子爵令嬢ジュリエットの初恋(12)
「本日はありがとうございました」
その日の夕暮れ時。私はクラウス様に一礼をして、そう挨拶をしていた。キャンディ様のことは驚くしかなかったけれど、それでも知らないよりはずっといい。そう思いながら、私はギャロウェイ男爵邸を後にしようとする。だけど……不意に、クラウス様に手首を掴まれてしまった。
「……クラウス様?」
私が、ゆっくりとクラウス様の名を呼んで振り返れば、クラウス様は不安そうな表情で「……帰る、んですか?」なんて当然のことを尋ねてこられる。だから、私はただ静かに頷く。まだ、私はクラウス様の正式な婚約者ではないし、妻でもない。だから、このギャロウェイ男爵邸に泊まるわけにはいかないのだ。
「なんで、そんなこと、を……」
「いえ、何でもないんです。ただ、ちょっと不安になっちゃって……。俺、送りますよ」
「そ、そんな、そこまでしていただくわけには……!」
何故、クラウス様はそこまで私が一人で帰るのを嫌がられるのだろうか。そう思いながらも、私は手を目の前でブンブンと振り、クラウス様の申し出を断った。そして「大丈夫です、よ」と何度も繰り返し、クラウス様と別れた。
……後から思えば、この時その申し出を受け入れていれば良かったのに、と思う。けど、後悔しても意味なんてないのだ。
☆★☆
その後、十分程度は何もなかった。普通に馬車は走り、シャリエ子爵邸へと戻っていく。見慣れた景色を茫然と眺めていると……不意に、馬車が急停止した。それに驚いて、私は馬車のバランスを崩し椅子に倒れこんでしまう。
「……どうしたの?」
恐る恐るそう御者に声をかけようとした時、御者のつんざくような悲鳴が聞こえてきた。……まさかだけれど、賊!? でも、ここは比較的治安が良い場所のはずなのに。そんな、賊なんているわけがなくて……!
私がそう思っていると、馬車の扉が乱暴に壊されそうになっていることに気が付いた。……やっぱり、賊か何かなのよね。いくら治安が良くても、そう言う人間は出て来るものだ。そう思ったら、私は怖くて怖くて椅子に座って自分の身体を抱きしめて震えていた。それしか、出来なかったから。誰か、助けて……! そう思って祈るだけじゃ、何も解決しないってわかっている。なのに、私は祈ることしか出来なくて。
「……ジュリエット・シャリエだな」
「ひぃっ……!」
馬車の扉が乱暴に壊され、中に数人のガラの悪い男性がなだれ込んでくる。そして、彼らは私の名前を呼んだ。……だから、私はただ静かに首を横に振る。……何故、この人たちは私の名前を知っているの? そう思ったけれど、私はジュリエット・シャリエではないと言わなくちゃ。
「……依頼されたのは、この女の誘拐だったな。おい、連れていけ」
「いや! 放して、放して!」
男の一人が、私の手首を乱暴につかんで馬車から引きずり降ろそうとする。嫌だ、放して。触れないで。そう思って抵抗するのに、女一人の力じゃ到底かなわない。だから、私は無理矢理馬車から引きずり降ろされ、別の馬車に押し込まれる。途中、御者が「……お嬢、様」と小さな声で私に告げ、手を伸ばしてきたのはしっかりと見えた。きっと、名前を出さなかったのは相手の狙いが私、「ジュリエット・シャリエ」だと分かっていたからだと思う。
「放して……放しなさい!」
必死にそう叫んで抵抗するのに、男たちは数人で私のことを馬車の床に押し付け、そのまま手首を縄か何かで縛る。……これじゃあ、手では抵抗できない。そう思ったから、私は足で相手を蹴る。でも、大した攻撃力はなく、そのまま馬車は走り出した。男たちは何人かで私の身体を床に強く押し付けてくる。痛い。痛い、お願い、放して……!
「は、なして……!」
もう、プライドも何もなかった。私はただひたすら泣きながらそう懇願する。私の家は貴族にしては貧乏なのだ。身代金なんて、払えるわけ……。
(……けど、もしかしてだけれど、この男たちの目的って……!)
でも、私はそれよりも恐ろしい可能性に気が付いてしまった。この男たちは「私」を狙っていた。今、私のことを憎み狙う相手なんて限られている。きっと、この男たちに私の依頼を誘拐したのは――。
(――キャンディ様。それからヴィクトール様)
その可能性が脳内で浮上した瞬間、私は魔法をかけられ眠りに落ちてしまったのだった……。
このお話のPVが100万を超えました(n*´ω`*n)誠にありがとうございます! 引き続きよろしくお願いいたします!
……書籍の発売が近づいていて、作者は毎日胃が痛いです……。




