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陽の当たるアパート  作者: なたね由
7/13

3-1

 サンドイッチを食べに行ったあの日から、青柳はよく俺を外出に誘うようになった。

 近所のファーストフードのチェーン店の季節限定商品が食べたいとか、新しくできたカフェのがっつりメニューを食べたいとか、一人で行けばいいだろうというものが多いのだけれど、基本的に休日は暇を持て余しているものだから断る理由もない。それでも何度かは眠たいからとか疲れているからとか何だかんだ理由をつけて部屋から出ないこともあるけれど、それで特に機嫌を損ねられることもない。逆にどうしても俺を連れ出したい時は青柳も強引になるものだから、俺は俺で多少面倒でも仕方なしに付き合うこともある。

 仲の良い友人がいたなら、こういう感じなのだろうか。

 貴倉は確かに友人と言えるとは思う。でも、始まりは大学の先輩後輩だし、今だって職場の先輩後輩なのだから手放しで友達だ、とも思っていない。それに何より付き合いが長い分、お互いの深入りされたくない事情をそこそこ理解してしまっている。

 これは話す、これは伝えない、の線引きがはっきりしているのだ。例えば俺は貴倉の前で不倫した俳優や離婚した知人の話なんかはしない。貴倉も俺の前でカミングアウトしたタレントの話を積極的に出したりはしない。それに対して青柳は、地雷が分からない分気楽に付き合えるのだ。そういう関係を友達だ、と言っていいのかは知らないけれど。

「正直、安心した」

 近頃話題になっている映画が観たい、と青柳が言い出したのは金曜の夜で、一人で勝手に観ればいいじゃないかと答えれば小さいパソコンの画面より一弥さんの部屋のテレビを使わせて欲しいと言う。青柳がこういう、やや図々しい要望を出してくるようになったのは最近の変化だ。遠慮が無くなったのはいいことだし、それでいてきちんとした線引きは弁えている。配信サイトのアカウントはいくつか自分が持っている、というから詳しく聞いてみると、俺も加入しているサービスだったのでこっちで観ればいい、と思いその日の夜のオンラインゲームのお誘いは断ったのだ。

「何がですか」

 映画館で一人で映画を観るのも嫌いではないけれど、一人で観たい映画とそうでない映画があるのだ、と青柳は言う。今日観たいと言ったのはその類らしく、それは確かに公開時からそこそこ話題になっていたホラー映画だった。ホラー映画は苦手だと言うと、そういうゲームをやっているから好きなんだと思っていた、と言う。自分で動かして敵を倒せるタイプなら別に平気なのだけれど、こちらが何の手出しもできずなす術もないタイプのものは嫌いだ、と言えば逃げ回るだけのホラーゲームもあるし今度それをやろう、と実に楽しそうに青柳は笑った。案外性格が悪い。

「普通ってのが、何かよく分からなくてさ」

 怪物の咆哮とひたすらにけたたましい音楽、それに女性の甲高い悲鳴が流れ続けている。怖い、というより不快なのだ。画面にアップで現れる怪物や突然の大きな効果音は、確かに驚くし怖いのかもしれない。でもホラー映画のさあどうぞ、怖がれ、驚け、というセッティングが嫌いだ。ホラーゲームだって同じじゃないですかと青柳が言うので、この映画が終わったらプレイさせてやろう、と思いながら我慢して最後まで付き合うことにした。

 俺は男性との距離感というものが分からない。まだ女性との距離感の方が分かる。クールキャラとかモテ属性とか言われてもさっぱり分からないけれど、多分女性に対しては、適度な線引きと配慮必要なのだろう。相手の事情に深入りしないようにしていれば、それで良かった。

 とにかく気持ちが悪いとか思われるのが嫌で、子供の頃からずっと一人の男を思い続けていたことを負い目に感じていた。別に、後ろ暗いところも引け目に感じることも何もないのに、世間様と義理の家族と、それから雅樹に申し訳がないと思い続けていたのだ。

「普通、ですか」

「うん。俺、男友達とこういうのしたことなくて」

「こういうの、と言うと」

 青柳も映画に飽きているのが見ただけで分かる。そりゃあそうだ、もう彼是一時間以上も悲鳴ばかり聞かされ続けている。今のタイミングならドアを叩き付ければ行けた、とか、そこで叫ぶから気付かれるだけ、とか無粋な突っ込みを二人で入れ続けている。それでも映画を観ることをやめないのは、最後まで観ないとやり場のない消化不良の感情を抱えてしまうとお互いに分かっているからだ。

「友達の家で映画観たりとかゲームしたりとか。この間、二人でスーパー銭湯とか行っただろ、ああいうのも」

「あの人はどうなんですか。あの、居酒屋で一緒に」

「あれは先輩」

「ずいぶん仲良さそうに見えましたけど」

「付き合いは長いからな。大学の先輩後輩とか、同じ会社のメンバーとか以上の付き合いはしてないよ」

「そうなんですね」

 大して興味もなさそうに相槌を打った青柳は、変わらず画面を見ている。話の展開も落ちも見えたようなものなのに、一体何がそんな興味を駆り立てるのかと思い、ふと気付く。

「もしかして、この映画も勧められた?」

「何ですか?」

「お前のリーダーに」

 変な言い方をしてしまった。ローテーブルに置いたハイボールの缶に手を伸ばしてみるが、それにすでに重さは感じない。適当な仕草でごまかす振りもできなくて、ふと隣を見ると青柳は愉快そうに笑っている。

「やっぱり、分かるものですか」

「分かるって、何が」

「大知に勧められたんですよ。映画館で観たらめっちゃ面白かったからお前も観ろよって。でも、騙されちゃったな、これは」

 たいち、と名前を呼ぶ声が柔らかい。あのギター担当はそんな名前だった気がする。彼の話をする時の青柳はいつも照れ臭そうで穏やかで、余りにも愛しそうな顔をするものだから。

「もしかして、飽きちゃいましたか?」

「正直飽きた」

「ここまでにしておきます? 俺、今度続き一人で観るんで」

「もうあとちょっとだろ。逆に気になるわ」

「俺、一弥さんのそういう意味の分からない男らしさ好きですよ」

 多分、青柳慈人という人間に情が移ったのだろう。顔が赤いとからかわれ酒の所為だと返す。

 結局何の山場もオチもない絶叫だらけの映画を観終え、なんて感想を言えばいいんだと頭を抱える青柳に、それじゃあおすすめのホラゲーを教えてやるよと少しも理屈が通らない提案をしたのも、それはとても名案だと青柳が感激して頷いたのも、きっとお互いに酔っていたからだろう。

アイスが食べたくなったという青柳に頷いて、テレビを消して財布とスマホだけをポケットに突っ込み、春を感じさせる生ぬるい空気の中へ酒とつまみとアイスを買いに行くことにした。

 アルコールは判断力を鈍らせるという。もしそうなら、あの日青柳がうちに住むことを許したのも何かの間違いだったのかもしれない。でもこの数か月、自分至上最大の失恋をしたというのにそれなりに楽しく過ごせたのもまた、青柳のお陰だと思う。だから酔って正常な判断ができなかったからとはいえ、その言葉自体は本音だったのだ。

 伝える場所さえ間違えていなければ。

「青柳が居てくれてよかったなあ」

 唐突ですねと笑う青柳の声に人の足音が混じる。今が金曜日の夜でここが我が家の玄関先で、扉を開けた向かいには雅樹の家があることを、その時の俺はすっかり忘れていたのだ。

「ご機嫌さんやな」

 元々のぼせ気味だった頭に更に血が集まる。何よりショックだったのは、その声を聴くその瞬間まで、自分がその事実と雅樹に会う可能性を忘れいていたことだ。一人暮らしを始める時にこの家を選んだのは自分だ。本音を言えばきっと雅樹も困っていたに違いない。それでもうちの養父母が安心できるならと、笑って許してくれたことも忘れていた。玄関のドアを開けた時にその顔を見られることが何より嬉しかったことも。

「こんな時間から出掛けるんか?」

「え、あ、うん。コンビニ行く。そっちは、今帰りなの」

「いつも通りやで」

 思い知る、というのはこのことなのだろう。背筋を通る血液がざわざわと音を立てる。視界がぐらりと歪む。その目に映る自分の姿が、少しでもよく見えるようにと取り繕う。口元は勝手に笑顔を作る。何よりも自分がちゃんとした人間で、魅力的な男性だと思わせたいと勝手に身体が動いてしまう。

「今日はいい人見付からなかったのかよ。残念だね」

「うるさいねん。お前、そんなフラフラで歩いて行けるんか。付いてったろか」

「大丈夫ですよ」

 背中に軽い衝撃を受け、視線を遣ると青柳が立っていた。よほど足がふらついていたんだろう。ちゃんと立って、といつも通りの平坦で柔和な声音で、いつも以上に優しく言われた。

「お。友達? お泊り会とか楽しいな」

「一弥さんの所に住まわせてもらってます、青柳と言います。ご挨拶が遅れましてすみません」

 それなのに青柳の機嫌が悪そうに思えたのは何故だろう。背中を支えられ、ほとんど同じ位置にある肩に頭を預ける格好になる。そんな姿が、雅樹の目には必要以上に親密に見えたりしないだろうかと不安になった。仮に、そういう風に見られてしまったら困るのは青柳なのだ。

 妙に刺々しい態度の青柳に対し、雅樹は名前を名乗った上で一弥をよろしく、と機嫌良さそうしている。元来人懐っこい性質なのだ。このままだと色々聞き出す目的でうちで飲もう、などと言い出しかねない。未だに雅樹は、俺のいい兄貴のつもりでいるんだろう。

 あんなことがあったのに、きっと雅樹は少しも気にしていない。気付いた途端、喉の奥がカラカラになった気がした。

「一弥さん、コンビニ閉まっちゃいますから、行きましょう」

「は?」

「すみません、俺たち急ぎますので、失礼します」

「青柳?」

 ふらつく俺の身体を支えたと言えなくもない。俺の腰を抱いてアパートの階段を下りながら、青柳が振り返りもせずに歩き出す。

「雅樹、ごめん、また今度」

「おー、飲みすぎんなよ若者」

 手を振る雅樹に青柳は軽く頭を下げただけで、どんどん前へ進んで行く。深夜一時、いくら人通りが少ないとは言え男二人がこんなに密着しながら歩くのは異様だろう。とにかく離せという俺の言葉に、数メートル歩いてからやっと反応した青柳が突然立ち止まった。がくん、と身体が揺れてめまいがする。ようやく俺から身体を離した青柳が、俺に向かって綺麗な角度のお辞儀をした。

「……すみません」

「なんなんだよ、コンビニが閉まるって」

「いや、いくらなんでも無いですよね、すみません」

「いいけどさ」

 そういう店舗もあるだろうけれど、この辺りのコンビニが閉まるなんて聞いたこともない。思い返すとじわじわとおかしくなって笑いを堪えていると、青柳がもう一度すみません、と頭を下げた。

「いいけど、マジでなんだったの?」

「あの人なんですよね、例の、その幼馴染の」

「ああ、まあ、うん。そう」

「あの人なんだなあ、って思ったらつい、なんか、頭に血が上って。すみません」

「何でだよ。お前もやっぱ酔ってんだな」

「それは多分、そうです」

 がこがこと大きな音を立ててトラックが通り過ぎていく。辺りは暗くて、青柳の表情は見えない。街灯に照らされて青柳の眼鏡のレンズが光っていることさえおかしくて、笑いながらもういいよ、と言うと青柳は大きな息を吐いた。

「良かった」

「何が」

「一弥さんが怒ったかと思って」

「怒る以前に意味が分からないからな。マジで、何だったの?」

「最近、ずっと楽しそうに見えたから」

「俺が?」

「はい。……最初会った時は何か中二病みたいで、世界全部恨んでるみたいな顔してたのに、最近はそんなこともなくて、ずっと楽しそうにしてたから」

「中二病って何だよ、失礼だな」

「本当、何でしょうね」

「それで、楽しそうだったから?」

「ずっと楽しそうにしてたのに、あの人の所為で、また前みたいに、最初に会った時みたいになるんじゃないかと思って」

「だから、慌てて引き離したってこと?」

「まあ、そういうことです」

「やっぱり酔ってるんだよ」

「多分、そうですね」

 そこにはまるで台本があるかのようだった。当たり前に青柳の手のひらが俺の頬に触れて、当たり前にその手がうなじまで滑り落ちた時、なるほどここで目を閉じるのかと思った。ここが自宅のアパートから少ししか離れていないこととか、深夜とは言っても公の場所だとか、すぐ傍に道路工事の現場があるとか、それらすべてでさえ舞台装置のように思えた。だからその次に唇に触れたものが、青柳のそれだったのは考えるまでもなく分かった。だって、これは筋書きで決まっているのだから。

 どうして、とさえ思わなかった。今はそれが一番普通で今一番するべきことで、それ以上でもそれ以下でもない。だから目を開けて、次に言うべきセリフも決まっている。安っぽい三文芝居でしかないのだから、多少演技が下手だって構わない。

「早く行かないとコンビニ閉まるぞ」

「その話、もうよくないですか」

 歩き出した夜の街は静かで、自然と声も控え目になる。いつも通りのすかした態度で歩き出す青柳の背中を追い掛けながら考えたのは、何故かやっぱり雅樹のことだった。だって五歳の頃からずっと、初めてのキスは雅樹とするものだと思い込んでずっと生きてきたのだから。

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