Karte.2-1「私は、救うために生きていますから」
(毎週月・木曜日、18時頃に更新中です)
【前回までのあらすじ】
ベルアーデ帝国の義勇兵、リヒトはルクスエン大公国との国境地帯で『ただの白魔法師』なる乙女を見つけた。今やありえないはずの回復魔法を用いて無茶に戦う彼女……イエが『ユグドラシルの枝』に貫かれる直前、『ハルト』なんて勝手なあだ名をつけられた青年は、乙女の命を勝手に庇ってみせた……。
【Karte.2「黒金知らずのお嬢さん」】
イエはベルアーデの帝都ベルロンドへと連れてこられる。彼女に看病されていたリヒト……もといハルトは数日ぶりに目を覚ますが、そこに現れた上司マリベルはイエの「目的」を話す……。
Karte.2『黒金知らずのお嬢さん』
星暦1853年7月。
星を破壊し続けた人間たちを、風の精霊王ティターニアと土の精霊王タイタンは見限った。
すなわちそれは、風と土の『精霊の加護』が失われた瞬間でもあった。
精霊の加護が無ければ、人間は星に満ちる魔力を……エーテルを魔法へ変えられない。
外より降ったこの力を、人間は己の智慧だけでは拝領しきれない。
そして絶望に沈んだのは、『白魔法師』と呼ばれる人々である。
世界でもっとも普遍なる魔法体系の一つ、風属性と土属性との複合式ーー、
ーー回復魔法が使えなくなったのだから。
時に、1854年。
このクリア戦争は、いまだ救いを知らない。
○
ベルアーデ帝国最西端。
もしくはルクスエン大公国最東端。
両国の国境にして緩衝地帯である、名も無い森の中……。
拓かれた街道に往来の影は一切無く。今しがた立ち込めはじめた宵闇だけが、まだ月の現れない夜空を見上げていた。
この時刻ともなれば旅人や商人が行き交うべくもないが、なにもそれだけが静寂の理由ではなかった。
この森は、精霊たちの領域となっていたのだ。
魔法生物『ユグドラシルの枝』……通称ツイッグなる脅威が植え込まれ、人間にとっての危険地帯と化していたのだ。
そのツイッグは今、散り散りの骸として小さな丘ほどにも積み上がっていた。
何の変哲もない道端で。地中の潜伏場所を暴かれたことで方々に広がった地割れを、樹皮の屑で埋めて。
抉られて、断たれて。
あるいは、撃たれて、焼かれて。
それらの欠片には、必死に過ぎる死闘の残り香が立ち込めているかのようだった。
「ーーリヒト! ここなの!?」
と。くぐもった女声をスピーカー越しに増幅させて、赤褐色の巨体が森の中から跳び出した。
魔導仕掛けの大鎧だ。
わずかな肌すらも見えない重厚すぎる機構からスチームを噴かし、文字通り、大ジャンプの連続にて
森から跳び出してきたのだ。
ベルアーデ帝国義勇軍、技術科機工開発局、第七開発室長……マリベル。
「……えっ、う、うそっ。なにこれ」
スコープを担う兜はバイザー越しに歯車を回すばかりだったが、彼女の動揺はこの大鎧『SCHNEEWY』の所作に表れていた。
「ツイッグだわ……! せーじゃけぇエーテルが乱れるはずじゃがぁ……でも、どうしてこんな……」
ツイッグの残骸にまみれたこの戦場跡を、焦点も地元訛りも定まらずに見回した。
「応答して! リヒト! 今、ツイッグの死骸のそばにいるわ! もしもしっ!」
試作の魔導通信機『レシッター』で呼び掛けるも。返事は無い。
ただ、彼女が耳を澄ませさえすれば。ひょっとしたら……、
残骸の下から反響した、もう一台のレシッターのノイズに気づけただろうか。
いや、
ーーヴォォォォンッッ!
「っえ!?」
その雑音ももはや、残骸を食い破った鋼鉄の咆哮によりかき消された。
現れたソレは、異端なる段平刀だった。
こちら西洋で云うところのブロードソードか。幅広すぎる極大の刀身が、同じく長大な柄により支えられることで、叩きつけ(ブロー)に適した重心の偏りを創りだしている。
しかし真に奇妙なのは、刀身の外周に鎖状の細かな刃が這っていることだ。
それらが目にも止まらない速度で回っているのだ。
柄や鍔と繋がりあった機械仕掛けによって。
エーテリーも無く、スチームも噴かさず、その機構はただ獣じみた駆動音を奏でていた。
「ーー『執刀』、終了」
刀身に薄く刻まれたその銘が、黄昏の残光にて『執刀』と照らされた。
その刃を、白い袖の中から巻き上がった呪符が包帯よろしく封じた。
「……けほ、っ……」
残骸の下から這い出てきたのは、真白の乙女だった。
極東ニフ国の和鎧がごとく改造された、白魔法師のローブを着込んだ……真白の乙女だった。
白髪は、邪魔にならないように横髪をおさげに束ねて。その一方でローブの内に突っ込んだ後ろ髪は、溢れざるをえないストレートロングだ。
「なっっ、なんならぁそん武器!? ……ってそうじゃなくて、あなた、大丈夫!?」
「…………」
マリベルは駆け寄った。蒸気を背負った巨躯が地を蹴る様子はそれだけで吃驚されても仕方なかったが、乙女はただ一瞥にて彼女の存在を認めただけだった。
無視したというよりも、応えるだけの余裕が無い様子だった。
乙女は機能停止した段平刀を打ち捨て、自分が這い出てきた穴へと両腕を差し入れた。
「っ、ぅ……!」
その中から、気を失った彼を引きずり出したのだ。
「リヒト!?」
……身体中に杭と見紛うようなトゲが刺さった、義勇兵の青年。
マリベルの助手、リヒトだ。
「ウソでしょ……何があったの!」
「彼が私を庇って……っ、手を貸してください……!」
「え、ええ!」
不安定な残骸の上で、リヒトに肩を貸した乙女はロクに歩けずにいた。あんな段平刀を持ち上げたくらいなのに、それほどの膂力に満ち満ちた乙女ではけっしてなかった。
マリベルは残骸を蹴散らすように、逞しすぎる大鎧の四肢を活かしてリヒトも乙女もまとめて介抱した。
「掴まってて! 今なら精霊も逃げ出しとるけぇ、 安全な場所まですぐに行けるわ!」
「いいえ……!」
「ちょっ、と、あっ!?」
と、残骸の丘から地上へと降りた途端。街道を駆けだそうとしたのに、乙女がリヒトを伴ってマリベルの腕から抜け出した。
「こんなにトゲが刺さったままでは、樹液が全身に回ってエーテル中毒になってしまいます……ここで処置を施します……!」
「そんなっ、で、でも……!」
マリベルが狼狽えている間に。乙女は襷掛けの医療鞄の群れから布のスクロールを転がし、その上にリヒトを寝かせていた。
「ご安心を、医師と薬師のスキルも習得しています。ハルトさんは必ず救います」
「そう言われても……ん、ハルト? え、誰?」
答えは無い。乙女はポーション入りの小瓶に注射器の針を注し、中身を吸い出していたからだ。
その針の先で滴が震え、溢れる。……まばたき一つせずに、できずに、乙女はリヒトの胸当てをずらし上げる。
「失礼します」
「ーーぶっっっっ!?」
「ちょっと!?」
注射器を、心臓めがけて一気に突き立てた。……エンチャントされたポーション……シュナップスドッグの甲状腺を煮詰めた気付け薬が、泡を吹かせながら青年を目覚めさせた。
「かは、っぁぁ……ぁ、ぁ……ぁあ……? お、おまえ……な、今度は、何したんだよ……」
「……ハルトさん。次に目が覚めたらお話があります」
「つぎ、ってなんーーふご」
乙女はリヒトに、布を巻き付けた小さな棒を噛ませていた。
その淡白すぎる表情は、しかし、
ひどく緊張していて、
どこか怒っていた。
「力を抜いて」
「ぶごっっっっ!?」
「ちょっとーーーー!?」
乙女は、トゲの一本をノーウェイトで抜いた。
当然それは、リヒトをまた失神させるに十分な激痛を伴った。
トゲそのものによって塞がれていた傷口から、荒れ狂う脈動に合わせて血が溢れだした。
「やめなさい!! あなたッ、彼から離れて!!」
冗談にしては悪趣味が過ぎた。処置どころかこれでは処刑だ、リヒトが死んでしまう。
マリベルは真白の魔女を止めるため、手を伸ばした……!
「《ヒーリング》」
……だが。降りかかった黒鉄の掌の下で、脇目も降らずに奇蹟が輝いた。
「え、っ……?」
「……やめません。離れません」
風色と土色の魔力の迸りが、宵闇に揺蕩った。
「私は、救うために生きていますから」
乙女は、回復魔法を行使していたのだ。
全ての人間から、風と土の精霊の加護とともに失われて久しい……、ありふれた癒しの魔法を。
ゆえに彼女は泣いていた。
底知れない黒曜の瞳が風色と土色に輝き、そこからあふれたエーテルの涙をこぼしていたのだ。