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陽の当たるアパート  作者: なたね由
12/13

4-2

「おお、とうとう認めたか」

 お給料が入ったし美味しいものでも食べに行こう、という美弥の誘いにあっさり乗ったのは、奢ってあげるという言葉が追加されていたからだ。義理の妹に奢られるというのは情けない話だけれど、実家暮らしの彼女と一人暮らしの俺とでは、どうしたって財政状況が異なる。どうせ何か話があるか愚痴でも吐きたいんだろうし、相談料ということで自分を納得させた。念の為美弥と飲みに行くことを養母に伝えたところ、妹には素直に甘えるのね、と少し寂しそうにしていたのは申し訳なかったな、と思わないでもないけれど。

 そういえば最近あの人とはどうなの、と美弥が口にしたのは、入社一年目になる職場での人間関係や仕事の愚痴などをひとしきり吐き出してすっきりした、と満面の笑みで四杯目のカクテルを空にした頃だった。大体職場の愚痴なら友達と飲みに行けばいいだろうが、と思うのだけれど、美弥曰くそれではダメなのだそうだ。あーあー分かる、うちの会社もさあ、となってしまうともう何も話す気が無くなるとのことで、それはなんとなく分かる。そういう意味で俺は彼女の愚痴に対してただ頷き、大変だなそうだな、と適当にも見える相槌を打つだけなのがいいのだと言う。意見も同調もカウンター不幸自慢もいらねえんだよ、とは美弥の弁だが、こいつはこいつで、俺とは違う意味で友達が少なそうだ。

「とうとうって何だよ」

「あたしは最初から言ってたでしょ。恋だ、って」

「だから、そういうんじゃなくて」

「言い訳すんなし」

 美弥に連れて来られたのは女性向けのキュレーションメディアサイトに掲載されていそうな個室の居酒屋で、居酒屋と呼ぶには差支えがありそうなオシャレな店だった。そういう感想を述べると兄ちゃんが作ったサイトで見たんだよ、と言う。確かにUIを作ったのは俺だけれど、デザインをしたは別の人だし、記事を書いている人に至っては顔も知らない外部の人間だ。そこまで言ったとしても、美弥のことだから「よく分かんないや」で片付けてしまうだろうことは想像に難くないから、言わなかったけれど。

 余計なことを言ったって結局言い負けてしまう。だから美弥の前では口数が減る。近況報告も愚痴も聞き手になる。それだけの話だ。

「で? 認めて? どうなった?」

「別に、どうもないけど」

「何もしてないの?」

「だって、普通に断られたら気まずいし、そしたらまたあいつ、路頭に迷うだろ。言えるか」

「それって、その、さっき言ってた玄関迫られ事件の所為?」

「どういう事件だよ」

「事件じゃん」

 一方的に話すばかりの美弥だけれど、なかなかの聞き上手でもある。それについて本人は「兄ちゃんがチョロすぎる」と言うが、そこはそれについては認めたくない。

 事件、といえばまあ事件なのだろう。あれから青柳とはまた顔を合わせる機会ががっくり減った。今度はこちらがあからさまに避けられている訳だが、こちらも同じことをしていたのだから強く出られないところがもどかしい。とはいえ、青柳と暮らし始めた当初に戻ったのだと思えば、何も変わらない日常だとも言える。家に青柳がいて、そこそこ快適な程度に家事がなされて、生活のクオリティは上がった。それだけの話だ。ただこの数か月にいろんなことが起こりすぎただけで。

「兄ちゃんがそれで良いならいいけど」

「良いも悪いもなくないか? だって俺だけの話じゃないし」

「あるよ」

 美弥の機嫌がいつになく悪そうに見えるのは酒の所為だろうか。いつもに比べて語尾のキレが鋭い。氷が溶けて元の色なんて分からなくなってしまったグラスの中の液体から視線を上げると、美弥は不貞腐れた顔で俯き皿の模様を凝視していた。

「あるよ」

 美弥はもう一度、強い口調できっぱりと言い切る。昔っからそうだが、こうなったら絶対に人の意見を聞き入れない。美弥は俺を頑固だと言うが、美弥だって相当に頑固だ。前に一度養父と酒を飲みに行った時そんな話をしたら、二人とも姉さんにそっくりだ、と笑っていた。俺が久住家に引き取られる事件については、母の弟であった養父もその配偶者だった養母もずいぶん苦労しただろうに、本当に心の広い人たちだと思う。

「美弥」

「しょうがないじゃん、イライラするんだもん。嫌われるの怖がってビビッてるだけじゃん」

「俺が、か」

「そう。別にいいじゃん、兄ちゃんがヤギくんのこと好きで、結果上手くいかなくってヤギくんが兄ちゃんの家追い出されたって、兄ちゃんには関係ないじゃん。そんなの兄ちゃんの勝手じゃん」

「……待って、ヤギくんって何?」

「ライブで聞かなかった? そう呼ばれてるの。アオヤギだし、草食っぽいからヤギくん」

 言い得て妙とはこのことか、と思ったら吹き出してしまった。それを見た美弥が汚い、と言いながらようやく表情を崩す。俺と美弥との間で不仲や喧嘩が長続きしないのは、お互いが普通の兄妹以上に気を使い合ってるからだ。美弥は美弥で、俺に対してストレートであろうと努めてくれているのも知っている。そうしなければ、俺はきっと美弥とこんな風に飯を食うことができないからだ。それを分かっていて、一見品が無いとも思える態度を取っているのを知っている。だからこそ、俺はこの義理の妹が可愛くて仕方がない。

「ヤギ、ヤギかあ、なんか分かるわ」

「アンフェアだとは思ってるよ」

「何が?」

「あたしは、ナイストのファンだし。兄ちゃんからオフのヤギくんの話聞くのとか、ファンからしたら不公平じゃん?」

「お、どうした唐突に」

「ヤギくんと兄ちゃんがくっついたらラッキー、みたいな気持ち持ってるのもゼロじゃないし。でも、それとは別に兄ちゃんがもっと幸せになったらいいなって思ってるのもマジだし」

「分かってるよ、そんなこと」

「だから、兄ちゃんには自分でちゃんとしたいことを考えて欲しいなって思って」

 お代わりを頼もう、と美弥が注文用のタブレットを手に取る。酒はやめとけよと言うとすぐに頷くところなんかは、本当に素直でいい子なのだ。

「そうだな、そうかもな」

 なんとなく、机に伏せたスマートフォンを手に取る。画面には相変わらず丁寧な文面の青柳からのメッセージの一部が表示されていた。今日作った飯は冷蔵庫に入れてあるとか、これからスタジオなので明日の朝まで帰らないとか、こまごましたスケジュールが書かれている。あんな態度を取られた後でも律義に世話を焼こうとする青柳のことだ。本当は、俺がきちんと時間を取りさえすれば強引に青柳と話をすることもできるはずなのに、それをしなかったのは、美弥の言った俺の勝手が青柳の生活に影響することを嫌っているからだ。

 ありがとう、とだけ返したメッセージには既読がついた。避けられてはいる、が、嫌われた訳ではないだろう。仮に俺が思うように、追い出されないような配慮をしている可能性がないとも言えないけれど、普段の青柳を見る限り嫌いな人間の家に居座るほど切羽詰まっているとは思えない。

 少しくらいポジティブになれ、と言うことだろうか。

「ねえ、何飲む?」

「お茶がいい」

「うん、じゃあ烏龍茶ふたつね。お会計は任せておきなさい」

「助かる。半分は出すから」

「それじゃ割り勘じゃん。大丈夫、今日はお父さんの奢りだよ。兄ちゃんとご飯に行くって言ったらお金くれた」

「後で、連絡入れとかないとな……」

「そうしてあげて。きっと喜ぶから」

 朝には一度、会えるだろうか。徹夜で疲れているだろうからあまり無理強いはさせられないけれど、それでも少し話をするくらいはいいだろう。もしそれで、見事に玉砕したってうちに住み続けて構わないと伝えよう。こっちは二十年の片想いを経た身、何でもない振りをするくらい朝飯前だ。

 帰宅して養父に感謝のメールを送り、適当にシャワーを浴びてからできるだけ朝の早い時間に目覚ましをセットして、ベッドに入った。

 その日の俺は当然知らなかった。青柳の帰宅より早く目覚めてコーヒーを淹れていた俺が、休日には珍しく早起きした俺の姿を見て驚いた青柳以上に頬を腫らし唇を切った青柳の顔に驚く羽目になることを。

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