再会 後編
……いやいやマジで危なかった。
いったん自分に任せて隠れていろと言われたので、その通りにしてみたら初手からアルカはアウローラに対して敵意剥き出しで、アウローラはアウローラで俺に会わせろと土下座する始末。
このままだとマジでシャレにならない事態に発展するんじゃ……とハラハラしていると、アルカのヤツ唐突に『聖焔』でアウローラを灼こうとしやがった。
反射的に飛び出して、ギリギリで腕を掴めたからよかったけど。
あのままだとアウローラは廃人になるまで燃やされてたぞ。
「アルカ」
「…………」
名前を呼んでも、アルカは返事をしない。
こちらを振り向こうとせず、ただ俺に背を向け続けている。
……珍しい。
コイツが、ここまで怒りを露わにするなんて。
「アルカ、落ち着け。それから冷静に話をしよう」
「……私は落ち着いてるわ。冷静に、これ以上この女と話すことなどないという結論に達したの」
「結論を出すのが早すぎる。っていうか、いきなり灼き殺すのはいくらなんでもやりすぎだろ」
「殺しはしないわ。というよりも殺せないし。ただ死ぬほど痛い目にあってもらうだけよ」
「同じことだ。死ぬほど痛い目にあったら普通は死ぬ。身体が無事でも心が耐えられない。……俺は、そんなものを見るためにコイツを助けたわけじゃない」
廃人になっても生きてるんだから別にいいじゃん、とはならんよ。
身体は無事でも心が死んでたら意味がない。
せっかく助けたんだから、生きててほしいと思うし。
何より、せっかく再会できたっていうのに言葉を交わすこともなくお別れなんてあまりにも寂しすぎる。
「………」
アルカは無言だ。
ただ無言で、ギリ、と拳を握りしめる。
それから絞り出すような声で言った。
「……それの、何が悪いの?」
肩はわなわなと震わせていたと思ったら、勢いよく振り向く。
ずっと溜め込んでいた激情が爆発した、そんな感じ。
「この女はッ! 貴方を死なせたのよ!? 臣下のくせに主を護れなかった! 何の罰も受けずに一人のうのうと生き残って! この期に及んで恥知らずにも貴方の傍にいようとしているのよ!? そんなヤツを排除しようとして何が悪いの!?」
「傍にいさせてくれなんて言ってないだろ。会わせてくれって言ってるだけで」
「そんなの詭弁よ! ここで会わせたらどうせ貴方はこの女を見捨てられずにまた傍に置くに決まってるわ!」
……む。
今度はこっちが黙らせられてしまう。
確かに、アルカの言い分は正しい。
俺も最初から挨拶だけして、ハイさようなら、で終わると思ってない。
このままアウローラと言葉を交わして彼女がそう望んでくれるなら、俺はきっともう一度彼女を受け入れようとするだろう。
俺はそういう人間だし、さすがにアルカは俺のことをよく解っていた。
「ねえ、もう捨ててしまいましょうよ、こんな女。この女が傍にいても貴方の得にはならない。こんな恥知らずを貴方がこれ以上背負う必要なんてどこにもないわ」
アルカが懇願するように、俺の胸にすがりつく。
「あのな、アルカ。俺は別に自分の得になるからってだけで人付き合いをしてるわけじゃない」
そりゃ立場だったり仕事だったり、嫌いな相手と握手をしないといけない場面なんて腐るほどあるけど。
俺が誰かと関係を持つのはそんな損得勘定じゃなく、もっと感情的な部分だ。
少なくともプライベートでまでそんな打算的な人間関係を構築したいとは思わない。
そういう意味ではアウローラは俺にとって好ましい相手だし、だからこそ家族として一緒に過ごしてきた。
「……知ってるわよ。貴方がそういう人間だってことくらい。でも、この女を傍に置くのだけは駄目。許さない」
「許さないって……。どうして?」
「この女が、私から貴方を奪ったからよ」
アルカディアは俺を見上げ、その顔を怒りに歪める。
「ずっと傍にいた。貴方と契約したあの瞬間から貴方は私のモノだった。なのに、この女は私と貴方の契約に割って入った。私から貴方を奪った……ッ!」
昏い憎悪を湛えた瞳でアルカが言う。
……ああ、やっぱりそこか。
実を言うと不思議だと思ってたんだ。
10年前。
俺が生きていた頃、アルカはここまでアウローラのことを敵対視してはいなかった。
というより多分興味がなかった。
当時からアウローラは群を抜いて強かったし、常に俺の傍にいたからアルカも存在自体は認識はしてたけど、その瞳にアウローラを映してはいなかった。
俺から名前を出して、「ああ、アイツのことね」みたいな。
そんなアルカがアウローラに対して明確に敵意を見せている理由は、聖剣の契約をアウローラに譲ったことか。
俺とアルカにとって契約とは、『力』としての側面以上に一緒にいるという約束だ。
だからこそ、その契約をアウローラに譲り渡した経緯はアルカにとって受け入れ難いものだったんだろう。
「アルカ。俺が死んだのも、聖剣との契約を破棄したのも、すべて俺の意志によるものだ。アウローラのせいじゃない。なら、お前が恨むべきは彼女じゃないだろう?」
「違うわ。その女が重傷を負ったのは身の程知らずにも貴方と魔王との戦いに立ち入ったから。契約を移すことになったのも、その女を生かすため。すべての原因はその女にある。なら、私が恨んで何が悪いというの?」
「……だとしても、会うことも許さないっていうのは厳し過ぎないか? コイツにだって言い分はあるだろう」
「そんなもの聞く価値もないわ。命というのは本来取り返しのつかないモノ。なら、奪った者は同じく命で贖うべきだわ。貴方は、身内が殺されても故意じゃないから赦してあげろと、遺族の前でそう言うの?」
「それは……」
「貴方が死んで、私はまた独りになった。この暗い洞窟の中での時間がどれだけ永く感じられたか貴方に解る? 貴方との繋がりを失くして、その後私がどれだけの悲しみに耐えてきたか理解できる?」
「……」
「だから、これは正当な裁き。私から貴方を奪ったこの女に、その罰を与える。それだけの話よ」
……うーん、駄目だ。
どんな理屈で説得しようとしても、アルカは多分納得しない。
さすがに10年分の恨みつらみをこの場で解消するのは難しいか。
そもそも、今の俺はアルカに命令できる立場にない。
俺は俺で彼女との契約を破った後ろめたさがあるから、あまり強くも言えないし。
とはいえ、だ。
「……でも、アイツはアイツなりに反省してるし、後悔もしてると思う。命が取り返しのつかないモノだっていうのはその通りだし、お前が俺のために怒ってくれてるのも解ってるよ。……けどさ、アルカ。それでも俺は、アイツのことを恨んでいないんだ」
「だからって……ッ!」
「頼む」
俺はそっとアルカの身体を抱きしめる。
「頼むよ、アルカ。アウローラのためじゃない。俺のために、ここは引いてくれ。……せっかくまた会えたのに、お前がアイツを傷つけているのを見るのは、嫌なんだ」
そう言って、俺はアルカと視線を合わせる。
眼と鼻の先にあるアルカの表情はいたく不機嫌そうだ。
「アルカ」
「…………」
アルカはしばらくじっと俺の瞳を見つめ返し、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「……わかったわよ」
「悪いな。助かる」
「勘違いしないで。貴方に免じてこの場は引いてあげるというだけ。私は決してこの女を赦したわけじゃない。少しでも貴方のマイナスになると判断したら容赦なく灼き尽くす。その結果、貴方がどれだけ傷つこうとも」
「……ああ。覚えておくよ」
アルカはもう一度深く溜め息をついて、俺の身体をぎゅっと抱きしめてくる。
それからアウローラの方へと向き直り、
「――言葉を違えたら殺す」
底冷えのする声でそれだけを言い捨て、光の粒子となって消えていった。
…………ふぅ。
何とか首の皮は繋がったか。
完全には納得してくれなかったけど、とりあえず引いてはくれた。
これで少なくとも俺が目を光らせておけば、そうそう不味い事態にはならない……と思う。
まあ、そのあたりの問題は未来の自分にぶん投げよう。
何はともあれ、ようやく彼女と会話できる場が整った。
「さて、と」
「……っ」
俺がそう切り出すとアウローラの肩が、ビクッ、と震える。
……おぅふ。
その反応は中々ショックだってばよ。
アルカに言った通り、俺は別に彼女を恨んでるわけじゃないし、責める気も全く無いんだけどなぁ。
「その、なんだ。とりあえず顔を上げてくれ。そんな畏まられるとこっちも話しづらい」
「……はい」
アウローラは、ゆっくりと顔を上げる。
彼女の紅い髪がはらりと零れ落ちた。
「―――」
……おお。
思わず息を呑んでしまった。
10年ぶりに見るアウローラは、なんというか……記憶にある姿から随分と変わっていた。
俺が死んだ時、アウローラは14歳だったから今は24か。
昔は肩口くらいまでの長さだった髪は、今は腰のあたりまで伸びている。
背丈も高くなっていて、多分立ち上がったら170くらいはあるんじゃないだろうか?
そして何より目を引くのは……その胸がとても豊かに育っているところだ。
昔は起伏の無い平原を彷彿させるような胸だったのに、今や服がはち切れんばかりの豊満さだ。
跪いて彼女を見下ろす体勢になってるから殊更視線が引き付けられてしまう。
うん、正直に言おう。
成長したアウローラの姿に、俺は見惚れていた。
もちろん当時から可愛かったし、将来美人になるだろうなぁと思ってたけど。
あの頃、想像していたより彼女はずっと、
「……綺麗になったな」
「え?」
おっと、いかん。
思わず声に出てしまっていた。
俺の言葉にアウローラはきょとんとした表情を浮かべる。
それから見る見るうちに頬が赤く染まり、また恥ずかしそうに顔を俯けた。
……うーむ。
クールで綺麗系のお姉さんのそういう反応はなんか興奮するな。
「こほん、悪い。それで、確認だけど。俺のことは誰か解るか?」
「……はい」
俺が訊くと、アウローラはゆっくりと頷いた。
あれ?
そこを疑われると話が進まないから助かるっちゃ助かるけど、解るものなのか。
10年前とは姿形は全くの別人のはずなんだけど。
話し方や仕草に解りやすい特徴でもあるのか、はたまたアルカとのやり取りでそう確信したのか。
いや……今でも彼女には俺の『色』が視えているのか。
「あれから10年か……」
まだ子供だったアウローラがこうして大人になったのを見ると、改めてそれだけの時間が経ったんだと実感する。
俺の感覚ではついこの間の出来事だけど、アウローラにとってこの10年はどうだったのだろうか。
彼女が俺に対して罪悪感を抱いているのは想像に難くない。
実際今のアウローラの姿は……まるで裁きを待つ罪人のようだった。
彼女にとってこの10年は、ひたすら長く、苦しいだけのものだったのだろうか。
……もし、そうなのだとしたら。
それは、哀しいな。
「あのっ……!」
そんなことを考えていたら、アウローラが意を決したように声を上げる。
ひどく切羽詰まった表情で、今にも泣きだしそうに俺を見上げる紅色の瞳。
「どうした?」
「あ、あの、そのっ……」
緊張からか、その声はひどく震えている。
なんだか言いたいことをなかなか言い出せない子供みたいだ。
「どうした? ゆっくりでいいから、言いたいことがあるなら言ってくれ」
そう促すと、アウローラは弱々しく首を横に振る。
何度か深呼吸を繰り返し、それからようやく口を開く。
言葉を発する直前、まるで祈るように手を組んで。
震える唇で、必死に言葉を紡ぐ。
「……わたしでは、ありません。貴方が、私に……言いたいことがあるのではないですか……?」
………。
不意に、言葉に詰まった。
それから彼女の言わんとしていることを理解して、思わず吹き出してしまう。
「……ふはっ」
そういえば、こいつはこういうヤツだったな。
自分が悪いことをしたと思って。
責められるべきだと考えているのに自分からそれに触れる勇気がない。
罪悪感から目を背けても、そのまま忘れることの出来ない中途半端な小心者。
身体は立派な大人になったっていうのに、根っこの部分はあの頃から少しも変わっていない。
「そうだな。話したいことも、聞きたいこともたくさんあるけど。その前にちゃんと言っておかないといけないことがあるよな」
アウローラの方へ歩いていく。
彼女の前で立ち止まり、不安げに俯く彼女の額をデコピンで軽く弾いてやった。
「痛っ」
「俺がお前に言いたいことはとりあえず一つだ」
そう言いつつ俺は膝を突き、目線の高さを合わせると改めて正面から彼女と向き合った。
ようやくちゃんと視線が合う。
ああ……本当に、綺麗になったな、コイツ。
「……約束、守ってやれなくて悪かった」
ポン、とアウローラの頭に手を乗せる。
そうだ。
俺はまずアウローラに謝らなくちゃいけなかった。
独りにしないと約束したのに、コイツを置いて死んでしまった。
俺に依存していたコイツが、そんなことを望んでいたはずがなかったのに。
「………ッ!」
紅い瞳から涙が流れ落ちる。
ダムが決壊するみたいにポロポロと涙と感情が溢れていく。
「……うそつき」
綺麗な顔を歪ませて、痞えていた感情を吐き出す。
「うそつき……! うそつき、うそつき、うそつきうそつきうそつき……っ! ずっと一緒だって、約束、したのに……ッ! どうして私を置いていったの!?」
「悪かった」
「この10年、ずっとつらくて、寂しかった……っ!」
「そうだな。俺は忘れていたから、お前が過ごした10年を解ってやることはできない。でも、お前はきっとつらかったんだろうな」
「私が、邪魔をしたからッ、私が勝手に死にそうになっただけなんだから! 私のことは放っておいてくれたら良かったのに……っ!」
「邪魔なんて思ってないよ。あの時、お前が看取ってくれたおかげで、俺は最期の瞬間まで寂しくなかった」
「わたしは、貴方のいない世界で生きていたくなんてなかったのに……っ」
「……そうだな。俺の我儘を押しつけちまったな」
「貴方が死ぬくらいならっ、私があの時死にたかったのに……っ!」
「ごめん。それでも俺は生きていて欲しかった」
傲慢だったとしても、押しつけだったとしても、我儘だったとしても。
それでも―――
「俺は、お前に生きていて欲しかったんだよ。アーラ」
「ふぐッ、ひく、ぶぇえ……ッ!」
おずおずと、アーラが俺の身体に手を回してくる。
今俺が纏っているボロ切れは汚れていて、決していい匂いではないだろうに。
それでもアーラは構わず強い力で抱きしめてくる。
俺も、泣きじゃくる彼女の背中をそっと撫でてやった。
「ひぐッ、ほんど、に……わるいとおぼっでる……?」
「うん」
「なら、わたしを……また、そばにおいてくれますか?」
「…………」
「もう一度、わたしをあなたの『家族』でいざぜてくれますか……?」
「……いいよ。あの頃と違って、今の俺は何も持ってないけど」
文字通り身一つのみすぼらしい格好で。
口にするにはあまりにも無責任だとは思うけど。
それでも、ちゃんと言葉にしよう。
「もう一度。一緒に生きよう、アウローラ」
見つめた先、紅い瞳が柔らかく細められる。
「――ぶぁい」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった不細工な笑顔。
それでも。
それはきっと、今まで見たどんな景色よりも美しい笑顔だった。