まさかの異世界転生系でした
目を覚ました時、最初に眼に映ったのは夜空に浮かぶ月だった。
背中には冷たく固い感触。
現在俺は地面に仰向けに寝転がっている。
俺は寝ころんだまま首を振って左右を見やる。
……岩肌に囲まれた仄暗い空間。
どこからどう見ても洞窟だった。
「……いやいや、どこだよここ」
洞窟の内部なのに夜空が見えたのは、どうやら天井部分が派手にぶち抜かれているかららしい。
俺は身体を起し、地面にあぐらをかく。
「……つーか全裸やん、俺」
今気づいたけど俺の恰好は裸だった。
申し訳程度の襤褸切れが俺の大事なところを隠している。
もう一度言おう。
俺、真っ裸。
「…………」
いや。いやいやいや。
マジで一体何があった、目を覚ます前の俺。
頭に手を当てて思い出そうとしてみるが、うまく記憶を引っ張りだせない。
目覚める前の記憶がゴッソリ抜け落ちているような、そんな感覚。
どうして俺はこんな洞窟で寝ていたんだ?
「……落ち着け俺、クールになれ。こういう時はアレだ、深呼吸だ。深呼吸しとけば大体大丈夫だ」
大きく息を吸い、そして吐く。
それを何度か繰り返す。
……うん、少し落ち着いて来たぞ。
「よし」
とりあえず状況を整理しよう。
俺は今洞窟にいて裸だ。
それは間違いない。
「……で、なんで裸なんだ? 酒に酔って洞窟に迷い込んで途中で服を脱ぎ捨ててきたのか?」
いまいちピンと来ない。
そもそも俺は飲める年齢じゃなかったはずだし、わざわざ法令違反をするほど酒に興味があるわけでもない。
「うーん、わからん。なんかの事件にでも巻き込まれたか?」
考えても結局ここがどこなのかも、なんで洞窟で寝てたのかも分からなかった。
……まあ幸い拘束されてるわけじゃないし、いつまでも裸でいたってしょうがない。
とりあえず服だ服。服が欲しい。
洞窟の中はメチャクチャ寒かった。
明らかに冬の気温。
ほとんど全裸のままここで夜を過ごせば普通に凍死する。
「服服服服。どっかに俺の服落ちてないか……? つーかライターとか無いか? 服だけで凌げる寒さじゃないぞ。あー、クソッたれ。意識すると余計に寒くなってきやがった」
「―――あら、そんなに寒いなら私が温めてあげようか?」
「うおうっ!?」
寒さで小刻みに震える身体を両手で擦りながら洞窟の中を探索していると、背後から声をかけられた。
突然の不意打ちに口から心臓が飛び出しそうになる。
慌てて振り向くと、そこには絶世の美少女が立っていた。
「―――――――」
見た目の年齢的には十二、三歳くらい。
肩にかかるぐらいの長さの金色の髪と瞳。
顔立ちは恐ろしいくらいに整っていて気品があり、薄暗い洞窟の中でもその少女だけは幻想的な輝きを放っている。
白のワンピースという質素な服装も、彼女が来れば純白のドレスと見紛うような……どこか神々しささえ感じさせるほどの美しい少女だった。
俺がこれまで生きてきた中で、間違いなく一番の美人。
そんな美少女はこちらを見つめながらいたずらっぽく微笑んでいたが、あまりの衝撃に俺が固まっているとたちまち頬を膨らませる。
「……なによ、黙っちゃって。まさか、私のことを憶えていないの?」
「え、いや。ええと……」
美少女が不満そうにこちらを見ている。
人間離れした美少女の人間らしい仕草に、思わずドキッとする。
目の前の少女の親し気な雰囲気を見るに、彼女の勘違いでなければ俺たちは知り合いなのだろう。
でも、彼女のことを思い出せない。
いや、見覚えがないわけじゃないんだ。
ただ記憶とうまく合致しないというか……。
金色の髪と瞳。絶世の美貌。
こんな特徴的な相手をそうそう忘れるはずないんだけど。
「あ、」
ふと。
古い記憶の中に同じ特徴を持つ相手が思い浮かんだ。
俺の呟きに、少女が、ん? とこちらを見つめてくる。
期待するようにじーっと。
「……じー」
声に出しちゃってるよ、この子。
多分返答を間違えたらアカンやつ。
でもなぁ、思い浮かんだ相手と目の前の少女に大分変化があるんだよなぁ。
ていうか明らかに背丈が縮んでる。
俺の記憶の中の彼女の外見は20代前半ぐらいだったはずだ。
とはいえ、人間でない彼女ならそういうこともあり得るのだろうか?
美少女の期待の眼差しに意を決し、俺は恐る恐る口を開く。
「……あー、久しぶりだな。アルカ」
「………ッ!」
その途端、目の前の少女は表情をパァッと明るくした。
まるで長い間会っていなかった恋人に再会したかのように嬉しそうに。
そして彼女はそのまま俺に飛びついてきた。
「うん! 久しぶり! 会いたかったよ、私の契約者!」
「ごほぉあッ――!?」
腹部への強烈な一撃!
幼女となったアルカの猛烈なタックルを無防備な状態で受けてしまった。
俺の身体が後方へと吹っ飛び、砂利と石で背中がザリザリ削られるッ!
「あ~会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった会いたかった!ずっと触れたかった抱きしめたかったスリスリしたかった――っ!」
俺の上に馬乗りになり、興奮気味に叫ぶアルカ。
彼女に押し倒された体勢で身体を密着させられて動けない。
美少女に抱き着かれてるんだけど、彼女の人間離れした怪力で完全に拘束されてるっていうか、背骨がミシミシいいそうなレベルだ……ッ!
つーか、ぺったんこで肉付きが薄いから思いっきり骨に当たって痛いねん!
「ちょ、アルカっ、タンマ……」
「ん~?」
「ギブギブギブギブッ!!」
「あはー!」
俺がタップすると彼女はさらに強く抱き着いた。
ついにはバキッと音が鳴り俺の身体から力が完全に抜ける。
「あ、ごめんね? 嬉しくてつい。もう、そんな大げさな演技しちゃって。ほらほら起き上がって。お話しするならちゃんと目を見て話したいわ」
「うぐえっ」
アルカが引っ張って俺を起こすと、圧迫から解放された俺は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
あぶねぇ、あとちょっとで俺の魂が口から漏れ出るところだったぞ……!
「……お前なぁ。ちょっとは手加減しろよ。 ていうか、なんでそんなテンション高いんだよ……」
「あら、このぐらいは大目に見て欲しいわね。愛しい人との感動の再会よ。本当に久しぶりなんだもの。多少テンションが高いぐらい許してほしいわ」
アルカは俺の足の間に横座りしながらそんなことを言ってくる。
「……え、どいてくれないの? 何年ぶりか知らんけど積もる話もあるだろうし、この体勢だと色々と話しにくくない?」
「ざっと10年と3ヶ月ぶりね。積もる話があるのはその通りだけど、私も鬱憤が溜まってるから話はこの体勢でするわ」
「……八つ当たりじゃないか?」
「八つ当たりじゃないわ。私の鬱憤が溜まった原因は貴方にもあるもの」
「……はぁ」
俺が何かをしただろうか?
まったく心当たりがないんだが。
まぁ多少の理不尽を感じないでもないけど、諦め混じりに俺は身体の力を抜いて彼女の好きにさせることにした。
正しかろうとなかろうと、彼女は言ったことをあまり曲げない。
猫みたいに気まぐれなようで頑固なのだ。昔から。
「それでアルカ、ここどこ? それとなんでお前、そんなに身体が縮んでるの?」
コ◯ン君かな?
「んー、やっぱり多少の記憶の混乱はあるみたいね。ま、そこは仕方ないか。説明するのはいいんだけど、どこから説明したものか……。とりあえず貴方、自分の名前は言える?」
「…………カイラード?」
少しだけ悩んだ末に答える。
記憶があやふやなので疑問形。
ただ、そんな俺の返答にアルカは嬉々として身を乗り出した。
「そう! アルカディア聖王国 第九十六代国王カイラード=ロア=エイドラム=ヴァン=アルカディア! 『聖剣』たる私の正統なる契約者! 10年前『聖剣』を振るい、かの『人魔大戦』を終結させ、歴史にその名を刻んだ大英雄! それが『聖王』! それが貴方よ!」
俺の顔を両手で挟みながら誇らしげに語るアルカ。
彼女の黄金の瞳はキラキラと輝いていた。
「俺だけで終わらせたわけじゃないよ。あの大戦で戦ったすべての者たちの力があってこそだ。アルカ、そこを間違えちゃいけない」
アルカディア聖王国の始祖から代々受け継がれる『聖剣アルカディア』。
それに宿る人格の顕現体に言う。
「……貴方が仲間のことを大切に想っているのは知っているわ。けど博愛主義も大概にしなさい。そんなだから貴方はいつも、」
「アルカ」
「はいはい。分かったわよ」
唇を尖らせながらアルカが大仰に肩を竦める。
我ながらちょっと説教臭いとは思うけど、彼女が俺以外の人間を低く見積もるのはいつものことだ。
人間でない彼女に人間の感覚を持ってほしいというのは無茶な話かもしれないけど。
少なくとも俺の前でそういうのを口にしてほしくはない。
こういうのは地道に指摘していかないと。
「さて、続きだけど貴方たちの力で『人魔大戦』は終結した。『人魔大戦』とは文字通り、人と魔の生存を懸けた戦い。ここで言う『魔』とは『魔獣』のことを指す。では『魔獣』とは一体何か?」
「『瘴気』に侵され、肉体と精神を変貌させた怪物のことだろう」
この世界は『魔力』というエネルギーに満ちている。
このエネルギーは万物に宿り、常に世界に満ちているが、稀に自然発生的に局所へ偏ることがある。
歪に偏った魔力は淀み、濁り、やがて周囲に害をなす黒色の魔力――『瘴気』へと転じる。
魔獣とは瘴気に侵され、自らの肉体と魔力を変容させた怪物のことだ。
「相手がただの魔獣だったら大戦なんて呼ばれるほど大きな戦いにはならなかった。『聖剣』は対瘴気に特化した特攻兵器みたいなものだったしね。大抵の魔獣は貴方や私にとっては雑魚も同然だった。……でも、何事にも例外はある」
「『魔王』か」
「『魔王』よ」
忌々しそうにアルカが呟く。
「私から見てもアレは正真正銘のバケモノだった。魔王の手によっていくつもの国が滅び、世界人口は大戦以前の三分の一にまで減少した。つまるところ人魔大戦とは、魔王を滅ぼすための戦いだった」
言って、アルカが俺の背後を指差す。
振り返ると、そこにあったのは洞窟の中、不自然に生えた大樹。
その根本あたりに樹と同化するような形で一体のミイラが呑み込まれていた。
焔に焼かれたのか、肉も皮膚も完全に焼け焦げた状態で元が男か女だったのかさえ判別できない。
さらによく目を凝らすと、そのミイラの中心を刃が貫いていた。
おそらくはそれが致命傷になったのだろう。
半ばから折れた剣の刃先。
―――それには、とても、見覚えがあった。
「―――なッッ!?」
そのミイラの正体に気づいた瞬間、背筋をぞっと悪寒が走った。
アルカの身体を抱え、一気に洞窟の壁際まで後退する。
「――『魔王』ッッ!!!」
俺の身体からドッと冷や汗が流れ出る。
ボケていたところに突然『魔王』の存在を認識したことで、俺は吐き気を催すほどの緊張状態に陥っていた。
『魔王』とは『災害級』さえも超える伝説の怪物だ。
ただ一体で国を滅ぼすほどの脅威。
魔獣たちの頂点。
そんな奴が今、俺たちの目の前に……!?
「大丈夫よ。落ち着きなさい。アレはもう事切れている。貴方がちゃんと、止めを刺した」
「いや、けど……っ!」
「大丈夫」
アルカがもう一度そう言って、こちらを落ち着かせるようにポンポンと頭を叩いてくる。
「……………」
確かに、アルカが言うようにミイラ化した魔王からは生気も瘴気も一切感じない。
けど、俺は知っている。
魔王という存在の恐ろしさを。
魔獣という怪物の枠組みをさらに逸脱した化物の中のバケモノ。
人魔大戦が産んだ、不条理を形にしたような世界最悪の災厄。
俺たちがコイツを倒せたのはハッキリ言って奇跡に近い。
今この瞬間に動き出しても全く不思議じゃない……が、
「……なるほど。お前がその姿になったのは『あれ』が理由か」
魔王に突き立てられた切先。
あれは聖剣の一部だ。
10年前、魔王に真っ二つにへし折られた聖剣の片割れ。
「そういうこと。契約の移譲と本体を折られたことで聖剣の力は大部分が削られた。それに引っ張られて顕現体の姿も幼くなってしまったの。まぁ? どんなに幼くなっても私の美しさは変わらないけどね!」
アルカが胸に手を当て思いっきりドヤ顔を決める。
まあ、否定はしないけど。
ただ個人的には以前の20代前半の姿の方が好みだけどな。
俺にロリコンの趣味はないし。
ともあれ、
「……………ふー」
呼吸と一緒に緊張も吐き出す。
魔王が動き出す可能性は未だに否定できないが、封じている本人が言っているんだ。
少なくとも、今この段階での危険はないんだろう。
一応の警戒は残しつつ、アルカの身体をそっと下ろす。
「……悪い。取り乱した」
「無理もないわ。そういう相手で、そういう戦いだった。……本当にギリギリの戦いだった。代償も大きかった。あの戦いで貴方は、」
「ああ。あの戦いで俺は死んだ。助かるような傷じゃなかったはずだ。完膚なきまでの相打ちだった」
目覚めるまで完全に忘れていたけど、今なら鮮明にあの光景を思い出せる。
―――厚い雲が空を覆っていた。
深くて冷たいこの場所で。
戦いの爪痕残るこの場所を、深々と舞うように降りしきる淡雪が覆い隠していく。
生きとし生けるもの全てを染め上げる白の花弁。
目が眩まんばかりに輝くその世界に、倒れ伏す俺と。
もう一人。
大粒の涙を流しながら俺に縋りつく紅い髪の少女―――。
「あの戦いでカイラード=ロア=エイドラム=ヴァン=アルカディアは死んだ。でも、それだと矛盾しないか? 死んだはずの俺がどうしてここにいる?」
「えーと、それは……ちょっと言いにくいんだけど、」
困ったようにアルカが頬を掻く。
それから、ちょいちょいと地面を指差した。
地面の窪みに溜まった雨水。
それが凍って鏡のように月光を反射している。
覗いて見ろ、ということなのだろう。
指示されたとおり、俺は氷の鏡を覗く。
そこに映った姿に、俺は茫然と呟いた。
「…………………………は?」
氷に映ったのは10歳前後の少年の姿だった。
真っ白な髪の目つきの悪いクソガキ。
『聖王』カイラードとは似ても似つかない。
ぶっちゃけカイラードはもうちょいイケメンだったはず。
氷の中の少年は間抜け面で俺を見上げていた。
「あの戦いから10年が経った。貴方は死に、異なる世界で10年間を生きた。そして貴方は再びこの世界へ還ってきた。つまり――」
アルカ一呼吸分だけ言葉を区切る。
凛とした声音で。
神託を告げるように厳かに。
「貴方は向こうの世界で死に、もう一度この世界に死に戻ってきたのよ」
「………マジでか」
まさかの異世界転生系だったとは。