滅びゆく国の天守閣
戦国の世。とある国が滅んだ。
「そこまで恋焦がれておったのか。」
燃え盛る炎の中、一面の血の海の上で狐は静かに声をかけた。
下では刀と刀がぶつかり合い、血しぶきと怒号が飛び交っていることが嘘のように、この天守には静けさが漂っていた。
「それだけ想うておるならなぜ伝えなかった。そなたの器量とその覚悟があればあるいはそやつの心を動かせたやも知れぬのに。」
狐は血が滴る腕をぞんざいに振り払った。
飛び散った血が金色の屏風に描かれた孔雀にべっとりとした斑点模様を作る。
「…これは届いてはならぬものだったのです。殿には果さなければならぬ責務があり、私のような一介の忍に向ける情などありませぬ。」
そう言うと、女は腰に下げた鞘から短刀からすらりと抜いた。
「狐殿には感謝しております。この決してくつがえらぬ戦を変えるため、どれだけ狐殿に頼らなければならなかったか…。」
「…しかし結局のところ、そこの男が自刃する時をひと月伸ばしたにすぎぬわけじゃ。」
「それでも、感謝しております。…狐殿はお優しゅうございますね。」
「初めて言われたの。」
女は男の傍に膝まづくと胸に短刀を当てる。
「狐殿、最後にひとつ、願いを聞いてくださいませぬか?」
「ふん、いつものように盟約の力で命ずればよかろう。」
「…いえ、これは九尾の巫女としてではなく、死にゆく友からの最後の頼みとして聞いていただけませぬか。」
「……」
「今生にて添い遂げることは叶いませんでしたが、願わくば死する後は共にありたいのです。」
「骸を、弔えと?」
女はこくりと頷いた。
と、その時、段々と悲鳴と怒号が近づいてきたと思うと、天守に通じるはね戸が勢いよく跳ね上がった。
開いたはね戸から、豪奢な鎧兜に身を包んだ男が姿をあらわす。
男は肩で大きく息をしながらも、女と狐を見て返り血で真っ赤に染まった顔をにたりと歪めた。
「はぁ…はぁ…やったぞ。女がまだ生きておるとは!それも二人も!今夜は楽しめそうじゃ…」
「やぁ、我こそは大和国の将、在原のひ…」
言い終わる前に、男は兜ごと顔の上半分が吹き飛び、そのままゆっくりと元来たはね戸へと倒れこんでいった。
鎧と階段がぶつかる音が幾度か響いた後、どすん、という重い音が響き、下の階から聞こえる怒号が一層大きくなった。
「ふん、あさましい雑兵が。功欲しさに上がってきおったか。」
「もうあまり時間がなさそうじゃの…。」
狐は血で真っ赤に染まった右腕を払うと、女に向き直った。
「そなたに最後に一つだけ教えてやる。」
「はい。」
「儂を喚び、何千もの命を奪った以上、そなたも、その男も、決して極楽浄土に行けはせん。」
「……」
女は悲しそうに顔を伏せた。
「故に…そなたはその男と共に、地獄にて永劫まで果つるがよい。」
女は目を見開くと、顔を上げた。
「そうでございますか…。それは…それは…」
「骸のことは任せい。行きがけの駄賃じゃ。最後まで面倒を見てやるわ。」
「……やはり、狐殿はお優しゅうございます。」
女はかすかに微笑んだ。
そして、女は深く息を吸い、すっと短刀を胸に突き立てた。
すぐに力を失った身体がすでに冷たくなっている男に覆いかぶさるように倒れこむ。
あたりでは炎の音が一段と大きくなる。もう天守全体に火が回っている。
狐はじっと二人の亡骸を見つめながら、大きく溜息をついた。
「もっと他に有り様はあったであろうに…人はなぜ、責を負うとこうも…」
はね戸からはあの将をどけたのか、梯子の木が軋む音がいくつか聞こえている。
狐は二人の亡骸を掴むと、燃え盛る城を後に、夜の闇へと飛び出していった。