第10話 beginning
朝の日課として、彼はいつも五時には目を覚ます。
規則正しく起床し、眠気の除去のために一階へと降りて洗面所へと向かい、顔を洗ってサッパリするが、洗面台に設置した鏡には目付きの最悪な男が水浸しで映っていた。
ジオルスタス本人の顔。
漆黒色に染まる髪は、寝癖で跳ねている。
黄金色の二つの瞳は、疲れが混じっているような、そんな表情を奥に宿していた。
水で寝癖を直し、冷たい水の感触を味わう。
春の季節に冷える水が寝起きの悪さを洗い流すようで、サッパリとした顔立ちが水の膜から現れた。
客観的に見れば超絶な美貌を持つ。
本人はまるで自覚が無いため、見慣れた顔を見て溜め息すら吐き出てきた。
何てつまらなさそうな表情なのか、と。
笑顔とは掛け離れた、それも感情を全く知らなさそうな機械兵器の初期設定、といった無愛想な面を朝から鏡に曝け出している。
いや、曝け出すのではなく、逆に感情を心に隠している、とも言える。
「……今日から学園生活か」
憂鬱だ、億劫だ、そんな気持ちが燻っている。
しかし自分自身、目的を果たすまで学園に在籍しなければならない。
洗面台横に配置した網棚に重ねて置かれている柄の無いタオルを一枚手に取って、顔や髪に滴っている水気を拭き取り、再度鏡の前に立つ。
相も変わらず、日常に退屈している顔だ。
分かっている、生きる意味を失った抜け殻なのだと。
アナストリアから『学園生活を満喫しろ』という言葉を受け取った彼だが、その通りに生活を送れるとは一度も思っていない。
ただ普通に、ひっそりと目的を果たせるまで在籍するだけだと、高を括っている。
(ここで見つかると良いんだが……)
そのために旅をしていた。
ここが旅の終着点となるか、それとも学園を去って新たな道を探すのか、今後の学園生活によって訪れる選択の連続で進退が決まる。
タオルを洗濯籠に放り投げ、扉を開けて居間へと移る。
クローゼットに仕舞ってあった黒い学生指定ジャージを取り出し、それに着替える。
今の肉体に合致したサイズで、鍛え抜かれた肉体をジャージが包み込んだ。
「今日も始めるか」
朝食を食べる前に、先に運動で汗を掻く。
ランニングに始まり、腹筋腕立て懸垂スクワット、日課の回数を庭に出て行う。
まだ日が昇りきっていない中で汗を流していく彼は、肉体を鍛えに鍛え、感覚が鈍らないように、同時に戦場での経験を忘れないようにするため、戒めとして朝早い時間帯の日課にしている。
弱ければ何も守れない。
強くなければ何もできない。
大切な仲間を失う痛みを、自分だけ生き残る辛さを、二度と味わわないために彼は粛々と日課を熟す。
「いっち……にぃ………さんっ……しぃ………」
罠の無い場所を足場に、そこで回数を熟す。
運動していると内部に熱が生まれ、次第に汗が地面に落ちていく。
死ねば人生はそこで終了する、当たり前の極々自然の摂理だからこそ人は『生』を必死に噛み締めて、それを奪う戦場で仲間を守り切れなかった。
周囲からは罵倒された、同僚からは怒鳴られた、それは自分が無力だったから。
「……」
表情に変化は無いが、心は騒ついている。
腹筋背筋腕立て伏せスクワットと、着々と時間と共に日課を消化する彼の次の運動は、ランニング、長時間の走り込みだった。
入学式のある今日当日、いつも通りの日の出を迎えた彼は体力増強のため、走り込みの準備をする。
一旦汗を拭い、水分補給してから魔法を使う。
一枚の魔法紙を用意し、そこに月の刻印を中心とした魔法陣を刻み、左手甲に貼り付けた。
「【月の支配者・加重】」
紙が消滅して、魔法陣だけが手の甲に残された。
増えたのは三十kg、円形魔法陣の中心には現在加重された重量が、月絵の満ち欠けで表示されており、その周囲の文字盤を回転させると、重量値が変動して月絵も変化する。
時計回りに回転させ、二十キロ追加した。
すると三十キロだった数値が、五十に変化した。
また、月が三日月から半月となった。
新月は零kg、満月が百kg、それ以上となると満月が欠けてゆくが、それだけの負荷を与えると動けなくなる。
肉体に適度な過負荷を施して運動すると、その分だけ伸び、激しい運動がより肢体に作用する。
(流石に少し重いな)
歩くだけでも確実に運動となる重量値であり、腕を上げる動作や足を上げる動作、それだけで地面に深い足跡ができてしまう。
学園の森は広い。
そして足元が凸凹しているため、普通の走り込み以上に体幹も鍛えられる。
腕を上げると、骨が軋んでいた。
その痛覚が神経を通って脳に訴え掛けられるが、ギリギリの重量で運動するという自身に課した鉄則を守る。
「今日は入学式だし、早めに切り上げるか」
彼は森を何度か周回する。
足場の不安定な森の中が、そのまま訓練のための『場』となっている。
現在朝の五時過ぎ、入学式の時間までにランニングと、その後に行う日課の続きを熟してから、登校し、今日から新たな生活と洒落込む。
登校は億劫だが、出会いは新鮮である。
要は未知との遭遇である。
どんな授業があるのか、どんな魔導師がいるのか、何もかもが斬新で未体験、だから彼は未知へ飛び込む。
(静かだな)
聞こえるのは自身の足音と、時折吹き込む風によって揺れ動く木の葉同士の擦れ合う音、木漏れ日が足場を不均一に照らし、木々の囁きが心に安らぎを齎す。
無駄に繁茂する草を踏み、土から這い出た根を飛び越え、一定のリズムで呼吸して体力を伸ばす。
広大な敷地の一角で、巨木を躱して全身を躍動させる。
体力は減り続ける。
しかし、自分が成長していると感じてもいた。
流れる汗が衣服に染みながらも、長い距離を一歩も止まらず走り続けた。
「ハッ……ハッ………」
浅い呼気が排出され、大自然の息吹を肺に溜め込む。
呼吸を一定循環させて、重たい身体が地を響かせては地面に足跡を残す。
「フゥ……時間通りだな」
ペースを決め、その通りに時間を合わせて帰ってきた時には一時間が経過していた。
走ったのは約十キロ程度だが、敢えて重量級の肉体で、しかもペースを落とさずに一時間丁度を走り切った。
「これはもういらないな」
指先に雀の涙程の魔力が灯り、左手甲の淡光を放つ魔法陣に触れ、魔法効果を破棄する。
攪拌反応、それにより一気に崩れ去った。
術式がグチャグチャとなり、魔法文字同士が反発し合って魔法陣の維持が不可能となり、その術式が崩壊、完全に効力を失った。
「入学式まで残り三時間半……やるか」
今度は別の魔法陣を紙に刻み、魔法を発動させた。
組み立てたのは、創造の魔法。
「【創魔工廠】」
二本の短剣のズッシリとした刃の重みが、これまで奪い奪われ続けた生命の重さと錯覚する。
人を殺し続けた者の刃。
血に染まった手。
臓腑を斬り裂く感覚は、未だ残り続ける。
クレサントの英雄、そう呼ばれても敵国から見れば、ただの殺戮者でしかないから、他人の命を奪った人間が学園生活に溶け込むなんて不可能だろう。
アナストリアは、彼の非日常の連続を知らないから、満喫しろ、と言える。
(自虐に浸るのは後にするか。今は……)
演舞を披露するかのようにステップを踏み、大気を斬り裂く連撃は鬼気迫る。
本気で鍛錬に励む彼の短剣は、風を薙ぐ。
銀色の刀身が葉漏れ日に差され、燐光を纏う。
俊敏で軽やかな動きで洗練とされた短剣術を更に洗練と磨いていくが、一切妥協しないから自身の実力が足りないと痛感してしまう。
どれだけ刃を振るっても、至高の境地へ届かない。
元からの魔力の少なさ、魔法の扱いの才能の無さ、凡人が足掻いた成れの果てが今の彼を構築している。
(今はただ……最期まで強くなるだけだ)
一足飛びでは強くなれない、自分は天才ではないから。
凡才が一歩進むスピードで、天才は十歩百歩と先へと飛ぶように進んでゆくから、凡人なりに何百倍もの努力を続けねばならない。
逆に言えば、一歩一歩確実に少しずつでしか強くなれない、近道の無い危険な遠回り。
剣士が素振り一回する毎に成長するなら、ジオは千回素振りしてようやく一回分の成長に届く。
(けど、やっぱ時間が足りない)
短剣術訓練を一通り終えたら、次は他の武器を用いた訓練を行う。
剣や槍、弓矢での動きの確認。
銃器は一般人が手に入る代物ではないため、敢えての弓術訓練も一通り時間を掛けて、鍛錬を積んでいた。
また、投擲武器を生み出して対象物へと当てる訓練も、必要だからこそ手を抜かない。
「フッ!!」
創造したナイフを木の枝にぶら下げた的に投擲し、その中心へと当てられた。
「今日はこれくらいで終わっとくか」
周囲には創造によって形作られたナイフが何百本と木や的、地面に突き刺さっている。
全部が寸分違わぬサイズ、重さの武器。
それは努力の結晶、しかし魔法によって物質は全て元通り魔力となって霧散していき、その様を見届けながら彼は汗を拭って森の家に戻る。
汗で服が張り付いている。
心臓の鼓動も高鳴っていた。
キツく縛られるように臓腑が圧迫されていき、家に戻るだけでも泥沼に浸かったみたいに動き辛い。
「まずはシャワーだな」
汗塗れの状態で入学式には出られない。
だから、彼は疲れ切った身体を引き摺って森の家に向かって歩き出した。
シャワーを浴びた後は朝食を作って、一人での食事を堪能する。
時計の針が刻まれる音、食器が擦れ合う音、咀嚼する音、ただ物静かに過ぎ去っていく。
隣にも、前面にも、誰もいない孤独な朝食。
平和だからこそ余計に感じる仲間の存在が消えた空虚さを、朝食と一緒に喉奥へと流し込み、胃の中で忘れるように溶かしていく。
過去に縋る彼は、空の食器を片付ける。
蛇口を捻って食器をお湯に浸して放置、その間に壁に掛けられた学園指定の制服に手を伸ばす。
「まさか学生服を着るとは……分かんないもんだな」
着ていたワイシャツを脱がず、袖を通して、一般生徒が着る黒を基調とした制服のボタンを留めてみた。
きっちりとした黒い上下の服装は、あまりにも自分に似つかわしくなかった。
軍服のように、首元までボタンが付いている。
首は窮屈で、優等生のような格好があまりにも自分に似合わず、ボタンを全部外してジャケットのように着崩し、ワイシャツのボタンが外部に露見する。
黒を基調とする服の柄は金色の刺繍が施され、袖口や前裾等が密かに彩られている。
(これで良っか)
ラフな格好で、こうした着崩しを等身大鏡の前に立ってみると、改めて気付く。
「何だか昔に戻った気分だよ、オルマー」
過去の仲間だった男の面影と重ね合わせ、その面影も連れて棚に置いてあるベルトを手に取った。
使い古したウエストポーチを腰に巻き付け、そのベルトに短剣も備えて、まるで戦場に出る時のような格好に戻ってしまった。
だから苦笑してしまう。
何も変わらない自分を見つめて、そして目線を切る。
ベルトにまた、特殊な魔導師の生命線たる魔法紙入りのケースを装着する。
「さて……行くか」
そこに過去を置いて、新しい自分になるための一歩を踏み出した。
玄関の扉を開ける。
錆びた門扉が音を奏で、新鮮な風が衣服や黒髪を優しく舞い上げる。
扉と土との境界線が、過去との決別を意味する。
入寮から昨日まで過ごした時の外出時の一歩と、今日から学園に登校するための第一歩は、彼にとっては丸っ切り別の意味に感じられた。
過去を捨てる、そんな悲壮感溢れる覚悟なんて無い。
だが、過去から一歩進んでみる、それくらいは許されるだろうか。
この学園に通っている間は、操り人形ではなく、ただ殺戮を尽くす生物兵器ではなく、ただのジオルスタスとして生活するという夢を望んだ。
人殺しから普通の学生へ。
彼は日常に回帰する。
(皆、俺を見ていてくれ)
数百人分の生命の重みを両肩に背負い、外への第一歩を足跡として土に付けた。
新しく、ジオルスタスという青年になった証左。
操られるだけの殺戮兵器から一般人になったという、一つの過程だった。
(まだ結構時間もあるし、ゆっくり行くか)
まだ午前八時半頃、入学式開始の午前九時半までは約一時間近くあるため、慌てず庭を超え、森を抜けて、彼は日の光が差す学生寮の裏手へと出た。
学生達はまだ出てきておらず、大半が寮内にいるのは探知せずとも気配だけで把握できた。
(あの二人もこの寮に入ってんのかな?)
男女で区画分けされているため、玄関口も男女二箇所存在している。
二つの寮が廊下を介して繋がっている。
それが外からでも把握できた。
ギルベルトとルーテミシア、二人の顔を脳裏へ想起させていると、寮から一人だけ生徒が出てきて、学園の方向とは別方向へと歩いていくのが見えた。
陰鬱とした表情。
ポケットに両手を突っ込み、入学式に参加しなさそうな態度を前面に出している。
青黒い頭髪を後ろに流し、赤黒い前髪だけが額に影を生み出している一人の男子生徒、殺意すら纏う雰囲気で、何処かに出掛ける。
右目は眼帯で隠れ、左目が青い宝石のようで鋭い眼光を携えていた。
まるで狂犬、或いは狂狼のようだと、その時のジオはそう感じていた。
「……」
何処かへと姿を眩ます一人の男子生徒を一瞥して、彼は入学式会場へ赴く。
悪目立ちしないように、時間厳守する。
とは言っても一時間もある。
少し寄り道しても文句は誰も言わない。
苦言を呈する者すらいないのだから。
入学式会場である講堂館へと道なりに進むが生徒達がいないためなのか、酷く静寂さが通路に表れていたため、聞こえるのは自身の履いているブーツ音のみ。
支給された革靴を使わず、学生服も着崩し、傍から見れば不良と大差ない。
(やっぱ早すぎたか)
一時間何処かで暇を潰そうかと悩みながら、脇道に逸れて適当にぶらつくジオは、風の導くままに舗装された通路を放浪していく。
花の匂いが通路の先から香る。
不思議と芳醇で魅了される香りだと、気の向くままに匂いを辿った。
空には煌びやかな赤色と白色の蝶々が、舞い踊る。
番いなのか、二重螺旋に高く高く戯れるように何処かへ飛んでゆく。
(あの蝶は確か……『春襲』って種類の蝶だったか)
特徴的な羽色と羽形をしている。
また、二匹から稀に桃色の種類をした蝶々が生まれるため、そう呼び名が付いた。
(あの種類って、絵の具の赤と白を混ぜたら桃色になるからって諸説があったっけ)
無駄に知識が豊富なため、そういった童話や逸話、仮説等を脳裏から引っ張り出せた。
希少種ではない赤と白、その二匹が鱗粉を鏤めて、空へと昇っていく。
と、動かし続けた足が、途端に止まる。
余所見をしている間にも、学園の一角に辿り着いた。
花々が煉瓦に囲われ、豪華絢爛な蝶々の戯れが遊び舞っている場所で、一生懸命に育てられたと分かる、その花壇に迷い込んだ。
花のアーチを通って、その花の世界に足を踏み入れる。
誰かが育てた彩花が彼を歓迎するかのように、微風に揺れている。
「あらぁ、まさかこんな早朝に生徒が迷い込むとは……驚きましたねぇ」
花壇の奥で水を撒いていた少女が立ち上がった。
如雨露を両手に抱えながら、背の低い子供染みた少女はニッコリと微笑んでいた。
「すみません、花の香りに誘われて……」
「いえ、構いませんよぉ」
間伸びする語尾を持ち合わせ、ゆったりとした雰囲気を纏う少女は、花びらが風でヒラリと飛ぶようにジオの眼前に立って見上げた。
じっくりと青年を見定める。
品定めする視線に、青年は冷めた目で見下ろした。
二人の数分見つめ合う光景は自然と少女の方から目を伏せられた。
「私は生徒会副会長を務めますぅ、四年……あぁ違った、五年生、フローラ=ブルーリーフと申しますぅ」
如雨露を地面に置き、スカートを摘み、可憐で慇懃なお辞儀をする少女フローラ。
靡く若葉色の長髪、真っ白な花飾りが際立った。
植物を愛し、花壇で可憐な花を世話する少女は、まるで花の妖精のよう。
その彼女の水色の瞳が、青年を映す。
それは興味、青年に対する好奇心が湧き、少女は口の端が吊り上がっていたのを知覚する。
一方でジオは、彼女の制服に目線が下りていた。
青年の着ている黒基調の学生服とは違い、彼女が身に纏うのは白を基調とした制服、そして赤と黒のチェック柄をしたハイウエストのスカートとなっている。
ジオの黒い制服とは色違い。
これは特待生を示す色合い、特待生は白、一般生徒は黒と決まっている。
「貴方はぁ?」
「新入生、ジオルスタスと言います」
ジオルスタス、その名前を聞いた瞬間、彼女は入学試験に関する情報を記憶から取り出した。
「あぁ、思い出しましたぁ。二次試験で教師の方を圧倒した逸材ですねぇ」
「は?」
「軍人経験のあるジャン先生から話を聞きましてねぇ。それに記録映像も見ましたぁ。特に教師との戦闘は本当に素晴らしい技術だと感動しましたぁ」
「それは……どうも」
返答に困りながら、咄嗟の判断によってお礼を述べてしまった。
だが、教師との戦闘に関しては砂塵や魔力の煙で隠れていたはず、何処に感動の要素があったのかとフローラに催促する視線を送る。
それに気付いた彼女が、手で口元を隠してクスクスと笑っていた。
「でも、何で生徒会とやらが入学試験の映像を見る必要があるんです?」
「勿論、生徒会に勧誘するためですよぉ」
「それなら特待生を勧誘すれば良いのでは?」
「基本的にはそうですけどねぇ、最初はギルベルト君を勧誘するつもりで確認したんですよぉ。そしたら不思議な生徒の姿が見えましてねぇ」
「それが俺だった、と?」
「その通りですよぉ。第四ブロックを担当したジャン先生にも確認を取り、ジオルスタス君の存在が判明して、貴方の一次から四次までの試験全部と、その過程を見させてもらいましたぁ」
つまり、彼女には全てが筒抜けとなった、と。
ゴクリと生唾を呑んで、生徒会を警戒する。
「一次試験では驚異の千二百八十五点、二次試験はダントツ一位二百点に先生の捕縛、三次と四次に関しては両方が零点で総合一位成績でしたねぇ」
「そうなんですか?」
「はい、そうなんですよぉ」
ここでは、自分の成績がアナストリアによって教えられたという事実を、知らないフリをして隠す。
彼女との関係性は学園長と一般生徒、生徒会であろうとも秘密にしなければならないから。
だから、彼は知らぬ存ぜぬを決め込んだ。
「ですが考えてみると不思議な事が幾つもありますねぇ。まず貴方からは殆ど魔力を感じないのに……どうして何度も魔法を扱えるんですかぁ?」
「さぁ、何故でしょうね」
「むぅ、はぐらかしますねぇ……ですが他にも気になりますよぉ。例えば何故この学園に入学する事にしたのか、何故総合成績一位のはずの貴方が一般生徒の黒い制服を着てるのか、その魔法技術は何なのか、ですねぇ」
捲し立てるように言葉を放つ彼女に、逆にジオが舌を巻いてしまう。
しかし、答える義務は無い。
それに回答不可な質問も含まれている。
ジャンとの戦闘中、彼が煙を張った理由は幾つかあるが、そのうちの最大の理由には気付かれていない、少しの会話だけで彼女の実力を大体把握できた。
「一つ目と三つ目の質問については答える義理はありませんね。ただ、二つ目の質問に関しては、教頭先生に聞けば分かると思いますよ」
「はぁ、そうでしたかぁ。災難でしたねぇ」
その受け返しをしてきた、つまり教頭という人間の悪い噂が絶えない、と言うのと同じ。
教頭に聞けば分かる、そう言っただけで裏の意図を汲み取った彼女の言葉は、四年間も学園で生活してきたからこそ理解できる感想。
彼女の言葉通り、災難だった。
入寮すらできなかった、更には二百位という最下位の成績にされた。
しかし、その感受性は普通の人間ならば、という話で、彼にとっては然程災難でもない。
「いえ、逆に教頭とやらには感謝してますよ。面倒や注目を浴びるのは御免ですから」
そのため、アナストリア学園長との約束、大会出場ではなく育成に力を注ごうかと気持ちが傾いていた。
それか仮面や認識阻害を自身に掛けて出場するか。
出場自体面倒と思っているため、育成をしようか、これからの学園生活次第で変化する。
「メリットもありますよぉ?」
「例えば?」
「施設の自由使用権ですねぇ。他にも図書館の自由使用権とかぁ、発言権とかもありますよぉ」
「発言権?」
「学校改革なのですよぉ。これは貴族と平民が公平性を保つためでもありますからねぇ」
生徒会という組織が千人以上いる生徒達のトップに君臨している。
彼等が生徒達を先導している。
行事等や学園内の治安維持も、生徒会が関与して仕事として行われている。
「生徒会以外には風紀委員がありますねぇ」
「風紀委員?」
「主に学内での暴力を止めたり、行事では見回りを行ったりしてますねぇ」
「生徒会と何が違うんです?」
「生徒会は学内の情報統制が主な仕事ですねぇ。逆に風紀委員は風紀を取り締まるのが仕事ですからぁ。どちらに入るとしても貴方の力は魅力的ですのでぇ、良ければ考えておいてくださいなぁ」
ジオの事情や想いを汲んだ上で勧誘している。
断るにしろ、受け入れるにしろ、選択はジオに裁量権が与えられる。
「……考えときます」
この場で断る、という選択肢を敢えて選ばなかった。
まだ彼女一人しかメンバーを知らないから、様子見のために保留を選択する。
ただ、前向きに検討はしない。
入れば目立ってしまう。
それでは彼の目的にそぐわないから。
「さてと、私も準備がありますからぁ、そろそろ失礼しますねぇ」
「じゃあ俺も会場に向かいます」
「そうですかぁ。では、もう少しだけ私の話し相手になってもらえませんかぁ?」
「まぁ、俺で良ければ」
掴み所のない先輩だ、そんな印象を抱いたジオは、その先輩の隣に立って花のアーチを抜ける。
花壇を後にし、講堂館に向かって二人は雑談を交える。
「先輩はいつも朝から花の世話を?」
「はい、枯れていた花壇だったんですけどぉ、お世話しようと思って手掛けていたらですねぇ、いつの間にか愛着が湧いちゃいましてねぇ」
「それで世話してたんですか」
「私の得意な魔法は植物魔法ですからねぇ」
「そうでしたか」
「ジオルスタス君には何か――」
「ジオ、で構いませんよ」
「じゃあ、ジオ君は何か得意な魔法とかはありますかぁ?」
「得意な魔法……ある程度までの魔法階級は一律して使えるので、得意な魔法、という括りでは表現不可能です。練習すればどの魔法も使えますが」
「普通は有り得ないんですけどねぇ。適性が無い魔法は発動するだけでも無駄に魔力を消耗しますしぃ、ジオ君の体内を巡る魔力量では初級魔法も満足して使えないでしょうしぃ。何処から魔力を捻出してるんですかぁ?」
「まぁ、そこは企業秘密なんで」
「教えてくださいよぉ!!」
周囲に人影は無く、特待生と一般生徒が歩いている光景は不思議なものだった。
片方は表情をコロコロと変えて、もう片方は表情を繕いすらしない。
フローラは、ジオの魔法技術に俄然興味が湧いていた。
興味以上に、実力者だからこそ生徒会に必要だ、と独り言ちて四次試験のように用意された質問をした。
「ジオ君はこの学園に入って何か頑張りたい事とか無いんですかぁ?」
「特には思い付きませんね」
「じゃあ、ジオ君は将来何になりたいですかぁ?」
「唐突な質問ですね」
まるで尋問されている気分で、彼は将来について一度深く考えてみる。
(将来、か……今まで生死の瀬戸際で戦ってきたし、考えた事無かったな)
いや、考えるのを恐れていた、と言った方が本当は正しいのかもしれない。
考える必要が無かった、それもある。
だがそれよりも遥かに、未来を考える、その希望は明日には絶望に変わっているかもしれないから、生に縋るような思考判断が戦場を生き抜く上で不必要だと、そう思い込むようにしていた。
未来を考えるのが怖いから。
一生手に入らない未来に一喜一憂しても、明日には爆撃で肉体が四散していたりもする。
だから、彼には明確な将来設計を組み立てていない。
組み立てれば、生へ執着してしまうから。
死を恐れてしまうから。
戦場から逃げたくなるから。
しかし戦争もいつかは終結し、やがて平和な時代が幕を開ける。
生き残った現実で、彼は将来に目を向けねばならない。
けれど彼には、将来を想起する必要も無かった。
すでに未来は定まっているから。
だから変えられない運命に抗いながらも、半分は諦念している。
「将来、もしなれるなら、俺は……」
その先の言葉を紡げなかった。
将来設計を口にしない、ではなく、できないから。
できないという語弊を訂正するなら、彼には将来設計が完全に白紙だったから、となる。
「お、れは………」
ここで改めて自分が如何に空虚な存在なのかと、客観的に理解した。
何も無い存在だから。
その空虚を味わう青年は、その場に立ち止まる。
過去の記憶が、放り投げられた現実が、青年に重圧を課している。
(俺にはもう……何も無いのか)
仲間の夢は皆潰えた。
死んだ人間は喋らないから、彼等の夢は夢のまま、儚く散っていった。
かつての仲間達には大層な夢があった。
しかし、唯一青年だけ夢を語らなかった。
何も無い存在だったからだが、唯一戦場で仲間という絆ができた。
それも失い、残ったのは身一つ。
「将来が無い、ですかぁ?」
「……はい」
「この学園で六年間過ごせばきっと、なりたい自分になれると思いますよぉ」
踵を浮かせ、プルプルと身を震わせながらジオの頭を優しく撫でる。
「あ、あの、何を?」
「何だか迷子の子犬のようだと思っちゃいましてねぇ。どうですかぁ?」
「え、いや、あの――」
「落ち着きましたかぁ?」
「……はい」
何故か年上の小さな少女が懸命に頭を撫でてくる、その光景が不思議でならなかった。
「先輩は将来の夢とかあるんですか?」
「えぇ、私は環境省の魔生物調査局に所属したいですねぇ。そのためにも色々と頑張っているのですよぉ」
「明確な夢があるんですね」
「もう五年生ですからぁ」
だから将来を見据えた人生設計が構築されている、と無い胸を張って自信満々に答えた。
青年とは真逆。
不思議な先輩を横目に、ジオも将来について考えを開始していた。
何になりたいのか、どう生きたいのか、考える。
しかし考えた先に待っているのが絶望一択だと彼は知っているから、拳を握り締めて考えを隅に追いやって視線を前へ向けると、目的の講堂館が見えていた。
大きな建設物が、二枚扉を開いている。
新入生、教師、来賓、生徒会、様々な人種を迎え入れる準備が整った建物に二人が入る。
ロビーで忙しなく動く特待生の面々や教師を見ながら、ジオはお辞儀する。
「案内ありがとうございました」
「いえいえ、また会えると良いですねぇ。では私はこれで失礼しますねぇ」
スカートを翻して、彼女は運営手伝いのために何処かへ行ってしまった。
一人になった彼は、彼女の先程の言葉を思い出していた。
「この学園で六年間過ごせばきっと、なりたい自分になれると思う、か……」
なりたい自分が何なのか、まだ見つからない。
今日からの生活で自分が変われるのか、この宿業の糸で雁字搦めとなった絶望の運命を振り解けるのか、迷いながらも彼は学園生活最初の行事を体験する。
入学式、その会場へと階段を登って中へ向かった。
ここから、彼の六年間の学園生活が始まる。
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
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