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陽の当たるアパート  作者: なたね由
4/13

2-1

 一弥さん一弥さん、と呼ぶもそもそした小さな声と身体を大きく揺さぶる手の感触で目を覚ました。

「なに」

 自分に布団に潜り込んで丸まって眠る癖があると知ったのは、青柳と暮らし始めてからのことだ。そのうち窒息しますよ、と青柳は言うが、就寝時の心地良さと安心感で死ねると言うのなら、絶対にやめられない習慣だ。

 青柳には声を掛けても返事がなければ勝手に入っていいよ、と伝えてはいる。部屋は片付いてないけれど見られてそこまで困るものもない、というのと、しばらく一緒に暮らしてみて青柳慈人は信用に値する人間である、という結論を出したからだ。結果、律義な青柳は俺が寝ていて、何か用事があって起こしたい時だけ俺の部屋に無断で侵入するようになった。

「起きましたね」

 布団から顔を出して目を開くと、眼鏡のレンズの向こうに青柳の感情の乏しい瞳が見える。以前なんとなくコンタクトにしないの、と聞いてみたところ「この方がファンにウケがいいので」という答えが返ってきた。

 青柳の属するバンドは売れない売れないと言うが、それなりにファンは付いているらしい。どうやら「外見でウケるならそれもエサにする」というのが、彼の所属するバンドのリーダーの意見であるらしい。音楽で伝えたいことがあるんじゃないのか、とメンバーからは反対の声も上がったらしいが、俺からしたらそいつはなかなか合理的でいいな、と思った。崇高な使命は確かに尊いが、人の関心を引き付けるためにあるものを利用するのは間違ったことじゃない。その話を聞いたとき、そんな風に知ったような口を利いたら青柳はふむ、としばらく考え込み、それもそうかも知れないです、と至極真面目に頷いていた。

 とにかく青柳は素直なのだ。否定的に見れば唯々諾々として自分の意見が無いと言えるのだろうけれど、他人の意見を時間を掛けて反芻し飲み込み、吸収できるものはしている、という印象が強い。その反面、飲み下せないとなったら頑固なのである。その証拠に、俺がどれだけ目玉焼きにポン酢を掛けることを勧めても絶対に試そうとはしない。目玉焼きには塩コショウ、というのは青柳の中で譲れないラインなんだろう。

「何。今何時」

「七時です。朝ですよ」

「土曜の七時は夜」

「どういう理屈ですか」

 大学時代の友達とオンラインでゲームをした所為で、確か布団に入ったのは朝の五時ごろだったと思う。人の性癖を知ってもドン引きもせずに声を掛けてくれる奴らと、酒を飲みながら気兼ねなく楽しむゲームはいいものだ。それでつい夜更かしが過ぎてしまうのはしょうがないことだと思うし、何なら軽い二日酔いでもある。だから今日は何なら日が落ちるまで寝てやろうと思っていたのに、ベッドの傍に正座する青柳は俺を揺さぶることを止めない。

「眠いんだけど」

「いいトコいきませんか、いいトコ」

「朝っぱらからなに? そういう店?」

「朝っぱらから下品ですね。どういう店ですか。興味あるんですか。行ったことあるんですか」

「起きるから、質問攻めすんな」

 布団から出ると寝ぐせが酷すぎると青柳が笑った。言った本人はいつも通りにきっちり髪を整え、服装だって家で過ごすとは思えないくらいきちんとしている。

「……なに、どっか行くの?」

「よく分かりましたね。流石です」

「いや、うん。まあいいや。何?」

「パン、食べに行きましょう」

「女子か」

「男子ですが?」

「知ってるけど?」

 差し出されたスマホを見る。画面の右上にばかみたいにアプリの通知が溜まっていて笑ってしまった。生活態度や人との距離感はきっちりしているのに、こういうところがズボラなのが青柳の面白いところだと思う。

 画面に映されていたのは大手の飲食店レビューサイトだった。広告の挟み方が露骨だな、とかボタンが小さくて押し辛い、とかいちゃもんを付けているといいからさっさと見て、としびれを切らして青柳が画面を指さしてきた。小さなスマホ画面を二人で覗き込んだものだから、向かい合って額がぶつかるかたちになる。

 青柳の距離感が分からない。あの日あの居酒屋で、貴倉と俺との会話を聞いたと言っていたから、俺がどういう恋愛観を持っているのかはしっているはずだ。それなのに俺と一緒に住む選択をしたり、俺が寝ている部屋に平気で入ってきたり、こんな風に顔を近づけても平然としている。そういうのが気にならないのか、と前に聞いてみたところ「男同士なら普通でしょう」と心底不思議そうに返された。俺が男を好きになるタイプの人間だ、ということを青柳が理解しているのかどうかは分からずじまいだ。

「何これ、すげえな」

「食べ応え抜群でしょう。あと、目玉焼きもあります。多分ポン酢はないけど」

「流石に普通の店にそこまでは求めてねえよ。サンドイッチでかいな。あと高そう」

「なんと今日は俺の奢りです。安心してください」

「何だよ、唐突に。宝くじでも当てた?」

「宝くじ当たったら焼肉でも奢りますよ。違います。

 俺の手からスマホを取り返し、若者らしい軽やかな手つきでいくつかの操作をこなしたあと、突然音楽が流れ始めた画面をこちらに向けた。男四人がスタジオらしいところで肩を寄せ合って手を振っている。

「まったく分からない。説明して」

「最近うちのバンド、配信始めたんですよ。そしたら、それがそこそこ当たって、そんで、日頃の感謝とか、まあ、そういうことです」

「そういう金って貯めといた方が良くない?」

「俺はバンドマンなので、宵越しの金は持たないんです」

「堅実の塊みたいな顔して言うことか?」

「どういう意味ですか、それ。人の金でサンドイッチ食べたくないんですか」

「食いたい」

「じゃあ行きましょう」

 俺にスマホを手渡して、クローゼット開けますよ、と言った青柳が人の服を引っ掻き回し始めた。最近は洗濯もなんとなく時間がある方がやるようになったから、お互いがお互いの手持ちの服を把握し始めている。まるで同棲じゃん、と貴倉は言うが青柳の言う通り、男同士なら普通の距離感なのかも知れない。

 雅樹のことを好きだと自覚してからずっと、男同士の距離感が分からないでいる。踏み込み過ぎると気持ち悪がられるんじゃないかとずっと思っていた。肩を組んだりスマホの画面を一緒に覗き込んだり、美味そうな飯をひと口分けてもらうことは、男同士では当たり前ではないのかもしれないから、と考えこみすぎた結果、中学から大学卒業に至るまでクール属性の人嫌いみたいな扱いを受けてしまい、人間関係を思う様こじらせてしまった。大学時代の友達相手にだって、楽しく遊んではいるがどうしたって一線を引いた付き合いになってしまう。

 全部雅樹の所為だ、と思う。雅樹なしで生きることについて感情の折り合いはついたものの、それでも俺の人生が大きなパズルだとしたら、雅樹はその半分以上を埋め尽くす大量のピースだ。仮にそのピースを入れ替えれば、俺の人生観は変わるんだろうか、などと思う。結果的に完成する絵柄は何も変わらないだろうというのに。

「さっさと顔洗ってきてください」

「お前、俺の妹かよ」

「そのシチュエーション、うちのメンバーが聞いたら泣いて喜びます。そういうの、ウケるって」

「この中のどいつ?」

「ギター弾いてるヤツです」

 耳障りの良すぎる音楽に耳障りの良すぎる声が乗る。青柳のバンドが売れない理由がなんとなく分かる気がする。心地が良すぎて心に残らないんだろう。日常に在って当たり前が過ぎて、特別だと気付かないもの。生活音のBGMみたいだ。

 このバンドの音楽はまるで青柳のようだ、と思った。それでもその配信のアーカイブに付いたコメントには、その心地良さを高く評価する文字が羅列されていた。

「……うん、分かるよ」

「何がですか? 顔洗ってきてくださいってば。さっさと行きますよ」

「分かったよ」

 テンションの高い絶賛のコメントに同意と軽い嫉妬を覚える。青柳の心地良さを理解して、それを当人にストレートに伝えられるそのコメントの素直さを羨ましいと思った。

「なあ、一番高いサンドイッチ食べていい?」

「帰りにパン買ってくれるならいいですよ」

「日頃の感謝じゃないのかよ」

 スマホの音量を上げて洗面所に向かう。甘やかな声が未来のない恋愛を歌っている。冷たい水でざぶざぶと顔を洗うと、眠気と酒くささが流れていくような気がした。

「いい歌だな」

「そうですか?」

 部屋に戻り、ベッドの上に現場写真みたいに並べられた服を順番に着ながらつぶやいた言葉に、青柳は怪訝そうな表情を浮かべながら俺の鞄に財布やらスマホやらを詰め込んでいる。

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