悪役令嬢と王太子のお忍び
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「い、いや、お兄様……? 今、何とおっしゃいましたか……?」
翌日。朝食の席にて、お兄様がいきなり爆弾発言を落とされた。しかし、私はそれを素直に受け止めることが出来ず、ついついそう返してしまう。すると、お兄様は気を悪くした風もなくただ「いや、先ほど言ったとおりなんだが……」とおっしゃり、一度だけ言葉を切られた。
「いや、シュトラス公爵家の方でいろいろとトラブルが起こったみたいでな。少し馬を走らせて帰ることにした。なに、明日の午後には戻ってくるつもりだが……。本日の予定と、明日の午前中の予定は俺の代わりに王太子殿下に行ってもらう」
「……は、はぁ」
いや、それはウィリアム様と共に孤児院に出向け、ということですか……? 私がそう言う意味を込めて視線を向ければ、お兄様は「王太子殿下もたまには役に立つだろう」なんて普通の王族ならば「不敬だ!」と怒りそうなことを、普通におっしゃった。……そりゃあ、お兄様は王家の方々からの信頼も厚いし、王家はお人好し集団とも言われているけれど、わざわざウィリアム様の目の前で言わなくても……。
そう思ったけれど、ウィリアム様は気まずそうに視線を逸らされるだけだった。……どうやら、お兄様のおっしゃることに反論するつもりはないらしい。まぁ、そうなるわよね。お兄様、怒ると魔王様だし。
「というわけだ。悪いが、俺は朝食を食べたらすぐに公爵邸に帰る。王太子殿下、くれぐれもアナスタシアを傷つけたりしないようにお願いしますよ。怪我の一つもさせないように」
「……わかっている」
ウィリアム様は、渋々といった風にそうおっしゃる。……まぁ、ウィリアム様は私に対して「興味が湧いた」とか「嫌いではない」とかおっしゃっているけれど、まだ私のことを好意的には見れないと思う。だから、その反応は当然だ。
「アナスタシア。あとは、上手くやれよ。表向きだけでも王妃を輩出したとなれば、公爵家はさらに発展するからな」
「……は、い」
お兄様は、食堂を出ていかれる際に私にだけ聞こえるように小さな声でそうおっしゃった。……この王国の貴族の憧れは、二つ。一つ、王太子妃や王妃を輩出すること。二つ、聖女を輩出すること。私は一応今年の聖女に選ばれているし、王太子妃という立場も一応得ている。だけど、お兄様はその上が目的らしい。……王妃となって、私が国を導くのがお望みのようだ。
(本当は断りたいのだけれど、何を言われるか分からないからなぁ)
お兄様に正体がバレてしまっている以上、変な行動は避けなければならない。味方だ、と宣言してくださってはいるけれど、いつ「アナスタシアじゃないお前は必要ない」と切られるか分からないのだ。……信頼していないわけじゃない。ただ、そう言う冷酷な部分も持ち合わせているのがお兄様だというだけ。
「アナスタシア。俺で不満だろうが、一緒に行くことになったらしいな」
「いえいえ、不満だなんて、そんな……」
滅茶苦茶不満ですけれどね……。脳内ではそう答えるけれど、表面上は「全然不満なんてないですよ~」と装ってみる。そう、私はアナスタシア・シュトラスであり、アナスタシア・ベル・キストラーなのだ。前世の私じゃない。うまくやらないと……この世界だと物理的に首が飛ぶだろうから。
「いや、顔に書いてあるな。……兄じゃなくて不満だ、と。ま、俺的にはこの機会は良いものだと思っているが」
「……どういう、ことで?」
「アナスタシアのことを知るチャンスだ、ということだ」
ウィリアム様はそうおっしゃって、少しだけ表情を緩められる。……うん、やっぱり乙女ゲームのメインヒーローということはあり、顔が良い。でも、中身は及第点かな。そんなことを思うけれど、決して表情には出しませんよ、えぇ。昨日の夜、必死に鏡の前で無表情の練習をしたもの。ついでに笑顔の練習もした。だからきっと……大丈夫。
「お忍びで出かけるなど、アナスタシアとは初めてだな」
「そう、ですね。しかし、私とは、ということは別のお方とは出かけたのですね。例えば、キャンディ様とか」
「……あの女は苦手だし嫌いだ。お忍びで共に出かけたのはジェレミーだ。悪いな、期待に沿えなくて」
そうおっしゃって少し不貞腐れるウィリアム様。その仕草は何処か子供っぽくて、可愛らしかった。いや、大人にそんなことを思うのは間違っているかもしれないけれど。でも、なんだか可愛らしく映っちゃったのだ。
「じゃあ、十時ぐらいに出るか」
「わかりましたわ。マックスさんとシルフィアさんにもそう連絡しておきます」
とりあえず、まずは朝食を済ませて二人に連絡しなくちゃね。その後、ニーナとロイドに今日の予定の変更を伝える。それから……。
(ウィリアム様とのお忍びのお出かけ、か。本当に新鮮すぎてどう捉えたらいいか全く分からないわ……)
心の中でそうつぶやいて、心の中だけでため息をつく。はぁ、まぁ、何とかなるでしょうけれどね。キャンディ様の動向もうかがわなくちゃいけないし、王太子妃って大変だわ……。って、最後のは王太子妃の仕事じゃないわね。個人的なものだわ。……スローライフがしたい。




