悪役令嬢と王太子の変化
☆☆
「アナスタシア様! おかえりなさいませ!」
「……ニーナ、ただいま」
領地にある別邸のお部屋に帰ってくるなり、ニーナが私の胸に飛び込んできた。この子のぬくもりは、なんだかすごく落ち着く。……あぁ、きっとこの子はアナスタシアの頃から仕えてくれていたからなんだわ。そう思いながら、私は「よかった、よかった……!」とこぼし続けるニーナの背を撫でた。
「……あの女が、逃げたと聞いて、私、生きた心地がしなくて……」
「そう、心配してくれて、ありがとう」
やはり、ニーナの耳にもキャンディ様のことは入っていたか。そう思いながら、私が廊下で待機しているお兄様に視線を向ければ「俺は少し報告書でもまとめてくる」とさっさと別邸で与えられた自室に戻られた。……お兄様、大臣たちに報告書の提出を求められているんだっけ。あと、マックスさんも確かそうだったはず。
「俺も、報告書とこれからの計画についてまとめてきます。シルフィア、アナスタシア様は頼みますよ」
「はい、師匠」
そう言って、マックスさんも自室に帰られていく。あのお二人は、すごく忙しい人だ。私の自分勝手な行動に巻き込んだのに、嫌な顔一つせずに自分たちに与えられたことを全うしていく。その姿が、何故かすごくまぶしく見えた。そもそも、私は前世の人生を途中退場しているのだ。……だから、全うすることが、どれだけ大変なことなのかをわかっているつもりだ。
「ニーナ、ロイドはどうしているのかしら?」
「あぁ、今は調理場に居ます。なんでも、アナスタシア様のためにスイーツを作るとか、なんとか……」
「そう」
ロイドは、何でもできる従者だ。きっと、私の考えを読み取ってお菓子作りを手伝ってくれようとしているのだろう。……アナスタシアは、恵まれている。確かに手放しで「幸せ」だとは言えないかもしれないけれど。でも、ある程度の幸せは得ているのだ。
「……アナスタシア、帰ったのか」
「旦那、さま」
ふと、私がニーナとシルフィアとソファーに座って会話をしていると、お部屋の扉が開いてウィリアム様が姿を現した。ウィリアム様は何処か寂しそうな表情を浮かべていらっしゃって、なんでそんな表情を浮かべられるのかが私には分からなかった。
「いや、アナスタシアが無事でよかった」
「……珍しいですね、旦那様が私のことを心配するなんて」
「いいや、珍しい……わけではないと思う。いつもそこそこ心配していたんだ」
「初耳です」
ウィリアム様は、そうおっしゃると私から見て対面のソファーに腰を下ろされる。それを見たニーナが「お茶を淹れてきます!」と言って奥に引っ込んでいった。……シルフィアさんは、どこかにっこりと笑っている。なんだか、楽しんでいるみたい。というか、若い女の子はこういうのが好きなのよね。どちらかといえば私たちは少女漫画の甘い空気ではなく、少年漫画で因縁の対決をしているような空気を出していると思うのだけれど。
「……アナスタシアの耳にも入っているだろうが、キャンディ・シャイドルが脱走した」
「えぇ、存じております」
ニーナがお茶を出し、それを一口飲まれるとウィリアム様はそうおっしゃった。その瞳は明らかに揺らいでおり、私はそれを「ウィリアム様がキャンディ様を苦手としているからだ」と思った。むしろ、それしか理由が思いつかなかった。
「正直、あの女は何をするかが分からない。ただ、一つだけわかるのは――アナスタシアを傷つけに来るということだろうか」
「……存じております」
キャンディ様は、私のことを恨んでいる。自分の運が悪かったことを棚に上げて、アナスタシアを恨んでいる。アナスタシアが、どれだけ頑張っていたかなんて知らないくせに。
「俺はあの女が苦手だし、嫌いだ。今思えば……あの女の甘い言葉に騙されなくてよかったと思っている。……アナスタシアも、変わってくれたしな」
「……そうですか」
多分、ウィリアム様は私に盛られた毒の種類をわかっていらっしゃる。王家のお抱え薬師しか作れない毒なんて情報、お兄様だったとしても持っているはずがないもの。情報源は、大方ウィリアム様だわ。
「なぁ、アナスタシア。俺はお前に興味が湧いている。そして、あの女が脱走したと聞いた時、確かに胸が痛んだんだ」
「……それは、どういうことで?」
「……何度でも言う。この間は躱されたが……お前が嫌いではない、ということだ」
……それは、一種のリベンジですか? そう言いたかったけれど、アナスタシアならばきっとそんなことは言わない。だから、私は目の前のお茶を飲んで「そうですか」と言うことしか出来なかった。性格が変わっても、中身は変わっていない。そう言う風に装おうのは、かなり大変なのだ。
「アナスタシア。俺は……お前と、少しだけ距離を縮めたいと今でも思っている」
「……そう、ですか」
でも、そのお言葉に私は何と答えたらいいかが分からなかった。私は、ウィリアム様と離縁して悠々自適なスローライフを送ることを夢見ている。だから、ウィリアム様の望みは叶えられない。だけど……つい最近思うのだ。この王家はダメだ。だから、私が支えなくちゃ、と。
(変な気持ちね。もうしばらく結婚生活は続けるんだけれど)
でもまぁ、もうしばらくは結婚生活を続けるからこの考えは今は置いておいてもいいや。……今はそれよりも、領地のこととキャンディ様への注意の方が大切。……そう、よ。




