Karte.1-4「これは一日仕事だな」
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【Karte.1「ただの白魔法師」】
ルクスエン大公国とベルアーデ帝国との国境地帯に、『ただの白魔法師』と嘯く乙女……イエが現れた。彼女は精霊や妖精たちが蔓延る森の奥へと進んでいく。
一方、ベルアーデ帝国のとある青年兵士が、仕事のため国境地帯を訪れるのだが……。
胸ポケットから手のひらサイズの機械を取り出し、ボタンを握り込みながら口元へ寄せる。
「もしもし? マリベル?」
『ーーはぁい、リヒト! 今、どこにいるかしら?』
その試作通信魔導機……『レシッター』からノイズ混じりに聞こえてきたのは。ハキハキと軽妙な物腰の一方、淑女然とした微笑みが目に浮かぶようなうら若き女声だ。
「屋上だよ。鳩と、鳩じゃないものを追い払ったところ」
『オッケー。そっちに行くわ』
女声が言うやいなや、ボンッ、と腹の底に響く低音が遠くから爆ぜた。
それはリヒトが鉄柵越しに覗き込んだ向こう、
つまり十数メートル階下の地上からの噴射音だった。
前庭にて。『義勇兵 戦時特別募集』とかかったアーチの下に行列をなした人々が、ワチャワチャと仰天していた。
その近くに停まった装甲機工車の荷台の上から、大鎧が大量のスチーム噴射とともに跳び上がったのだから。
ソレは、いや彼女は、苦笑いを引きつらせたリヒトのもとへ大ジャンプしてきたのだった。
「よいしょと。おまたせ」
着陸した彼女は、蒸気を噴き続ける機械の大鎧だった。
全長も幅もリヒトより二回りほど大きな、赤褐色のフルアーマー。正規軍の制式アーマーと似て、ラウンドシールドのような凸曲的な設計が接がれている。
肌が露出している箇所は一点もなく、指の間接一筋にまで細かに秘された排気孔から蒸気を逃がしている。
兜もまた一個の機械で。大きなリボン……ふうのアンテナを巻いた滑らかな面立ちは、内部に詰まったスコープや歯車を透けさせている。
およそ、人間が『鎧』として素直に着込める代物でないことは明らかだった。
「当てようか。定期報告書のことだろ」
「さすが! 良い助手を持ててわたしは幸せ者ね」
『SCHNEEWY』と銘打たれた首元から、スピーカーを通じてやはりくぐもった女声が笑う。
「面接官の仕事より先に、第七開発室のノルマを片付けろって殿下に蹴り出されちゃった。こんな時だけは機工局より魔法局のほうが羨ましくなるわねえ」
リヒトの上司である第七開発室長、マリベル。
自身の開発品であるこの巨躯を駆っていても、その所作には淑やかさが滲み出ているから不思議である。
「というわけで、試作品をいくつか見繕ってきたからサンプリングに出かけるわよ」
「今から?」
「もち、今から。あなたは『教導隊』として同行する形にしておいたし、一石二鳥ね」
「うえ。どうせ開店休業状態なのにやめてくれよ……」
「ふふ。名実ともに隊長さんになる日も近いわね」
背を向けたマリベルが伸ばした左腕に、リヒトは跳び乗った。
シュネーヴィの背から、腰から、脚から、スチームがジェット噴射された。
浮遊感がリヒトの胸を掬い、スチーム仕立ての強風と轟音が耳元をすり抜けた。
今度は大ジャンプからの滑空として、シュネーヴィは屋上から地上へと滑り降りていったのだ。
「あよいしょ」
そして人々の唖然をまた浴びながら、装甲機工車の荷台へ着地。
「いいわよ!」
マリベルが荷台の縁に平手を打って合図すると「あいよー姐さん!」、軍服に白衣を引っ掛けたスタッフたちが運転席からサムズアップした。
そうして。
ベルアーデ帝国義勇軍技術科機工局第七開発室……リヒトたち一行は出発した。
本部の敷地を後にして、
市中をよぎって……。
たおやかに座り込んだ大鎧の隣で、リヒトもまた積まれた荷箱に背を預けた。
「そういえば、今回はどこまで行くんだ?」
「西のテンペルス入国管理所」
「テン……ッ……!? って、国の反対側じゃないか!?」
テンペルス入国管理所。ここ、帝都ベルロンドのある北東部からすれば国を横断するほど遠路の先にある、隣国ルクスエン大公国との国境の一つだ。
「ルクスエンとの国境地帯に新しいツイッグが植えられたみたいなのよ。サンプリングのついでに、正規軍より先に実地調査しておくわ」
「石一つで何羽落とすつもりなんだよ……」
「このフットワークの軽さが義勇軍の利点でしょ。というわけではいコレ、あなたの装備」
「はあ……これは一日仕事だな」
胸当て、肘当て、膝当て。一般的な冒険者と大差ないライトなプロテクター一式を、リヒトは軍服に填めるのだった。
「残念。少なくとも今日は向こうでお泊まりよ」
「はああ……」
外壁の向こうの雄大な平原へ、装甲機工車は飛び出すのだった。
○
4月16日 午後7時
その関所は、ベルアーデ最西端に横たわる峡谷地帯の狭間にある。
赤茶けた崖がそびえるばかりの乾いた土地。
地殻変動の際に開いたとされる谷底の道に比べれば、人間が切り拓いた道など微々たるものだ。
ルクスエン大公国とベルアーデ帝国とを結ぶ丁字路の交差点にて。
その黒鉄の陣地は、ルクスエン側の国境線に広がる深い森林地帯を睥睨していた。
威容を誇示せんばかりに高い防壁と詰所が合わさった、テンペルス入国管理所である。
門外に並ぶ冒険者たちのキャンプを横目に、装甲機工車は敷地内へとゲートをくぐった。
「んっ……んぁぁ、やーっと着いた……」
見上げていた空は、もはや夕焼けの黄金色。
荷台に寝そべっていたリヒトは、傍らの大鎧を手掛かりに起き上がる。少し遅れてマリベルのシュネーヴィもアイドリングモードから目覚め、スチームを噴いた。
「ひとまずおつかれさま。体凝っちゃったでしょ」
「そっちよりはマシだと思うぞ」
「長時間駆動のスコアもそろそろ更新しないとだからね。今日はこのまま乗りっぱなしでいくわ」
ゲートの先は、馬車が十数台は控えられる中庭兼青空検問所だった。
四方を取り囲むのは塀ではなく『ロ』の字の詰所そのもの。鉄格子のかかった窓たちや、鉱石の盾を象ったモノクロの国旗が見下ろしてくる様は、監獄を想起させるような物々しさがある……。
……が、今はその威圧感も良かれ悪しかれ薄れているようだった。
なぜならこの広場には今、商隊の馬車やテントが無造作に展開されていたからだ。
だからリヒトたちの機工車は、隙間じみた空きスペースへ窮屈に駐車せざるをえなかった。
べつに市場や祭りが開かれているわけではないのだ。
誰もがルクスエン大公国に入国できずにいる……、実状に沿った表現をするならベルアーデから出国できずにいるのだ。
なので仕方なくーーせめてーー、ここの軍人や商人たちに向けて店を開けているようだった。
「ツイッグのせいでさっそく足止め食らってるな……」
「このルートまで潰れたら、あとは北回りか海路しか無いんじゃないかしら」
「室長ー、荷物どこ下ろします?」「この混み具合じゃあ荷台に乗っけたままのほうがいいかもね」「あーでもテントは要るだろ?」
「そうね、みんなは書類だけまとめておいて。先にここの人たちにお話つけてくるわ」
「「「アイアイ、マム!」」」
運転席にギュウギュウ詰めになっていたスタッフたちが降車したのを見てとると、マリベルもリヒトも荷台を降りた。
「リヒトくんお財布貸してー」「そだなあ、ちょうどお店だらけだし?」「ジュースでも買っとくよ、うん、ジュース」
「あのなあ。もうその手には乗らないっての」
「「「ケチ!」」」
機工車の点検をはじめた彼らに笑いかけて、室長助手のリヒトは倍以上の歩幅を持つ大鎧の背を追いかけたのだ。
「あっ! 手土産持ってくるの忘れちゃった……この辺りのお店で帝都のシールドクッキーとか売っちょらへんじゃろか……」
「恥ずかしいからやめてくれ。あと出てるぞ、訛り」
「こふっ。こ、こほん……」
と……。
「ーー精霊どもめ!!」
二人が詰所に入るまでもなく。ルクスエン側の閉ざされたゲートの前に、目当ての人物は立っていた。
【ベルアーデ帝国】
傭兵稼業と鉄工業により発展してきた、南エポルエ大陸中西部の帝政国家。
かつてこの地に根付いた傭兵団からの興りにより、貴族階級とその権力は排されている。この国で重されるのは文武を問わない才能と実力である。
貴き血が見えるものか。あるのは流した血の量だけだ、と初代帝王はついに牙城を守り抜いた。