Karte.1-5「そんなことはどうでもいい!」
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【Karte.1「ただの白魔法師」】
ルクスエン大公国とベルアーデ帝国との国境地帯に、『ただの白魔法師』と嘯く乙女……イエが現れた。彼女は精霊や妖精たちが蔓延る森の奥へと進んでいく。
一方、ベルアーデ帝国のとある青年兵士が、仕事のため国境地帯を訪れるのだが……。
「なぜ『ユグドラシルの枝』の設置を見逃した! おまえたちの目はヤツの節穴以下なのか!?」
「ーーノ、ノー! サー!」
この入国管理所の長だろう尉官が、双眼鏡を下げた偵察兵たちを叱責していたのだ。
義勇軍の制服が白金色であるのに対して、正規軍の彼らは黒金色の制服を着ている。
「しかし大尉殿……」
「あの、お話中のところ失礼? わたしたちはーー」
その重厚すぎる手振りと足音にて呼びかけたマリベルだったが、最後まで言い切ることはできなかった。……尉官が一瞥すらよこさずに手で制してきたからだ。
「なんだ。言ってみろ軍曹」
「イ、イエス、サー。恐れながら、精霊たちはアレを夜中に輸送するので目視には限界があります……。それに森そのものが立ち入り禁止では監視にも無理がーー」
「黙れ! 貴様はそれでも帝国軍人か!!」
「えっ……いえ、その……!」
「そんな言い訳をする暇があったら、そこらの商人どもからルクスエンへの裏道でも聞き出してこい! 以上! 解散!!」
「イエッサァァー……!」
任務に飛び出すというよりは鬼教官から逃げ出す調子で、兵士たちは方々に散っていったのだった。
(……少なくとも正規軍に応募しなくて正解だったな)
リヒトは苦笑しかけたが、尉官がこちらへ向き直ったのですぐに真顔に戻った。
「……なんだ貴様らは。いや待て、義勇軍か」
「ええ、はじめまして。技術科機工局、第七開発室のマリベルです。こっちは助手のリヒト」
「どうも……です」
当然の反応としてまずマリベルの巨人っぷりを見上げてきたが、リヒトの軍服の白金色を見て合点がいったようだった。いろいろな意味で軍人に見えない上司の代わりに、立っているだけで身分証として役に立つ室長助手である。
しかし二人が敬礼をしても、尉官は後ろ手を組みつつふんぞり返っただけだった。
「何でも屋どもが何の用だ? 一応は軍人として扱ってやるが、ルクスエンへの道は開けてやるわけにはいかんぞ」
(無駄にアタリが強いな。義勇軍を『予備軍』どころか消耗品扱いしてるクチか)
義勇軍は正規軍の予備軍という扱いだ。そのほとんどが傭兵や冒険者で構成されているため、正規軍の一部からは技量も愛国心も中途半端な荒くれ集団として軽視されている。
実際に自由人が多いため、正規軍の下部組織として首輪を付けられているのは事実なのだが……。
その実態が拡大解釈された結果、この尉官のような『正規軍人』が湧いてくるのだろう。
「あら、ひょっとしてお聞きになってません? わたしたち、ツイッグ出現の現状確認も兼ねて開発品のテストに来たのですけど」
さすがマリベルは(少なくとも声音は)レディらしく丁寧なままだった。リヒトは親指をこっそりと下向けて、尉官へ声無きブーイングをかましていたというのに。
「知らんな。まあ、騒ぎさえ起こさなければ勝手にしたまえ」
「いや勝手にって……そんなことしてキレるのはあんただろ? いま逃げていった部下の人たちから連絡届いてないだけじゃないか?」
「小僧。次にその大口を叩く前にこちらから叩き割ってやろうか?」
「こらリヒト! ごめんなさい、この子ったら軍人としてはまだまだ勉強中で……お恥ずかしいかぎりです」
「……すいません。失礼しました」
ついシニカルに突っかかってしまった。が、自分の礼儀よりもマリベルに恥をかかせてしまったことを後悔して、リヒトは尉官へ頭を下げた。
対して尉官は首を斜めに振った。
「ふん。何にせよ今は、そのツイッグ騒ぎで書類に目を通している暇も無いのでな。せいぜいあの精霊どもを出し抜くものでも作ってくれ」
「ええ、喜んで! たとえばこれはわたしたち第七開発室発のアイデアで、実用化間近の試作品なのですけどぜひご覧になって!」
「う、む?」
と、さっさと立ち去ろうとしていた尉官の行く手をマリベルが塞ぐ。彼女に手招きされたリヒトはあらかじめの打ち合わせどおり、提げてきていた革袋の中から試作品の一つとプレゼン資料を取り出した。
(恥ずかしいのはお互い様だと思うぞ……。隙あらば売り込もうとするよな)
それこそ、もはや室長というよりも商人のようだったが。極小で極貧な開発室の長なれば大変なのだ……たぶん。
「こちらは名付けて『エレトンレーダー』」
「名前は仮称」
マリベルにプレゼン資料を手渡して。リヒトが持ち上げてみせたのは、大振りの拳銃のような魔導機械だ。
銃身にあたる部分はミニチュアの杖をぶっ刺したような形をしている。
グリップの上部にはつまめるサイズのクリスタルオーブが填められており、それは画面だった。
「陛下の『風土不可侵令』を遵守したくても、ちょっと道を間違えただけで精霊たちを刺激してしまうこのご時世。こちらは活性状態にある精霊たちを向こう数キラメートレにわたって捕捉できるアイテムなんです! ……リヒト、リヒト」
「え。あー、えーと、『使い方は簡単』……『エーテリーをセットしてトリガーを引くだけ』……っと」
リヒトは商人にも役者にも向かないようだ。あまりにもクサいセールストークに自分で笑いそうになりながらも、『エレトンレーダー』にエーテリーをセットし、ゲートへ……正確にはその向こうに隔たれた森林地帯へとトリガーを引いた。
銃口の無い先端から魔方陣が浮かび上がり、空気中のエーテルをキュルキュルと震わせながら回転しはじめた……。
「まあ残念ながらツイッグは捉えられないのですけど。それはそうと、もし精霊に発見されてもこの『ドラガントレット』があればーー」
「……なんだ? これ」
「えっ?」
尉官へプレゼン資料を押しつけていたマリベルが、目を点にしたリヒトへ振り向く。
再び伸ばしてきていた手は、次の試作品を渡すようにとの合図に他ならないはずだった。
それはそうだ、この『エレトンレーダー』の紹介は動作確認のデモだけで終了のつもりだったのだから。
しかし。
「二、三キラ先に反応があるんだ。まった、どんどん増えていってるぞ……!?」
「うそっ?」
距離計が浮かび上がったオーブの一ヶ所には、光点が現れていた。
しかもそれは瞬く間に、帯状に数を増やしつつあったのだ。
「精霊たちが興奮しちょる? それって……」
この場で反応を捉えられるとはマリベルもリヒトも想定していなかったのだ。
このアイテムは、エーテルの昂りを以て精霊を捕捉するレーダーなれば。
魔力そのものが形を持った存在である彼らが活性化しているということは、ほぼ間違いなく臨戦態勢だということ。
「まったく救いがたいな。誰かが森に入ったらしい」
オーブをチラと覗き、尉官が苦々しげにため息をついた。
そう。精霊が臨戦態勢に及んだということは、彼らを怒らせるだけの誰か……人間が精霊のテリトリーに踏み入ったということなのだ。
「では失礼する。たしかに有意義な玩具だったな」
ただそれだけ言うと、マリベルの押し売りから逃れた尉官は詰所のドアへと歩きだして……、
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それだけか!?」
「リヒト……!」
たまらず、駆け寄ったリヒトは尉官の肩を掴んで引き留めた。
「なんだ貴様! 気安いぞ!」
「そんなことはどうでもいい! まさかあんた、このまま何もしないつもりじゃないよな!? 人間が精霊に襲われてるかもしれないんだぞ!」
「……青二才が……」
睨んでくる尉官の形相はさすがの気迫だったが、リヒトが言の葉をぶつけるにつれてその目は冷めていった。
「救助に行くべきだ、とでも言いたいのか? ツイッグの植わった森にわざわざ入り込んだその人間を?」
「ああ! 他に無いだろ!」
「馬鹿な。森にはルクスエン側と共同で、バリケードや警告の立て札を設えてあった。少なくはない痛手を被りながらな」
尉官はリヒトの手を打ち除けた。
「にもかかわらずそこに踏み入ったのなら、それはその者の自己責任に他なるまい。そもそもその魔導機が指すように多くの精霊どもが怒り狂っているのならば、そんな場所に部隊を送り込むこと自体、火に油を注ぐ行為だ」
「だからって! 軍人なら危険を承知でみんなを助けるもんだろ!」
「そのとおり。だからこそ我々は我々に与えられた使命通り、第一にこの関所の皆を守っているのだ。……もし精霊たちがここに押し寄せてきた場合、貴様はその責任が取れるのか?」
「ああくそっ! 話にならなーー」
「精霊たちが人間の拠点まで攻め込んだことは一度もありませんよ、所長さん」
と。割って入ったのは赤褐色の壁。
「今の彼らは自然保護に執着していますもの。逆に言えばそれは、自然の脅威になりそうな人間ほど放っておかないということ」
マリベルが明後日の方向を見上げながらピンと人指し指を立てた。
「そうねえ……たとえば歩く鉄の塊なんか、だいたいの精霊の注意を引くのではないかしら?」
「……! マリベル……」
リヒトへ小首を傾げてみせた大鎧の面持ちは、歯車を透かすばかりで表情は無い。が……きっと瀟洒に笑っていたのだ。