未完成のシステム
「あんたがあの人を殺したんでしょう⁉ この、人殺し!」
夫の不倫相手が睨んでそう言ってくるが、それを受けても、怒りも恐れも浮かばない。むしろ笑えてくる。
「ふっ、ふふっ」
「なにがおかしいのよ! あの人を殺したくせに!」
「殺した? なんの根拠があって、そんなことを?」
「若返り、私を忘れたことこそ、証拠よ!」
「確かに貴女が言う通り、先日あの人の肉体は一度、事故により動きを止めた。だからといって、私は、なんの罪に問われるのかしら?」
「それは……っ」
未完成な不死を手に入れた人類は現在、殺人罪で裁かれることはほぼない。
昔なら殺人罪で問われた内容でも、罪に問われない。今の世では、『生き返りを希望しない』と意思を表示していた者を殺した場合のみ、適用される罪。
科学の進歩により、人類は死んだ人間を生き返らせる技術を手に入れた。
しかしそれは、完璧ではない。だから『未完成の不死』と呼ばれている。
機関に、クローン技術を用いて作られた自身の体が、確保されている。死んだ人間は、その体を用いて生き返ることが可能となった。その肉体へ、記録されている本人の記憶のダウンロードを行い、生き返る。
データは本人が――――未成年の場合は、保護者となる――――機関へ、各々好きなタイミングで行っている。
頻繁に上書きをしている人は、死亡直前までの記憶を有し、新たな肉体を手に入れられる。だが中には上書きをしていなかった為、極端に若返ることがある。
そう、肉体はデータを上書きした時の年令に合わせ、変化して保管されている。
不死を望む人は、わざと若い頃から上書きをせず、一旦肉体が動きを止め、若い肉体で新たな生活を再開させる。ただ記憶は上書きした時までのものしかなく、以前の肉体になるまでの記憶は、一切自分の中から失われる。
記憶を完璧に受け継ぐことができない、だから未完成。
しかし死人を生き返らせることができる、このシステムが誕生したことにより、人は死なない。つまり、殺人罪を問う必要が、ほとんどなくなった。一度肉体が動きを止めても、機関へ申請すれば、復活できるのだから。
「そ、そうよ! 暴行罪よ! 彼が自殺をする訳がないし、貴女が殺したに決まっているもの! わざと人を殺めたら、殺人罪には問えなくても、暴行罪は適用されるわ!」
そう、暴行罪は変わらず存在している。
だから下手に人を傷つけるよりも、相手の肉体を、上手く活動停止にした方が良い。ただし、被害者が亡くなる直前に記憶を上書きし、殺害された記憶があれば、殺人罪として問われることがある。
そして故意に人を殺めた場合、加害者は暴行罪に問われることも。だけどそれも、故意に殺めた証拠がなければ、罪に問われることはない。
出生直後、私たちの体内に埋めこまれたチップは、機関とも繋がっている。パスワードとなる言葉を脳内で唱えるだけで、瞬時にその時の脳内の記憶が、機関に保管されているものへ上書きされる。
パスワードが頻繁に脳内で呟かれるような言葉の場合、常に最新を保たれる。だから大半の者は、例えば『素敵』という単純な単語は使わない。一日に何度も、上書きすることになるから。それは技術が発展したとはいえ、さすがにアクセス集中し、機関が破綻してしまうことに繋がりかねないから、制限されている。
だから現代に生きる私たちは、幼い頃から、機関、パスワード。その重要性についてとにかくしつこいほど、教えこまされる。
「暴行罪、ねえ。だったら、私が夫に暴行を加えた証拠は? あるの?」
首を横に振られたので、軽く片手を頬に当て、やれやれと息を吐く。
「……でも、どこかに防犯映像が……。警察に伝えれば……!」
「そうよね、どの家庭でも防犯として映像を録画しているわよね」
我が家も万が一の時を考え、リビング等、常に映像を録画している。
「だけど……。他人の貴女が、どうやって我が家の録画を見るつもり? 夫は貴女を知らないと言っているでしょう? それとも貴女、ご自分が言うように夫と本当に特別な関係で、誰かに不倫をしていると教えていたの? 私の夫と不倫していたと言うのであれば、そうね。二人のやり取りのデータから、関係性が認められ、映像を入手できる可能性はあるわよね。だけど……」
頬に手を当てたまま、笑顔で告げる。
「そうすれば私は不倫により、精神的苦痛を味わったと、貴女に慰謝料を請求できることになるけれど、それは良いのかしら? それに夫は生き返りを希望しないと、どこにもその意思を表明していない。仮に私があの人を殺していたとしても、私が問われるのは暴行罪のみ。それも、執行猶予がつく内容。なにしろ不倫という、情状酌量があるのだから」
「……っ」
悔しそうに目の前の女は顔を歪めると、崩れ泣き出した。
「……なんなのよ、これっ。どうして⁉ 大切な記憶を失ったのに……! 上書きされた時に戻れるから、生き返られるからって、軽罪なんて……! あの人はあんたと別れて、私との未来を本気で考えるって言っていたのに……! それなのに……! 私と出会う前に戻って、私が分からないなんて……!」
夫がどのタイミングで記憶を上書きしているのか、私も知らなかった。けれど、結婚式が終わったその夜、上書きしたと本人が言った。私と結婚した記憶を、忘れたくないからと。
あの頃の夫は、私を愛していた。
私はそれからも今も、夫を愛している。
それなのに、永遠の愛を誓ったのに、夫は私を裏切った。
だから夫を殺した。もし上書きされている記憶がこの女と出会う前なら、また彼とやり直せると思ったから。そう、私は賭けたのだ。そして勝った。
生き返った夫は、記憶より年を重ねた私の外見に、さすがに驚いていた。
そこで、家の中でこけて頭を打ち、亡くなったので生き返らせたと伝えれば、納得してくれた。そして改めて今は、新婚直後の時を過ごしている。
「これじゃあ、生き返る意味、ないじゃない……!」
「上書きは人生の節目で行うようにと、繰り返し言われているわよね。貴女の話が本当なら、恨むなら、貴女との時間を保存しなかったあの人を恨みなさい。それとも夫にとって貴女は、人生の節目と思える相手ではなかったのかもしれないわね。本気で考えていてくれたと貴女は言うけれど、本当に本気だったのかしら」
泣き声が大きくなる。
……いつか、機関へ記憶というデータを上書きしなくても、亡くなった直前の記憶を持って生き返られる時代が来るのかもしれない。そうなったら、また法律も変わるでしょう。
そう考えると、私は夫を失わない良い時代に生まれたわ。
泣き続ける女の頭を見下ろしながら、笑みを浮かべ鈍器を持つ。
この女がどのタイミングで上書きしているのか知らないけれど、そんなに苦しくて悲しいなら、今すぐ殺してそんな感情を抱かないようにしてあげるのも、優しさかもしれないわね。
お読み下さりありがとうございます。
急に浮かび書きたくなったので、勢いで書きました。
そのため描写不足や粗があり、申し訳ございません。