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幕間――アンジェリカ=エリウス=エールリンク

あけましておめでとうございます(もう遅い?)

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 シスター・アンジェラは表情にこそ出さなかったものの、内心では辟易していた。


 場所は教会の内部にある小さな談話室。

 室内には使い古されたソファーとテーブル、あとはスピカの情操教育用にとなけなしの資金で購入した数冊の絵本が収められた書棚しかない。


 仮にも世界有数の観光都市の教会としてはあまりにも貧相な光景ではあったが、アンジェラにとってそこにさしたる問題などなかった。


 豪華な調度品も過剰な金銭も必要ない。

 彼女は日々を生きられるだけの糧とこの街での穏やかな生活さえあれば、それで充分だった。


 故に、目下アンジェラを悩ませているのは別のこと。テーブルを挟んだ向い側に座る一人の男のことだった。


「――アンジェラ殿。どうあっても考え直しては頂けませんか?」


 同じやりとりの繰り返しにアンジェラはうんざりと溜息をつきたくなったが、それを表には出さず男が訪ねてきてから繰り返してきた言葉をもう一度言う。


「バルトロメオ殿。先ほどから申し上げているとおり、その要求は受け入れられません。どうかお引き取りを」


 男の年齢は三十代前半といったところだろうか。

 こけた頬に無精ひげ。

 長髪を後ろで雑に束ね、古びたコートを着ている。


 一見してくたびれた労働者のように見えるが、男は聖天教に所属する戦士の一人だった。


 冴えない顔立ちとは裏腹に鍛えられた肉体は日々の労働で得たものではなく、武術を修めているが故のもの。

 右耳につけた剣十字のイヤリングが聖天教の戦士たる証だった。


「……理解に苦しみますな。このような場所でのうのうと生き、それほどの力をただ無駄にするというのか? かつて『十天』にまで登り詰めた貴女ほどの戦士が」


 バルトロメオはアンジェラの眼帯に覆われた両眼を苛立たし気に睨みつける。


 聖天教における武力の象徴。

 数いる聖天教の戦士の中でも選りすぐりの実力者だけが拝命される10人の特務戦士。

 戦士として最高位の称号を授かったかつての英雄へと。


「ええ、そのとおりです。貴方の言うのうのうとしたこの生活こそが私の望みなのです。賜った地位は返上し、私に残ったものは己が犯した罪と血に染まった手のみ。本来ならば私にこのような穏やかな生活を送る資格などないのかもしれません。けれど、今の私には命に代えても守らねばならないモノがある。それを差し置いて、戦士に戻るつもりはありません」


 アンジェラは揺るがず、穏やかな声音で答える。

 

 彼女にとって『十天』の称号など捨て去った過去でしかない。

 故にこの程度の挑発など微塵も心を乱すには値しない。


 今のアンジェラにはこの教会での生活は剣十字に殉ずるよりも価値があった。

 それだけのこと。


「そもそもの話。現契約者であるエヴァーフレイム卿を殺し、『聖剣』を奪還するという貴方たちの計画。この計画は既に破綻している。昨夜、海浜公園でエヴァーフレイム卿を襲ったという者たち。あれは貴方の仲間でしょう? 襲撃が失敗した以上、貴方たちは確実に聖天教から切り捨てられる。アークレイ領主もみすみす次の手を打たせるような無能ではない。貴方がすべきなのはここで無駄な勧誘を続けることではなく、一刻も早くこの街から逃げ去ることなのでは?」


「……切り捨てられることも追われることも覚悟の上です。昨夜殺された彼らもそれは同じ。時間がないのであれば猶のこと逃げるわけにはいかない。我らは必ずあの紛い物から『聖剣』を奪還する。犠牲など厭わない。そのために俺たちはここに来た!」


 バルトロメオの目に宿るのは狂気と怒り。

 だが、アンジェラは臆すことなく、殺意に彩られた視線を正面から受け止める。


「貴方たちはよくその『紛い物』という言葉を使いますけど。『聖剣』は先代契約者である『聖王』カイラード陛下がエヴァーフレイム卿に託したもの。そんな彼女を紛い物と呼ぶ根拠はどこにあるというのです? 彼女が出自も分からぬような下層階級の出だからですか?」


「違う。あの女が『動かぬ者』だからだ」


「……動かない?」


「そうだ。むしろ貴女の方こそあの女に対して思うところは何もないのか? 人魔大戦が終結し、人類は束の間の平和を手に入れた。しかし、それも一時のこと。今や人類は失われた土地と利権を求めて人間同士で殺しあう時代へと突入した。そんな中であの女が自ら行動し何かを為したことがあるのか? 死にぞこないの魔王を滅ぼすことも出来ず、 外の世界へ目を向けることもなく、ただ無様に生き続けただけではないか。そんなモノもはや英雄とは呼ばない。魂の抜けた人形に過ぎん」


「人形……ですか。私にはそのように思えませんでしたが」


 アウローラとは昨日、偶然出会った。


 連れ立った少年の身を案じ、激昂するその姿は話に聞いていた人形のようにはとても見えなかった。

 あの時のアウローラの表情や声には確かな熱があった。


 少年を傷つける者は誰であろうと赦さない。

 そんな過剰なまでの熱量。


 彼女自身が変わったのか。

 あるいはあの少年だけが特別なのか。


 おそらくは後者だろうな、とアンジェラはなんとなく思った。


「貴方がどう思おうと、あの女がこの10年動かなかったという事実は変わらない。世界を変革させる力を持ちながら、何もしようとしないあの女に『聖剣』を託すことなど出来ない。人類にとって必要な英雄とはあのような紛い物では断じてない! だから俺たちはあの女を殺し、『聖剣』を取り戻す! それがたとえ人として許されぬ罪だとしてもだ!」


「取り戻した後はどうするというのです? 貴方自身が『聖剣』と契約し、新たな英雄となりますか?」


「まさか。俺にそんな器はない。『聖剣』は然るべき者の手へお渡しする。そのために必要な工程は既に進めている。そして我らは世界を変える」


「どう変えると?」


「――手始めにこの世界から『異能者』を排除する」


 バルトロメオの眼から狂気が薄れ、代わりに宿るのは底冷えするような冷たい光。

 アンジェラは僅かに身をこわばらせた。


「『異能者』は人間ではない。奴らは生まれながらに人を超える能力を持ち、その力で以て世界を蝕む病巣だ。そんな存在をこれ以上生み出すわけにはいかない。故に排除する」


「それはまた極端な考えですね。異能者を根絶すれば争いが終わり、世界が平和になるとでも?」


「少なくとも世界の混乱は減少するだろう。人魔大戦で各国が一丸となることができたのは、ひとえに魔獣という人類共通の敵が存在していたからだ。そして人類は今、異能者という敵を前に再び一つになることができる。それにも拘わらず、人類が未だ纏まることが出来ないのは『異能者への差別撤廃及びその人権の保障』などという下らん法案が可決されてしまったからに他ならない!」


 ダンッ! とエミリオは自身の怒りを表すようにテーブルを拳で激しく殴りつける。


「俺は『聖王』カイラードという英雄を心から尊敬している。かの英雄の偉業も大いに認めるところではある。だが、この法案とあの女に『聖剣』を託したことだけは完全な愚策だったと断言できる」


「口を慎みなさい、バルトロメオ。その言はこの世界を救った偉大なる英雄への侮辱です」


 アンジェラが不快そうにバルトロメオを諫める。

 しかしバルトロメオの言葉は止まらない。


「いいや、愚策だよ。たとえ異能者共を徴兵するための宣伝(プロパガンダ)だったとしても、この法案だけは可決されるべきではなかった。異能者は人間でなく悪魔の末裔だ。悪魔を保護する法などあってはならない。俺がアンタの下を訪ねた理由は、アンタが強いという以上にこの想いに共感してもらえると考えたからだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 その瞬間、空気が一気に張りつめる。


 今の台詞はアンジェラの数少ない逆鱗に触れていた。


 彼女は自分の家族を決して忘れない。

 バルトロメオの言葉はその彼女の心に土足で踏み込むようなものだった。


 しかし、アンジェラは自身の中に渦巻いた激情を撒き散らすことはせず、ただテーブルの下で静かに拳を握る。


「……良くご存知ですね」


「調べるのは容易かった。アンタは有名人だったからな」


「…………」


 アンジェラは何も答えない。

 ただ黙って相手の出方を窺うのみ。


 対してバルトロメオは今まで見えてこなかったアンジェラの感情の変化に確かな手応えを感じ始めていた。


 ニヤリと、バルトロメオの口角が歪に吊り上がる。


「異能者に家族を殺され、仇を討つために『聖天教』の戦士となった復讐鬼。それがアンタだ、アンジェリカ=エリウス=エールリンク。恨んでいるのだろう? 故郷を襲った異能者を。憎んでいるのだろう? アンタの人生を狂わせたあの悪魔どもを」


 アンジェリカ=エリウス=エールリンク。


 復讐を誓ったあの日、異能者によって滅ぼされた故郷に置いてきた彼女の本当の名前。


 バルトロメオはアンジェラに向かって手を差しのべる。


「今一度言います、アンジェリカ殿。我らと共に征きましょう。今度こそ、あの悪魔どもを根絶やしにするために」


 差し出された復讐の手と狂気の瞳。


 まるで歪な鏡像のようだとアンジェラは思った。


 バルトロメオを見ていると、かつての自分を思い出す。


 復讐に心を囚われ、ただ仇を追うためだけに戦い続けたあの虚しい日々を。


(けれど、私は見つけた。誰かを殺すのではなく、誰かを生かす道を。誰に何と言われようと、この道を進むと決めたのだから)


 迷いはなかった。

 アンジェラは毅然と首を横に振る。


「お断りします。今の私には護るべきモノがある。この教会とあの子を見捨てて戦士に戻るつもりはありません」


「あのスピカという少女のことなら心配はいらない。今以上の生活を保障するし、しかるべき里親も探そう。――もっとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()


 バルトロメオの不穏な発言にアンジェラは眼帯の下の眉を顰める。


「……何が言いたいのですか?」


「悪魔どもは狡猾、ということですよ、アンジェリカ殿。奴らの最も厄介な点はその強大な能力ではなく、人間に近しいが故に人間の感情を読み取ることに長けているという点だ。孤児を装い、この教会の中に異能者どもが紛れ込む可能性もゼロではない。アンタを疑っているわけではないが、あの少女が人間であるとの確証は得ていないのだろう? であるならば早急に確認し、必要とあらば処分を――――」




「――二度目だ。〈()()()()()()()()()()()()()()〉」




 突如、バルトロメオの時間が静止する。


「―――がっ!?」


 バルトロメオの口は全く動かない。瞬きも出来ない。喉が引き攣り、呼吸さえも停止する。

 

 まるで周囲の空間そのものが停止してしまったかのように、身体が微動だにしない。


(これ、は……ッ!?)



 ――『天声』


 声に魔力を乗せて発することによって相手の言動を強制的に縛りつける魔術の一つ。


 アンジェラの『天声』に囚われたバルトロメオは混乱した頭で己の現状を必死に理解しようとする。


(馬鹿な!? 声どころか呼吸まで止められた!? 一般人ならともかく、魔術士である俺にこれほどの縛りを!?)


 人間や魔獣のように高度な知性を持つ生物は外部からの精神干渉に対する抵抗力が非常に強い。


 ゆえに『天声』による縛りを成立させるためには相手の虚を衝くか、互いの魔力量に余程の差がなければならない。


 アンジェラのそれは、バルトロメオの魔力の壁を容易く突き破り、縛り上げる練達の業だった。


(この女を侮っていたわけではないが、まさかこれ程とは……っ!?)


 戦慄する。


 たった一度の魔術行使で彼我の力量差を完全に理解させられてしまった。

 実戦を離れ、年月を経ても尚この力。


 目の前の女がかつて聖天教最大の切り札だったという事実をまざまざと見せつけられたような気分だった。


「――貴方は思い違いをしている」


 アンジェラの底冷えのする声音で放たれた一言によってエミリオの全身は総毛立ち、『天声』を解こうと高めていた魔力は一瞬で霧散する。


 ギシリッ、と、何かが軋む音が聞こえた。

 アンジェラがソファーからゆっくりと立ち上がる音だった。


 バルトロメオにはそれが、まるで巨大な怪物が起き上がったかのように思えた。


「一つ。かつて私が聖天教の戦士となったのはそれが私の復讐を果たすのに最も効率的だと考えたからです。仇を討った今、私に異能者を憎む気持ちはありません。そしてもう一つ。こちらの方が致命的ですね――()()()()()()()()()()()()()


 アンジェラは両目を覆っていた眼帯を外す。

 その瞬間、アンジェラの身体から白銀の魔力が立ち昇った。


 自身のそれとは比べるべくもない膨大な魔力が嵐の如く吹き荒れ、その暴圧に耐えかねた空間が軋みを上げる。


「――――――ッッッッ!?」


 露になったのは光を失った銀雪の瞳。

 その奥に映るのは殺意、敵意、害意。

 そして憎悪。


 彼女の瞳を見た瞬間、バルトロメオは自分の心臓を冷たい手で摑まれたかのような感覚に襲われた。


 人の領域を超える力を得た代償。

 アウローラが色覚を失ったように、アンジェラの両眼の視力もまた持って行かれた。

 けれど、彼女は確かに今、目の前の自分を射殺さんばかりに睨み付けている。


スピカ(あの子)が異能者であろうとどうでもいい」


 アンジェラが一歩、こちらに向かって足を踏み出す。


 人のカタチをした底知れぬ怪物が近づいてくる。


「親に捨てられ、居場所を失ったあの子を、私は護ると誓った」


 二歩、怪物が進んでくる。


 恐怖で身体が竦む。

 歯がカチカチと鳴り、全身から汗が噴き出す。


 魔力の嵐は収まらず、その強大な魔力はアンジェラを中心に今なお渦巻いている。


「それはもしかしたら贖罪のつもりなのかもしれない。罪深いこの身を濯ぐための代償行為なのかもしれない。……それでも構わない。たとえこの気持ちが何であろうと、この誓いは()()()()()()()()()()()()()()()


 三歩、怪物は歩みを止めない。


 目を逸らせない。


 その魔力が、魂までも凍えさせる絶対零度の殺意が、怪物から目を逸らすことを許さない。


「だからバルトロメオ。貴方がもし貴方の手前勝手な理屈と正義であの子を傷つけるようなことがあったなら――――」


 四歩、先ほどまでの魔力の嵐が嘘のように立ち消えた。


 怪物はそっとバルトロメオの肩に手を置き、耳元に口を寄せ、囁くように、



「私がどうやって家族の仇を殺したのか、()()()()()()()()()()()()()()?」





 深く、深く、楔を打ち込んだ。






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