第七話
次の月曜日、東海林君はうなだれて学校へ来た。渓流釣りをしてすっかり元気になり、打ち解けた空気になるかと思っていたが、彼の口から出るのはため息ばかりだ。
「どうしたんだよ?」
そう尋ねても、東海林君の口からは「はあ」という、気の抜けた返事しか返ってこない。
高田君も心配していた。
「あいつ、もう俺たちの仲間なのにな。一体、どうしたんだ?」
「さあ」
僕も首をひねるばかりだった。ざわついた教室の中で東海林君の周りだけ、時間が止まったようだった。
その日の放課後、東海林君は気だるそうにショルダーバッグを下げ、ひとり下校しようとしていた。それを見た高田君が、僕の脇腹を突っつく。
「おい、お前、様子を見てこいよ」
「おう」
僕は東海林君の後を追った。
東海林君はススキの茂るあぜ道を、ボンヤリとひとりで歩いていた。どこか魂の抜け殻のような後ろ姿だ。
「よう、どうしたんだよ?」
僕がそう声を掛けると、東海林君の背中がビクッと跳ねた。そう、まるで竜山湖でブラックバスに追いかけられていたワカサギのように。
「あ、ああ……、お前か」
「何か変だぞ、今日の君は」
東海林君は足元の小石を蹴り始めた。蹴っては追い、追っては蹴る。
だが、意を決したように東海林君は口を開いた。
「一昨日の猿、いるだろ。ほら、俺たちを助けてくれたモヒカン頭の猿」
「ああ、確か君が『お父さんの目に似ている』って言っていた……」
「そう、その猿のことなんだ……」
東海林君はススキを一本、引き抜いた。ススキは結構、丈夫な植物だ。引き抜けそうで、なかなか引き抜けない。それを彼はあっさりと引き抜いてしまった。
「あの猿が一昨日、夢枕に立ってなあ」
「あはは、猿で悩んでいるのか?」
ススキを手でクルクルと回す東海林君の背中に、僕は明るく笑い掛けた。
「笑うなよ。俺は真剣なんだ」
東海林君は足を止め、僕を睨み返した。
「ごめん、ごめんよ」
「いいんだ。誰も信じてはくれないだろうし」
「僕は信じるよ。君と僕の仲じゃないか」
そう言うと、東海林君の肩から力がフッと抜けた。
「あの猿が夢に出てきてな。お父さんの生まれ変わりだって言ったんだ」
「死んだお父さんの生まれ変わり?」
「そう……」
東海林君があかね色に染まりかけた空を眺めながらつぶやいた。秋の日はつるべ落としとは、よく言ったものだ。最近、陽が落ちるのがめっきり早くなった。
「それで、お父さんの猿は何か言っていたのかい?」
「ああ、『この猿はいい。自由でいい。群れにも入らず、ひとり気ままに生活していく』ってな」
「ふーん。でも、あの猿、年寄りくさかったぜ。君のお父さんが亡くなったのは今年だろう。それじゃあ、説明がつかないんじゃないか?」
「それも言っていた。『この猿に取り憑いた』ってな」
東海林君の目は宙を泳いでいた。どこに焦点を合わせるでもなく、広大な空を眺めている。
「そうだ。今度の土曜日にまた、笹熊川に釣りに行かないか? そうすりゃ、君のお父さんにまた会えるかもしれないぜ」
東海林君が僕の目を見た。そして力強く頷いた。
「ところで、その話をもう、お母さんにしたのかい?」
「とてもできる状況じゃないよ。話したら三日は寝込んじまうだろうな」
東海林君がクスッと笑った。
その翌日の朝だった。東海林君は僕に胸の内を明かせて、少しすっきりしたのだろうか。明るく振る舞っていた。教室のみんなとも、雑談をしている。
「都会はよー、便利かもしれねえけど、コンクリートだらけで味気無いぜ」
そんな話を笑ってする彼を、僕は目を細めて眺めていた。
「みんな、おはよう!」
元気よく教室に入ってきたのは、小野さんだった。小野さんは活発な六年生の女の子で、その元気さは男子に引けを取らない。
小野さんの片手にはビニール袋が握られており、中で何やらうごめいている。小野さんはビニール袋を持ったまま、教室の隅の水槽へ向かった。
教室の隅には横幅が60センチ程の水槽がある。中にはメダカが十匹ほど入っており、今週は僕が水槽を掃除する当番だった。
「桑原、川でウグイを釣ってきたから、メダカの水槽の中に入れるね」
「何だ、また世話するのが増えちゃったじゃないか」
「ボヤかない、ボヤかない。来週の当番は私だからさ」
小野さんは僕の背中をポンと叩くと、席に着いた。
振り返ると、20センチ程の銀色の魚が、水槽の中で優雅に泳いでいた。
この時、これが怪事件の始まりとは、教室中の誰も予想だにしていなかった。
それは昼休みの高田君の一声から始まった。
「何か、メダカの数、減ってねえ?」
教室中がざわつく。みんな水槽の前に集まった。
「一、二、三、四、五、六、おかしいな。全部で十匹いたはずなんだけどな」
水槽の当番として、一応、僕にも責任がある。僕が首をひねっていると、後ろの方から野次が飛んだ。
「桑原、いくら腹が減ったからって、メダカまで食うことはないだろう?」
一同が大爆笑した。
「それなら、校庭の池にいるコイの方を食うね。メダカじゃ腹の足しにならないよ」
僕も負けずに言い返した。しかし、メダカはどこへ行ったのだろうか。ウグイは悠々と泳ぎ回り、残りのメダカは居場所を追われたように、慌しく泳ぎ回っている。
「やっぱ、お化けじゃねえの?」
高田君が手をぶら下げ、おどけた顔で言った。
「真っ昼間から出るかよ」
誰かの声がした。
「いや、わからんぞ。メダカ好きなお化けかもしれん。夜中になると、きっとウグイも……」
「私の釣ったウグイを食べたら承知しないからね」
小野さんが顔を膨らませた。高田君はそれでも続けた。
「よく話に聞くだろう? 夜中になると理科室のガイコツが動き出したり、音楽室のピアノがひとりでに鳴りだしたり」
「キャーッ!」
数名の女子が耳を塞いだ。
キンコーンカーンコーン。
始業のチャイムと同時に、クモの子を散らすように水槽の前から離れ、自分の席に着く。
ガラガラと扉が開き、斎藤先生が入ってきた。
「先生、大ニュースです。メダカが減っちゃったんです。消えちゃったんですよ」
早速、高田君が席を立ち、先生に事のてんまつを報告した。
「ほう……」
先生も水槽に近寄って確認する。
「確かに減っているな。まあ、そういうこともあるだろう」
先生は特にあわてた様子はない。ただ、あごに手を当て、ひとりで頷いているだけだ。
「やっぱり、お化けですか?」
調子に乗った高田君が、更に続けた。
「あるいはそうかもしれんぞ。悪さをする子はメダカみたいに食べられちゃうから、みんな気を付けるようにな」
先生は笑いながら言った。
僕は東海林君の腕を突っついた。彼ならば、メダカが消えた理由を知っているだろうと思ったのだ。
東海林君はニヤリと笑った。
「この前、竜山湖でお前のお父さん、何て言っていたっけ?」
「えーと……」
あの日はいろいろな話をしたから、どの話を思い出せばいいのかすぐに浮かばない。
「この前の土曜日、お前がスプーンで一番最初に釣った魚は何だよ?」
東海林君が焦れたように言った。
「もしかして、ウグイ?」
僕は思い出した。父親が「コイやウグイも他の魚を襲って食べる」と言っていたことを。
僕は振り返って水槽を眺めた。ウグイは何食わぬ顔で、水槽の中で銀のウロコを輝かせていた。
そして、放課後を迎える頃には、メダカは一匹もいなくなっていた。水槽の周囲には人だかりができた。
ある者はお化けの噂に怯え、ある者は首をひねった。
「ウグイ、じゃないかな?」
僕が恐る恐る言ってみた。すると、すかさず僕の襟首をつかんだ者がいた。小野さんだ。
「何だって? 私が持ってきたウグイにケチつける気かい? ウグイとブラックバスを一緒にしてもらっちゃ困るね」
男勝りの小野さんが凄む。女子の中でも腕っ節の強い小野さんに睨まれたら大変だ。高田君の時以上にやっかいなことになる。
それでも僕は自分の考えが間違っているとは思えなかった。
「まあ、待てよ」
そう言って、助け舟を出してくれたのは高田君だった。
「俺はこの前の土曜日、見たんだ。こいつがルアーでウグイを釣るところをよ。案外、ウグイって獰猛な魚なのかもしれねえぜ」
「そんなことないわよ!」
小野さんがむきになる。
「よし、そこまで言うのなら、ウグイの解剖をしよう」
僕は思い立ったように、そう言った。
女子たちは「きゃーっ」とか「気持ち悪い」とか騒いでいる。
小野さんがすごい形相で僕をにらんだ。
「もし、メダカが出てこなかったら、どう落とし前つけるつもり?」
「その時は塩焼きか田楽にでもすればいいだけの話だろう?」
こうなったら僕も後へは引けない。
「あんた、ブラックバス釣るのに魚、食べるんだ?」
小野さんが皮肉っぽく笑った。
「いいわ。その代わり、もしメダカが出てこなかったら、あんた、このウグイをナマで食べなさいよ。頭から内臓から、尻尾まで全部!」
小野さんも熱くなっている。小野さんはメダカをすくう網を手にすると、水槽の中のウグイを追いかけ回し始めた。ウグイは「ハヤ」と呼ばれるくらいにすばしっこい。小野さんはやけくそになって、ウグイを追い回している。
「やめろよ」
東海林君がポツリとつぶやいた。
「そんなことしなくてもわかるぜ。ウグイのケツを見てみな」
みんなウグイの尻ビレの辺りに注目する。するとどうだろう。フンが出かかっているではないか。
「きゃっ、目玉!」
女子のひとりが叫んだ。そう、そのフンは紛れもなく、消化されかけたメダカだったのだ。薄っすらと骨の部分も確認できる。
「そ、そんな、ウグイがメダカを食べるなんて。ブラックバスじゃあるまいし……」
さすがに小野さんも驚きを隠せない様子だ。
「私が、私がウグイなんか入れたばっかりに、メダカが……」
そこから先は言葉にならなかった。小野さんの肩は震え、わなないていた。
そんな小野さんの姿を見て、少し熱くなり過ぎた自分を、僕も反省した。
「知らなかったんだもん。しょうがないよ。誰もウグイがメダカを食べるなんて、普通は思わないもんね」
僕はうずくまる小野さんの目線の位置まで腰を落とし、優しく話しかけた。
小野さんの唇がわずかに「ごめんなさい……」と動いた。
次の土曜日、東海林君と僕は連れだって、また笹熊川の上流を目指していた。それにしても、林道での自転車こぎは疲れる。今日目指すのは笹熊川が鬼女沢と合流する付近だ。
九月も下旬になり、樹々の葉もだいぶ色づいてきた。今年の紅葉は綺麗だろう。そんなことを思いながらペダルをこぐ。
林道はある一点を過ぎると、長い下り坂になった。帰りには、これを上らなければならないと思うと、正直なところ、しんどかった。
笹熊川と鬼女沢の合流点の手前で、林道は終点を迎える。そこには地元のものと思われるワゴン車が一台、置かれていた。
「ちっ、先客がいたか」
東海林君が舌打ちをした。しかし、仕方ない。釣り場はみんなのものだ。問題なのは我々のようなルアー釣りを理解してくれるかどうかだ。
「しょうがないよ。行こう」
僕たちは早速、釣り支度を始めた。
先日、高田君と釣った場所よりも、更に上流であるこの場所は、当然ながら、流れも細くなっている。子供でも場所さえ選べば、川を渡ることは可能だ。
東海林君と僕はテンポよく釣り上がっていった。ルアー釣りは餌釣りのように、丹念に仕掛けを流したりしない。積極的に攻めて、早めに見切りを着けては、次のポイントへ移動する。
そんな釣りをしているうちに、東海林君も僕も何匹かのイワナを釣っては、川へ返していた。
釣り上がっていくうちに、大きな淵にでた。そして、そこでは長い渓流竿を垂らす釣り人の姿が見える。おそらく、あのワゴン車の持ち主だろう。
東海林君と僕は顔を見合わせた。このような場合、挨拶を交わし、どのように釣るか相談するのがマナーだ。挨拶もせず、勝手に追い抜かしたりするのは厳禁とされている。
「こんにちは」
東海林君と僕は、声を合わせて挨拶をした。よほど釣りに集中していたのだろう。その釣り人の背中がビクッと跳ねた。
「ああ、びっくりしたぁ」
「すみません。驚かせちゃって」
釣り人は竿をヒュッと上げると、こちらを向いた。僕の両親と同い年くらいの男性だ。
「あっ」
その釣り人の顔を見て、東海林君が思わず叫んだ。
「おじさん、村役場の……」
「そうだよ。東海林君だったね。よく覚えていてくれたね」
僕が東海林君の脇腹を肘で突っついた。
「この人、初めて村にきた時、お母さんと村役場で会ったんだよ」
「玉置村役場福祉課の皆瀬です。よろしく」
皆瀬さんが帽子を脱いだ。その下には爽やかな笑顔があった。
「君たちはルアーかい?」
「はい」
東海林君がはつらつと答えた。僕がルアーボックスを開いて見せる。
「ほう、どれどれ、これがルアーか。おじさんもやってみたいとは思っていたんだけど、なかなかチャンスがなくてね」
「やってみる?」
東海林君が皆瀬さんにルアー竿を差し出した。皆瀬さんは渓流竿を畳むと、「いいのかい?」と言いながらも、ルアー竿に手を伸ばした。僕はキョトンと事の成り行きを見守った。大体の餌釣り師たちは、ルアー釣りを毛嫌いするものだ。
「リールの使い方は大丈夫?」
「コイのぶっ込み釣りで使っているからね」
ヒューンと竿がしなった。糸は野球でいうところのフライで飛んでいく。渓流では余計な糸は出してはならない。それだけ巻き取るコースに無駄ができてしまい、魚のいる場所を外してしまうからだ。
「コイの要領じゃなくて、もっと手首を使ってビュッと振ってごらんよ」
東海林君の助言はいつでも的確だ。皆瀬さんが再チャレンジをする。今度は竿がビュッと風を切った。
ミノーが淵の対岸の巻き返しへと着水する。すぐに皆瀬さんはリールを巻き始めた。きらびやかなミノーの銀色が僕の目からもよく見える。その後ろに黒い影がヌッと現れた。次の瞬間、皆瀬さんの握る竿先が引ったくられた。
「き、きたっ!」
黒い影は流れの中へと突っ込み、その流れを味方につけようとする。そして、針を外そうと必死にもがいた。だが、そこは皆瀬さんも経験者だけあって、魚の扱いには慣れている。渓流竿よりはるかに短いルアー竿を、腕の延長のようにあしらって、あっと言う間に、魚を足元に寄せてしまった。
30センチはあろうかというイワナだ。
「大きなイワナですね」
エラをリズミカルに動かすイワナを見て、僕がそう言った。
「もともと、この辺りになると、ヤマメは姿を消して、イワナだけになるんだよ。今は漁協が放流しているからヤマメもいるけどね」
皆瀬さんはこの笹熊川の状況について、よく知っているらしい。よほど通い詰めているのだろうか。
「いやー、ビギナーズ・ラックだと思うけど、君たちのお陰で素晴らしいルアー初体験ができたよ。ありがとう」
皆瀬さんがニッコリと人懐っこい笑顔で笑った。最近ではよく、新聞やテレビでお役人が叩かれていると聞くが、この人に限っては叩かれるようなことはしていないだろうと思った。
「さてと、この先、君たちはどうする?」
皆瀬さんが尋ねた。東海林君と僕は顔を見合わせた。餌釣りとルアー釣りではテンポが合わない。この場合、先行者である皆瀬さんに優先権がある。
「僕たちはまた釣り下がりますから、どうぞ先へ行ってください」
そう言ったのは東海林さんだった。しかし、皆瀬さんは人懐っこい笑顔を崩さずに言った。
「もし嫌じゃなければ、せっかくだから、一緒に釣ろうよ」
東海林君と僕も自然と笑顔がこぼれた。
川はもうすぐ、鬼女沢との合流点を迎える。そこには大きな淵があると聞いていた。そこを三人で攻めるのも悪くないと思った。
心地のよいそよ風が、川上から吹きおろし、僕のうなじをなでた。
鬼女沢との合流点は大きな淵となっており、そこは二本の流れが複雑に絡み合っている。皆瀬さんの渓流竿ではとても攻めきれない範囲だ。東海林君と僕は、皆瀬さんの竿の届かない範囲を狙うことにした。
こうして、餌釣りの人とルアー釣りの人が、ひとつの川で仲良く共存できるのは素晴らしいことだと思う。そうだ、釣り人はもともと、みんな友達なのだ。その釣り方が違うだけでケンカするなんて、バカバカしいことではないか。
その淵は魚の、生命の気配に満ちていた。複雑な流れが作り出す水の筋は、所によっては激流のようになり、所によっては底の石により、水が盛り上がっている。また、ある所では水は巻き返し、緩やかな流れとなって、落ち着きながらも、すべてを飲み込もうとしている。
僕たちは思い思いの場所に、仕掛けを、ルアーを投げていく。三人が解け合った淵だった。
しかし、不思議だった。そこの淵はいくらルアーを投げても魚の反応がない。正確に言うと、魚が追ってくるのは見えるのだが、食いつかないのである。東海林君も苦戦しているようだ。皆瀬さんも丹念に仕掛けを流しているが、アタリはないようである。
「どうやら、ここの魚はスレッカラシ(釣れない魚)のようだね」
皆瀬さんが苦笑した。さすがの餌釣り師も音を上げたようだ。
「どうやら、そうみたいですね」
ヒョイと東海林君がルアーを回収した。
考えてみれば、ここまでも絵に書いたような、教科書どおりのポイントからは、あまり魚の反応は良くなかった。どちらかというと「竿抜け」と呼ばれる、人が見落としがちなな小さなポイントを拾い歩いて釣ってきたのだ。それだけ笹熊川の魚は攻められ、スレているということになる。
「さてと、ここからどうしようか? このまま笹熊川の本流を釣るというのもいいし、支流の鬼女沢に行くのもいい」
東海林君と僕はまた顔を見合わせた。迷っている僕たちを見て皆瀬さんは言った。
「笹熊川の本流は漁協が放流しているから魚も多いけど、その分、釣り人も多くて魚もスレている。一方、鬼女沢は放流されていないけど、種沢なんだよ」
「タネザワ?」
僕は初めて聞くその言葉の意味がわからなかった。
「つまり、天然の魚が昔ながらの生命の営みを続けている沢なんだ。結構、鬼女沢からこの笹熊川に下ってくる魚も多いと聞いている。漁協の放流だけじゃあ、やっぱり限界があるからね。その代わり、鬼女沢で釣るならば、リリース(放流)を前提として考えてほしいな。貴重な種沢を荒らしたくないんでね」
「うーん、どうしようかな?」
東海林君と僕とで考えあぐねていると、急にガサガサという音がした。音のする方を見ると、鬼女沢の入り口にあのモヒカン頭をした猿がいた。
クワン!
猿が吠えた。そして、僕たちに背を向けると、ゆっくり歩きだしたのである。
「鬼女沢へ行こう。あの猿を追うんだ」
東海林君がつぶやいた。その目は熱く燃えているようだった。