アークレイさん家の朝ごはん
兄様とセリアの話し合いが終わった後、私たちは遅めの朝食をとることになった。
アークレイ邸の食堂のテーブルには今、大量の料理が所狭しと並べられている。
スクランブルエッグ、サラダ、ポタージュ、スコーン、野菜とハムのサンドイッチ、マッシュポテト、ミルクで煮込んだ粥。
大皿に積まれた大量のソーセージに、最後は止めとばかりにフルーツの盛り合わせ。
席についているのは兄様と私、それとセリアの三人。
フェリシアは給仕に勤しんでいる。
テーブルに並べられた料理は軽く十人分くらいはあったと思うのだけれど……。
「うん、うまい」
兄様は幸せそうに次々と料理を平らげていく。
昔からそうだったけれど、兄様はとても美味しそうに食事をする。
見ているだけでなんだかこちらまで幸せな気持ちになってしまうほど。
「くふふ。ほら兄様、口元が汚れていますよ」
兄様の口元をナプキンで拭ってあげる。
朝の至福の時間を邪魔された上に、先ほど兄様と離されてしまったせいか、ついつい世話を焼いてしまう。
くすぐったそうに身を捩る兄様の姿が可愛らしい。
もういっそこのまま食べてしまいたい。
「……アーラ。子供扱いはよせ。ていうか食べにくい。いい加減下ろしてくれ」
兄様は朝食を食べ始めてからずっと私の膝の上に座っている。
モゾモゾと膝から降りようとしたけど、私はそれを許さない。
ギュッと抱きしめる腕に力を込めた。
「お前なぁ……」
「駄目です。離しません」
兄様は非難するような視線を向けてくるけど、そんなの私の知ったことじゃない。
自分だってさっきセリアと何の話をしていたのか教えてくれなかったんだから、私だって兄様の言うことなんか聞いてあげない。
こっちは兄様の目元が赤くなっていたことに気付いた時、心臓が止まりそうになったのだ。
精々このまま私専用の抱きぐるみになっていればいい。
ほら、おっぱいも押しつけてあげる。
チラチラ気にしてたの知ってるんだから。
そんな風に兄様を思う存分愛でていた時、ふと視線を感じたので顔を上げる。
フェリシアがセリアの後ろで呆れたような眼差しで私を見ていた。
……不愉快な視線だな。
泣かしてやろうか、この小娘。
「それにしても本当によく食べるな。そんなにお腹減ってたのかい、ソラ?」
対面に座っていたセリアが美味しそうに食事をする兄様を微笑まし気に見つめながら、訊ねてきた。
結局セリアは兄様を『聖王』としてでなく、あくまで一人の少年として接することに決めたらしい。
正直、私としては馴れ馴れしいし、不敬だから敬語を使えよと思う。
でも表向き『聖王』として扱うわけにもいかないのは理解できるし、何より……兄様がそう接してほしいと望んだのだから仕方ないのだけれど。
「ああ、思えば昨日から何も食べてなかったからな。まあ、そうでなくてもこんなに美味しい朝食ならいくらでも食べられるけど」
モリモリとサンドイッチを頬張りながらのセリフに、朝食を用意したフェリシアが照れたように口をモゴモゴさせる。
……なんとなく、その表情は気に食わない。
「恐れ入ります、ソラ様。おかわりはまだまだ沢山ありますので遠慮なくお申しつけくださいましね。特にポタージュが今朝の自信作でございます」
「ありがとう。それじゃせっかくだからおかわり頂こうかな」
兄様は空になった皿を手渡す。
それを受け取ると、フェリシアは口元を綻ばせながら上機嫌でキッチンへと向かっていった。
「……やけにご機嫌じゃないか。あいつが笑ってるところなんて初めて見たかも」
「そりゃあ単純にお前がフェリに好かれてないからだろうさ……まあ、アレもあんまり感情を表に出すタイプじゃないのは確かだがね。自分が作った料理を美味そうに食べてくれるのが嬉しいんだろうさ」
セリアはそう言うと、自分の分の朝食を優雅に口に運ぶ。
フェリシアは有能だし、実際仕事の手際もいいけれど、以前から私に対しての態度が悪い。
それにさっきもそうだったけど、兄様に色目を使って近づこうとしているようにも見える。
目障りだし、いっそその首を落としてしまおうか?
「……え? アーラとフェリシアって仲悪いの?」
セリアのセリフを聞きとがめた兄様が私を見上げてくる。
なんだか心配そうな表情。
そういえば昔も、兄様はこんなふうに偶に表情を曇らせることがあったっけ。
どうして兄様がそんな顔をしているのか私にはイマイチよく解らない。
兄様にとって、私が他人と仲良くするということはそんなに重要なことなのだろうか?
少なくとも私にとって他人との仲なんてどうでもいい。
灰色の世界の中、兄様だけを見つめていられればそれでいい。
それだけでいい。
それ以外のことはあまり望んでいない。
「まぁ傍から見ても仲良くはないな。そりが合わないっていうのもあるだろうが、アウローラもフェリも仕事上の会話しかしないからね。それなりに長い付き合いだっていうのにどうかと思うが」
セリアが肩を竦めて兄様の質問に答える。
兄様は納得できたのかできなかったのか微妙な表情で頷いた。
「なるほど……アーラはフェリシアのことが嫌いなのか?」
「いえ、別に。そもそも誰かを嫌いになるほど他人と関わってきませんでしたし」
まぁ、これ以上兄様に近づくようなら話は別だけれど。
「そこからかい。……あのな、アーラ。お前は煩わしいと思うかもしれないけど、人との関わりはなるべく広く深く持った方がいいと思うぞ? 今後も付き合っていく相手なら尚更な」
「……はぁ。と言っても話すことは特にないのですが。向こうだって私と話しても退屈なだけでしょうし」
「フェリシアがそう言っていたのか?」
「言わなくとも解ることってあると思います」
「言わなきゃ分からないこともたくさんあるだろ。とりあえず、フェリシアに『ありがとう』とか、『美味しかった』とか言ってみたらどうだ? 感謝の気持ちを伝えるだけでも大分印象は変わると思うぞ?」
「えー……」
顔と声で意思表示する。
なんでそんなことを勧めてくるのか理解できない。
私は別に兄様以外の他人と関わり合いたいわけじゃないのに。
そんな風にしか考えられない私は、やはり人間として欠陥品なのだろうか。
「ああ、君は本当に良いことを言うな、ソラ。というわけでアウローラ。フェリが戻ってきたら、ぜひとも言ってみたまえ。きっと驚いて目を丸くするぞ」
揶揄うようにセリアが話に割り込んでくる。
底意地の悪いその顔に私は少しだけむっとなった。
「言わないよ、そんなこと。今までだってこれでやってきたんだから、今更無理に仲良くする必要なんてないだろ」
「彼が言っているのはそういうことじゃないと思うんだがな。まったく……私よりも年上のくせに、よくもそこまで拗らせたものだ」
「余計なお世話だ」
「――お待たせしました。……何かあったのですか?」
その時、微かな足音と共にフェリシアが戻ってきた。
その手にはポタージュを載せたお盆が握られている。
私たちの間の奇妙な空気を感じ取ったのか、フェリシアは眉を顰めていた。
セリアが促すように私に視線を向けてくる。
けれど、私は兄様の肩に顔を埋めて無視してやった。
「……はぁ。なんでもないよ、フェリ。ただ、お前が作った食事は美味いって話だ」
「はあ……? それは、ありがとうございます」
訝しげながらフェリシアは兄様の前にポタージュの入った皿を置く。
程よい湯気の立つそれを早々に平らげると、兄様はすぐに満面の笑みを浮かべた。
「うん。やっぱりすごく美味しい。ありがとな、フェリシア。こんな美味しい料理なら毎日だって食べたいくらいだ」
兄様の笑顔と言葉に、フェリシアは頬を赤らめた後、ふわりと微笑んだ。
「そう言って頂けて光栄でございます、ソラ様。このようなものであれば、いつでもお作り致しますよ?」
「いいのか?」
「はい。ソラ様さえよろしければ」
それはまるで花が綻ぶような可憐な微笑み。
その笑みは真っ直ぐに兄様へと向けられている。
私には決して見せることのなかった表情。
付き合いの長さで言えば私の方がずっと長いのに、兄様は私より深く他者の懐に容易く入り込む。
そんな人だからこそ多くの人が兄様によって救われ、私自身も惹かれたのだけれど。
それを見ても、やっぱり私には他者との繋がりが必要だとは思えない。
私が救いたいと願うのは兄様だけであって、見も知らぬ他人ではない。
兄様の肩に顔を埋めながら思うことは一つだけ。
……ああ。
やっぱり気に入らないな、と。
兄様に近づく人間に対する嫉妬だけだった。