襲撃
聖天教の暗殺者たち。
その最後の一人の首を刎ねた後、アウローラは剣を振り、血糊を払う。
自分と同じ容をした生き物を8人も惨殺した直後だというのに、その表情には一片の感情も浮かんではいなかった。
殺人への罪悪も悦楽もアウローラの中には存在しない。
主の命の下、ただ眼前の障害物を排除しただけであり、そこにあるのは気だるさだけ。
とはいえ、聖天教の暗殺者たちが主の安全を脅かす危険が僅かでもある以上、放置は出来なかった。
本音を言えば、片時も少年の傍を離れたくはなかったが、いずれ奴らを殲滅しなければならないというのであれば、さっさと済ませた方が効率的だろう。
アウローラは紅い瞳で呆と死体を眺めた後、魔力探知の範囲を広げ、残敵の探索を開始する。
面倒を残したせいでこれ以上、主との時間を邪魔されるなど御免だ。
アウローラは殺り残しがないよう念入りに周囲の索敵を続ける。
しばらく集中していたが、幸いにも探知できる範囲に自分以外の魔力反応はなかった。
どうやらこの森にいる暗殺者は先ほど始末した者たちで全てだったらしい。
「……全く。どうして私がこんな連中のために兄様との時間を割かなければならないのかしら」
傍迷惑な、と。
ぶつぶつと文句を言うアウローラ。
何にせよ一先ずの役目は果たした。
この場で起きた惨劇のことなどきれいさっぱり記憶から削除し、アウローラは上機嫌で愛しい主の下へ帰ろうとして―――
「――もう戻るの? せっかちな女ね。そんなに早くあの子に会いたいのかしら」
不意に、背後から響いた唄うような声にアウローラは立ち止まった。
端正な顔に苦々しげな表情を浮かべる。
背後を振り返ると、そこには絶世の美貌を持つ一人の少女がいた。
肩口まで伸びる黄金の髪と同色の瞳。
肌は雪のように白く、纏う雰囲気はある種の神聖さを感じさせる。
聖剣アルカディアに宿る魂――その顕現体だ。
「……起きていらしたのですか、聖剣さま」
樹上の枝に腰掛ける少女はあからさまにアウローラを見下し嗤っていた。
永遠に眠ったままでいればいいのに、とは流石に口に出しはしないけど。
そう思う程度にはアウローラはこの少女を敬遠し、それ以上にアルカディアはアウローラを嫌悪していた。
そんな自分たちが今や二心同体の状態にあるとは一体どんな皮肉なのだろうか。
「まぁね。それにしても随分と容赦がないのねぇ。仮にも騎士として慈悲の心はないのかしら?」
周囲を見渡しながらアルカディアが言う。
その視線の先には無残に壊された暗殺者たちの死体があった。
もっとも、言葉とは裏腹にその瞳には同情なんて欠片もなかったけれど。
「慈悲ですか。まさか人間でない貴女に人の心を説かれるとは思いませんでした」
「それもそうね。私も自分で言ってて今のはちょっとおかしかったわ」
くすくすと、アルカディアは口元に手をやり、楽しそうに笑う。
おかしいのはお前の倫理観と感性の方では? と。
またしてもアウローラは戻元まで出かかった言葉を呑み込んだ。
「それで? 私の前にわざわざ姿を現したということは何か用件があるのでは? 貴重なリソースを割いてまで世間話をしにきたわけではないのでしょう?」
アウローラは面倒そうにアルカディアに問いかける。
見ればアルカディアの手足の先が時折焔のように揺らぎ不定形となっていた。
肉の身体を持たないがゆえの不安定性。
彼女の本体はアウローラの体内に納められた聖剣だ。
実体が不安定なのは、あの身体を維持するのに必要なリソースを節約しているのか、あるいは単純に不足しているのか、どちらかなのだろう。
「情緒まで足りないとは救いがないわね。……まぁいいわ。私も貴女と二人いつまでも顔を突き合わせるなんて御免だし。さっさと本題に入りましょう」
辛辣な言葉と共にアルカディアは樹上から飛び降りた。
仮初の身体はまるで重さがないかのように、ふわりと地面へと降り立つ。
「用件はね、貴女が余計な真似をする前に釘を刺しておこうと思って」
「余計な真似とは?」
「言わずとも解るでしょう? ――『魔王を殺せ』。あの子にそう発破をかけられていたようだけど、まさかそれを鵜呑みにしているわけじゃないでしょうね?」
黄金の瞳を細め、こちらを睨みつけてくるアルカディア。
彼女が現れた時点で予想はついていたが、それにしても主にしても眼前の少女にしても、妙なことを言うとアウローラは思った。
件の魔王は他ならぬこの聖剣によって貫かれ、森の最奥で息絶えているというのに。
(いえ……誤魔化しね)
アウローラは自身の考えを即座に否定した。
10年前、『魔王』を討ち取った伝説の英雄の生まれ変わりと、今もなお『魔王』の身体を貫き続けている『聖剣』。
両者の意見が一致しているということ。
それはつまり―――
「……生きているのですね、あの『魔王』は」
アウローラが。世界が。
この10年、眼を逸らし続けてきた現実。
むしろ、どうしてこれまで死んでいると錯覚できていたのか。
人魔大戦が終結して10年以上の時が経ちながら、未だにこの『魔の森』には瘴気が溢れ、新たな魔獣を生みだし続けているというのに。
アルカディアは大仰に息を吐いて、
「そうね。あの怪物の命はまだ尽きていないわ。常にアレに触れ続けている私にはそれが解る。アレの厄介さは今更言うまでもないでしょう? だからこそ、外部から刺激を与えて封印が解かれるような事態だけは絶対に避けなければならない」
「ですが、このまま静観しているだけでは、いずれ封印は解けるのでは?」
「静観どころか傍観していた貴女がそれを言うのね。――見くびらないで。たとえ力が半減した状態でも、あと50年は保たせてみせるわ」
アルカディアはそう断言する。
一抹の不安はあれど、かといってそれは決して虚勢というわけではないのだろう。
少なくともこの10年、魔王の封印に綻びはなかったのだから。
(……でも、逆に言えば封印の保証期間はあと50年しかないのね)
アウローラとしても、それは困る。
なにしろ今世では主には幸せな人生を送ってもらう予定なのだ。
主が天寿を全うした後ならば世界がどうなろうと知ったことではないが、たかだか50年程度では流石に早すぎる。
「それで、私にどうしろと?」
「貴女は底抜けの間抜けかしら。さっきから言っているでしょう? 『何もするな』と。あの子に出来なかったことが貴女に出来るとでも思っているの? その自惚れが10年前にどういう結果を齎したのか、忘れたわけじゃないでしょうね?」
「……忘れてはおりません。先日、貴女に言った誓いも。ですが、私はあの人の騎士です。私にはあの人の命令を果たす義務がある」
「そんなものは狗にでも喰わせなさい。最優先されるべきはあの子の命。そこに異論を挟む余地はないはずよ」
「………そうですね」
正論だと、アウローラに反論は思いつかなかった。
アルカディアの言うことは間違っていない。
彼女の言う通り、主を護ることこそ何よりも優先されるべきもの。
かつて、この場所で起きた悲劇を。
あの日の過ちを繰り返すわけにはいかないのだから。
(だけど……表向きは兄様の命令に従う振りをしながら、裏ではその意志に逆らうなんて)
そんなのは主への裏切りではないか、とアウローラは考える。
たとえそれが正しい選択だと理解していても、心の奥にこびりつく罪悪感をアウローラはどうしても拭えなかった。
「貴女の罪悪感など知ったことではないわ」
そんな内心の葛藤を見透かしたようにアルカディアは切り捨てる。
「アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。もしもあの子のために、貴女に出来ることがあるするなら、それは聖剣との契約を破棄すること。あの子が再び聖剣の契約者となり、今度こそ魔王を討ち滅ぼす。それこそが最も確実な解決方法よ」
「……………」
アルカディアの提案はアウローラにとっても正しく思えた。
しかし、それでも素直に頷くことはできない。
その方法は、主を再び戦いの道へと引きずり戻すことになるからだ。
そうなれば、あの少年はまた地獄を見ることになるだろう。
戦って、戦って、戦って。
血と臓物に塗れ、幾多の屍を踏み越えて。
そしていつか――英雄として誰かのために死ぬ。
そんなのは、絶対に駄目だ。
「少しだけ……時間をください」
「はぁ?」
黙考の末、結局アウローラの口から出てきたのは苦し紛れの言い訳だった。
「死に戻ったあの人に10年前の――『聖王』だった頃の力はもうありません。それは貴女とて解っているはず。聖剣の器となるには今のあの人は幼すぎる。封印は50年は保つのでしょう? 聖剣との契約は少なくともあと数年は待つべきです」
アウローラとアルカディアが睨み合う。
本来であれば契約に関するイニシアチブは所有者であるアウローラにある。
アウローラが了承しない限り、聖剣の側から契約を破棄することは出来ない。
しかし、それでアウローラが一方的に聖剣に対しマウントを取れるかというとそうではない。
主と再会したあの夜のように、目の前の少女はその気になればアウローラの精神を廃人になるまで灼き尽くすことが出来るのだから。
「……………」
「……………」
空気が張り詰める中、一人と一振りは互いに退かず対峙する。
やがて長い沈黙の後、アルカディアは、はっ、と肩を竦めて嗤った。
「まぁ、いいわ。今は貴女の口車に乗ってあげる。でも、この死体たち同様、貴女に恨みを持つ者は多い。そいつらが悠長に貴女の心の準備を待ってくれると思ったら大間違いよ。ほら――」
不意にアルカディアは細く綺麗な指でアウローラの背後を示した。
口許が三日月のように弧を描く。
彼女は聖剣の名に相応しからぬ、歪で邪悪な微笑みで、
「今もこうして憎悪の矛先が迫ってきた。果たして貴女は生き残ることが出来るかしら?」
一秒の後。
突如飛来した巨大な衝撃と轟音によって、アウローラの全身は吹き飛ばされた。




