはそこで一旦言葉を切ると、心底面倒そうに溜息をついた。


「既に第十七師団団長キース=アウグスト=ヴァイルシュタインがアウローラに対し反逆の意ありと見て追跡部隊を編成している。今のアウローラが連中に大人しく投降するとは思えん。追跡部隊がアウローラと接触すれば恐らく荒事になる。そうなる前にあの女を確保せねばならなくなった」


「そうなりますと……」


「ああ、お前は追跡部隊より早くアウローラに追いつき、あの女を連れ戻せ。急げよ。追跡部隊に死人の一人でも出ようものならすべてがご破算になる」



  †



 そんなセリアとの会話を思い返しつつ、フェリシアは夜の森を疾走していた。


 瑠璃色の魔力を身に纏い、身体能力を強化。

 地を這う獣のような前傾姿勢で落ちる枝葉すら置き去りにして『魔の森』を突き進んでいく。


『魔の森』はラルクスの南に位置する樹海だ。

 数多の魔獣が跋扈するこの広大な領域から人一人を捜すなど本来なら不可能に近いが、


「……本当に、とんでもない破壊力ですね」


 疾走の中、フェリシアは視界の端に映る惨状を横目に一人呟く。


 地面には所々にクレーターが出来上がり、そこに生えていた樹木は軒並み吹き飛ばされていた。

 周囲の岩や土砂は炭化したかのように黒く染まり、端々に魔獣だったモノの血と残骸が散乱している。


 まるで爆撃にでも晒されたかのような破壊の爪痕。

 間違いなくアウローラの持つ魔具『第九の剣軍(ザ・サウザンド)』によるものだ。


 破壊の痕は森の奥へと続いている。

 これ以上ないほどに分かりやすい足跡だった。


(これだけの力があって、どうして今まで……)


 唇を噛み締める。

 フェリシアの胸中に湧き上がるのはかつての英雄に対する歯痒さだった。


 確かに、かつてアウローラは主君を護れなかった。

 それもただ護れなかったのではなく、逆に主に護られるという最悪の形で死なせてしまった。


 騎士としては最も恥ずべき罪なのだろう。

 本来ならばすぐさま自害し、自らの命を以て贖わなければならないほどの。


 だが、そのことに対してフェリシアは責める気はない。


 フェリシアは戦場の過酷さをほんの一端であれ知っているし、ましてやアウローラたちが戦った相手は世界の三分の一を滅ぼしたあの『魔王』なのだ。


 その戦いは自分のような凡人には想像もつかないような地獄だったのだろう。


 そんな相手に立ち向かい、生還できたことを称えこそすれ、貶めることなどフェリシアには出来ない。

 己に不可能なことを他者に押し付け、それを糾弾するほど醜悪なことはないのだから。


 だからこそ、フェリシアが憤るのは別のこと。

 主亡き後、アウローラが自らの意思を持たず、無関心であり続けたことだ。


 フェリシアとて主を持つ身だ。

 主を失ったアウローラの気持ちは理解出来るし、その境遇には同情もしよう。

 きっと彼女の絶望は深く、その悲しみは計り知れないものだったのだろう。


 けれど、それでも。

 真に主のことを想うならば、アウローラは主の遺志を継ぎ、前を向いて戦わねばならなかったはずなのだ。


 だが、彼女はそうしなかった。

 ただ漫然と言われるがままに『魔の森』を浄化するだけで、それ以外は誇りも信念も無く、ただ無為に日々を過ごすだけの怠惰な人形に成り果てた。


 それがフェリシアには許せなかった。

 それは命懸けで彼女を救った主への冒涜だ。


 このような抜け殻を生かすためにあの偉大な王は犠牲になったのかと、心の底から失望した。


 そして人魔大戦の終結から10年。

 そんなかつての英雄への失望は、いつしか侮蔑へと変わっていった。



(……いえ、今は私の個人的な感情などどうでもいい。セリア様やラルクスのため、彼女を捜し連れ戻さなければ……)


 一瞬過った苛立ちと失望を振り払うように頭を振る。

 今は感傷に浸っている場合ではない。

 急ぎアウローラのもとへ辿り着かなければ。


 と、心の中で決意を固めると同時に―― 高速でこちらへ向かってくる魔力と草木の揺れる音を聞きつけ、フェリシアは急停止した。


「―――!!」


 魔力と音が徐々に近づいてくる。

 それからほんの数秒後、樹上を移動していたその人影は突如フェリシアの前に飛び降りてきた。



「――ああ。やっぱりお前だったか、フェリシア」



 ふわりと紅い髪を靡かせる長身の美女。

 紛れもなくフェリシアが捜していた相手――アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイムだった。


 しかし、フェリシアの知るアウローラとは雰囲気が違う。

 泣き腫らし赤くなった目元とどこか艶を帯びた明瞭な声。


 そして何より、その腕に宝物のように大切に抱えた一人の少年。


 最後に会ったアウローラとは明らかに纏う空気が―――



「丁度良かった。お前たちアークレイ家に頼みたいことがあるんだ」



 ふ、と淡く微笑むアウローラに。

 

 フェリシアは言いしれぬ悪寒に身を震わせた。






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