あるメイドの災難
私の名はフェリシア=リースベルト。
年齢は18歳。
幼少の頃よりアークレイ家に仕え、現在はセリア様の秘書兼メイドを務めております。
セリア様は人魔大戦の終結後、荒廃したこの都市を建て直すため、先代ラインハルト様の遺志を継ぎ、領主としての責務を果たすため日々奮闘されております。
そんなセリア様を傍で支えられることは私の誇りでございます。
大戦の最前線にあったこの都市を復興するまでの道のりには多くの課題が山積していて、復興がある程度完了した今でも問題は次々と積み重なっていきます。
より良い明日を求める道程に終わりはないということなのでしょう。
そんな最中、本日。
いえ、正確には昨日からですが、過去最大級の難問が降りかかって参りました。
それが――
「……何を見ている」
「いえ、別に」
私の隣に立つ、燃えるような紅い髪と瞳を持った長身の女性。
名をアウローラ=ヴァン=エヴァーフレイム。
人魔大戦の英雄にして、かの『聖王』の近衛騎士の一人だった人物です。
そんな彼女は今、前方にある扉を仇のように睨みつけています。
扉の向こうの部屋には現在、セリア様とソラ様――聖王陛下の生まれ変わりだという少年がいらっしゃいます。
現在時刻は朝の9時を回ったところ。
ソラ様が入室されてまだ10分も経っていませんが、早くも彼女は組んだ腕を苛立たし気にトントンと指で叩いています。
そんな様子をすぐ傍で見ている私はというと。
(……生きた心地がしませんね)
内心、ビクビクしておりました。
理由は至ってシンプル。
それは彼女が世界でも指折りの実力者だからです。
魔獣には下位、中位、上位、災害級という4つの位階が存在しますが、そのうちの最上位――『災害級』。
その位階に属する魔獣はその名の通り、地震や竜巻、雷といった天災に匹敵する災禍であり、人類にとって最大の脅威。
大戦の最中、たった一体の『災害級』によって数十万人規模の大都市が滅ぼされたという記録もあります。
――『災害殺し』。
その人智を超えた力を持つ『災害級』を討伐した英雄に与えられる称号。
その称号を持つ者は世界でも10人にも満たないという文句なしの大偉業です。
その偉業を彼女――アウローラ様は弱冠14歳で成し遂げました。
紛れもない世界最強の一角。
先程は屋敷を叩き出すなんて大口を言ってしまいましたが、彼女にかかれば私など瞬殺でしょう。
……いえ、私どころかこの都市に常駐する騎士団の精鋭たちでさえ恐らく彼女の前では歯が立たない。
その気になれば10年前のラルクスの惨状をたった一人で再現できる怪物が、その怒気を隠そうともしないのです。
降りかかるプレッシャーは並大抵のものではありません。
何とか平静を装っていますが、正直なところ充満する彼女の魔力に今にも倒れてしまいそうです。
しかし、そんな私の内心など露ほども知らぬ彼女は、 ゴゴゴゴゴッ! という擬音が聞こえてきそうな剣呑な眼差しを前方のドアへと向けています。
(……あ。これもう無理です)
このまま無言でいたら、正気を失ってしまう。
そう判断した私は横に立つ彼女に話しかけることにしました。
「そう警戒せずとも、セリア様はソラ様を傷つけるようなことはしないと思いますよ?」
その言葉に、アウローラ様はギロリと私に視線を向けてきました。
まるで全てを焼き尽くす業火のような紅い瞳に思わずたじろいでしまいますが、ここで引いてはメイドの名折れ。
なけなしの勇気を振り絞って、私は言葉を紡ぎます。
「セリア様はソラ様が本当に聖王陛下の生まれ変わりなのか、その確信を得たいと考えています。そのためにソラ様から話を伺おうというだけです。仮にソラ様が本物だったとしても、政治的に利用しようという考えもありません。セリア様はただ、この都市を救ってくれたことにお礼を言いたいだけなのです」
口調は若干硬くなってしまいましたが、それでも何とか最後まで言い切りました。
すると、アウローラ様は視線を前方のドアへと戻しながら、 ……ふんっ、と鼻を鳴らしました。
「……くだらない。セリアにどういう意図があろうと、あの人の害にならなければそれでいい。それより、お前はどうなんだ、フェリシア。セリアはまだ疑ってるようだが、お前自身はソラのことをどう思ってるんだ?」
「それは……」
問われて、私は思わず言葉に詰まってしまいました。
セリア様の心境についてはある程度把握していますが、だからと言って主人が明確に答えを出していないのに、従者である私が迂闊に発言しても良いものなのか。
ただ、私が思うに――ソラ様が聖王陛下の生まれ変わりであることに間違いはないと思います。
なぜなら――、
「……信じますよ。私はセリア様のように己の眼だけを絶対の判断基準にしているわけではありません。俄かには信じられない話なのは確かですが、聖剣の御託宣もありますし、何より――あの少年は貴女のことを『アーラ』と呼んでいましたから」
そう。
先程ここへ案内していた時、ソラ様は彼女のことをそう呼んでいました。
元々彼女の名前は聖王陛下がつけたものだと聞いています。
その名を軽んじられること、名前を略されることを彼女はひどく嫌います。
かつて彼女のことを軽々に『アーラ』と呼んだ政府の高官が病院送りにされたのは有名な話です。
私もそのことを十分承知しておりますので、ソラ様が彼女の名前を略したことに肝を冷やしたのですが。
(……でも、彼女はそれを受け入れていた)
それはつまり、彼女がソラ様のことを聖王陛下の生まれ変わりだと信じている証拠なのでしょう。
かつて誰よりも聖王陛下の近くに侍り、その最期を看取った彼女がそうだと言うのなら、生まれ変わりなんて荒唐無稽な奇跡も起こりうるのではないか。
最初は半信半疑でしたが、今はそのように考えています。
そんな私の言葉に、アウローラ様は再び鼻を鳴らしました。
その表情からは何を考えているのか読み取れませんが――少なくとも先程よりも剣呑な空気は感じられません。
「……別に、セリアがあの人に危害を加えることを心配してるわけじゃない」
……じゃあ、さっきから何をそんなにイラついてるんですか? と、思わず言いそうになりますが、そこはグッと我慢。
いつだって正直が美徳とは限らないのです。
自制心の足りない猛獣相手には特に。
アウローラ様は腕を組んだまま、言葉を続けます。
「あの人はそれこそ海千山千の曲者たちを相手取り、いつだってそれらを味方につけてきたんだ。セリアを説得するのもそう時間はかからないだろうさ。私が気にしてるのはそこじゃない」
「では何が?」
アウローラ様は苛立たし気に目を細めながら、前方のドアを見やりました。
それから唇を尖らせながら、ぽつり、と。
「だって、私以外の女と二人っきりになってるから」
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
「………………はい?」
あまりにも予想外な言葉に、思わず聞き返してしまいました。
いやだってまさかそんな理由だなんて思わなくて……。
「……あの、それ本気で言ってます?」
「本気も本気だが? 何か文句でもあるのか?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
口ごもる私に、アウローラ様は視線を向けてきました。
紅い瞳に浮かぶのは解りやすい不機嫌の色。
まぁ、好意を寄せる男性が他の女性と密室で二人きりというのは確かに当人としては面白くないでしょうが、それにしても……。
「些か心が狭すぎるのでは? セリア様は領主として当然の職務をこなしているだけですし……。そもそも中身はともかく今のソラ様はまだ子供ですよ? さすがにあの年頃の少年に劣情の眼を向けるのはどうかと……」
瞬間、彼女の身体から迸る魔力が稲妻となって廊下の床に焦げ跡を作りました。
(ひっ!?)
心の中で小さな悲鳴を漏らしてしまいます。
これはまずいです。
私は慌てて横に飛び跳ね、アウローラから距離を取ります。
私の本能が最大級の警鐘を鳴らしていました。
この猛獣をこれ以上刺激するのは危険です。
私は両手を上げて降参のアピール。
これ以上つつけば火傷では済まなくなる可能性すらあります。
セリア様やこの都市のためなら喜んで命を捧げますが、流石に他人の痴情が原因では死んでも死に切れません。
アウローラ様も、それ以上つつくことはせずに、私に向けていた視線を再び前方のドアへと移しました。
「これで最後だ」
そしてポツリと呟きました。
「私があの人の傍を離れるのはこれが最後だ。これが終わったらもう二度とあの人を離さない。今度こそあの人を最後まで護り抜く。そのために私はここに居る。それを邪魔する者は誰であろうと容赦しない」
まるで自分に言い聞かせるように紡がれる言葉。
果たして、それは依存なのか、執着なのか。
いずれにせよ、その言葉の中にはこれまでの彼女には無かった感情が籠められているように思えます。
「……本当に数日前とはまるで別人のようですね」
思わず、そんな言葉が口からこぼれてしまいました。
人魔大戦が終わってから……いえ、聖王陛下を失ってからの彼女は全てに絶望し、心が抜け落ちてしまったような、そんな印象がありました。
セリア様や軍の命じられるままに魔の森の魔獣や瘴気を浄化するだけの覇気のない操り人形。
それが、これまで私がアウローラ様に抱いていた人物像。
しかし、今はどうでしょうか?
生気が抜け落ちたような人形の仮面は剥がれ落ち、代わりにその眼に宿るのは強烈なまでの執着。
昨日の夜、彼女はソラ様に害を及ぼすならラルクスを滅ぼすと言いましたが、それは決して誇張ではないのでしょう。
主を護る番犬にして、狂犬にして、狂剣。
あの少年を護るためなら、彼女は躊躇いなくこの都市に牙をむく。
(……これはもう彼女の手綱を握るのは無理ですね)
私は内心ため息を吐きました。
やはりセリア様の言う通り、彼女を制御するための鍵はあの少年。
あの少年を傍に置かなければ、彼女はいつ暴発するかわからない爆弾と変わりありません。
しかし逆に言えば、ソラ様と良好な関係を築くことさえ出来れば、間接的に彼女を誘導することは充分に可能ということ。
(……とりあえず今は下手に刺激せず、ゆっくりと関係を構築しなければなりませんね)
まぁ、セリア様ならそんな下手な手は打たないでしょうけど。
そこまで考えたところで、目の前のドアがガチャリと開きました。
開かれた扉の向こうから顔を覗かせたのはセリア様とソラ様。
アウローラ様はソラ様の姿を認めると、安堵したように小さく息を吐きました。
しかし、それも一瞬のこと。
ソラ様の様子を見とがめるように、アウローラ様は目を見開きました。
そう。ソラ様の目元は少しだけ赤くなっていたのです。
まるで涙を拭った跡のように。
そんな彼女の視線にソラ様も気付いたのでしょう。
バツが悪そうに頬をかいています。
あれ、セリア様?
貴女も目元が赤くなってますよ?
心なしか、なんだかお二人の距離も近いような……。
嫌な予感を抱いたまま、私はアウローラ様へと視線を向けます。
「…………………兄様?」
……気のせいでしょうか。
ソラ様を呼ぶアウローラ様の声がひどく冷たくなってるような気がします。
いえ、これは私の気の所為ではありません。
その証拠に、口元は笑っているのにその眼光は先程以上の怒気を孕んでいます。
「……セリア?」
次にアウローラ様は隣に立つセリア様を睨みつけます。
しかし、向けられた視線にセリア様は鷹揚に肩を竦めて、それから悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべ。
ソラ様の背中にしなだれかかりました。
「…………ッ!?」
まるで見せつけるかのようにソラ様の首元に腕に絡めるセリア様。
……あの、セリア様?
なんで今、私に向けて小さくVサインを作ったんですか?
それ、彼女相手だと完全に喧嘩売ってますからね?
――ドゴンッ! という轟音が廊下に響き渡りました。
発生源は彼女の足元。
床板に亀裂が入ったのを視認した私は思わず天井を仰ぎました。
諦観にも似た感情を抱く私をよそにアウローラ様はズンズンとお二人へと詰め寄っていきます。
慌てるソラ様に、愉しそうに笑うセリア様。
それを見て益々怒るアウローラ様。
次の瞬間には更なる轟音が再び屋敷中に鳴り響きます。
(ああ、この後ここの片づけって私がやらなければならないのでしょうか……)
私は諦めと悲しみに満ちたため息とともに目の前の現実から匙を投げるのでした。