Karte.2-7「もしも私がお願いしたら」
(毎週月・木曜日、18時頃に更新中です)
【前回までのあらすじ】
ベルアーデ帝国の義勇兵、リヒトはルクスエン大公国との国境地帯で『ただの白魔法師』なる乙女を見つけた。今やありえないはずの回復魔法を用いて無茶に戦う彼女……イエが『ユグドラシルの枝』に貫かれる直前、『ハルト』なんて勝手なあだ名をつけられた青年は、乙女の命を勝手に庇ってみせた……。
【Karte.2「黒金知らずのお嬢さん」】
イエはベルアーデの帝都ベルロンドへと連れてこられる。彼女に看病されていたリヒト……もといハルトは数日ぶりに目を覚ますが、そこに現れた上司マリベルはイエの「目的」を話す……。
「あら、ずいぶん素直なのね?」
「放っておいて、そこら辺で回復魔法でも使いまくられたら面倒だからな」
「……普段はちゃんと、相手を眠らせてから使っています」
真っ白どころか散り消えそうだったイエだったが、彼女もまた、ハルトに続いて立ち上がった。
そうしてとりあえず、マリベルの退室を以て面接は終了したのだ……。
「じゃあどうする? 気分転換に本部の中でも案内してやろうか……?」
「……ついでに、どこか風に当たられる場所へ連れていっていただけますか」
「了解だ」
苦笑いとともに、ハルトはイエを連れ出してやるのだった。
○
少しだけ近づいた空から、風が吹き抜けていく。
手すりから垂れた真白の大きな袖が、ふくれっ面のようにフワリと揺れた。
「……アテが外れました。ベルアーデ軍の一員になれば、すぐにでも精霊郷まで突破できると思っていたのです」
「それだけ単純ならこの戦争も早く終わってたんだろうけどな。勉強不足だったな」
ここは技術科本部棟の屋上。
小高い景色を眺めているイエに付き合って、ハルトもまた手すりにもたれかかっていた。
「ここ、俺のお気に入りの場所なんだ。……といっても掃除のついでに占拠してるだけなんだけどな。悪くない景色だろ」
「そうですね。……戦闘科はどの建物なのですか?」
「ん? ああ、まあ……それならあそこだが……」
ハルトとしては天を衝く王宮の近景や、ビビッドな鉄の街並みをオススメしたかったのだが。しかたなく、階下の本部敷地内の一方を指差した。
『戦闘科』、『管理科』、『技術科』。義勇軍の三本柱である本部棟たちは、三方に分かれて施設を広げている。
そのなかで『戦闘科』の本部棟といえば、他よりもシンプルにわかりやすかった。
殺風景なグラウンドを前面に据えて。半円筒型の長細い建屋が、王宮寄りの塀沿いに横たわっている。
「……小さいですね。まるで倉庫です」
「実際、ほぼ倉庫だよ。支部へ配る物資を集めておいたり、式典の時にはあのグラウンドで隊列を練習したり」
「誰かいらっしゃるのでしょうか」
「警備とか事務方の爺さん婆さんなら一応な。ひょっとしたら本部へ報告にでも来た誰かがいるかもしれないが…………もし、見学したいなら連れてくぞ?」
イエは手すりから離れようとして、
「……いいえ。やっぱり、いいです」
「そうか……」
また手すりにもたれた。洗濯物のように袖が垂れる。
(へこんでるな……)
あるいは拗ねている。
案外、不測の事態に打たれ弱いのかもしれない。
自分の無茶や無理で何とかなるならちっとも躊躇わない彼女だが、さすがにこれは、自分がごねたところで何が転がるわけでもないとわかっているのだ。
だからマリベルが言ったとおり、今のイエに必要なのは『どういう道を歩んでいきたいか』『じっくり考えて』もらうこと。
それは現在進行形で実行中なのだろうし、どんな道を選んでも彼女なら押し通ってみせるのだろうけども……、
その道のりでは、彼女はやはり一人なのだろうか。
「なあ、なにを悩んでるんだ?」
「…………」
「あ、いや、っ、悩むまでもないだろって意味じゃなくてだな……」
イエに振り向かれると、ハルトはやっぱりたじろいでしまった。
「……ハルトさんたちと一緒になるのが嫌なのではありません。義勇軍に入っても、どのみち私が考えていたように精霊郷へ進めないのなら……ここに留まるべきではないのかもと思うのです」
「もしそうだとして、どうするんだよ」
「これまでどおり、自分の足で精霊郷を目指します。陸路か海路かもまだわかりかねますが」
「はああ……」
「今度からは、あなたたちの防衛線の中でご迷惑をお掛けしないように気をつけますので」
「そうじゃない。どうせまた一人で無茶する気なんだろ。いつか片腕失くすだけじゃ済まなくなるぞ」
「……もっと大きな怪我をしたこともありますが、こうして生きています」
「だからそういうことを言ってるんじゃーーああもう、本当に跳ねっ返りなんだなおまえ。俺が冒険者だった頃に会ってたら縄でも巻いてやりたいぐらいだ」
首を鳴らしたハルトに対して、イエは横眼を向けてきた。
「冒険者だったのですか?」
「大したものじゃないけどな。畑仕事だの薬草摘みが嫌で、名も無いような村を飛び出して……ありふれた話だよ」
「……ハルトさんは、どうして技術科の義勇兵になったのですか」
「それもよくある話。回復魔法で治してもらえなくなったせいで稼ぎづらくなったから、日和って応募したのさ」
「そう仰るわりには、ご自分の役割に誇りを持っているように見えます」
「それはそうだろ」
「どうして?」
「あいにく俺は、おまえと違って何か目標があるわけでもなかった。ただおまえと同じようにマリベルに目をつけられて、たまたま機械いじりが得意だったからあいつの『助手』だの何だの始めることになったけどな……」
と、今は帯びていない魔導剣銃『PARALLELLUM』を振るうポーズをしてみせて。ハルトはイエへ眼差しを返した。
「そういうのも全部ひっくるめて、縁っていうんだろ。ここまで歩いてきた俺の誇りだ。少なくとも俺は、こんな風に出会ったおまえも……おまえがまたどこかに行くんだとしても、今は仲間だと思ってるよ」
「……、……」
……なんだろう。思いのほか、覗き込まれるように見つめられて、ハルトは後ろ髪を掻きながら半歩脇へズレた。
「もしも私が……」
「うん?」
「もしも私がお願いしたら。ハルトさんは私の旅の仲間になってくれますか?」
「絶対に断る。命がいくつあっても足りやしない」
「…………」
肩の装甲札を指で弾いてやると、イエは大げさなまでにぐんにゃりとノックバックした。
「……命は一つしかありません。私だって、それくらいわかって戦っています」
「……? あ、ああ、わるい……?」
と、そんな時だった。
二人の後ろで、不意にけたたましい打音が暴れたのは。
「ぅぉっ」「……っ?」
ビックリしながら二人とも振り向いて、イエにいたっては段平刀の柄へ手を回したほどだったが……、
実際に起こったことは、何というほどのものでもなかった。
空調室外機の排気パイプの中から、数羽の鳩が飛び立った騒音だった。
「ーーあやや!」「ーーくるっぽー、いっちゃった!」
そして少し遅れて、ぬいぐるみのような『渦潮』と『霧』が飛び出してきたのだ。
水属性の低位精霊たちだった。
「あッ! そういえば……そうか、寝っぱなしだったから忘れてたな……」
早朝ルーティンとしてこの屋上を見回っていたハルトには、見慣れた隣人たちだった。
「こんちわ! おにいたん、サボサボよくない!」「あたちたち、ちゃんとくるっぽーのおセワしてたよ!」
「いや、だから住み着かせるなよ……何度言えばわかるんだ……。ここで遊んーー」
「こら。あなたたち。ここで遊んではダメです」
と。今日はどう諭したものかとハルトが言葉を紡いでいるうちに、静かなる彼女の声がピシャリと叱った。
歩み寄ったイエが、二体の精霊を手のひらに乗せたのだ。
「人間と精霊は戦争中なのですから。悪い方に捕まる前にお帰りください」
「んぅ~? こんちわ!」「おねさん、ダレ?」
「はい、こんにちは。イエ、と申します。ただの白魔法師です」
「ヘンなカッコ!」「ぷふー! ほわほわ、ガチガチー!」
精霊たちが袖に沿って飛び回り、和鎧じみた改造ローブを笑っても、イエは呑気に彼ら(あるいは彼女ら)を眼で追っただけだった。
「変な格好ではありません。改造こそ施しましたが、これはムウ修道会の伝統ある治療礼装です」
「アハハハハ!」「キャキャキャキャ!」
……まあ、まだまだ常識というくくりの外側にいる彼らにはどんな言葉だってすり抜けがちなのだが。
二体の精霊たちは雨樋のパイプに飛び込み、またどこぞへと遊びに行ってしまったのだった。
「……ぷっ。はははは……!」
「あの位階の精霊たちは無邪気ですね」
立ち込めた微妙な静寂をハルトが笑い飛ばすと、イエは怪訝そうだった。そんなに笑いどころでもありましたか、とでも言いたそうに。
「ああ、はは、違う違う……おまえのそういうカンジがなんか可笑しくってさ……」
「……そんなに笑いどころでもありましたか」
やっぱり言った。