第9話 ジオルスタスとアナストリア
「んっ……ったぁぁぁ………」
大きく伸びをして、アナストリアは携えていた作業を全て終わらせた。
しかし、何かを忘れている。
そう感じた彼女は、辺りを見渡す。
目に入ったのは、開いた状態の本を遮光物に利用して目元に乗せ、ソファで睡眠中のジオの姿、寝息も静かに気配も非常に希薄だった。
大事な話がある、そう言って呼び出したはずが、二時間前のジオの来訪がすっかり頭から抜け落ちており、無駄な時間をここで過ごさせた。
だから、眠っている彼を起こさなければならない。
「ジオ君、起きなさい」
「…ぅ……ん? あれ、リアさん、おはよう」
「えぇ、お待たせ」
まるで手の掛かる弟の面倒を見るように、彼女は本棚へと本を戻して、ジオの向かい側にあるソファへと上品に腰を下ろした。
これで話し合いができる。
と思ったが、寝ぼけ眼を摩る彼は、まだ目覚めきっていない様子だった。
「大丈夫?」
「あぁ、まだ少し眠たいけど、何とか………よし、もう大丈夫だ。話し合いを始めようか」
眠たそうにしていたが、眉間を摘んで抑え、意識をバッチリ切り替えた。
脳が回転をスタートさせた。
その心の遠心力で睡魔を打ち破り、ソファに座り直した。
「で、俺を呼び出した理由は何だよ?」
「それは勿論、貴方の寮についての説明と、試験結果に関する説明ね」
「別に必要無いと思うんだが……」
「これから学園生活を送る上で大事な話なのよ。ちゃんと聞きなさい」
「分かったから教えてくれ」
彼に説明すべき内容は主に二つ、一つは入学試験についての不正疑惑の行方、もう一つは寮の手続きについて、学園に勧誘した手前、この超低待遇に対する謝罪もしなければならない。
ギリギリ合格できたが、この扱いの酷さは貴族達が起因となる。
知人の待遇を知っているからこそ、謝罪と明確な説明、そして釘を打つ必要性が出てきてしまった。
「まずは入学試験についてね」
「入学試験についてって言われても俺、自分が何点かすら知らないんだが?」
「そうね、まずは順を追って説明しようかしら」
そう言ってアナストリアが事務机から複数の用紙を取り出して、それをジオへと渡した。
それは、見覚えのある回答用紙。
採点されたテストが、彼の手に渡った。
合計十三枚の回答用紙に無数の書き込みが散見され、採点以外にも波線や下線、重要語句には二重丸を付け、まるで分析しているような方法を取っていた。
名前の横にある四角いマスに、百点という点数が大々的に赤ペンで記載され、十三枚中十二枚は正しく採点されていた。
しかし問題の一枚、魔法学概論のみ点数が八十五点という中途半端な点数となっていた。
「八十五点か。なぁ、この残りの十五点分の失点原因は何だったんだ?」
「違うの、貴方の方が知識的に見て実力が上なのが分かってるから、本当なら満点だったわ」
「じゃあ何で?」
「この問題を作ったのは魔法学概論の講師の人でね、その人貴族の中の貴族至上主義を掲げてるから、貴方の記述が気に入らなかったのね」
「嫌がらせで採点させるなよ……」
マーク式と違って、記述式は正解例はあってもキチンとした解答が無いため、多少違っているだけで不正解にできてしまう。
そして、彼の書いた理論は詠唱魔法しか使えない一般魔導師には不可能な理論でもある。
だから幾ら研究しようとも、無詠唱が使えない時点で研究する価値も意味も無くなる。
しかし理論としては間違っていないため、また彼が問題用紙に間違いを指摘するような記載を何箇所も記したせいもあり、製作者の矜持に傷を付けた。
その腹いせである。
しかし、それでも八十五点もある。
一次試験の採点内容を理解すると共に、十四枚目の点数一覧を目にする。
「二次試験結果、丁度二百点だったか」
「えぇ、文句無しの一位よ、算出方法はそこに書いてある通り。おめでとう、と言っておくわ」
「三次と四次が両方零点ってのは?」
「三次試験は仕方ないわよ。貴方のその身体、魔法を使えるまで回復してないもの。けれど面接試験はベイナール卿とホスファー卿の二人を敵に回したのだから、貴族権限で零点にされたのね」
傲岸不遜な態度を終始貫いたから、二日目の成績は最下位の零点となった。
一日目の点数だけで、すでに一位通過できていた。
しかし彼は何故か総合順位で最下位、そして特待生として根回ししていたはずが、その特待生枠を他に盗られてしまった。
「で、結局何が言いたいんだ?」
「貴方は本来なら特待生として、いえ、学年総代表生徒として選ばれても可笑しくなかったという話よ。私が数日間学園を離れてる間に、まさかこんな事態になってるとは夢にも思わなかったわ」
「学園を離れてたってのは?」
「魔法協会から魔術師として依頼が来たの。最近モンスターが活発化してきてるでしょ?」
「あぁ、確かにそうだったな」
「クレサント地区は私と後二人の魔術師が担当してるけど、生憎二人は今ちょっと野暮用があって、私が郊外に現れたモンスターを討伐したのよ」
魔法協会から依頼を受け、討伐に向かい、事務処理を終えて戻ってきた頃には、すでにジオの主席合格が取り消されていた。
これも全部教頭率いる貴族連中の仕業だと語る。
「その教頭、何者なんだ?」
「……名家七天勇爵は知ってるわね?」
「あぁ、百年以上前に起きた大戦争で武勲を上げた七人の英雄、その特別に爵位を与えられた英雄達の末裔だ。まさかそうなのか?」
「その通り、エイレクシス勇爵家筆頭でね、貴族達を抑えるのが結構大変なのよ」
かつて世界では大陸同士が領土を巡って奪い合う大戦争が勃発していた。
血で血を洗うという生易しい戦場ではなく、もっと凄惨な状況を作り出す程の地獄絵図が描かれる、蹂躙の限りを尽くした他大陸との戦争があった。
これを、『第四次魔導大戦』と呼ぶ。
その大戦で英雄視された七人の魔導師には、爵位を与えられて、現在まで反映してきた大貴族達である。
「けど、どれだけ名家でもアンタより立場は下だろ?」
爵位を与えられたからと言っても、『魔術師』の称号を持つ十人の魔法使いの方が立場は上。
王族並みの権限を持っている。
それだけ強さと実績、信頼があってこその権限なため、無闇に行使するのも難しいと考えているアナストリアは、容易に口出しできなかった。
それでも不合格は流石にどうかと、思考を巡らせた結果、とある結論に至る。
「向こうには爵名印があるから、幾ら私でも容易に口出しできないのよ。だから敢えて最下位にして、貴族達の溜飲を下げたの」
「そうか……概ね事情は理解した。エイレクシスとか言う貴族に目を付けられて、不合格執行直前にアンタが介入したって訳か」
「えぇ、特待生という枠組みも毎年貴族が主席だから、それを隠蔽するためでもあるの。貴方が主席として公開されたら、貴族側は面目丸潰れなのよ」
「貴族って複雑なんだな」
合格にはなったものの貴族の槍玉に挙げられたため、これからも嫌がらせの標的になるのは目に見えて明らかだと、溜め息を吐いて目頭を抑えた。
余計面倒になった。
一々相手にしなければ充分かと考えるが、無視するのも痼りを残す結果に繋がるため、入学するメリットがどんどん霞んでいく。
彼の目的は主に二点、一つは対面のソファに腰掛ける彼女から推薦、つまり勧誘を受けたから。
しかし推薦枠の話は蹴って、一般での受験を希望した。
それは彼女に迷惑を掛けないため、推薦によって発生する諍いの発生を防ぐ目的だったが、巡り巡って迷惑が舞い戻ってきた。
もう一つは禁書庫閲覧区域の入館であり、そこにある蔵書が目当てだった。
「正直、俺が入学する価値、ほぼゼロだよな?」
「ぶっちゃけたわね……大方その通りね。でも、貴方は推薦枠の勧誘を蹴って一般受験に臨んだ、私の要求を飲んでくれる約束までして。何故かしら?」
「……俺には三つ目的があるからな」
「一つは私との約束、一つは禁書庫閲覧区域の利用権利、その二つは聞いたわ。だけど、もう一つは聞いてない」
「教える気が無いからな」
ジオは列車でルーテミシアに、二つの目的を話した。
知人に誘われたから、魔法学園の所蔵する本を読みたいから、そう教えた。
しかし、第三の目的が他にあった。
「それより今は入寮に関してだ。何で俺だけ森に隔離されてんだよ?」
「あぁそれは、貴方の入寮手続きの書類がどうしてか、教頭先生の手に渡っちゃって……」
「その経緯は?」
「私が外出中に教頭預かりになった書類の束から抜き取ったんでしょうね。手続き書類を確認してる最中に貴方のだけが無いって気付いて、それで問い詰めたの。そしたら不正疑惑について出されたわ」
話が見えず、首を傾げてしまう。
彼女の説明は続く。
外出中にエイレクシス教頭が書類からジオのだけ抜き取り、それを確認させて書類紛失に彼女が気付く。
このままでは入寮できない。
そう思った彼女はエイレクシスを問い詰め、しかしジオの不正疑惑を話題に出され、貴族達が納得しなかったため折衷案を提示しようとした。
そんな時、森にある寮に住まわせるという案が出て、ジオなら何とかするだろう、と考えた挙げ句、特殊寮を見もせず了承した。
「アンタなぁ……いや、一人の方が気楽だから別に構わないんだが、貴族に横暴させすぎじゃないか? アンタらしくないぞ、リアさん」
「面目無いわね。けど、下手したら学園の支援金も打ち切りになっちゃうし……」
「成る程、そりゃ大変だな。だからアンタ、俺にあんな約束させたんだな」
試験前、旅の途中で通信していた頃、二人は入学における会話を弾ませていた。
入学するメリットを示し、逆に要求を呑んでくれと頼み込んだため、損得勘定を考慮に入れて彼は対価を要求し、利害が一致した。
そのために、禁書庫閲覧を対価に入れた。
特待生という目立つ存在にならなかった、寮も一人暮らしになった、そして目立たず平穏無事に学園生活を送れる現状に、文句はすでに心から取り払われていた。
「約束、覚えてるわよね?」
「一つは『魔導対抗競技祭』への出場、それか出場できるだけの生徒育成、そしてルグナー魔法学園を優勝に導く、だろ? もっと別の形で約束を要求してくると思ってた。変な要求してくるもんだよ」
魔法による学生対抗競技祭は、学生達の一つの目標でもある。
クレサント以外にも魔法の学園が複数存在する。
その行事は学生同士の交流戦でもあり、その優勝校には魔法協会名義で多額の賞金が与えられ、全国で中継されているため、注目の的となる。
また、MVPに選ばれれば様々な特典が手に入る。
アナストリアとしては、多額の賞金に目が眩んでいた。
そのために約束を取り付け、更には貴族連中を黙らせる目的でジオを入学させようと画策した。
「正直それ、火に油を注ぐような気もするぞ」
「貴方の実力なら、学生レベルでの交流戦なんて優勝も容易いでしょ?」
悪どいなと思った彼だが、言葉を慎んだ。
しかし容易いと言った彼女の言葉も否定しない。
「何でそこまで拘るんだ?」
「それはね……とある学園に忌々しい女がいてね、彼女に去年の競技祭で負けたのよ。そのリベンジのため、力を貸して欲しいの」
「忌々しい女? 誰だそれ?」
「私の同期だった子よ。向こうが勝手にライバル視してくるから鬱陶しいんだけど、前に負けた時イラッとしたから、その報復のためよ」
「私怨だな」
「勿論、貴方の実力を認めさせて、貴族連中に一泡吹かせる目的もあるけどね」
自分に何を期待しているのか、と余計に頭痛がしてきたジオだが、しかし彼自身要求を呑んでもらう手前、あまり断りにくい状況だった。
試合に出るよりも、観戦する方が好きな青年。
その彼にとって、全国中継されるという事実に嫌気が差していた。
中継に映りたくない。
テレビに出たくない、そう思うが、時すでに遅し。
顔を暈されてはいたものの、すでにテレビ出演して、評論家が議論していた。
「全く、面倒な要求を呑まされたもんだな」
その仕打ちが森での一人暮らし。
「正直、出たくないんだがな」
「じゃあ誰か見繕って育成するの? 多分貴方、風当たり強いわよ?」
平民ですらない青年に教わりたい人間が果たしているものか、そこが心配だった。
しかし彼は大丈夫だと答えを返す。
「試験前と当日、二人の知り合いができてな」
「知り合い?」
「ルーとギルベルトの二人だ。あ、ルーってのはルーテミシアって子の愛称で、彼女とは列車でクレサントに来る途中で出会ったんだ。ギルベルトは剣聖の孫って言えば分かるか?」
これも運命なのか、三人共入学できた。
片方は合格が確定していた回復魔法の使える光属性の少女で、もう片方は魔法より剣が似合う剣聖の孫と称された剣士の青年。
合格し、ジオの知人二人は特待生となった。
ただ、彼等はジオが学生寮を追い出された件を、まだ知らない。
「そう……あの子が言ってたのって貴方だったのね」
「何か言ったか?」
「いえ別に」
ボソッと呟いた声は、青年の耳には届かなかった。
カチ、コチ、と時計の針が音を響かせる。
「そうか。もう一つの約束に関しては……今は時期的に関係無い話だったな」
そうして、触れたその話は特に話題を広げずに、鎮火してしまった。
彼等の取り交わした二つの約束は、守られる。
魔法競技の祭典行事への出場、それに準ずる生徒の育成、最終的にルグナー魔法学園の優勝を捥ぎ取るという結果が、そのまま約束の証拠となる。
もう一つの約束について二人は口を噤み、ジオはこれまでの話を総括した。
「最下位だった件、それから入寮の件、その両方共に貴族連中が関与してて、その中でもエイレクシス家が殊更厄介極まりないって話だったな」
「えぇ、またどんな手で学園から追い出そうとするか分からないわ。充分気を付けてね」
気を付けるだけでは意味が無い。
反撃に転じなければ平穏な学園生活を送れないため、弱みでも握るか、と決意を新たに書類を返却した。
「入学前なのに疲れたぞ」
「でも、貴方が来てくれて本当に良かったわ。三年間、誰も貴方の行方が掴めなかった。誰にも行き先告げずに旅に出ちゃうんだもの、皆心配してたわよ」
「音信不通だったのは悪かったが、連絡できる状態じゃなかったんだ」
当ての無い旅、それは生きる理由を探す旅でもあった。
しかし結局のところ、何も見つからなかった。
この魔法学園では、とある目的のために入学試験を受験するに至ったが、光が見えない一寸先の闇に足を突っ込んだ気分である。
泥沼に嵌まってしまった。
ここに自分の求める物があるのか、と期待と諦念が綯い交ぜになって顔面に多少表れていた。
「まぁ、退屈はしなさそうだな」
思っていた以上に濃い学園生活となろう、ならば自分がすべきなのは極力目立たず、波風立てずに一日一日を乗り切る事のみ。
消極的な生活を志す彼の数年振りの様子に、学園長の顔からフッと笑みが零れた。
「変わってないわね、昔から」
「変わったろ。魔法の扱いが極端に変化した」
「でもどうやってるのよ? 貴方の身体、まだ魔力回路が焼き切れたままのようだし……」
「旅先で知り合った奴等から着想を得てな、それの改良を繰り返して独自の魔法体系にしたんだよ」
たった数年で、その偉業を成し遂げた。
しかし彼自身、どれだけ偉大な功績かを殆ど理解していないため、驚いた表情のアナストリアを見ても不思議に感じるだけだったりする。
「だから今は魔法紙無しでの魔法は、大した出力にならないんだ。ほら」
そう言って彼は【灯火】の魔法を披露するものの、マッチ以下の火種しか出現させられず、その火元も窓から入る隙間風に吹き消された。
それだけ弱体化した、と捉えられる。
そして魔法一つだけで、体内の魔力の大半を失ったも同然だった。
しかし疑惑の目を向けるアナストリア。
首を傾げながらも、映像との違いを指摘する。
「貴方、もしかしなくても、その魔法紙とやら無しでも魔法使えるんじゃないの?」
「……どうして、そう思った?」
「だって二次試験でジャン先生との戦闘中、貴方魔法紙無しで一つ魔法使ってたじゃない」
ドキッ、と表情にも仕草にも出さなかったが、鋭い観察眼だと誤魔化し方を模索し始めた。
彼としては、暈す必要があった。
その魔法は世界において、危険であるから。
「何の話だ?」
だから、知らないフリをする。
だが、彼女には正体が判明していた。
「転移魔法、でしょ?」
「……やっぱアンタには見破られたか」
転移魔法、それは文字通りの魔法である。
地点Aから地点Bまでの距離を百メートルとして、そのAからBまでの距離を一瞬で移動できる力で、世界でも使える人間は極少数しかいない。
それは扱いが非常に困難で、一ミリ単位で転移地点がズレれば肢体が千切れるから。
もう一つは、転移魔法の魔法術式が大昔の遺産として失われたからだ。
「その通り、遺失魔法の一種だ。それを駆使して魔法圏内から脱出したんだ」
「まさか失われた魔法を使えるようになっちゃうとはね、何処で覚えたのよ? 少なくとも三年前までは使えなかったはずでしょ?」
「この三年で覚えたんだよ。魔法の扱い方が変わったし、俺の使う『刻印式』ならって思ったんだ」
遺失魔法とは、文字通り大昔の便利でありながら様々な理由から抹消された魔法の総称を指し示し、転移魔法もその一つ。
距離を飛び越える魔法は、現代社会の交通網の文化に革命を与える。
また、使い方次第で悪用し放題であるため秘匿された魔法であったが、それを彼が解き明かした。
「転移魔法の一つ【星渡る刹那】は、短距離空間移動を目的とした空間魔法なんだ。使い勝手が良いから重宝してるんだが、これにも弱点があってな」
「弱点?」
「移動範囲が短距離に制限される」
「……何処に弱点が?」
「例えば、大規模魔法を放たれて逃げた先も相手の魔法射程圏内だった場合、そのままお陀仏って意味だ。どんな魔法にも弱点はあるからな」
「逆に言えば、それ以外に欠点は無いんでしょ?」
「まぁな。魔力量もそこまで必要としないし、改善点は距離だけだな」
精々百メートル程度の転移しかできない、そんな魔法が戦場で使えるかどうか、彼はそれを試すためにも戦場に舞い戻ったりもした。
そこは彼にとっての魔法の実験場だった。
「でも、転移魔法なんて即座に無詠唱でできるの?」
「予め術式を身体に刻んであるから、使い捨ての魔法陣を駆使したんだ。近接戦における緊急回避からの反撃用に刻んだ魔法なんだがな」
それを逃げの一手に利用した。
だから敢えて煙を多く噴出させ、見られないよう配慮したつもりだった。
だが、それでも凄腕の魔術師には看板されてしまう。
そして連続使用すると怪しまれるため、古代魔法は控えるべきだと考え、緊急回避以外では駆使しないよう注意して身体に刻んだ。
だから、その場で乱用しなかった。
三年前までなら、確実に駆使して敵国に乗り込んでいたであろう。
「三年間で随分と成長したのね」
「……成長した、か」
「あら、違うの?」
「いや、実感が湧かないだけさ」
自身の成長は、自分では気付きにくい。
その分他人からの評価ならば、正当性も高まる。
戦って、生き延びて、また戦って、その血生臭い繰り返しの日常から乖離した場所にやって来た彼は、初めて他者から評価を受けた気がした。
それは、成長しているのか。
それとも平和ボケによる退化なのか。
彼にはまだ、その答えが分からなかった。
「アンタが俺を利用しようとした理由は分かったが、それだけじゃないだろ。利己的なアンタだ、こんな俺を学園に入学させる利点が大会優勝だけってのも腑に落ちないし味気ない。本当は何が目的なんだ?」
「え、私そんな風に思われてたの?」
「自分の欲に忠実な一面以外殆ど見た事無いんだが?」
ジオとアナストリア二人の出会いから今日までで、彼女の欲望に忠実な姿以外を見た記憶がほぼ皆無な彼は、逆に何故驚かれているのかに疑問を呈した。
富や名声、権力までも手にした彼女。
魔術師という最高峰に登り詰めるまで、ずっと利己的に生きてきた。
それをジオや彼女の知人、友人達は知っている。
だが彼女自身に自覚は無いため、余計に手を焼かされてきたなと昔を懐かしんだ。
「まぁ、それがアンタの良いところだって前に誰かが言ってたな。俺にはよく分からんが」
「ありがとう、最後の一言が余計だけど……」
「それは今どうでも良い、それより俺の質問に答えろ。俺を入学させた最大の目的は一体何だ?」
互いの要求が本音ではない、それは長い付き合いであるため薄々勘付いてはいた。
しかし、タダで利用されるつもりは毛頭ない。
だから問い質している。
「貴方ももう十六歳、普通の学生らしくするのも良いんじゃないの?」
それは彼女なりの優しさ、十数年間も戦場にいた彼には同年代の友人が殆どいない。
それに加えて学生らしい行事も無い、ただ血を浴びる毎日だったため、それでは普通の人間としての尊厳を持っていないのと同義。
だから彼にも人間らしさを与えねばならない。
それが化け物として戦場で生きた彼に対する、一つの労いの形なのだった。
「普通の学生ってどんな感じなんだ?」
「そうねぇ、例えば友達作って何処かに遊びに行ったり、皆で思い出作ったり、一緒に何か行事を企画するのも良いわね。それに恋する、とかかしら? 青春を満喫するのが今の貴方の役目よ」
「……」
聞かされても今一つ理解し難い内容だったが、その役目を全うするために入学させた、という言葉に疑問が脳裏を静かに過った。
何かを隠している、と。
程の良い言葉を吐き散らかし、自分を何かに利用するつもりでいるのか、という気持ちが強まった。
「逆に貴方は何が目的なのかしら?」
「ん? 言ったろ、禁書庫にある蔵書が――」
「本当に?」
遮って念押しする彼女と目が合う。
揺れ動かない二人の双眸が、しばらく視線が交差して、先に目線を切ったのはアナストリアだった。
「ハァ……やっぱり貴方の表情からじゃ、内心何考えてるか分からないわ。流石の能面っぷりね」
「表情を繕ったりもできるぞ。感情表現を変える魔法も編み出したし、今なら状況によって最適な表情が作れると自負している」
それはつまり、魔法が無ければ笑ったりも泣いたりもできないのか、と問い質したくなった彼女は、その青年が不憫に思えてならなかった。
その彼の発言は、表情だけ取り繕った中身の無い表情しかできないと捉えられる。
彼には感情がある。
しかし感情を感情として表出させる技術を持たず、そして戦争の血生臭さと過去に失った大切な命の数々が、彼の情緒を不安定にさせ、追い詰めて、自己嫌悪に陥って、自問自答を繰り返して、乏しく希薄化して、全ての情緒を奥底に仕舞った。
感情の大半が歪んだ子、頭のネジが吹き飛んだ、戦場が生んだ殺戮兵器。
人殺しの兵器として生まれてしまった彼を、その壊れた価値観を彼女は憐れんだ。
「その魔法を今も使ってるの?」
「常時発動型だが、自在に切り替えられる。簡単に言えば演技用の魔法なんだ。例えば……」
「な、涙?」
「そ、好きなように涙を流したりもできる」
ツーッと彼の頬を涙が滑り落ちる。
しかし、彼は悲しくて泣いているのではない。
泣いているように演技しただけ。
「俺は感情表現が苦手だからな、場の雰囲気を悪くしないよう暇潰しで開発したんだ」
「凄いわね……いや、凄いんだけど、それは……」
とても空虚であろう。
それは魔法が無ければ悲しくとも泣けないのだから、その三年間で成長した青年の様相に不気味さを覚えた。
三年前までは乏しくも感情を出そうとしていた。
しかし今はどうか、もう彼が何を考えているか完全に分からない。
「言いたい気持ちは分かる。けど、いつか自然と笑える日が来るって、ある人が言ってくれたんだ。俺はそれを信じて待つよ」
「……そうね」
感慨に耽るも、その時間は決して長くはなかった。
長居したと、彼は壁に設置された時計を見る。
すでに日は傾いて、もうすぐで夜となるため、自分の家に戻ろうとアナストリアへと目線を落とした。
「さて、他に何か話す事は?」
「特に無いわ。これで話は終わりよ」
「そうか。じゃあ俺はそろそろ、自分の寮に戻る」
ソファから腰を上げて、一枚の魔法紙を取り出した。
そこに幾何学な魔法陣を書き加えて、その転移魔法陣に魔力を注いでいく。
「あ、そうだ。俺達の関係について、これからは一生徒と学園長として接させてもらうよ。贔屓目に見られると貴族連中が黙ってないだろうしな」
「……えぇ、そうね。でも忘れないで」
「ん?」
「私と貴方は友人よ、困ったらいつでも頼って頂戴。たまには遊びにも来なさいな」
「あぁ、ありがとう」
朗らかな顔を最後に、ジオは自分の建築した一軒家へと戻っていった。
光が放たれて、一瞬で姿が消失した。
ソファに残る温もりが、青年が確かに生きているという証であり、懐かしくも変わりない彼の様子を見れた彼女は満足していた。
「この数年で何があったのかしらね、ジオ君」
肉体的にも精神的にも魔法力的にも、彼は著しく三年前と比べ物にならない成長を果たしたが、そこに数年前の面影は確かに残っていた。
しかし、それでも心の傷は誰にも埋められない。
過去に付けた忌まわしき傷を、彼は仮面の表情で隠してしまった。
最後に見た朗らかな表情が本物なのか、偽物なのか、彼女には想像も付かない。
「ねぇ、皆……彼はまた一段と成長したわよ」
事務机に伏せられて置かれた写真立てを立て直し、そこに映る数人の仲間達へと悲しげな笑みを見せる。
少し困惑した顔を晒すジオ、満面の笑みを浮かべるアナストリア、他にも肩を組んで楽しそうにする十数人の仲間達の大半が過去に映る。
酒瓶持って白い歯を浮かせる筋骨隆々の男や、挙動不審そうにする眼鏡の女、ピッチリと軍服を着こなす超イケメンの男性から、大はしゃぎして飛び跳ねるマイクを片手に持つ美少女まで、他にも多くの人が撮影写真に煌めき、ガラスに挟まれていた。
彼等と過ごした日々は、最早遠い過去となった。
そして、過ぎ去ったからこそ、その日々に彼等は取り残された。
(ねぇ、ルドマン……今のジオ君を見たら、貴方は何て言うのかしら)
きっと、無茶苦茶して彼を強引に冒険にでも連れ出すのではないか、そんな気がした。
もう存在しない、失われた命へ。
彼女は冥福を祈り、窓の外へと視線を移した。
綺麗な夕焼け空、水色の世界は茜色に焦げて、彼女は思い出を胸の内に仕舞って入学の準備をする。
(ジオ君、貴方をこの学園に誘ったのは、ただ貴方に居場所を作って欲しかったからよ。きっと良い出会いがある、そう思ったから)
孤独に生きた人生を労る、その手助けのために彼女は招待した。
この選択が彼にどのような結果を齎すかは、卒業するまではきっと誰にも予想が付かないだろう、それでも今よりも笑える未来のために、彼女は殺戮兵器を未来ある若者にしようと奮起する。
年長者のお節介、彼女は仲間として、友人として学園で自分の人生を取り戻してほしいと願う。
それが学園長となった一人の魔術師の、かつての仲間達から託された想いだった。
(さて、まだまだ頑張ろうかしらね)
彼女は学園長室から退室した。
足音が遠ざかり、部屋は静寂に包まれる。
誰もいない部屋は暗くなり、その写真に映る彼等も安らかに暗闇に眠る。
記憶の彼方に失われた彼等と過ごした日々が、儚くもその静寂に消えていった。
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
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