Karte.1-8「『ハルト』さんでいいですか」
(毎週月・木曜日、18時頃に更新中です)
【Karte.1「ただの白魔法師」】
ルクスエン大公国とベルアーデ帝国との国境地帯に、『ただの白魔法師』と嘯く乙女……イエが現れた。彼女は精霊や妖精たちが蔓延る森の奥へと進んでいく。
一方、ベルアーデ帝国のとある青年兵士が、仕事のため国境地帯を訪れるのだが……。
「……あなたは……軍の方、ですか……?」
「まあな! 通りすがりのベルアーデ義勇軍だよ!」
「ベルアーデ……」
白魔法師のローブには撥水のエンチャントが織り込まれているという。たしかにある程度の出血は弾いていたが、押さえた手の下から着実に、黒々とした赤は侵食してきている。
その痛々しさの中にあっても彼女は顔を上げ、悲鳴どころか呻きすらもその無表情の奥に仕舞っていた。
叫びを上げる痛覚が脂汗を滲ませ。きめ細やかな白髪を白磁の肌に張りつかせていても。
「義勇、軍……」
「あ、ああ……だからもう大丈夫だ、心配するな」
だからそんな彼女に振り向かれると、支えていたリヒトとて視線を彷徨わさずにはいられなかった。
彼女の眼は、揺らぐことのない黒曜の輝きを湛えていたから……。
「しくしく……」「可哀想可哀想……」「だから言ったのにね人間さん」「悪いことしちゃったね」「人間がまた悪いことしちゃったね!」
「うるっさいぞ!」
『51番樹枝、起動ーー損傷』
遠くの地面からまた突き出てきたトゲを、出力を上げた水の魔弾にて先端からへし折り、地中へと戻らせてやった。
樹上でざわつく声の群れ……精霊たちも叩き出してやりたいところだが、姿が見えないのでは無駄弾だ。
(ツイッグに任せて高見の見物……違うな、これはこれで嫌がらせか。せめてアレの本体が引きずり出せればーー)
「逃げてください……ここは私に任せて」
「は!?」
プレッシャーに喉を絞められつつあったリヒトを、乙女の素っ頓狂な言葉が振りほどいた。
「その怪我で何言ってるんだ!? 百歩譲ってもそれは俺のセリフだっての!」
「……私を逃がして、あなた一人が残って、それでどうにかなるのですか?」
「ならないから二人で逃げるんだよ! 俺のシゴトはおまえを救うことで、あの精霊たちを倒すことじゃない!」
「…………」
……なんだろう。所作こそ静かだったが、ジーッ……と見つめられたままリヒトは介抱の手を除けられた。
「っ? な、なにをーー」
「お名前を訊いても?」
「なに!?」
「お名前です。あなたの」
「今訊くかソレ!?」
「落ち着いてください。こんな時だからこそ、落ち着きましょう」
いや、そういう彼女自身が本当に状況をわかっているのだろうか。
「リヒャルトだが!?」
「リファリュト」
「リヒャルト!! リヒトでいい!」
「リフュィーー……ごめんなさい、どちらにしても発音しにくいので『ハルト』さんでいいですか」
「勝手にしてくれ!」
そんなことよりもマリベルと合流しなければ、と通信機械『レシッター』を取り出す。チューナーを回す。
「ハルトさん。私を救ってくださるというのならお願いがあります」
「なんだよ!?」
しかし。そんなリヒトを……ハルトを、いっそマイペースにも思えてきた乙女の声が振り向かせた。
そして、息詰まった。
「私の腕を、探してきてもらえますか?」
乙女はその背中から、彼女の背丈ほどもある包帯まみれの得物を下ろしていた。
石畳に傷を描くほどの大物を片腕で引きずった、その様相に言葉を失ってしまったのではない。
彼女の眼の奥の……底知れない、そしてあまりにも静かすぎる覚悟に絶句していた。
力むほどに傷口から赤黒さを滲ませ、反して青白く生気を失いながらも、彼女はすでにその痛みを受け入れているように見えたのだ。
「う、腕、って、おまえ……」
「お願いします」
「って、おい!?」
乙女は。案内板の陰から、見えざる戦場へと飛び出したのだ。
伸ばしたハルトの手は、今度はローブのフードに触れるに至るも、掴めはしなかった。
得物を引きずり、得物に引きずられ。そして何よりも溢れる血潮を地に引きながら、乙女の背中は死地へと走った。
「……術式開放。『イリガミ』」
そして彼女は、唱えた。
得物を縛っていた包帯がひとりでにほどけていき……その裏面に呪符という正体を晒し……ローブの大きな袖の中へと瞬く間に引き込まれていった。
金切る駆動音が爆ぜた。
(なんだ、アレ……!)
幅広の鋼鉄が牙を廻した。
(機械の刀……?)
現れたソレは、異端なる段平刀だった。
こちら西洋で云うところのブロードソードか。幅広すぎる極大の刀身が、同じく長大な柄により支えられることで、叩きつけ(ブロー)に適した重心の偏りを創りだしている。
(いや、機械仕掛けの鋸か……!?)
しかし真に奇妙なのは、刀身の外周に鎖状の細かな刃が這っていることだ。
それらが目にも止まらない速度で廻っているのだ。
柄や鍔と繋がりあった機械仕掛けによって。
エーテリーも無く、スチームも噴かさず、その機構はただ獣じみた駆動音を奏でていた。
「『執刀』、開始」
刀身に薄く刻まれたその銘が、黄昏の残光にて『執刀』と照らされた。
乙女は地を削いで暴れるソレを不格好にねじ伏せながら、振りかぶった。
何も無い地面へ、叩きつけ、抉り、突き刺した。
そして、
刀身から光線が爆ぜた。
「な、ッ……!?」
その余剰エネルギーは火と風に変換され……すなわち爆風となってハルトをよろめかせた。
一方で爆心地にいる乙女も、段平刀に食い下がることでなんとか飛ばされずに済んでいた。
光線は光属性の攻撃魔法に似ていたが、魔力の塊そのものを放出した魔弾のようにも見えた。
それは地中を穿ち、ソレを見つけた。
『ーーィィィィィィィ、ッ、アァアアアアァァ!』
ひび割れた音声、いや、もはやノイズでしかない悲鳴をあげ。ソレは段平刀が穿ったよりも十数倍大きく大地を剥がし……顕現した。
『端末に深刻な破損を検知し、しし、ました! 自己修復および自己防衛に移行します!』
「ツ、ツイッグ!!」
ソレは周囲のどんな大木よりも雄大な、見上げるばかりの枝だった。
魔法生物『ユグドラシルの枝』。
世界樹の末梢、ツイッグ。
その身を覆う無数のトゲを狂わせながら、光線に穿たれてしまった破損部位を庇っていた。
「……ぅ……!」
「っ! おい!」
しかしハルトには戦く暇すらも無かった。ツイッグ出現の勢いに巻き込まれた乙女が、地に投げ出されるのを見たからである。
「ーーーー」
「う、っ……!?」
駆け寄ろうとしたが、留まらせたのは他でもない乙女の無言の覚悟だった。
収めきれない激痛に眉を顰めながらも、彼女は鬼気迫る剣幕でハルトをただ一瞥したのだ。
ただそれだけで、ハルトの足は彼女のあの言葉どおりに動いてしまっていた。
ーー「私の腕を、探してきてもらえますか?」
「ち、っ……なんなんだよ……!」
草むらの中へと飛び込んだ。逃げ込むためではなく、自分でも何をやっているのかわからない『お願い』のために駆け込んだ。
それとほぼ同時「いてっ……!」、チクリと刺すような痛みが頭の中に過った。
「ぃぃっ!?」「あっ、あああ!」「やめてぇ!」「痛い! 痛いーっっ!」
するとどうだろう。樹上に潜んでいた精霊たちが、なんと皆一様に目を回しながら逃げ去っていったのだ。
ハルトのすぐそばを走っていった者たちもいたが、誰も襲いかかってくる余裕すら無いようだった。
『自己診断中、索敵中、演算中……』
その痛み……目に見えるほど濃密な魔力の衝撃波を散布してしまっていたのは、ツイッグだ。
(そ、そうか。たしかツイッグは隠れてる場所から引きずり出されると、並の精霊じゃ堪えきれないくらいにエーテルを乱すんだ……)
人間には少々の不快感が一瞬過る程度だが、より純粋にエーテルの影響を受ける精霊たちには強烈な酔いとなるのだ。あの試作品の杖が引き起こした魔力の爆発のように。
「んっ?」
そして精霊たちが周囲を踏み荒らしていったことで、ハルトは探すまでもなく目当てのものを捉えた。
「あ、あったッーーって、うへぇ……!」
おもわず飛び付く調子で拾ってしまった、が。
……その細腕は、血潮の重さで袖をまだらに染めていた。
「《ルォプ》」
「ぅぉぁっ!?」
突然、ハルトは光の縄に……誘引魔法によって急速に手繰り寄せられていた。
犯人はあの乙女だ。
立ち上がり、しかし段平刀は地面に捨て置き、空の右手から放った魔法でハルトを引っ張ったのだ。
魔法が解かれた時にはもはや至近距離。たたらを踏んだハルトは乙女と軽く衝突してしまった。
「ととと……! おい!?」
「っ……ありがとう……ございます」
「なに考えてるんだおまえ! そんなデカブツ、その体で振り回すな! 本当に死ぬぞ!!」
早鐘を打つ鼓動一つごとに、乙女の肩の傷口から鮮血はとめどない。土と混ざった赤黒い軌跡はすでに相当な長さとなっていた。反比例して彼女の肌は幽鬼がごとく血の気を失い続けている……。
そのデカブツ刀のことや、ツイッグを一太刀にて探し当てたこと。乙女に訊ねたい事柄は山ほどあったが、その足元にまで死が迫っていては全て後回しにしていいことだった。
「……いいえ。私は、死ぬまで死にません」
「はぁ……!?」
ところが乙女は。無理にでも手を引こうとしたハルトから、千切れた袖をひったくった。
少しずつ応急手当を終えていくツイッグを……精霊王たちの先触れを一度見上げた。
「それで命が救えるのなら、私は、世界も救ってみせましょう」
袖の中から、自身の左腕を抜き取った。
それを、あるべき場所へと押さえつけた。
「ッッ、ぅ……!」
無論、それはただの無意味だ。ズタズタの傷口同士が擦れ合い、剥き出しの骨が互いに刺さりあって過敏に痛みを発しただけ。それだけの杜撰な処置でしかない……。
(なに、をーー)
それでも。戦慄とともに見つめるハルトは、それがただの狂気の沙汰であるとも思えなかった。
もはやこの乙女がただ者ではなく、その一挙一動に覚悟……執念無きものは無いとわかっていたから。
重きに過ぎる段平刀の振るいかたも、そもそも彼女がこの森にいたことも、もしかすれば。
彼女自身は、ここが死地でもなければごく普通に霞んでしまうだろう乙女なのに。
彼女が纏った何もかもが、この黄昏た世界の中で鮮烈に輝いていた。
「…………《ヒーリング》」
そう。
彼女のその眼差しこそが、何よりも。
底知れない深さを湛えた黒眼が、今、風色と土色に輝いた。
二色を紡いだ淡い輝きが、左肩を包みこんだ……!
【白魔法師】
ヒーラーギルド『ムウ修道会』にて癒しの業を修めた、白衣の魔法使いたち。
回復魔法の体系を全て修得していることが最たる強みだが、医師や薬師のスキルを有している者も少なくない。救いを求める声の前に魔法や科学の別は無く、ゆえに修道会は許すかぎり多く治療の術を学ばせる。
白法衣を美しい花と愛でることなかれ。それは血と汚濁を疾く拭う証であり、修道会では愛ではなく鎌によって教えるのだ。