第21話 とある放課後にて
体術基礎訓練、初回授業は簡単なものだった。
武道で最初に習うのは受け身や殴る蹴る、ではなく、足捌きからとなる。
体術において重要視される要素は大きく分けて三つ、攻防における技、受け身、そして『歩法』、基本三要素を軸に体術を極めていく。
足捌き、歩法や走法といった技術によって、相手との距離や自分のスタイルに合わせた戦法を身に付けられる。
現在、ジオ達はジャンから学んだ歩法の一つを、実践しているところだった。
「良いか、歩法において重要なのは、重心の操作だ。例えば利き足を軸に反対の足を前に出して進む。この時、重心は進行方向である前に向かい、左足の着地点に重心が集まる。重心は常に中心に置くべきだ、なんて考えの奴もいるが、流派によっては重心の切り替えを素早く行う歩法や走法もある」
ジャンは生徒達の前で、幾つかの歩法を見せる。
ゆっくりと慎重に進む『重歩』や、ジグザグに重心を切り替えて進む『蛇行』、一瞬で数メートル離れた場所へ音も無く移動する『縮地』、色々ある。
その三つの歩法は基本的なものだが、結構有用であり、案外難しい。
「それぞれ列に並んで、重歩、蛇行、縮地をやってみろ」
重歩、蛇行、縮地、全て足に魔力を込めて行うが、熟練者や達人級の剣士、賢者の域に達すると、基礎歩法を魔力無しで発動させられる。
因みにジャンは、魔力有りきで歩法を発動させていた。
身体能力には限界がある。
十人いる列が十個できて、演習場を縦に使用する。
魔法によってマーカーが引かれ、そこまで三つの歩法のうち一つに絞って、全員が四苦八苦としながら歩法訓練に勤しんでいく。
途中でジャンが机間巡視に入り、重歩の指導を行う。
「歩法か、結構懐かしいね」
「そうかお前、それでも一応は剣聖の孫だもんな」
「一応って……」
ギルベルトは剣聖アルベルトの直系に当たり、剣聖から直接手解きを受けた経験を多彩に持つ魔剣士。
歩法や走法は、若干五歳に習得した天才。
「五歳の頃かな、爺ちゃんから歩法を習ったよ。ガルスクア魔導一刀流の歩法は、結構難しかったからね」
「それを五歳で習得、か」
「では、重歩とかは習わなかったんですか?」
「あぁいや、基礎は大体習ったよ。だから蛇行以外の二つはできるよ。蛇行は何度か試したら多分できるかな」
重歩、縮地の二つは既習済みとなっている。
だから残りは蛇行のみ、昼食後の訓練は二限取っているためにタップリと修練に取り組める。
順番が回ってきて、ギルベルトの番となった。
「なら、剣聖の孫が何処までできるのか、お手並み拝見と行こうか」
「良いよ、僕の凄いとこ、見せてやる」
重歩は簡単に見えるだけで、実際に行使するには重心移動が難しい。
行使者の難易度は、力量によって変化する。
初めて行う場合は歩法がまるで分からず、変な癖が付かないよう教師へと質問すべきだが、萎縮している生徒も結構多くいる。
最初の接し方が悪かったせいだ。
授業の雰囲気が微妙に悪いよう感じたジオだが、ギルベルトの歩法へと意識を向け直す。
「へぇ、結構やるな」
「なぁジオ君、ウチ、全然違いが分からんのやけど……」
「素人目だと多少難しいかもな。けど、剣聖の孫って肩書は嘘じゃないらしい」
ジオ視点からすると、ギルベルトの足元には必要最低限の魔力が宿っており、重歩という名の如く、足元に重力が集まって地面が多少陥没している。
重歩によって生まれた靴の跡が残っている。
重心に全体重を乗せ、移動する歩法、この歩法の利点は敵からの剣撃や魔法攻撃の慣性に耐える時、吹き飛ばされないようにするため。
魔力障壁が良い例となろう。
障壁を生み出した際、その固定位置は『盾』の扱いになるため、発動者と一緒に移動する。
だから、踏ん張りを利かせるため、重歩は基礎で覚えておいて損しない技術となる。
「重歩は、重心を鍛える意味で最適な歩法だ。魔剣士であろうとも魔導師であろうとも、立っている以上は敵の攻撃に踏ん張る機会も多い。そのために重心操作を一定に保つ歩法として、技術が広く伝わっている」
「魔法以外にも詳しいんやね、ジオ君」
「まぁ、俺は歩法に使用する魔力すら溜められない体質だから使えないけどな」
焼き切れた箇所より常時漏れている。
だから、魔力を溜められない、そう語る。
「体術が得意なら、ルーもできるはずだ。どうだ?」
「はい、私の場合、習ったのは重歩のみでしたから、他二つはまだちょっと……」
「それもそうか。縮地は魔剣術の区分に当たるし、蛇行は格闘術の区分なれども習得してる人間は結構少ない。だが、ジャン教官の蛇行は荒削りだな」
「そうなん? って、何で分かるん?」
「蛇行の完成系は極めれば、ジグザグじゃなくて蛇のようなS字曲の滑らかな歩行になる。俺が知る限りだと、蛇行の上位歩法を極めた奴は三人、だったか。前に教えてくれた人がいたんだ」
昔を懐かしみながら、青年も歩法を行使する。
重歩とは真逆の『遊歩』と呼ばれる歩法の最上位に相当する歩術『比翼』で、一切の音や空気を震わせず、誰もが移動したとすら認識しなかった。
気付けば、青年が移動を終えていた。
だから、青年に注視する人間は殆どおらず、青年も特に目立ったりはしなかった。
滑らかという表現すら生温い程に重力を感じさせない、まるで背中に翼が生えたと見間違えるくらい、その歩法は綺麗で静かだった。
水面に羽根が舞い落ちても、波紋すら浮かばず。
波一つ揺らがない、その歩法は熟練を通り越して達人級の御業だと、ジャンは戦慄を覚えた。
見ていたのは二人、ギルベルトとジャンのみ。
「ジオ、今の……」
到着点にいたギルベルトも、彼の波風立たない歩きに、ゾッとした。
才能が無い、そう嘯く彼は才能がある。
化け物級の才覚、いや、その技術は実戦で鍛錬された果てに研磨された能力だった。
その才能を、剣に生きている青年には看破できた。
血の滲むような努力と実戦が、とある魔法使いの強さを裏付ける。
「ただの『遊歩』だ。俺は歩行に扱うだけの魔力量が保持できないから、軽技しか使えない。重歩のような歩法は、以っての外なんだよ」
「それ、何処で覚えたの?」
「前に教えてくれた奴がいたんだ。その関係で、ちょっとコツを聞いてな。それでも才能が無かった俺は修練に二年も掛かった。お前なら多分、甘く見積もっても一ヶ月もあれば習得可能だろう」
それだけ潜在能力で差が開いている。
二年必要なところを一ヶ月未満で習得できる、それを青年は特段悔しがったりしなかった。
何故なら、すでに覚えた技術だからだ。
そしてギルベルトと自分とでは、戦闘スタイルにおいて進むべき道が異なっているから、魔法使いである彼にとっては取るに足らない技術でしかない。
ただ、その技術を教えてくれた人がいた、という思い出があるだけの話。
「なら何で入学試験の時、歩法を駆使して戦闘を有利に運ぼうとしなかったのさ?」
「単に使う機会が無いだけだ」
歩法より便利な魔法がある。
だから技術として学んだが、特に使う機会も無いなという理由だから、彼は必要以上に他者に能力をひけらかす行為をしないのだ。
戦闘中に技術を盗まれ、踏襲され、戦術に組み込まれたら余計に面倒となるから、という理由もある。
それを逆手に取って相手を騙す方法も講じれるが、それは特殊な状況のみとなる。
「古今東西の歩法は、大体は習得してるかな。実戦ではあまり使わないがな」
「な、なら君は縮地の上位互換、『刹那』を使える?」
「……いや、流石に魔力が足りないから無理だな。俺にできるのは、昔習った方法で他者に教えるくらいか」
今まで身に付けてきた技術の大半は、事故の影響で回復不能にまで陥った焼き切れた魔力回路が原因で、実戦では廃れてしまった。
今では別の魔法で代用できる。
だから、今更歩法を駆使しても無駄。
それよりも良い魔法を幾つも開発して、習得して、実戦で使用可能となるまで練習した。
「俺のは、形だけのものだしな」
結局、今では使わなくなった。
だから、続けていた頃の洗練さは無いから、彼自身の評価は年々低くなりつつある。
が、ギルベルトの反応は異なっていた。
「それは違う……君のさっきの歩法は、『遊歩』じゃないよね? 僕も見えたのが一瞬だったけど、多分遊歩の最上位互換の『比翼』でしょ? 何で君が使えるのかは知らない。でも、一つだけ分かる」
一歩歩み寄る青年は、真っ赤な瞳に青年を映す。
残り数歩分の距離を詰めるには、彼等はあまりにも出会いから日が浅い。
彼等は互いの過去を知らない。
聞ける間柄にまで友情は育まれていない。
その距離を空けたまま、金に靡く髪を掻き上げながら、漆黒に染まる青年と対峙する。
「君の歩法は恐らく実戦で磨かれたもの。それも相当過酷な場所、例えば戦場で生き残るためだけに研鑽を積み続けたような、人間の境地に達する域だ。ずっと爺ちゃんを見て育ってきたから、僕には君の技術力の高さと積み上げた研鑽が分かる」
確固たる信念を持って、剣を携える魔剣士は魔法研究者へと向き合う。
技術力が圧倒的に高い。
何年も戦場で磨かれた技能だ。
それは本当に血の滲む努力で形成され、才能ある無しに関わらず、絶え間無い研鑽の果てに辿り着く、一つの境地であると理解していた。
たった十六年、その年月を全部歩法に捧げて辿り着けるか、と聞かれれば即座に首を横に振る。
それだけ異常な能力を、彼は有している。
戦場で生き抜いたから、敵との実戦経験が彼を最強へと押し上げた。
「君は一体……何者なんだい?」
それは、誰もが思っている疑問。
しかしギルベルトだけが、青年が戦場にいたという事実に接近していた。
何者であるか、それは当然ジオルスタス、そう答えるべきだろう。
だがしかし、彼の求める解答はそうではないのだろう、と理解しているから青年は何と返答すべきか迷いながら、剣聖の孫へと言い返す。
自分はただの魔法使いである、と。
未熟な魔導師見習いでしかないのだ、と。
後悔の果てに、死ぬ事すら許されずに生き延びてしまった使い捨ての戦闘兵器であり、今では生きる目的を探す彷徨い人とも言える。
「ただの魔法使いさ」
そう絞るように、解答を発する。
それだけが、唯一誇れる部分だから。
「そんなはずは――」
「後悔し続けて、間違え続けて、それでも生きる宿命を理不尽に背負わされた、そんな馬鹿な人間さ」
死を許されず、生に執着せざるを得なくなった、そんな不憫で愚鈍な人間だと自己評価を付けて、そのままスタート地点へと戻っていく。
歩き去っていく背に、ギルベルトは何故か声を掛けられなかった。
背を向ける瞬間に見せたジオの表情。
それは生に絶望した人間の瞳であり、生きる意義を見出だせない帰還した兵士のような、人生に疲れ切ったような形相を繕っていた。
「…ジ…ぉ……」
言葉尻が小さくなって、伸ばした手は何も届かない。
黒髪の友人の背中が魔剣士には、昔一緒に遊んだ親友の背中に見えた。
哀愁漂う小さな背は、今にも壊れそうな存在。
もういない過去の友人と重ね合わせた、かつてのギルベルトの記憶は、静かに脳裏で脈打って彼自身を暗闇に落としていった。
伸ばした手を握り締めて、青年に憧れる。
もっと強くならねばと闘志が燃え上がっていき、今度は失わないようにと、ギルベルトは彼を追う。
(そうだ、僕がここに来たのはもっと強くなるためだ。もっと強くなって……今度こそ、僕は………)
後悔を引き摺って、それぞれが授業を消化していく。
戦場から退いた戦闘兵器も、剣の道に生きる魔剣士も、彼等は今を生きている。
歩法の訓練を重点的に授業しながら、青年達は一つずつ学んでいく。
ここから、より過激となっていく日常に備えて、生徒達は歩法の練習に集中的に取り組んだ。
授業初日より沢山学ぶべきところがあった。
放課後は部活動となるが、ジオのように各々の時間を過ごす者も結構多い。
そんな中、銀色に揺らめく髪と純白の制服、白に金糸の刺繍が入ったスカートを靡かせて、一人の少女は『園芸部』の活動場所である、魔植物が沢山生息する植物庭園、その全面ガラス製の巨大温室へと訪れていた。
隣には、ジオルスタスが。
先輩達に睨まれた時用の肉壁、そう考えた少女は放課後の時間で暇だった彼を引き連れて、植物庭園に聳え立つ巨大温室へと踏み込んだ。
本来ジオは魔法指導のために自分の家に帰宅する気でいたのだが、ギルベルトとニーナベルンに納得させる形でジオを借りたいとの願いを聞いたから、こうして暇潰しに付き合わされている。
帰ったら、また魔法の特訓をしよう。
そんな考えを抱きつつ、青年は少女に連れられて、巨大な温室内を横切っていく。
「園芸部って男子禁制、みたいな雰囲気があるような気がするんだが?」
「まぁ、私が先日訪れた時は、女性しか部員がいませんでしたから、男子禁制というジオ君の意見も強ち間違いじゃないと思いますよ?」
「じゃあ何で?」
「部長さんが、一度ジオ君を連れて来てほしい、と仰ってましたから」
何故部長が自分を、という質問はしなかった。
どうせ後に分かるだろうし、今は珍しい植物庭園を観察しようと、周囲へと視線を放っている。
花壇で揺れる花や、そこに戯れる蝶々。
根で二足歩行する花や、季節を誤認させるような観葉植物、庭園に侵入した虫を喰らう食虫植物、数多くの植物が逞しく自生している。
中には、花壇に生えてはならない植物擬きもいる。
豊富な知識が、次第に照らし合わせていく。
「面白い庭園だな、解毒の植物とか、猛毒のもある。魔法研究が捗りそうだな」
「……ジオ君は何にでも魔法に結び付けますね」
「最早、それが『性』だからな」
物珍しい温室の天井ドームは、温室内にある全植物が日光を充分浴びれるよう、特殊な魔法が施されていた。
(付与魔法か……成る程、解析するまでもないな)
ただ、日光を全体へと届けるだけの魔法、屈折魔法とでも言うべき付与。
ランドールがギルベルトに言及した付与魔法の可能性、それをジオは体感していた。
因数式には屈折率を乱数にして、ランダムで適当に浴びせ続けるように細工されているため、太陽がガラス越しに輪郭を揺らがせた。
面白い使い方をしている。
参考としながら、二人は目的地へと赴いた。
巨大植物庭園温室塔の中心区画、薔薇に彩られている東屋では、六名の女子生徒が紅茶を優雅な所作で飲み、談笑に花を咲かせていた。
女子三人寄れば姦しい。
六人も寄ると、喧しい。
言葉通り、そこは男子が触れてはならない禁断の花園、女子生徒達が男子生徒たるジオに気付いた瞬間、ギッと効果音が似合う睥睨を送られる。
その数合計して四つ、四人から隔たりが生まれる。
敵意に満ちた視線ばかりだが、とある生徒二人はゆっくり瞼を持ち上げ、新入生の二人を視界に収め、歓迎するように笑顔を咲かせた。
「あら、新入生ね。ようこそ、園芸部へ」
柔和な笑みは、まるで一輪の可憐な花のよう。
しかし周囲の茎葉に触れるものなら、指先を切って血が滴り落ちるのは必至、敢えて睨みに睨む先輩方とは目を合わせないようにした。
「おやぁ、ジオ君ではありませんかぁ」
「フローラ先輩、どうも」
「はぁい、こんにちはですねぇ」
間延びする会話に、毒気が抜かれる。
植物のように伸びた緑黄色の艶やかな髪は、少女の真っ白な聖域たる制服を華麗に彩る。
嬉しそうに微笑む彼女は、しかし何故ここに男子が来ているのか、素朴な疑問を吐露した。
「それでぇ、ジオ君が何故ここにいるんですかぁ?」
「園芸部の部長に呼ばれたとかで、ルーに連れて来られただけですよ」
「セリーナちゃんがですかぁ?」
セリーナ、そう呼ぶフローラは、隣に優雅に静謐に着席して紅茶を飲む、一人の少女へ視線が赴いた。
その少女、セリーナ=ノゥス=クロディオール。
クレサントの貴族令嬢である。
微かにフローラルな香水を纏う、腰まで伸ばした青髪は綺麗に切り揃えられ、吹き抜ける春風によって色香を放っているよう。
まるで青白い燐光携えた、妖精を思わせる。
蝶々をモチーフにしたガラス製の髪飾りが後ろで留められていて、真っ白な制服に青基調の白ワンポイント柄のスカート、貴族であり特待生であり、非の打ち所が見つからない、生徒達から憧れを抱かれる存在。
それが彼女の全体像。
優雅に、貴族として完璧な所作で紅茶を味わう少女は、二人の一年生へ視線を寄越した。
「えぇ、フローラの話と上級生間に出回っている噂、その二つを加味すれば誰だって興味が湧くというものよ。貴方がジオルスタス君ね?」
「長いと思うので、ジオ、で構いませんよ」
「そう。ならジオ君、それにルーさんも、良ければ一緒に紅茶でも如何かしら?」
席に促されて断るのも失礼かと思った二人は、片方は渋々、もう片方は緊張のまま、純白で意匠を凝らされた椅子に腰を据えた。
逆に立ち上がったのは、セリーナの方だった。
「今皆に振る舞ってる紅茶は、実は私が淹れた物なの。お二人にも飲んで感想を聞かせてほしいわ。どうかしら?」
「は、はい! お、お願いします!」
「ウフフ、緊張してるのかしら? 安心して良いわよ、取って食おうという訳ではないのだから」
優しく諭されて、ルーテミシア本人も徐々に落ち着きを取り戻していく。
一方でジオは、特に緊張した様子も感じさせず、また興味すら持ち合わせておらず、何処吹く風、彼にとって紅茶の試飲会にも興味を唆られない。
ただ用事のため、付き合わされただけ。
その本人の感情の機敏に気付いてか気付かずか、セリーナは不思議な生徒だと認識する。
数種類の茶葉入りの瓶を何処からか用意した彼女は、茶葉の厳選から始め、ブレンドした複数種類の茶葉やハーブを透明なポットに入れ、魔法でお湯を生成、茶葉に注ぎ、香り立たせ、更に一種類の花弁を入れて攪拌した後、ティーカップへと淹れる。
「さぁ、どうぞ」
「い、いただきます……」
僅かに震える手が、ティーカップの細い持ち手に触れ、ソーサーごと持ち上げる。
貴族のマナーを知っているルーテミシア、彼女はセリーナと同じ動作で、紅茶を口に含む。
すると、口の中で爽やかな香りと味が一気に広がりを持たせた。
大層、美味しいです。
そう素直な感想が逆流しそうだった。
感想を述べるのは間違いではないが、これはそういった次元の問題ではなく、素朴な感想を伝えるべきかに迷いが生じていた。
ただ、『美味しいです』では、味気ない。
それに他の生徒からも高評価を貰っているだろう、これは試されている、そんな感じを読み取った。
「……とても味わい深い紅茶です。使用しているのは恐らくですけど、南方諸島国原産のリオハーブ、それから東部連合国のビジター、砂漠地方の豆木から採れるピッカ、三つの薬草が見事に調和しています」
彼女は素直な感想と共に、自分の持つ園芸に対する知識を披露すると、先程まで睥睨ばかりだった他四名の先輩達の視線が、緩和していくのが見えた。
何故、という疑問は後回しに、青年も見事な所作の下、紅茶を試飲してみる。
爽やかな甘さを持たせた薬草茶、疲労困憊な肉体を癒す効果でもあるのか、全身に染み渡るような感覚を齎す。
清涼感が鼻腔を突き抜けていく。
確かに美味しい味だった。
しかし、その味に到達するには、手順が重要だと認識していた。
そして彼女が使用した茶葉は合計四つ、少女の気付かない一つの隠し味が、このブレンドされた特殊な薬草茶を調和させているのである。
「これ、ブランシェルの生み出した『月魔草』を使用してますね」
ジオの発言の途端、全員の顔色が変化する。
睥睨から驚きへ、驚嘆から認識の変化へ、この場にいる生徒達の殆どがジオの発言で理解を示す。
「無知で済みません。あの、その魔草って何ですか?」
「知ってる奴はかなり少ない、希少な花から採れる魔草だ。ブランシェルって一人の植物愛好家がいたんだ。その女性は、植物による紅茶の試飲会を定期的に開いていたそうでな、とある逸話があるって話だ」
植物愛好家ブランシェル、彼女がとある試飲会で出した紅茶は綺麗な青紫色をした薬効茶であり、一人の患者と夜中に飲んでいた時、夜闇に浮かぶ月を薬効茶の水面に映したと言われている。
相手の患者が誰なのか。
そういったのは不明瞭だったりする。
しかし、そこから構想された一つの花。
それが月魔草、満月の夜に咲く花、の品種改良がここで出された。
花言葉は、『幻想となって』『夢からの目覚め』『一時の幸せ』といった意味を持つ。
「先輩は香り立たせてからリコーネの花弁を入れて攪拌しました。お湯を注ぐ前に入れてしまうと、月魔草の香りが調和を崩してしまうから。後から入れる事で、程良く蜜が紅茶に染み込んで、香りも凝縮されて紅茶内に残っている。ビジターとピッカに関しては先輩独特のブレンドでしょうか。だから甘く、清涼感の強いリオハーブとも調和が取れている。加えて味わいも深く、舌を喜ばせる工夫も凝らされている。感想としてはそんなとこでしょうか?」
お湯の温度が多少下がったところで、花弁を含ませる。
そうして一定間花弁に熱量を送り込むと、甘い蜜が紅茶となったお湯に染み込んでいく。
それが仕掛け。
だから、こうして美味しく飲める。
「どうやら二人共、知識的には問題無さそうね」
やはり試験だったかと理解するも、入部する気は全然起こらない。
「まだ君には名前を言ってなかったわね。私はセリーナ=ノゥス=クロディオール、公爵家ではあるけど……普通に接してくれると嬉しいわ。よろしくね」
「はぁ、どうも」
貴族にしては対話における接しやすさが、彼女の雰囲気から感じられた。
しかし、自分を呼んだ用事が窺い知れない。
「それで、俺に何か用事でもあったんでしょうか?」
「いえ、単にお話したいなと、そう思っただけよ。できれば貴方も、園芸部に入ってくれると嬉しいのだけれど……」
しかし、と一瞥した園芸部部長の視界の先には、ジオを訝しむような警戒の表情を隠そうともしない人間が、合計四人もいる。
何故か、彼が下民で『男』だから。
現在の園芸部には男子部員が一人もいない状態で、何処の馬の骨とも言えない彼を入部させるのは、危険ではないかと部長達以外の四人は考えている。
「歓迎されてないようですので、お断りしますよ」
「あらあら、では何処の部活動に所属するのかしら?」
「別に、何処にも所属する気はありませんよ。俺の魔力量は極少量、失陥だらけですから」
紅茶を音も立てずに啜る姿は、何処にでもいる普通の青年である。
だが、内包する魔力量は一般魔導師の十分の一以下、それで魔法を発動させるのは難しい。
失陥だらけ、という言葉は正鵠を射ている。
加えて、流れている噂は現在の青年の身体情報とは、一部真逆の内容だった。
「フフッ、フローラの言う通り、本当に不思議な生徒ね」
「でしょぉ? 見ていて飽きないのですよぉ」
それは評価されているのか、甚だ疑問を抱く。
しかし、面倒な藪は突つかない。
「ルーさん、それで、以前の答えは決まったかしら?」
「えっと、はい……」
その以前とは、彼女が園芸部に所属するかどうか、という内容である。
彼女はジオが参加しなかった部活動勧誘会に参加し、園芸部で活動内容について耳にし、その条件が合致すると理解できた。
しかし土曜日の買い物時にジオと話し、魔法を取るかどうかを迷った。
二日が経過して、彼女の心も決まった。
「に、入部したいと思います」
それは、彼女の六年間を決める瞬間の一つだった。
方針は固まった、ここで自分は回復魔法についての足懸かりを得る、それが彼女の今の目的だった。
またジオに魔法指導を受けて、回復魔法を極めてみせると、息巻いている。
対して周囲の先輩達は、睨んでいたはずの視線が穏やかなものとなって、歓迎モードに入っていると、青年は途端に疎外感を味わう。
やはり睨まれていた、という状況が不思議だった。
「セリーナ先輩、一つお伺いしても?」
「えぇ、何かしら?」
「ルーから聞いたんですが、先輩達の視線が敵対心剥き出しだった、と。今の状況と結び付かないんですが、これは一体どういう――」
「去年の話よ」
青年の言葉に被せるように、少女は事実を話す。
去年の勧誘時に何があったのか、内容を掻い摘んで簡潔に伝える。
「去年も今のように、新入生に紅茶を振る舞ったの。種類は別だったけど……飲んでみる?」
「先輩さえ良ければ、是非」
何が始まるのか、お手並み拝見と、青年は先輩の説明のために振る舞われる紅茶の試飲を容認した。
自分でも飲んで確認するのも良いだろう。
そんな感想が、素直に口に出た結果だった。
慣れた手付きで、公爵家の令嬢は自分の茶葉を用意して、それを先程とは全くの異なる手順で、ジオに見せるよう披露していく。
最初にガラス製のポットと、空のティーカップに冷水を半分ずつ注いでいた。
次にガラスポットを魔法陣の上に置き、魔法陣を起動させてお湯の温度をゆっくり上げていく。
途中で茶葉を二種類、ポットに適量入れる。
熱によって生まれる熱対流が、ポット内の茶葉を掻き混ぜて自然と色合いが変化を見せる。
「綺麗な黄土色ですね」
「えぇ、ここからが本番よ」
お湯が着色されたところで、もう一種類の茶葉を入れる。
その茶葉、いや、一枚の葉っぱがお湯の浮力で水面に浮いている。
しかし、香りが強まっていく。
「これ、リオハーブと同じ南方原産のローナリーフですね。結構珍しい品種だったと思いますが……」
「実はこの植物庭園の一角で育ててるの」
「そうなんですか?」
「えぇ、私は茶葉についての研究を主に行ってるの。だから品種改良を重ねた品ばかりね」
ローナリーフ、これはローナという女性が最初に発見した品種の名称を命名した結果、自分の名前が付いた品種として世界で知られるようになった葉っぱ。
普通の葉っぱとの見分け方は簡単、葉っぱは多少ギザギザな形を保ち、中心には三つの小さな穴が空いている、それが特徴である。
色はセリーナの瞳と同じ若葉色。
その空いた穴から、何かの粉が僅かに噴き出ている。
これこそが香りを強める要因であり、去年起こった事件の一端でもある。
「ローナリーフの特徴、知ってる?」
「はい、その葉っぱの三つの穴から出てくるのは、水分によって内部で分解された葉緑蜜の結晶ですね。甘さと香りが引き立つものだったと記憶しています。ですが、去年何があったのか全然不明なんですが……」
「まぁ待って、まずは飲んでから、ね」
パチッとウインクして少女は、ティーカップの端にポットの出口を接させて、ゆっくりと注いでいく。
中央に注ぐと対流が乱れてしまう。
だから、端から優しく冷水と混ぜていく。
これは温かなものではなく、冷水によって温度を冷ました冷茶である。
綺麗な黄土色は冷水によって、更に底の薔薇の絵がクッキリと見えるようになった。
「どうぞ、ご賞味あれ」
「はい、頂きます」
ソーサーを持ち上げ、紅茶に一口付けようとしたが、全員から視線を感じて、一瞬行動を止めてしまう。
何かを期待するような眼差しが、六人の先輩から向けられていた。
何かを期待する。
それは味や香り、その感想に込められている、と思われたジオは、しっかり吟味しようと試飲する。
冷めた紅茶が、舌を喜ばせて喉奥へと流し込まれる。
最初に感じたのは、甘み。
甘味が好きなら、気にいるであろう蜜味が感じられ、次にフルーティな味がカラフルに舌を彩った。
ここで一旦飲むのを止め、舌へと集中する。
どんな味わいなのか、隠し味は、甘さの強度は、他にも何か要素はあるか、色々と考えて青年は先輩達への言葉を選び取った。
「……先輩が用意したのは、バーレン草、ユネ、それからローナリーフの三つですね?」
「よく分かりましたね」
「まぁ、バーレン草は毒草としては有名ですし、毒を入れてる時点で、あまり人様にお出しする紅茶じゃないとは思うんですが……」
乾燥させてあるために、毒は出ないとジオは知識的に認識している。
ただ、知らない人間も大勢いる。
勘違いしている人間も大量に存在するだろう。
そこが問題として浮上してしまった。
「去年、この紅茶を出したのは実は私ではなく、そちらに座っている四人の後輩達なの」
「そうだったんですね……それで、何があったんです?」
「えっと、この園芸部はね、一応身分制度は鑑みない方針で活動してるのよ」
とても、そうは見えなかった。
ルーテミシアを睨み、ジオ本人まで睨まれて、警戒心が強かった。
それに、殆どが貴族子女だと聞いていたから。
「そういった噂が流れているのも仕方ありませんねぇ。事実、園芸部員の大半は貴族生徒で構成されていますからぁ。しかし、傲慢な態度を取ったりした記憶は一切ありませんよぉ?」
「それはまぁ、分かりました」
「去年の勧誘時にまで話は遡るわ。今日と同じように、この紅茶を振る舞ったんだけど、とある貴族の生徒がバーレン草を茶葉に選んで出された紅茶に対して、かなりの文句を口にしたの」
その当時の様子は、聞き手側には想像も付かない程、気苦労が絶えなかったと彼女達は表情を同じくする。
疲れが滲み出ている。
実際にあった話。
当時の園芸部も、今と同様に順風満帆に進んでいたが、勧誘時に招待した生徒達に振る舞った紅茶が、一人の生徒の口に合わなかった。
更にはテーブルに置かれた茶葉に、何か苦い思い出でもあったのか、『この私に毒を振る舞うなんて巫山戯てるのかしら!?』と激昂したのが始まり。
園芸部の不評を吹聴されるに至ってしまった。
なまじ知識がある分、タチが悪かったのが園芸部にとって災難だった。
だから現二年生の部員数が少ない、そう彼女は愚痴を零していた。
だから今年は慎重に慎重を重ねて、ルーテミシアへの視線が厳しいものとなってしまった経緯がある。
「貴族子女に振る舞ったのが毒草で、生徒を狙った、そんな風に吹聴されたんですね?」
「えぇ、しかも悪評の絶えない家柄の子だったの。その後彼女は実家に連絡を入れて、学園側で結構揉めたと後から聞かされたわ。幸いにも、学園長が事態の収拾を買って出て下さったお陰で、今もこうして園芸部の運営に力を入れられてるのよ」
「そうだったんですか。だからルーを警戒して、睨んでたんですね」
バーレン草は猛毒ではないが、神経毒にもなり得る毒草の類いである。
ただ、適切な行動として煮沸処理すれば毒素が熱によって倒されてしまうため、一度紅茶を温めてから、紅茶を冷まして客人に提供した。
この紅茶も、先程飲んだものと同様に、しっかりと知識を披露できている。
(無知とは恐ろしいもんだな)
その貴族子女が何者か、そこまで踏み込まない。
ただ、ここで少女が部活動していけるかの不安は、一先ず消え去ったと見て良いだろう。
冷たい紅茶で喉を麗しながら、彼は周囲を見渡していた。
「それにしても、良い場所ですね。何だか心が落ち着くようです」
「あら、気に入ってくれたかしら?」
「多少は」
残りの紅茶を飲み干して、ジオは花の香りに包まれる禁断の花園で、ただ静かな放課後を過ごす。
「なら入部届けを――」
「止めときます。何か相談があれば乗りますが、基本的に俺は森に建てた一軒家にいますから、ご用立てがあるなら放課後や休日に来てください」
「相談って?」
「知識だけはありますから、植物関連での困り事、人間関係や魔法について、まぁ色々ですね。昔は似たような事もしてましたから。俺としては他人との付き合いは軽度な方が楽ですしね」
「入部しないんですかぁ?」
「他人との付き合いは面倒ですから。相談役くらいが丁度良いです。それに自分は魔法研究が趣味ですから、そちらに没頭したいのが正直なとこですね」
だから部活動には入らない、そうアナストリアにも伝えた通りだった。
「魔法研究って、今は何を研究してるの?」
「ちょっとした魔法ですよ。自分の魔法研究に関しては企業秘密にしてるので、ご容赦願いますが……今は通信魔法を改竄して感度や通信距離、受信方法や対象設定、盗聴や傍受波長等、色々と試してる最中ですね」
それは半分本当であり、半分が嘘だった。
実際に通信魔法の改善を含めているが、他にも別種の魔法における改良や新魔法の開発を行っていて、そちらの魔法全般の方針は一言も話さない。
極秘として、彼は秘密裏に魔法開発に心血を注いでいるため、話を聞いた彼女達は、その通信魔法一つだけに集中して魔法開発しているのかと、意図を捉えた。
敢えて暈した意図を、勝手に間違った方向へと誘導させていく彼は、話を続かせる。
「とは言っても俺の魔力量では、通信距離は精々数メートルが限界なんですがね……」
だからその改良は、通信距離の安定や魔力を駆使しないでの遠距離通信を課題にしているのか、と勝手に少女達の中で自己完結していく。
話さずとも、魔法開発の方針が定まっていく。
それも間違った方向に。
「通信魔法って、テレビとかにも使用されている魔法よね? それを改良するのって結構難しくない?」
「自分が使うのは戦闘用ですから、通信距離は一定範囲繋がれば充分なんです。ですが自身が使うとなると魔力量の問題が出ますから、そこが課題ですかね」
笑みを含ませて、彼は連携を取るために必要なのだ、と語った。
「結局は趣味の一環なので、ボチボチやっていきますよ。なので、何処の部活にも所属しませんね」
「勿体無いですねぇ」
だったら生徒会に来てくれ、そうフローラの目が語っているが、青年は彼女の目に対して視線を交差させなかった。
拒絶を意味する行為に、少女も諦める。
「さて、俺はこれで失礼しますよ。また何かあれば、森の家にどうぞ」
「今日は来てくれてありがとう。勧誘を断られたのは残念だけど、ね?」
「……勘弁願いますよ」
人との関わりを最低限に、軽く、彼は席を立つ。
いつの間にか、茶会の席にはジオとセリーナ、フローラの三名しかおらず、他の四名はすでにルーテミシアを連れて巨大温室を案内していた。
帰ろうとした時、一つの疑問が浮上する。
それだけは解決していく。
「一つ疑問に思ったんですが、園芸部って部員数が少ないんですか?」
「いえ、今日は都合の付かない人も多くいたから、少なかっただけよ。それに毎日集まっている訳じゃないのよ。何人かは演習場にいると思うわ」
「演習場? 何でまた?」
「三、四年生は最初の試練が五月の上旬にあるんですよぉ。だから今のうちに修練しておくんですよねぇ」
だから部員が少なかった、と語った。
園芸部の集まりは、明確な活動方針はあれども、基本的に参加は自由となっている。
明確に集合する日にちは決まっているが、その日以外は基本自由、だから演習場で魔法の特訓に励む生徒も結構多いのである。
それだけ試練が重要となる。
何故なら、試練によってはクラスが変動するから。
二年生以降の成績は試練によって何度も変化するため、常に上位に入るには試験を疎かにできない。
因みに一年生は一年間変動せず、だからクラスによる差は発生しない。
「じゃあ、先程の先輩方は……」
「私の同級生の子達よ。彼女達は優秀だから」
「そうでしたか」
全員五年生、そして六年生の先輩達はこの日ここには来ていなかった。
就職のために、実験のために、課題のために、様々な理由によって来られない。
「私はルーテミシアさんに用事がありますからぁ、まだここでのんびり紅茶でも味わってますねぇ」
「マイペースですね」
「それが私の性格ですからぁ。また遊びに伺いますねぇ」
「えぇ、美味しい紅茶でも用意して、お待ちしていますよ。では俺はこれで、失礼します」
授業を受けて、身体を動かして、放課後には部活のために生徒達が集って何かを為す。
その輪から静かに外れて、青年は済んだ用事から立ち去った。
今日という一日は、まだ終わらない。
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
『面白い!』『この小説良いな!』等と思って頂けましたら、下にある評価、ブックマーク、感想をよろしくお願い致します。
評価を下さった方、ブックマーク登録して下さった方、本当にありがとうございます、大変励みになります!




