『覇軍』の剣を君に
突然、現れた黒づくめの連中。
一般人にはとても見えない異様な出で立ちのそいつらに、アーラが俺を庇うように前に出る。
「アーラ。一応訊くけど、こいつらお前の友達じゃないよな?」
「違います。こんな不審者みたいな恰好した連中知りませんし、そもそも私に友達なんていませんから」
「うん、そこはもうちょっと頑張っとけ」
別に友達が多ければ偉いってわけじゃないけどさ。
そうまではっきり言われると切なくなる。
「まぁ、その辺りについては後で話すとして……じゃあこいつらは一体何なんだろうな? 心当たりは?」
「さあ? 少なくとも今日兄様との逢瀬を邪魔するような訪問客の予定はなかったはずですが」
軽口を叩きながらアーラは腰の短剣――『第九の剣軍』に手をかけ、男達から視線を外さずいつでも動けるよう臨戦態勢に入っていく。
その姿は堂に入ったもので、長年戦場に身を置いていた歴戦の風格を感じさせる。
俺はそんな頼もしい彼女の背中から男たちを観察する。
「……ふむ」
男たちは俺たちから10メートルほどの距離で足を止めている。
数は全部で5人。
フード付きの外套に仮面をつけていて顔貌は見えない。
現れる直前まで気づかなかった。
気配の消し方が上手い上に、対峙したそいつらの纏う空気はそこらのチンピラや素人とは明らかに違う。
手練れの暗殺部隊といったところか?
「兄様。この連中が何者かは知りませんが、いずれにせよ降りかかる火の粉は払うだけのこと。それですべては万事解決です」
「あのな、アーラ。屋敷でもそうだったが、どうもお前は血の気が多すぎる。俺たちは獣じゃない。利ける口があるならまず対話をするべきだ」
そう言うとアーラはあからさまに面倒そうな顔をする。
「……はぁ。無駄だと思いますが。そもそもこんな人気のない場所までわざわざ気配を消して近づいてきてる時点で友好的な相手ではないことは確かなのでは?」
「だとしても、何も聞かずにいきなり斬りかかるのは違うだろ。というわけで……そこの人たち! 俺たちになんか用か!? こっちは善良な一般市民だ。アンタたちに囲まれる謂れはないんだが!?」
「…………」
呼びかけてみるも返事は返ってこなかった。
俺の言葉なんて最初から聞いていないかのような沈黙。
あと多分、仮面の下も無表情っぽい。
「……兄様の言葉を無視するとは良い度胸だ。口が利けないなら首から上は不要だな? 心配するな。なるべく綺麗に落としてやる」
「ちょっとスルーされただけで沸点低すぎだろ。なぁ、アンタたち! 聞いての通りウチの狂犬が気が短くてな。嚙みつく前にお引き取り願いたいんだが!?」
連中はそれでも口を開かなければ微動だにもしない。
ちなみに俺は今アーラの服の裾をガッチリ掴んでます。
だって、こうでもしないと今にも襲い掛かりそうな雰囲気なんだもん。
連中のダンマリ具合にいい加減俺もイラっとしてきたところで、
「善良な、か。君はどうか知らないが、その女は違うだろう。――なあ、『偽焔の騎士』」
「!」
「ん……?」
長い沈黙の後、ようやく返ってきたのは挑発的なセリフだった。
聞き覚えのない単語に俺は首を傾げるが、当の本人であるアーラには思い当たることがあったかのような顔をしていた。
くぐもった声で発したのは真ん中にいた男だった。
恐らくはそいつが男たちのリーダー。
リーダー各の男はおもむろに前へ出て仮面を脱ぎ去る。
仮面の下から現れた顔は……まぁ、一言で言えば悪党面だった。
年の頃は三十代前半といったところか。
整っているとは言い難いが、どこか鋭さを漂わせる風貌。
男の左頬には大きな傷があった。
深く肉をえぐった跡が月明かりに浮かび上がり、どこか冷たい印象を与える。
ただ、そんなことよりもさっき男が言った言葉の方がよっぽど気にかかった。
「『偽焔の騎士』? なんだそれ?」
「大戦後、聖剣を引き継いだ私に付けられた蔑称です。さすがに面と向かって言われるのは久しぶりですが。意味はまあ……お察しの通りです」
「お察しって……」
そのまんまだな。
偽焔。偽物の焔。
要するにアーラは聖剣の現契約者ではあるが、正統な後継ではないと貶める意図でつけられたんだろう。
………不愉快な呼び名だ。
「随分と命知らずなんだな。そんな蔑称を、付けられた本人の前で口にするなんて。……それで? 改めて訊くが俺たちに何か用か?」
「君に用はない、少年。用があるのはその女の命だ」
「へぇ、誰の差し金で?」
「誰でもない。強いて言えば主の思し召しだ」
質問に対して男は隠すでもなく淡々と答える。
……あー、なるほど
主の思し召しときたか。
なんともはやアホらしい。
こいつらの正体が一発でわかった。
「理解したよ。大方アンタたちは『聖天教』の暗部ってところか」
「いかにも」
『聖天教』。
アルカディア聖王国の国教であり、千年前、この国が建国された当初にまで遡る長い歴史を持つ宗教組織。
その教義の根底には太陽神アルカディアへの絶対的な信仰と忠誠があり、基本的に民草からの支持は厚い。
だが一方で過激な思想を持つ連中も存在し、その思想から外れた者を異端者として処刑してきた歴史がある。
その聖天教の暗部。
表に出すことの出来ない、汚れ仕事の実行部隊。
「昔っからアンタたち聖天教は聖剣に対して異常な執着を見せてたもんな。要するに、アンタたちは聖剣がコイツの中にあることが気に食わないわけだ」
「当然だろう。聖剣は太陽神アルカディアがこの世界に残した至宝。本来その女のような下賤な紛い物の手に在っていいものではない。我らには聖剣を然るべき者の手へ還す使命がある」
「……紛い物、ね。何をもってそう呼ぶのか知らないけど……でも、何だって今このタイミングなんだ? アーラがすぐに察しがつかなかったのを見るに、この10年放置してきたっぽいけど?」
「簡単な話だ。我々の使命は聖剣の監視と管理。それは今も昔も変わらない。半身とはいえ、曲がりなりにも聖剣の力を安定して運用できていた実績を鑑みてこの10年は静観していた。だが、これまで通りに野放しにしておくのは危険だと判断した。昨晩、その女が錯乱し、街の結界を破壊して魔の森へ向かったのを見てからな」
「――あ、」
思わず……といった具合にアーラが口に手を当てて間の抜けた声を上げる。
「……アーラ、お前」
「ち、違うのです! あれはその……。いえ、確かに昨晩は少々取り乱して結界を壊したのは事実ですが! 今はもう落ち着いていますし。そもそも私は無許可で街を出ることはできないから、あの時はああするしかなかったわけで!」
慌てて言い訳を始めるアーラ。
いや、別に責めてるわけじゃないけどね?
ていうか、いくら慌ててたからって普通街の防衛の要である結界を壊すか?
……いや止めよう。
この話題は掘り下げても碌なことにならない。
「まぁいいや。それで? アーラを始末するのが目的だとして、アンタたちはいいのか? 暗部のアンタたちに正式な命令系統があるのか知らないが、少なくともこの件に関してはアンタたちの独断だろう? 後々問題になるとは考えないのか?」
「……少年、何故これが連中の独断だと?」
「基本的に組織っていうのはデカくなればなるほど動きが鈍重になる。宗教組織だろうとそれは変わらない。お前が街の結界を壊したのは昨日の夜なんだろ? 仮に現場から報告が上がって、そこから協議し、お前の暗殺を命令・実行するまでの時間が一日足らずっていうのはいくら何でも早過ぎる。ましてや表向き『聖騎士』っていう社会的地位のあるお前を殺せなんて無茶な命令が早々に罷り通るわけがない。現場の暴走だと考えるのが妥当だろう」
「その歳で中々頭が回るようだな。しかし暴走という表現はいささか不当ではないか? 暴走というのであれば、強大な力を持ちながら街の結界を破壊するなどという暴挙を行ったその女の方が遥かにそうだろう」
「それに関してはぐうの音も出ないけど。無謀な戦いに命を懸けるのも充分暴走だと思うぞ。それとも、たった5人でアーラに勝てるとでも?」
「まさか。そこまで自惚れてはいない。丁度そのための増援を待っていたところだ」
男はそう言って背後に視線を向ける。
すると暗がりから次々と男達が現れた。
全部で15人くらいだろうか。
その全員が剣やナイフなどの武器を構えている。
「……これはまた、随分と大所帯なことで」
「人魔大戦の英雄相手にはこれでもまだ足りないくらいさ。だがいかに『災害殺し』といえど、君というハンデを背負った状況ならばこの人数でも勝機はあるだろう?」
男は不敵に笑う。
自分たちの勝利を確信した笑み。
「私たちはその女を殺し、聖剣を回収する。少年、悪いが我らの存在を知った君を見逃すことは出来ない。その女を確実に始末するためにも君を利用させてもらう」
「勝手な言いぐさだな」
「ああ、勝手だ。同情はする。恨んでくれて構わない。言い遺す言葉があるなら聞こう」
そう言って男は背中に背負った大剣を引き抜く。
他の連中もそれに倣って戦闘態勢に入った。
この場面で遺言を訊いてくるのは、連中なりの誠意なのだろうか。
まぁ剣を向けながら訊くことじゃないとは思うけど。
「…………はぁ」
と。
溜息が口から零れ出た。
「アーラ。どうやら、ここまでみたいだ」
「そのようですね。やっぱり無駄だったでしょう?」
くく、と意地悪そうに笑うアーラに肩を竦めて返す。
「そうでもないさ。少なくともこいつらを斬るための納得は得られたからな」
「納得、ですか。それは必要なものなのでしょうか?」
「必要さ。俺が前の人生で後悔がなかったと言い切れるのは、それがあったからだと思ってる……そういえば、まだお前に大事なことを訊いてなかったな」
「……? 何でしょう?」
アーラがこちらを振り向き、見つめてくる。
まるで焔のような、綺麗な紅色の瞳。
まっすぐにその瞳を見つめ、
「お前が剣を捧げるのは、本当に今の俺でいいのか?」
「――――――」
唐突な問いにアーラは目を見開く。
彼女の瞳の中には俺の顔が映っていた。
この10年ですっかり見慣れた、かつての自分とはまるで違う顔。
我ながら目つきの悪い平凡な顔立ちだとつくづく思う。
「アーラ。俺はね、正直この世界に還ってくる気なんてなかった。やるべきことをやりきったという自負があったから。誰かの祈りや願いの果てに今の俺がここにいるとしても、それは俺の意志じゃない。そんな俺に自由やら望みやら訊かれても……正直、困るんだよ」
自分から死にに行くような真似なんてしないけれど。
それでも、いつ終わっても構わなかった。
一部とはいえ、かつての俺が見ることの出来なかった景色をこの眼で見ることが叶ったから。
―――だけど。
「今は違う。目的が出来た。今の俺にはやらなきゃいけない事がある」
ぎちりと、拳を握る。
「こいつらはお前のことを『紛い物』と呼んだ。俺はそれが許せない」
ああ、本当にふざけている。
何が聖剣の力を安定して運用できていた実績を鑑みて、だ。
お前らが鑑みて、慮るべきなのは何よりも彼女の心だったはずだ。
俺に焔を灯してくれた彼女に。
俺の最期を看取ってくれた彼女に。
誰よりも人の心に寄り添うべき宗教が。
俺の死に引きずられて、10年前からずっと苦しんでいた彼女の心を蔑ろにし、『紛い物』と貶める。
そんなことが許されていいはずがない。
もしも俺のせいで彼女の名誉が貶められたというのなら。
その穢れは、俺自身が拭わねければならない。
「アーラ、お前は俺を護ると言ったな。以前の俺には戦う大義があったし、俺なりの正義もあった。でも、今の俺にそんなものは無い。ここにいるのは王でも英雄でもない単なるガキでしかない」
大儀なんてなく。
もしかしたら正義さえもなく。
乗っているのは身勝手な感情と願望だけ。
それでも――
「そんな俺を、お前は護ると誓ってくれるか?」
「――もちろんです。愛しい人」
一瞬の逡巡もなくアーラは答えた。
彼女にとってそれは当たり前で、答えるまでもないと言わんばかりに。
「正義も大義も必要ない。昔も、これから先も。私は貴方のためだけに戦うのです。貴方さえいればそれでいい。それ以外のことなんてどうでもいい。いつか貴方の手の中で砕けるその時まで貴方の剣として共にあり、敵を討つ。それこそが私の本懐です」
「言っとくが、俺はお前を使い潰すつもりなんてないぞ?」
「くふふ。ええ、解っていますとも。そんな優しい貴方をこそ私は愛しているのですから」
「………………おおぅ」
アーラは臆面もなく、嬉しそうに言ってのける。
なんだかむず痒くてついつい頬を掻く。
アーラはそんな俺の様子をひとしきり眺めたあと、愉快気に声を上げて笑った。
まるで待ち望んでいたこの瞬間を心底楽しむかのように。
「ああ、それにしてもなんと光栄。なんという栄誉! 10年の時を経て、もう一度貴方のために戦うことが出来るなんて!」
高らかに謳いあげるように彼女は言い放ち、前へと踏み出す。
俺の剣として戦うために。
紅い瞳を爛々と輝かせ、叫ぶ。
「今一度誓いましょう。貴方にすべてを捧げます。この身が砕け散るその時まで、今度こそ貴方を護り抜いてみせます! だからどうか、御身の剣たる私に命令を! 貴方の声で、貴方の言葉で指し示してください! 貴方のために振るわれることこそ私の存在意義なのですから!」
叫びに空気が震える。
狂喜と殺意に満ち溢れ、暴発寸前でありながらもアーラは俺の命令を律儀に待っていた。
そうだ。
彼女という剣を振るうのは俺だ。
成り行きでも、巻き込まれたからでもない。
俺は俺の納得と覚悟を以て、こいつを使う。
だから俺は、彼女の主として――告げる。
「命令だ。――斬れ、アウローラ。我が剣こそが最強であると証明してみせろ」
「仰せのままに――!」
その言葉が合図だった。
彼女の身体から膨大な量の魔力が立ち昇る。
圧倒的な魔力に空間が焼かれ、爆ぜた。
紅い光が夜の闇を裂く中、アーラが腰の短剣を一息に引き抜く。
『第九の剣軍』。
かつて俺が授けた九つの『至剣』の一振り。
聖王の近衛部隊である『聖焔騎士団』の証。
「私は聖焔騎士団 第九席『覇軍』アウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム! 我が王よ! どうかご照覧あれ! 我が刃に毀れなく、錆びはなく、翳りもなし! 万難を排し、貴方の道を斬り拓いてみせましょう!」
剣を掲げ、アーラは凛然と名乗りを上げる。
そして――紅い稲妻と化し、彼女は疾走を開始した。