悪役令嬢と意外な見舞客
「暇ねぇ」
お兄様が出て行って、一時間と少し。ロイドとニーナに元気な顔を見せたら、やることが無くなってしまった。本当ならば今日中に領地を見て回りたかったのだけれど、お兄様に釘を刺されてしまった以上それも出来ない。あの魔王様め。そう思ったけれど、実際に言うことは出来やしない。怖い人を見て「怖い!」と軽々と言えないのと同じ心境である。
「アナスタシア様。暇だ暇だとおっしゃらないでくださいませ」
側に控えていたニーナが少し困ったような表情を浮かべながらそう言う。私はニーナと顔を合わせて最初に彼女の怪我の心配をした。しかし、ニーナは元気いっぱいで怪我は一つもなかったようで。一番重傷だったのが私だったらしい。ちなみにだが、今までのアナスタシアは形式的に人を心配することはあったものの、人を庇うということをしてこなかったためニーナを庇ったことを大層驚かれた。なので、ニーナを庇ったのは咄嗟の行動だと誤魔化した。中身が変わっていることを知られるのはまだ無理だ。
「だってぇ」
ロイドはお兄様の補佐に回っている。お兄様は現状を分析し、敵を探っているようだ。お兄様の中で、ヒロインのキャンディ様は完全なるクロ側になっているようだ。ただし、その協力者が分からない。お兄様曰く「王家に近い人物の可能性が高い」ということだけれど……。
(王妃様も国王様も、そういうことを出来るようなお方ではないのよねぇ)
あのお人好しの方々が、他人を洗脳して操るなど想像が出来ない。第二王子殿下も同様。じゃあ、誰? 大臣とか王宮勤めの人なのだろうか。あぁ、考えても答えが出ないわ。
「アナスタシア様。……少々、よろしいでしょうか?」
そんなことを私が考えていた時、外に控えていた護衛の一人が部屋に入ってきて私にそう声をかけた。だから、私は「どうぞ」とだけ返す。そう言えば、この護衛はお兄様が付けてくださったのよね。なので、王家の護衛ではなく公爵家が雇っている護衛になる。
「実は……王太子殿下がいらっしゃっておりまして。一度アナスタシア様のお顔が見たい、ということで……」
「え?」
護衛の言葉に、私は唖然としてしまう。ウィリアム様が? 私の顔を見たい? いや、いったいどんな風の吹き回し? そう思ったけれど、最近のウィリアム様は以前のようにアナスタシアを拒絶していないのだ。ちょっぴり疎んではいる感じだけれど、前までがひどかったからこれぐらいじゃ疎んでいるには入らないと思うし。
「どういう風の吹き回しかしら……? 最近、旦那様のご様子がおかしいのよね」
「……それは、アナスタシア様もだと思いますよ」
ニーナのそんなボソッとしたつぶやきに、私は「わ、私は普通よ?」と焦って返してしまった。あぁ、ダメだ。これじゃあ余計に怪しまれるというのに。と、とにかく、ウィリアム様がアナスタシアの顔を見たいとやってきているのよね。……会うしかないじゃない。邪険にするわけにもいかないし。いずれ離縁を突きつけるとはいえ、今は夫婦だものね。関係は表向きには良好にしておかなくちゃ。
「まぁ良いわ。会うわ」
「承知いたしました」
私の言葉を聞いて、護衛が部屋を静かに出ていく。それから数分後。少々くたびれたようなウィリアム様が、代わりに部屋に足を踏み入れてきた。あの表情からするに、お兄様と一緒の生活がかなり嫌のようね。でも、さすがは乙女ゲームのメインヒーローと言うべきか。くたびれているのに顔面偏差値がかなり高い。美形はそれだけで罪だわ。
「アナスタシア。もう、身体は大丈夫なのか?」
「えぇ、もうぴんぴんしておりますわ。そもそも、私が倒れた原因は魔力の使い過ぎと体力の消耗が激しかったからですもの。毒を盛られたときの比ではありませんよ」
そう、アナスタシアは一度死にかけている。その記憶が鮮明にあるからか、倒れたぐらいでは死にかけたことにカウントしていないのだ。
私がそう元気に言えば、ウィリアム様は「そうか」とだけおっしゃる。そして、私が腰かけている寝台の横にある椅子に腰を下ろされた。……いや、今すぐお兄様の元に戻られても構いませんけれど? むしろ、貴方がここに居らっしゃったら私の方が落ち着かないのですが?
「……なぁ、アナスタシア」
「何でしょうか?」
心がそわそわとしているのを悟られないように、私は精一杯の笑みをウィリアム様に向ける。その表情だけを見れば、ウィリアム様を疎んでいるとは誰も思わないだろう。なんといっても、今までのアナスタシアはウィリアム様のことが大好きだったから。その先入観があるからこそ、私の心の奥底は見破られない。……と思う。
「いや、こんなことを言うのは何だと思うが、変わったな、と」
今更ですね。それ、何度も言われていますよ。そう言う意味を込めて厳しい視線をウィリアム様に向ければ、ウィリアム様はくすっと笑われた。その表情を見ていると、何故か胸の奥がきゅっと締め付けられる気がした。もしかしてだけれど、私の意識の奥底にはまだアナスタシアがいるのかな、なんて。
「今更ですね」
「あぁ、今更だ。そして……俺は、またしても今更なことにアナスタシアに強い興味と好奇心を抱いてしまった」
ウィリアム様はそうおっしゃって、私にそれはそれは美しい笑みを向けてこられた。……いったい、今更何だというのだろうか。
「こんなにも強い好奇心と興味を持ったのは、久々だなと思った。だから、お前に感謝しているんだ」
そんなウィリアム様のお言葉は、私にとって寝耳に水のものだった。




