Karte.2-3「『できる』ことだったから」
(毎週月・木曜日、18時頃に更新中です)
【前回までのあらすじ】
ベルアーデ帝国の義勇兵、リヒトはルクスエン大公国との国境地帯で『ただの白魔法師』なる乙女を見つけた。今やありえないはずの回復魔法を用いて無茶に戦う彼女……イエが『ユグドラシルの枝』に貫かれる直前、『ハルト』なんて勝手なあだ名をつけられた青年は、乙女の命を勝手に庇ってみせた……。
【Karte.2「黒金知らずのお嬢さん」】
イエはベルアーデの帝都ベルロンドへと連れてこられる。彼女に看病されていたリヒト……もといハルトは数日ぶりに目を覚ますが、そこに現れた上司マリベルはイエの「目的」を話す……。
「ふん……」
面白くなくて、ハルトは彼女の眼差しを斜に受け止めた。
「……ぷっ、なんだよその顔。言っとくけどな、俺はあんなので死ぬほどヤワな鍛え方してないっての」
もっとも、本当に可笑しくて笑ってしまったのも事実だった。
「ですが実際、あの場で私が施術できなければあなたは死んでいました」
「死ななければ何があっても救う、って約束したのはおまえだろ。あれでも急所は外れるようにいなしたんだけどな」
「……だからといって、回復魔法を頼りに無理を通すのは悪手です」
「おまえがそれを言うかね……」
「……。……わかっています」
イエはかすかに柳眉をひそめただけだった。開き直るでも反論するでもなく、沈黙とほぼ変わらないその一声は辛うじて何かを肯定していた。
「あのな、勘違いするなよ。俺はべつにおまえが回復魔法を使えるから無茶したんじゃないぞ」
「……?」
ハルトには彼女の考えていることはよくわからない。だがーー、
「たとえおまえが回復魔法を使えなくても、あれが俺にとって一番の『できる』ことだったからそうした。それだけだよ。……おまえだってそうやって戦ってたんじゃないか?」
「…………」
ーーだが少なくとも、わかろうとすることはできる。
ハルトが身を呈してイエを庇わなければ、彼女は死んでいたかもしれないし、あるいは案外無事だったかもしれない。
それは誰にもわからない。
だから人は、その時々の自分に『できる』ことを無我夢中で繋いでいく他ない。
あの時のイエの戦いかたがまさにそうだった。
死線をさまよう連続ではあっても、それは自分に『できる』ことの選択の連続でもあった。
あの回復魔法も……あの段平刀も……あるいは彼女の血肉さえも。
それらこそが、『ただの白魔法師』の彼女が捧げられる精一杯の『できる』ことなのだと。ハルトにはそう思えたのだ。
「なあ。どうしてあそこまでするんだ」
わからないのは、そう、彼女の覚悟が見つめる先には何があるのかということ。
他にやりようが無いのだとしても。あんなふうに、痛みの中へ飛び込み続けられる人間がいていいはずがなかった。
「あの森にいたのはただの偶然か? もし事情があるなら、その、これも……おまえの国でいうところの『縁』ってヤツだと思うし。話してみろよ」
「…………」
「あ……というかおまえ、ニフ人……で合ってるよな? これで違ってたら笑えるが……はは……」
「……ええ」
「は…………ハァ……」
軽い事情ではないだろう。しかしハルトもまた、けっして軽々しく訊ねたわけではない。
ーー「よくは、ありません……私が始めたことは最後まで、終わらせなければ……」
脳裏にチクリと過ったのは、刃を支えに立ち続けるあの姿。
(……あんなの見せられて、放っておけるわけないだろ)
ニフ国には『縁』なる考え方があるらしい。『きっかけ』という意味の言葉であり、どんな奇妙な出会いにも意味はあると尊ぶものだ。
そう、もはや、この縁は結ばれてしまったから。
この痛みを見て見ぬフリで消してしまったら、きっといつまでも後悔してしまうだろう……。
ハルトはそう感じてならなかった。
「……せっかくですが。あなたには今、話したくありません」
「って……」
しかし、当のイエといえば。そばに立てかけてあった段平刀を背負うとともに席を立ってしまった。
無表情な乙女だとわかってはいたものの、こうも無味乾燥に突っぱねられるとさすがにガックリきたハルトだ。
「なんだよ。ずいぶん嫌われたな……」
「いえ、ハルトさんのことは好きですが」
「……やめろよそういう不意打ち」
……本当にこの無表情は危険である。『LOVE』ではなく『LIKE』のほうだとわかっていても心臓に悪かった。
「ただ、二度手間になるので今は話したくないのです」
「二度手間? なんで」
イエは答えるでもなく、なぜかドアのほうへと向かった。
「お、おい、どこ行くーー」
「マリベルさん。ハルトさんが目を覚ましました」
と、彼女がドアを開けると。
「ーーふゃ? やだ、わたしったら寝落ちしてたわ」
……大鎧シュネーヴィもといマリベルが、戸口に張り付くようにしてそこを塞いでいたのだった。
「マリベルっ?」
「はぁい、リヒト! ……あ、それともハルトって呼んだほうがいいかしら? ふふ」
「……勘弁してくれ」
「ふーん? 彼女だけのトクベツなあだ名ってわけじゃあね」
「そういうのじゃないっての! マリベルこそそんなところでなにやってるんだよ……」
兜すら見えず、戸口を突き破りそうな胸当てがニヨニヨと笑い声を発している様はシュールだった。
「強いて言うなら……牢番かしら? イエちゃんを本部に入れるのに管理科からいろいろ言われちゃったから、監視付きでってことで手を打ったの」
「何かやったのか? こいつ」
「んーん、何かやらかされたら困るって意味。でも良い子にしてたわよ、あなたの面倒を看るんだってずっとここにいたわ」
「……そうなのか。思ったより世話かけてたみたいだな……」
「いいえ。私の役目ですからお気になさらず」
謙遜ではなく、ただ慎ましく立つばかりのイエは本当にそう思っているのだろう。だからこそハルトとしては少し不安でもあるのだが……。
「マリベルも。心配かけてわるかった」
「なんのなんの。おかげさまでこんなに興味深い人材も拾ってこれたし、ね」
「人材……?」
「ええ。病み上がりのあなたには悪いけど、わたしももう好奇心が抑えきれないわ。すぐに面接を始めさせてもらうわね」
「は?」
なにか、互いの認識がズレたまま話が進んでいる気がした。
ハルトはイエへ視線をよこしてみるも、彼女は「なんでしょうか」と言わんばかりに前髪を揺らしただけで。
「あら、あがーでも(ひょっとして)そがー感じ? それなら……っとその前に、ちょっと待ってね……」
と、マリベルのシュネーヴィが戸口から半歩退き、通り道を開けた。
巨体が膝を付き、背筋を伸ばした。
一斉に排気された蒸気。
胸当てが……胸部装甲が囓られた林檎のように開いた。
「あよいしょ」
大鎧の中……コックピットの中に磔の調子で座していた彼女が、スチームを踏み分けてちょこんと降り立った。
「ふうぅ。シュネーヴィはここでお留守番させといて、っと」
ほとんど裸のようなラバースーツを身につけた、幼女だ。
いや、幼女にしか見えないがこれでも二十代の淑女だ。
フォーマル&ビューティーに、編み込みアップで纏め込んだ赤髪。
林檎色なラバースーツはボディラインに張り付いた機能美こそ際どすぎるが、出すべきではないーー出るところは出たプロポーションのーー局所には、一応、鞣し革の防護エプロンをあしらっている。
「ねえハルト。わたしみたいなドワーフじゃのうても、イエちゃんの能力の価値はわかるじゃろ? ……よね?」
「まさか……」
褐色の肌に石の外皮が宝飾的に散りばめられた、職工種族ドワーフのレディはかく語る。
「あっ誤解しないでね、わたしは人拐いじゃないわよ。彼女自身が志願したの」
「はい」
と。軽妙洒脱なちみっこレディに傍らへ立たれて、イエは頷いた。
「私を義勇軍に入れてください」
鉄白衣の乙女もかく語る。
「私は……精霊郷オグノックへ辿り着き、このクリア戦争を終わらせたいのです」
ただの白魔法師の事情は、この上なく重そうだった……。