悪役令嬢とラスボスの本音と……
「どうかしましたか、アナスタシア様?」
ロイドはそう言ってにっこりと笑ってくれる。しかし、私にはわかる。今のロイドは愛想笑いをしているということに。それは、アナスタシアとして付き合ってきた時間が長いからなのか、はたまた前世の記憶としてこの世界の知識を持っているからなのかは、分からない。それでも、少なくとも今の私はロイドの忠誠心を好ましく思っている。
「……ねぇ、ロイド。ロイドは、今の待遇に満足しているの?」
私が絞り出すような声でそう言えば、ロイドは「もちろん」とだけ告げてくる。その口調はとても穏やかなものであり、アナスタシア「から」見れば普通なのだ。でも、それはロイドの本当の姿ではない。乙女ゲーム通りだとすれば……。
『ラスボスのロイドはね、アナスタシアの前でだけ猫を被っているのよ』
前世の妹の声で、その情報が脳内に浮かび上がる。ロイドはアナスタシアの前では比較的大人しい従者を演じている。しかし、実際は気性が荒く喧嘩っ早い性格だ。口だって悪いし、お兄様とはよく言い争いをしている。……アナスタシアも、それには気が付いていたのだ。
「……ロイド。私、貴方に一つだけお願いがあるの」
「何でしょうか?」
ロイドが私の言葉を聞いて、そう返してくれる。その表情はにこやかで、いかにも好青年といった風にも見える。しかし、その瞳は揺れている。多分、怯えているんだ。
しかし、ロイドは一体何に怯えているのだろうか。本性を出せばアナスタシアに捨てられると思っているのだろうか? ……乙女ゲーム内のアナスタシアは知らないけれど、この世界のアナスタシアはそんなことをするつもりは微塵もなかったようなのに。
私が目を閉じれば、アナスタシアとして生きてきた記憶が鮮明に見える。ロイドは、いつだってアナスタシアに寄り添ってくれた。アナスタシアの両親は多忙だった。そこら中を飛び回って、最終的には魔力暴走の事故に巻き込まれて亡くなってしまった。時折会えばアナスタシアのことを可愛がってくれたものの、アナスタシアの中での「大切な家族」には含まれていなかった。アナスタシアの心の中で「大切な家族」に分類されるのは……お兄様と気を許している数少ない使用人たちだけだった。そのうちの一人が、ロイドだった。
(アナスタシアは、寂しさから苛烈な性格になったのかもしれないわ)
少しでも自分を見てほしい。そう思ったから、あんな苛烈な性格になってしまったのかもしれない。そう思うけれど、アナスタシアの記憶はあっても気持ちまでは鮮明に見えない。「覚えている分」しか気持ちは分からないのだ。でも、これだけはわかる。アナスタシアは……ロイドのことを、心の底から信頼していた。
「ロイド。……私、お兄様にお願いするわ。だから、一緒に王宮に来てほしいの。私の従者として、もう一度働いて」
私はロイドの瞳をまっすぐに見つめて、そう言う。はっきりと言えば、アナスタシアの側には従者よりも侍女の方が圧倒的に多い。つまり、従者は数少ないのだ。だからこそ……ロイドに側に居てほしいと思ってしまう。それに……ううん、これは考えてはいけないことだ。
「……アナスタシア様。貴女は、ご自分が何を言っているのかがわかっているのですか? 王家に嫁ぐ令嬢は、男性の侍従を実家から連れていけない。それは、貴女ならばわかっているでしょう?」
「えぇ、分かっているわ。わかっている。それでも……」
ロイドの言い分だって、分かる。この王国の古くからの決まりで、王家に嫁ぐ令嬢は「実家からは女性の侍従しか連れていけない」のだ。でも、私は思うのだ。……その決まりは古いって。誰かが変えないといけないのだ。それに……ルールって、破るためにあるところもあるしね。
「この決まりは古いと私は思っているわ。それに、私は王家に嫁いでかなりの時間が経っている。今更貴方一人連れて行っても、問題は小さいと思うのよ」
「……アナスタシア様。貴女はご自分が王太子妃という重要な立場だと分かっていらっしゃいますか?」
「えぇ、分かっているわよ」
その立場いずれ捨てますけれどね! 私は心の中でそうつぶやきながら、ロイドに笑いかけた。ロイドのことを放っておけない。なぜそう思うのかは分からない。でも、勘が告げているのだ。ロイドを連れて行った方が良い、と。
「それに、私は毒殺されかけた身だもの。専属従者に信頼のおける者が欲しいといえば、そこまで荒れはしないわ。……ロイドが、私の側に居るのが嫌なんだったら、構わないけれど……」
そう言って、私は俯いてしまう。実際問題、あれは所詮「乙女ゲーム内の情報」でしかないのだ。実際のロイドがどう思っているかは、ロイドにしか分からない。もしかしたら、この世界のロイドはお兄様の従者の方が良いと思っているのかもしれない。……やっぱり、不確定要素が多すぎる気がするわね。
「アナスタシア様の側に居るのが嫌というわけではありません。……本当は、俺だって共に行きたかったのですから」
「……ロイド?」
「……アナスタシア様の側にずっといたかった。それは、俺の紛れもない本心です」
ロイドの言葉に私が急いで顔を上げれば、ロイドは俯いていた。握っている手が微かに震えている。……ねぇ、ロイド、貴方は一体何を考えているの? この世界のロイドの考えが、私は知りたいの。
「ですが、アナスタシア様の側には居られない。……一時期は、いろいろなことを確かに考えました。悪魔に魂を売るようなことだって、考えた。でも、出来なかった。……貴女が不幸になるのは嫌だったから」
……えーっと、悪魔に魂を売るようなことって、いったいどんなことなんですか? 私はそう思いながら、ロイドのことを見つめ続ける。すると、ロイドは意を決したように顔を上げて私の肩に両手を置く。
「……俺は、誰よりもアナスタシア様の幸せを願っているんです。……だから、あの女の取引にも応じなかったんだ」
……うん? あの女? その言葉に、私は引っかかってしまう。……あの女。その言葉が当てはまる相手は……ほとんど、一人しかいないじゃない。
「ねぇ、ロイド。あの女って……それは、キャンディ様のこと?」
私は、申し訳ないと思いながらもロイドの話を遮ってそう問いかける。すると、ロイドはゆっくりと首を縦に振ってくれたのだった。