蹂躙
――名乗りを上げた瞬間、男の視界からアウローラの姿が一瞬にして搔き消えた。
足下に集めた魔力によって接地面を弾きながら、アウローラは初速からトップスピードで敵陣へと突撃したのだ。
闇の中に紅い軌跡を描き地を駆けるその姿を聖天教の戦士――グリフィスは目で追うのがやっとだった。
まるで時間が早送りでもされたかのように、いつの間にかグリフィスの目前にはアウローラが肉薄している。
アウローラの右手には腰から引き抜いた短剣が、左手には先程まではなかった一振りの剣が握られていた。
そして勢いを一切殺さぬまま、アウローラは左手の剣を振り下ろす。
「う、おっ……!?」
刃が届く寸前でグリフィスは咄嗟に反応し、剣の腹を盾にして斬撃を防ぐ。
金属同士がぶつかり合うような甲高い音ではない。
剣と剣を打ち合わせただけだというのに鼓膜が破れるかと思うほどの爆撃じみた轟音が大気を斬り裂いた。
(~~~~~~ッッ、何だ、この重さは……ッ!!!)
足元が沈み、グリフィスを中心に周囲の砂場が吹き飛ぶ。
剣越しに伝わる圧倒的な衝撃に手足に痺れが走った。
その威力はグリフィスの想定を遥かに上回っていた。
女としては長身とはいえ、アウローラの身長は精々170程度だろう。
体格だって戦士としては華奢な部類に入る。
身長も体格も体重も筋力もすべてこちらが上回っているにもかかわらず、それらの要素を容易に覆す圧倒的な魔力の総量。
様子見の初撃でなおこの威力。
もしまともに受けていたら……そう考えただけで背筋に怖気が走る。
だが、防いだ。
最初の一太刀は凌ぎ切ったのだ。
「へえ」
感心した……どこか能天気な少年の呟きが聞こえたが、そんなものを気にする余裕はなかった。
「いまだ! やれッ!!」
今にも圧し潰されそうになりながら、絞り出すようにグリフィスは叫んだ。
次の瞬間、アウローラの死角から4人の仲間たちが一斉に飛びかかる。
グリフィスの役目はアウローラの初撃を防ぐ盾となること。
そのために一人だけ仮面を取り、会話をすることでさりげなく狙いを自分に誘導した。
人気のない海岸とはいえ、すぐ傍には民家がある。
そんな場所で『第九の剣軍』の力を全力で解放すれば、周囲の家屋は丸ごと吹き飛ばされるだろう。
故に魔具の力を十全に振るうことの出来ないこの状況ならば、数撃程度は持ちこたえられる。
初撃を凌いだ今、あとはカウンターの要領で一気に攻め立てればいい。
しかし、そんなグリフィスたちの思惑を嘲笑うかのように、アウローラの左右の空間に二振りの剣が忽然と現れる。
二振りの剣はそれ自体が意志を持つかのように、飛び掛かる男たちを迎撃した。
「なっ……!?」
下段から振り上げられた剣は魔力のガードを易々と突破し、男たちの肉体を斬り裂いた。
その動きは流れるように流麗であり、一切の無駄がない。
使い手本人程ではないが、それでも膨大な魔力が篭められた刃は十分すぎるほどの殺傷能力を発揮する。
一人目はそのまま地に倒れ伏し動かなくなり。
二人目は心臓を一突きされ絶命する。
三人目は首を刎ねられ、四人目は胴を真っ二つにされた。
瞬きの間で、アウローラに襲い掛かった男たちは地に伏して動かなくなる。
「クハッ、温い攻めね、『聖天教』!! この程度で私を仕留められると思ったのかしら!?」
「……ッ、どうかな! それよりいいのか、『偽焔』!? 護衛対象の傍を離れて!」
グリフィスは半ばヤケクソになって叫んだ。
仲間は4人殺されたが、まだ自分を含めて16人も残っている。
残された16人の内、5人が無防備な少年目掛けて駆け出した。
自分より強い主を持った弊害か、思った通りこの女は護る戦いに慣れていない。
少年の傍を離れ、初手でいきなり突撃してきたのが良い証拠だ。
先の会話からアレがただの少年ではないことは理解しているが、5人全員を相手取るのは不可能だろう。
この距離ならアウローラは確実に間に合わない。
しかしアウローラの表情に焦りや動揺は一切ない。
アウローラは右手に握っていた短剣を後方に向けると、彼女の背後にさらに10本の剣が展開された。
「ッ!? 避けろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
グリフィスの叫びが響く中、虚空に浮いた10本の刃が男たちに向かって一気に射出される。
高速で撃ちだされた剣は男たちの四肢を穿ち、腹や胸を串刺しにする―――が、
(――一人生き残った!)
片腕を吹き飛ばされながらも、身体を捻ることで致命傷を避けた者がいた。
「――ッ、ちっ!」
アウローラが舌打ちする。
この瞬間を逃す手はない。
生き残った男は素早く備のナイフを抜くと、そのまま少年に向かって突進する。
少年までの距離は残り3メートル強。
仮にまた剣を射出したとしても、男のナイフが少年の喉を裂く方が早い。
(殺った!!)
グリフィスは勝利条件の達成を確信してほくそ笑む。
しかし次の瞬間、その笑みは凍り付いた。
紅い稲妻が闇夜を照らしたと思った次の瞬間、ザシュッ! と男の身体を灼熱が貫く。
見れば、男の胸に突き刺さった剣が光に溶けるように消失していくところだった。
いつの間にか少年の隣に現れた剣が仲間を刺し貫いたのだということをグリフィスが理解するまで数瞬かかった。
「…………………は?」
グリフィスは信じられない思いでその光景を見る。
アウローラは剣の射出を囮に、少年と男の間に剣を展開させた。
起点は恐らく先程の紅い稲妻。
稲妻の正体は当然ながらアウローラ自身の魔力。
アウローラの肉体から迸った稲妻の魔力は砂地を真横に駆け抜け、その先端から新たな剣を生成し、男を貫いた。
その速度は雷の如く、もはやグリフィスにはそれを視認することさえ叶わなかった。
(……ふざけるなッ!! なんだ、それは!?)
「ハハッ! 敵を目前にしてよそ見とは余裕だな!」
そんなグリフィスの動揺を見逃さず、アウローラはグリフィスの身体を蹴り上げた。
ドゴォッッ!! と、蹴られた腹が爆発したかのような衝撃。
グリフィスの肉体は弾丸のように真上へと打ち上げられた。
「ガハッ―――!?」
口から血の塊が吹き出し、内臓のいたるところが悲鳴を上げる。
上空へと打ち上げられながら見下ろした先、血の滲む視界でグリフィスは見た。
唇が張り裂けんばかりに笑う怪物の姿を。
「くふっ、ふはっ……あははははははははははははははははははははははははははっ!!!!!」
嗤う。
アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイムは嗤う。
歯を剥き出しにして獰猛な哄笑を上げながら、強大な魔力をその身に纏い、地表に残った10人の敵へと疾走する。
彼女が踏み込むだけで砂がめくれ上がり、地面に大きな足跡が刻まれる。
彼女が剣を一振りするだけで男たちの命は容易く刈り取られていく。
アウローラの斬撃を喰らった者は例外なく、身体を両断され地に倒れ伏した。
一人また一人と、剣が閃くたびに命が失われていく。
それはまさに蹂躙だった。
アウローラは剣の間合いに敵を収めると、その刃を容赦なく振るう。
一振りごとに命が散りゆく中、グリフィスは上空でそれを呆然と眺めることしか出来ない。
「――さっき、お前は『ハンデがあるならこの人数でも勝機はある』って言ってたけど……」
少年は夜空に浮かぶグリフィスは仰ぎながら、淡々と言葉を紡ぐ。
「悪いがハンデの一つ二つで埋まる戦力差じゃないよ。お前は俺が何故コイツにこの『銘』が付けたのか、もっと考えるべきだった。どれだけ離れてようが、見える範囲なら関係ないんだよ」
それはまるで死刑宣告のようにグリフィスの耳に響いた。
アウローラの持つ『第九の剣軍』の能力は千の剣を具現化し、それらを自在に操ること。
しかし、その真価を十全に発揮するためには膨大な魔力量に加え、魔力の『キレ』が必要となる。
たとえ千剣のポテンシャルを持っていようと、戦闘の最中に展開まで十数秒もかかるようでは意味がない。
実際『第九の剣軍』を手にした当初、アウローラは1本の剣を具現化するのに30秒以上もかかった。
その弱点を克服するために、アウローラは剣軍の操作範囲の拡張と、瞬時に最大火力を展開できるだけの魔力の瞬発力を徹底的に鍛え上げた。
その結果、アウローラの魔力放出は文字通り稲妻と化し、大戦最強と謳われた聖王直属近衛部隊『聖焔騎士団』の中でも随一の速さを誇るに至った。
「剣を投げつけるだけが能じゃない。コイツは半径200メートル圏内なら何処にいても一瞬で剣軍を展開できる。一本一本がアーラの戦闘技術と経験を転写された剣の軍勢だ。だからコイツは『覇軍』なんだよ」
『覇軍』のアウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。
ただ一騎で千の軍勢を討ち破る一騎当千の怪物。
その銘の由来を、グリフィスたちは身をもって知ることになる。
打ち上げられたグリフィスの身体はやがて最高点に到達し、重力に従いそのまま落下していく。
地上の敵を全て斬り殺したアウローラが、ごうっ、という音と共に宙を飛んだ。
グリフィスに止めの一撃を叩き込むために。
「く、そ、があああああああああああああああああああああああ!!!!」
最後の力を振り絞り、グリフィスも刃を構える。
もはやグリフィスに出来ることは、刺し違える覚悟でアウローラに斬りかかることだけ。
重力に身を任せ、グリフィスは決死の一撃を振り下ろす。
だがその一撃は冗談みたいにあっさりと外された。
アウローラは空中に展開した刃の一つを足場に、グリフィスの斬撃を軽くいなしたのだ。
そのまま軽い跳躍でグリフィスの頭上まで舞い上がると、左手の剣が振り上げられる。
そして、次の瞬間――
ドゴォォォン!!という轟音と共に砂埃が舞い上がった。
「げほッ……がっ……!」
全身から血を流し動かなくなったグリフィスを見やり、アウローラは小さく舌打ちをした。
大剣は真っ二つに折られ、腕や足があり得ない角度までねじ曲がっている。
蹴り上げられた時点で骨と内臓を痛めていたところへさらに空中での追撃を受け、最後は受け身も取れずに砂浜に叩き付けられたのだ。
常人なら間違いなく死んでいただろうが、グリフィスはかろうじて息があるようだった。
「……しぶといわね。まさか三撃も耐えるとは思わなかったわ」
アウローラは倒れたグリフィスてな見下ろしながら呟く。
その瞳はどこまでも冷たく、まるで道端に転がる石ころでも見ているかのようだ。
この女にとって、グリフィスの生死などさして興味もないのだろう。
人も、命も、世界も。
全てがどうでもいいと切り捨てる、無関心な紅色の瞳。
その眼が、グリフィスはどうしようもなく腹立たしかった。
「なぜ、だ――――」
「は?」
掠れた声で、グリフィスは呟く。
もはや身体のどこも動かない。
だがそれでも、この胸にくすぶる怒りの炎だけは消えていない。
激情のまま、グリフィスは吼える。
「なぜ、そんな眼で世界を見れる? なぜ、そんなにも無関心に世界を切り捨てられる!? それだけの力を持ちながら! どうしてこの10年……もっと主体的に動こうとしなかった!? 聖剣を託された者としての責任を果たそうともせず、のうのうと過ごして! お前が動かぬ間どれだけの人間が犠牲になったと……ッ!!」
「世界のためだの責任を果たせだの、貴方たちはいつもそれね。貴方が信じるモノと私が信じるモノは違う。貴方たちの理由を私に押し付けないでくれる?」
心底うんざりした口調でアウローラは言った。
グリフィスの言葉に欠片も共感しない、冷たい拒絶。
「―――なぜ、」
「私こそ訊きたいわね。世界も神も、どちらも見ることも触れることも出来ないものでしょう。そんなあやふやな存在のために貴方たちはどうして戦うことが出来るの?」
暗闇の中。
向かう先も解らなくて、何かに縋ろうとする心。
それ自体は理解できる。
人外の力をあろうとも、アウローラもまた弱い心を持つ人間だから。
けれど、だからこそ。
よりによって縋る先に実体のない偶像を選んだ理由がアウローラにはよく解らなかった。
「貴方たちが崇める『聖剣』も貴方たちのことなんて見てはいないわよ? つまるところ貴方たちの信じたものは幻でしかなかった。仮に神と呼ばれるモノが在ったとしても、それは人を救わない。人を救うのはいつだって人だけでしょう」
どんなに祈っても、願っても。
世界も神もアウローラを救ってはくれなかった。
寒い寒い雪の中、死にかけていた幼い自分を救ってくれたのは血肉の通った人間だった。
だからアウローラは神の存在など信じない。
世界のためになど戦わない。
今も昔も彼女が戦う理由は一つだけ。
己を救い、全てを与えてくれた、ただ一人の主君のために。
「私が信じたモノには確かな重みがあり、貴方たちが信じたモノにはそれがなかった。だから貴方たちは弱く、こうして地べたを這っているのよ」
「……ふざける、な……知ったふうな口をたたくな、この悪魔が」
最後の力を振り絞り、呻くようにグリフィスは吐き捨てる。
アウローラは無言でそれを見下ろした後、これ以上言葉を交わすことさえ無駄だと言わんばかりに背を向けた。
アウローラが歩み寄った先には、戦いの一部始終を見守っていた少年。
少年はアウローラを労うように頭を撫でるようとするが、少年の背丈では手を伸ばしても、アウローラの頭には届かない。
それに気づいたアウローラは膝をついて頭を差し出す。
少年はそんな彼女に苦笑し、その頭を優しく撫でつけた。
その光景をグリフィスは不可解に感じた。
かの『聖王』以外に従うことのなかったあの狂犬が、今は嬉しそうに目を細め、少年の手を受け入れている。
二人の姿は、とてもではないが対等な関係のようには見えない。
親しみはあれど、アウローラの姿はさながら王に傅く騎士のようだった。
そして少年の側もそれを当然のように受け止めている。
……思えば、始めから奇妙な少年だと感じていた。
見た目の年齢にそぐわない落ち着きと言動。
そして今日一日を通して見た、少年に対するアウローラの異常なまでの執着。
(………まさ、か)
グリフィスの脳裏に一つの仮説が思い浮かんだ。
ありえないと思いつつ、朦朧とする思考はそちらへと傾いていく。
そうだ。
そもそもあの女は先程はっきり言っていたではないか。
あの少年のことを『我が王』と。
薄れゆく意識の中でグリフィスが見たのは、少年を抱え上げるアウローラの姿。
アウローラはグリフィスから隠すように背を向け、少年の頭を胸に抱き寄せる。
まるで自分以外の何者にも、その存在を知らせまいというように。
それに気付いた瞬間、紅い視線がグリフィスを射貫く。
紅い瞳には、底冷えするような殺意が籠もっていた。
グリフィスの身体は硬直し、指先一本さえ動かせなくなる。
そして、己に向かって飛来する剣を茫然と眺めながら、グリフィスは確信した。
(………ああ……やはりその少年は、あの御方の――――…………)
グシャリ!! という生々しい音がグリフィスの鼓膜を震わせると同時に、彼の思考は永遠に途切れた。
†
「……さて、と」
剣がグリフィスの頭を貫通し、今度こそ確実に息の根を止めたことを確認した後。
アウローラは胸の中の少年を見下ろすと微笑みを浮かべた。
その微笑みはこの惨状を作り出した直後とは思えないほど甘く、慈愛に満ちたものだった。
「いかがでしたか、兄様? 貴方の剣の切れ味は」
「上出来だ。よくやった、アーラ。どうやら腕は錆びついてないみたいだな」
アウローラが問いかけると、ソラは真っ直ぐに褒め返してくれた。
その言葉には偽りのない賞賛があって、言われたアウローラは嬉しくて頬を赤く染める。
「……しかしまぁ、この状況はどうしたもんかな」
ソラは周囲を見回しながら呟いた。
そこはもはや凄惨と呼ぶのも憚られるような有様だった。
所々が陥没した砂浜。
四肢が吹き飛んだ死体。
血と臓物の臭いが充満した空気。
とても一般人に見せられる光景ではない。
アウローラはソラの呟きを聞くと、少し考えてから口を開いた。
「んー、特段気にする必要もないのでは? 殺しにかかってきた者を殺し返したとて、文句を言う道理などないでしょう」
「……まぁ、それもそうなんだけどな」
アウローラの言葉は間違ってはいないが、それはあくまで彼女の意見。
世間一般からすれば、ここでのことは大事件だ。
屋敷を出る前にセリアから騒ぎを起こすなと釘を刺されていたのに見事に破ってしまった。
不可抗力とはいえ、ここまでの騒ぎを引き起こした以上、少なくとも彼女の心労が増えるような事態になることは間違いない。
そうこうしている内に遠くからこちらへと駆け寄ってくる人影が見えた。
人気の少ない場所とはいえ、派手に暴れ過ぎた。
おそらく騒ぎを聞きつけた警察や軍の人間だろう。
「……はぁ。早速のお出ましか……さて、どうしようか?」
「お任せください、兄様」
近づいてくる兵士たちを眺めながら尋ねたソラにアウローラは迷うことなく答える。
「名ばかりとはいえ、今の私には『聖騎士』という立場がありますから。兄様のことは私が護ります。いざとなれば、この街を出て世界の果てまで逃げればいいだけです」
ラルクスを離れないというセリアとの約束を忘れて、アウローラは胸に手を当て、自信満々にそう言ってのける。
どこまでも真っ直ぐなアウローラの言葉に、ソラは肩を竦めて、
「なるべく穏便にな。出来ることなら帰って来て早々にそんな逃亡生活は送りたくない」
彼女に全面的に任せることに一抹の不安を感じつつも、それを言葉にはせず、適当に返事をして返す。
アウローラはにっこりと笑みを浮かべて頷く。
それは彼女がこの10年忘れていた、彼の前だけで見せる花咲くような笑顔だった。




