Karte.1-3「精霊王ティターニアの名のもとに」
(毎週月・木曜日、18時頃に更新中です)
【Karte.1「ただの白魔法師」】
ルクスエン大公国とベルアーデ帝国との国境地帯に、『ただの白魔法師』と嘯く乙女……イエが現れた。彼女は精霊や妖精たちが蔓延る森の奥へと進んでいく。
一方、ベルアーデ帝国のとある青年兵士が、仕事のため国境地帯を訪れるのだが……。
だがイエは、すでに小刀を翻していた。
どてっ腹を狙った太刀筋は無様に歪められていたが、『土』の脇から左腕にかけて切り付けた。
それだけで、『土』の身体は大きく裂けた。
「ィィッッ」
小刀が特別なわけでも、イエに特別なスキルがあるわけでもない。
ただこれらの輝きたちは、およそ存在することすらままならないほどに脆弱なのだ。
そして『土』も、霧散していった。
「……フェアリー……妖精」
イエは小刀を仕舞うとともに、街道へと戻った。
「……精霊たちは無事でしょうか」
一度、深呼吸。
豊かな緑が循環させる濃い空気は、肺の中を洗ってくれるかのように清浄だ。
ーー「クスクスクス……」
ーー「アハ、アハハハハ……」
……そう。濃すぎるほどに、風も土も殺気に笑っていた。
イエは足を止め、森そのものを見据えた。
葉が軋むような、砂が蠢くような、それらの笑い声はまさにどこからともなく響いていた。
ーー「人間さん人間さん。あの子たちを殺してくれてアリガトウ……」
ーー「ぐす……う、う、ううう……」
ーー「でもね。ここはアタシたちのお家ヨ」
ーー「あの子たちはオマエタチのせい……」
ーー「今戻れば、許して、あげるぞ」
ーー「許してあげる。真っ白なお嬢さん」
ーー「お嬢さん」
ーー「お嬢さんお嬢さん」
ーー「アハハハハハハハ……」「アハハハハハハハ……」「アハハハハハハハ……」
むせ返るほど大量の気配が、四方八方から徐々に徐々にと濃度を増していた。
「……人間の繁栄に伴い、星が開拓されていけば……自然が破壊されていけば、エーテルの均衡は乱れていく。ええ、そうですね」
が、その渦中に立つイエはまばたき一つ揺らぎはしなかった。
「……ですが。これが『星を守るため』の自衛だと言えるのですか?」
どこへともなく、見回してみせる。
「この森を大切に思えばこそ。せめて、この街道だけは人々に開放していただけないでしょうか?」
……笑い声が瞬く間に無音と化す。
ーー『警告。あなたたちは精霊の領域に侵入しています』
「……?」
代わりに、一つの女声が森を震わせた。
『退去しなさい。この警告に従わない場合、あなたたちを排除します』
「……あなたたち……?」
木々や土に満ちていた雑多な気配とは比べものにならない。生物の内のエーテルそのものへ語りかけるような威風の声だ。
それでいてどこか、不安を誘う無機質さを含んでいる。
『精霊王ティターニアの名のもとに、人間の侵入は許可されません。繰り返しますーー』
「…………」
そんな一巡りの言葉を、イエは余すことなく拝聴していた。
「……ごめんなさい」
そして一歩、前へと進んだ。
『51番樹枝、起動します』
ーーヂャ、ッッ……
直後。道先の地面から、ソレは突き出された。
ソレは、ただの小枝。
ただし人の身ほどにも太く、
速く、
血肉にまみれたトゲだった。
ーーパンッッッッ!
「…………!」
イエの脇をかすめ上げていったトゲの軌跡を、赤黒い血潮がまだらに染めた。
イエの左腕が……、
抉り飛ばされたのだ。
「っ……」
ローブに撒き散らされた、赤、赤、赤。
千切れた袖と細腕だけが、宙を真白に舞ったーー。
○
4月16日 午前6時
ベルアーデ帝国。
『黒鉄の国』と渾名されるこの地は、豊富な鉱石資源を元に、鉄工業や機械技術を発展させてきた軍事大国である。
特に北東部の帝都ベルロンドともなれば、その堅牢なる街並みは国そのものを縮尺したモデルケースのようだった。
煉瓦造に鉄骨を組み合わせたビビッドな城下町。歯車仕掛けの煙突から、魔導機関による蒸気がのべつまくなし吐き出されている。
それらのスチームも、最奥の城郭を半分も霞めることはできない。
建国以来、重厚なる威風を増築し続けてきた王城。ただし城そのものの面積はそこまで大仰ではなく、むしろ周りの布陣へと敷地を分け与えていた。
すなわち正門以外の周囲を囲む正規軍の総司令部、と……、
市中により近い空き地にちょこんと据えられた、義勇軍の本部である。
そこは『戦闘科』・『技術科』・『管理科』の三つの本部棟に分かれていて。
各部を結んだ前庭には、今、傭兵や冒険者風の人々がまばらに集いつつあった。
それを見下ろす、技術科本部棟の屋上にて……。
「ーーよし。やるか」
開錠したドアを後ろ手に閉めながら、リヒトは欠伸の代わりに身体を伸ばした。
年の頃は十六、七。灰髪を中途半端な短さに切り揃えた、特段目立つ風貌ではない青年である。
義勇軍の白金色の制服を着ていて、質素な肩章から一兵卒であること、そして錫杖と金槌が交わった胸章から技術科の所属であることがわかる。
履き潰した軍靴を雨上がりのタイルに鳴らしながら、リヒトは片隅に設置された空調の室外機へと近寄っていった。
その足取りの中で、両腰に佩いた一対の鞘から相棒を抜いた。
短剣よりは長く、直剣よりは短い。取り回しの良さを何よりも重視した、反りの無い独特な双剣だ。
「今日はこっちの属性にしてみるかな」
サスペンダーポーチの一つから取り出したものを、双剣の引き金そばのスロットに差し込む。出力スイッチを最低値へスライドさせる。
それは水色のクリスタル。魔導機関の動力となる携帯エーテル、『エーテリー』の水属性タイプだ。
「エーテリーで魔法が使えれば、苦労はしないんだろうけどな……っと」
これなるは『銃』の機構を組み込んだ自作武器。
いわば銃剣あるいは剣銃。
鞘に彫り込んだ銘を、『PARALLELLUM』という。
「おはよう!!」
室外機の排気パイプへ、トリガー。
剣身の中を水色のエーテルが駆け抜けて、直後、魔弾となって刃先から撃ち出された。
出力をめいっぱい下げていてもなお、その魔弾は人を打ち飛ばせるほど猛烈な水の塊だった。
パイプの奥の暗闇に、湿った反響音が跳ね返って、
「わっぷ!」「ひゃー!」
室外機の中に侵入していた鳩たちと一緒に、二体の水の精霊が逃げ出してきたのだった。
低位の精霊である。形らしい形をもってはいないが、強いて形容するなら『渦潮型になった水流』と『玉になった霧』。どちらにも落書きのような表情が形作られていて、ぬいぐるみ程度のちまっこさだ。
低位とはいえさすがエーテルと相似の存在だけあり、羽も無いのにリヒトの眼前に浮遊していた。
「やめれ! ちべたい!」「あたちたち、ミズ! でもちべたい! びっきゅりした!」
「それは悪かったな。でも何度も言ってるだろ、ここはおまえたちの遊び場じゃないんだって」
「くるっぽーカワイイ!」「ぽっぽー!」
「はいはい……」
この屋上を巣にしようとする鳥たちの追い出しと、この屋上を遊び場にしようとする精霊たちの追い出し。リヒトの朝のルーティンワークの一つだったが、最近は特に精霊たちの無邪気さに頭を悩ませていた。
「人間と精霊は戦争中なんだぞ。悪いヤツに捕まる前に帰れよな」
このご時世、精霊たちが人間の街で遊んでいるのはよくない。いつ星に還っていくともしれない低位の精霊たちとて、リヒトはいま目の前にいる隣人たちとして彼らを心配していた。
「それ、カゼとツチのこと!」「カンケェーないもんー!」
「こっちには関係あるんだよ……」
しかし、親切心という魔法は拳骨で言い聞かせるよりも難しいものだ。
「アハハハハ!」「キャキャキャキャ!」
精霊たちは雨樋のパイプへ飛び込み、またどこぞへと遊びに行ってしまったのだった。
「……はああ。ホントに知らないからな」
リヒトはパラレラムにセーフティをかけ、鞘に納めた。
ーーキリリリリ! キリリリリ!
「ん?」
そして踵を返そうとしたところ、甲高いコール音が胸元で鳴った。