悪役令嬢と王太子と
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「……アナスタシア」
「あら、旦那様。わざわざお迎えありがとうございます」
お兄様にお話をつけてから二日後の夕方。王宮に戻ってきた私を出迎えたのは、意外なことにもウィリアム様ご本人だった。少し不機嫌そうな表情は、この際放っておくとしまして。わざわざご自身でお出迎えなど、いったいどんな心境の変化でしょうか?
「……いや、別に礼を言われることではない。……アナスタシアと俺は、一応夫婦なのだから」
そんなことをおっしゃるウィリアム様に、私は驚いてしまう。ウィリアム様は、アナスタシアのことを疎んでいたはずだ。なのに、いきなりこんな風に出迎えた挙句そんなことをおっしゃるなんて。どういう風の吹き回しでしょうか? それとも、何か悪いものでも食べたのでしょうか? ……さすがにそれはないか。
「あら、旦那様もそんな言葉が言えるのですね」
「まぁ、たまにはな」
ウィリアム様はそれだけをおっしゃると、露骨に顔を背けられる。あら、意外な反応。そう思いながら、私は後ろに控えていたロイドのことを思い出す。お兄様がお話を通してくれているとはいえ、一応紹介しておいた方が良いわよね。
「旦那様。彼がロイドですわ。今回私の専属従者として王宮に連れてきましたの」
「……知っている。彼はアナスタシアが俺と婚姻するまで、アナスタシアの側に居た従者だろう?」
「えぇ、そうでございますわ」
私がにっこりと笑ってそう言えば、「……本当に何なんだ」などというつぶやきが聞こえてきます。どうやら、ウィリアム様は私のことを不気味に思っていらっしゃるご様子。つまり、お互い様ということですね。毒で性格が変わってしまった(ということにしている)私と、柄にもなく妻を出迎えるウィリアム様。そりゃあ、お互いのことを不気味だと思っても当然でしょう。
「はぁ、お前がわがままを言うから俺はシュトラス公爵に絞られた。……従者の一人ぐらい、付けてもいいだろう許可をよこせ、と言われた。……王家の弱みを突かれたら、こちらとしてもシュトラス公爵に従うほかない」
「まぁまぁ、ご愁傷さまですこと」
「……元はと言えばお前の、アナスタシアの所為だ」
ウィリアム様はそうおっしゃって私のことをにらみつける。どうやら、出迎えてくださったのはお兄様への苦情を言うためだったご様子。……いくらお兄様に頭が上がらないとはいえ、それを私に言われましても……ねぇ? そう思いながら、私は貼り付けたような笑みを浮かべ続ける。王太子妃とは、笑みが大切なのだ。いずれこの座を捨てるとしても。
「それから、急ピッチで領地の土地の一部をお前の権利にしておいた。……シュトラス公爵のお墨付きと言えば、俺たちが逆らう必要はないからな」
「あら、ありがとうございます。予想の半分の時間で準備できたのですね」
「まぁな。……あれだけ急かされたら、こっちもたまったもんじゃない」
そんなウィリアム様のつぶやきが私の耳に入り、私はくすっと声を上げて笑ってしまった。鬼の形相のお兄様が側に居らっしゃると、確かにとんでもないですよね。なんだか、初めてウィリアム様に親近感が湧いてきましたねぇ。そう思いながら、私はロイドに視線を向けてみる。私の荷物をいくつか持ったロイドは、ウィリアム様を露骨ににらみつけていた。
「……あと、一週間後」
「はい?」
私がロイドに意識を向けていると、ウィリアム様が何かを呟かれる。そのお言葉は、確かに「一週間後」と聞こえた。何が、一週間後なのだろうか。
「一週間後、お前に権利を渡した領地に向かう。図書館の司書にも、お前の兄にも話は通してある。それから、俺もついていくからな」
「……え?」
「幸いにも弟が一足先に帰ってきている。王宮の留守番はアイツに任せればいい」
「い、いや、そう言うことでは……」
ちょっと待って。それは、その、あの、少し、予想外と言いますか……。私はお兄様とマックスさんの三人で領地をしばらく経営するつもりだったのですが? ウィリアム様が付いてくるなど予想もしていなかったのですが?
「あと、護衛に大体なんでもできる魔術師を一人付けることにした。あの魔術師は有能だし、司書の元部下だからな。話が通しやすかった」
いやいやいや、何を勝手にお話を進めているのですか!? そう思いながら、私が茫然とウィリアム様を見つめていると、ウィリアム様は不敵に笑われる。その笑みは、社交界の令嬢たちを魅了したものと全く一緒だった。
「俺は、どうやらお前に興味を持ってしまったらしい。シュトラス公爵や司書、侍従から聞いたその噂をこの目で確かめてみようと思った」
「う、噂、とは?」
「お前が変わったという噂だ。……今までの俺は、浅はかだったと思う。だから、これからはこの目で見たものを信じることにした」
……え、えーっと。それは、その、良いことだと思いますよ? でもね、私的にはついてきてほしくなかったと言いますか……。なんといいますか。
「そ、それは王としては、素敵なことですね……?」
「文句があるのか? お前は変わった。だから……その本気を俺に見せてくれてもいいだろう?」
ウィリアム様の言葉が、何故か「あの子」が残した言葉に重なってしまった。
『貴女は変わったじゃない。だから、貴女はきっと幸せになれるわ』
そんな「あの子」の言葉と、ウィリアム様の言葉が何故か重なってしまう。全く似ても似つかない性格のくせに。なのに、なぜそう思ってしまうのだろうか。
「……――」
口走った「あの子」の名前。私を支えてくれて、変えてくれた恩人。そんな彼女の顔を思い浮かべながら、私はウィリアム様を見つめてこういうことしか出来なかった。
「わかりました。私の本気を、見せて差し上げますわ」
と――……。




